第11話 九月二三日(火)①

 十四時

 「松山君は本屋のアルバイト経験はあるの?」

 「いえ、本屋は初めてです」おれは嘘をつく。

 ここは昨日おれがアルバイトをしようと思った本屋の控え室兼事務所。

 蛍光灯はあるのだが、なんだかうすぼんやりとして暗い感じの事務所。実際にはカビ臭くはないが、そんな感じがする雰囲気。おれと向かい合う店長の後ろにあるパソコンの画面の方が明るい。

 右を向くと、ねずみ色したスチール製の棚が三つ、おれに横を向けるかたちで、人が一人通っても少しの余裕がある程度の等間隔に並列している。その陳列棚にはマンガや小説。DVD、雑誌が収められていた。

 この事務所に入ったすぐ右にはロッカーがあった。陳列棚の向こうにはロフトがあり、そこには段ボールが置いてある。ロッカーや陳列棚の下にも段ボールが置いてあるが、そちらの段ボールは開封されており、その中から新刊の雑誌や漫画、小説が覗いていた。壁の四隅にはカビやらシミ、蜘蛛の巣などが蔓延(はびこ)っていてここの年期を感じさせるなかなか広いレジ裏のスタッフルーム。

 中央に横長の会議などで使われそうな折り畳み式のテーブルが四つくっつけられていた。そこに折り畳み式の椅子が四つ、二つずつが机を挟んで向かい合っている。

 おれが促されて座った向かい側には、四十代半ばの谷口(やぐち)店長なる男がいた。

 おれは本屋の面接に来ていた。昨日、さすがにその無精ひげと無造作眉毛はまずいと友子がおれの髭を剃り、眉毛を整えてくれた。「これなら大丈夫だわ。あんた顔は良いんだから神様と親と私に感謝しなさいよ!」とお墨付きをもらった。

 おれが昨日数時間居座った本屋で帰り際、アルバイトの求人広告はないかと探すと出入り口の掲示板にそれはあった。

 〝アルバイト募集中 時給950円 〟

 帰宅後、おれはその本屋に電話をし、アルバイトをしたいということを伝える。すると明日の四時に来てくれとのこと。翌日の四時、つまり今日おれは約束の時間の三十分前に書店へと着き、自動ドアを抜け以前と同じように小説の文庫コーナーで立ち読みをする。かなりのページ数を飛ばし、『四畳半神話大系』の主人公が無限に続く部屋を横断する場面を読んでいると、約束の時間の一〇分前となる。

 横長のカウンターに並ぶ二つのレジ。二人の社員。左から、この前いた若い大学生。ショートヘアーの若い頃は彼氏に困らなかったであろう奇麗な顔立ちの目がクリクリした四十代と思われるおばさん。その隣には電柱に顔をぶつけてしまったかのようなブルドック顔のおじさんが綺麗なおばさんと何やら話している。

 おれは二人が話しているにも関わらず迷いなく奇麗なおばさんに「アルバイトの面接に来ました」と告げる。「少しお待ちくださいね」とニッコリ返されレジの後ろにある〝関係者以外立ち入り禁止〟の張り紙が貼られた扉を開け綺麗なおばさんは中へと消えていった。数十秒後、中から谷口店長が現れ、「どうぞ中へ」と、その部屋に連れて行かれ今に至る。


「なんで本屋でアルバイトをしようと思ったの?」

「本、小説が好きなんです」

「そうなんだ。どんな小説読むの?」

「カミュ、太宰治、中島らも、フィッツジェラルド、w・バロウズ、ブコウスキー、吉田修一、金原ひとみとか、ですかね」

 「へぇ~、その中でも一番に好きな作品は何?」そう言いながら谷口店長は机の上にあった書類にペン先を当てていた。

 「その時によって違うのですが、今は吉田修一の『パレード』ですかね」

 「あー、あれ面白かったよね」

 A4のアンケート用紙のような紙に多分おれの言った小説のタイトルを書き留める谷口店長。以前バイトしていた本屋と一緒だ。なぜこのようなアンケートをとるのかは謎だ。その効果が売上や利益に反映している気がしない。

 あとは規則の説明とそれに関する読み合わせ、おれが何曜日にバイトができ働ける時間はどれくらいか、いくらぐらいの稼ぎがほしいかなどを二十分ほど事務的に話し合い、そして「では、明日からよろしく。この後ちょっと明日からの流れを教えるから」と容易に採用された。


 どこに向かっているのか?途方もない道。帰宅途中の道に小石が一つ落ちていた。急に、〝それを飛び越えねば終わる〟という言葉が頭の中で感覚として現れる。小石との距離、一メートル程。飛び越えた。飛び越えられなかったらおれは終わっていた。何が?さあ。

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