第31話10月4日土曜日
比較的惨めな生活。これを幸せと言えばいいのか?納得させる嘘の幸せ。嘘と妥協の塊。どう見ても幸せとは程遠い通勤と仕事と帰宅を繰り返すサラリーマンの群れ。日々疲弊している群れ。
生まれてきたことを後悔はしないが、この世の光景には絶望の極み。世界のどこかで争っている。子供が死んでいる。その中の小さな島国でさらに争っている。さらにその中の企業どうしが争っている。さらにその企業内で争っている。なら、だからと言ってどうしたら良い?秋山はドロップアウトしたぞ。おれにもそうしろと?友子、結衣、結衣、君は何も知らない僕の汚れ切った内面も、おれの下衆な性格も。クソと同じだ。クソは何にもならない。
「肥料になるじゃない」
目の前の友子が微笑を浮かべている。そうだおれは今、友子と喫茶店にいたのだ。
「あなた最近変よ」心配そうな表情でおれを見つめる友子。
「大丈夫だよ……ちょっと酒の飲みすぎかな?」
秋山が亡くなってからおれは昼夜関係なしに酒を飲むようになった。シラフの状態でいると発狂しておかしくなりそうになる。この世界はとてもじゃないがまともな状態では立ち向かえない気がする。世界に絶望しながら、酒に浸り生きようとしている俺……世界ではなくおれ自身かもしれない。連続飲酒を続けた結果、おれは知らぬ間に頭の中で思っていることを口にしていたり、もとからあった脅迫観念の症状がより悪化した。
「……敬、自殺なんて考えてないでしょうね?」強張った表情でそう質問する友子。
「死にたくはないさ。ただこの世界では生きられないとたまに思っちゃうんだ」
友子は言葉を繊細に選ぶように、「……私だってそうよ。生き辛さ感じる時あるわよ。だけど、じゃあ、どんな世界なら生きられるの?」
そうだ。この世界に絶望しているおれは何と比較し絶望し、そしてどんな世界を望んでいるのだろう。友子の質問におれは答えられなかった。
その日、昔の夢を見た。小学校から帰った夕暮れ時、おれは自宅のリビングで寝ころびながら漫画を読んで台所で母が作る夕食を待っていた。ふと、宇宙の果ては一体どうなっているのだろうかと考えた。考えれば考えるほどわからなくなったおれは、
「ねえ、お母さん」
「んー?何?」
「宇宙の果てって何があるの?」
「そんなの知らないわよ~」
「えー?なんだよそれー」
「敬、わからないことはね、考えても考えてもわからなかったら、それは考えなくて良いことなんじゃないかな?ふとしたことでわかる時ってあるし」
「好きです」アルバイト先の本屋の休憩室で帰宅しようとしていたところ、高倉結衣がおれの背中に声をかけてきた。急な告白に対し、おれは何も驚くことなく高倉結衣の方へ振り向き、
自身に彼女がいることを確認したが「だけど好きだ」と泣き出してしまった。とりあえず抱きしめた。終始おれの感情に起伏は起こらなかった。
おれは高倉結衣の顔に近づく。事態の把握ができず、怯えているようなきょとんとしているような高倉結衣の表情。おれと彼女の間にある空間は消え、唇でお互いの線は繋がる。それでも何も感じないことにおれはおれ自身に驚いた。
「ただいま」
日も変わった一時過ぎに友子のマンションへ帰宅。
「おかえり~」
リビングのテーブルの上には皿に盛られたナポリタンが二つ。
「待っててくれたの?」
「うん、今日はなんだか一緒に食べたい気分だったから」
「そうか。ありがとう」友子はいつもと変わらぬよう振舞っていたが、何だか疲弊しているように見えた。それがおれの気のせいではないことはすぐに分かることであった。
「うまいよこれ」
「ほんと?ありがとう。どころであんた、最近誰かと頻繁に会ってる?」
「え?」おれのフォークを持つ手が止まる。高倉結衣の顔がおれの脳裏に浮かぶ。しかしここで動揺してはいけない。焦っていたらより疑いは強くなってしまう。おれはただズズーッ、とパスタを啜る。
「頻繁に会ってる人か。まぁ、君ぐらいだけど、あ、最近は本屋の人達もいたね。何で?」と微笑を浮かべながら、聴き返す。
友子は、消化不良の曇った表情で、おれを見つめ、
「私の大学の友達がさ、あんたを街のファミレスで見たんだって。それで、あんたはひとりだったらしいんだけど、誰かを待っている風に見えたんだってさ」
高倉結衣だ。あの日、キスをしたあの日の夜、ファミレスで落ち合う約束をし、おれは高倉結衣を待っていたのだ。心が緊張に揺さぶられる。背筋がゾクっとする。おれを揺さぶる緊張を鷲掴むように抑え、何食わぬ顔を作り、
「あぁ、友達待ってたんだよ。大学時代の友達」
「誰?」と下から覗きこむように低い声でおれを見つめながら訊ねる友子。
「伴野君だよ。覚えてないだろ?」
「何でその話を今までしないの?」
「話す必要もないと思ったんじゃない?」
「ふーーーーーーーん」
「何だ?どうしたっていうんだ?」
「……じゃあ、浮気じゃないのね?」
「当たり前だろ。友子がいるのに女に会うわけがない」
「別にいいのよ。女の友達と会うくらいなら全然私は構わないわ。だけど、友達の話しだと、すごいそわそわして誰かを待っていたみたいって聞いたから。誰かなーって」
おれはそわそわはしていない。友子の友達が盛っているのか、友子がおれの動揺を誘っているのか。
「久々に会う友達だからそりゃうれしそうにするだろ?」
「ふーーーーーーーーーん。そういうことにしてあげるわ」疑心暗鬼、信頼感0、不信感、それらが詰まった冷たい目線と不本意な表情を露わにしていたが、おれは触れることなく、口の中へズルズルと入っていくパスタと共に友子の気持ちを流した。
そのほおずえをついている手を今離したらお前はお前の最も愚かだと思っている人間と同じになる。
え?
そんなわけがない。何故ここで手を離したらそうなるというんだ。
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