第16話二十四日水曜日 ④
だから黒の女なんて存在しない。おれのことを全部分かっている人間なんていないのだ……。そしてお前もだ秋山。死人は黙れ。
その日は二十一時におれのバイトは終わった。
高倉結衣は閉店後の掃除を含めた零時半まで働くようで(確か高校生は二十一時までしか働けないはずなのだが)、「もう帰るんですか?ずるいな~」こちらに笑顔を向けた。
帰り道。秋なのに冬のような冷たい風がおれの体を襲い、肘に手をかけ身を縮める。友子のマンション前の公園の街灯に羽の生えた虫達がたかっている。光に向かってたかる虫達。ただひたすら盲目に虫という役目をこなしている。人間もこれと同じようなものか。おれはそれ以下か。おれの役目とはなんだ。
「ただいま」
友子がリビングからドアを開け、ひょこっと顔を覗かせたかと思うと、
「おかえりなさいませ。お疲れさまでした」と笑顔でわざとらしく深々と頭を下げる。
顔を上げた友子が、
「今日の晩御飯は、野菜炒めでございます~」そう言いながら何が楽しいのか、笑顔でこちらに駆けてくる。
おれは靴を脱ぎ、きちんとかかとの方を通路側に向け、リビングへの通路四メートル程を友子と歩く。
「友子、もしかして待っていてくれた?」
「うん、かわいい?」
「うん、かわいいよ」
「気持ちが入ってないなぁ、まぁいいわ」
ガチャ、
ドアを開けリビングへと入ると、友子の野菜炒めの醤油が焦げた匂いがする。
友子が作る料理は大概醤油で炒める。多分おれの方が料理を作るのはうまい。飲食店でバイトしていたこともあるし。
左を見るとキッチン。先ほど作った炒め物の痕跡が残るフライパンは無造作にシンクの中に水を張った状態で放置。右を向けば、その野菜炒めが人造大理石特有の黒い光沢を帯びたテーブルの上に二つ、水の入ったコップと茶碗の中のご飯とセットで置かれていた。このテーブルはマフィア映画『ゴッドファーザー』の主役マフィアのボス〝マイケル・コルレオーネ〟をイメージしたものだ。友子と家具屋に行った時に見つけた。友子はあまり良く思ってない。
ソファーの前とテーブルを挟んで敷かれた座布団。おれはソファーの前にある座布団に座る。友子は向いのもう一つの座布団に座る。いつもの所定の位置。目の前に置かれている箸は青。友子は赤。
「では、いただきます」と友子が手を合わす。おれもそれに習い、手を合わせ「いただきます」と言う。
さあ、食べようと箸を持とうとしたその時、ふと変な考えが浮かび上がる。
〝もしもこの箸にテーブルから伝わった菌がついていたら?そしてそれが死を招くものだったとしたら?〟というものである。
……そんなわけがない。確かに友子はテーブルの上をなかなか拭かないし、テーブルの縁には埃が肉眼でほんのちょっぴりうっすらと確認できるが、だからといって死に至ることは決してない。ありえない。第一、箸がその砂粒より小さな埃に触れていない。その一方で、もしかしたら、まだ見ぬ菌がこのテーブルで生まれていて、それが死を招くものだったとしたら……そんな妄想がふつふつと湧き上がり止まらない。
沈黙。箸に手がいかない。
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