78話 何で死んでいる(生きている)?

「お兄様」


 僕の背後から聞こえた声に、僕はハッとする。同時に、闇しかなかった世界に星が瞬いた。


「……寧?」


 振り向いた先に、神妙な面持ちをした寧が立っていた。その視線は、僕の近くにあるノートに向けられている。


「読んだのね、それを」


 怒られるかもしれない。鞭で叩かれるかもしれない。もしかしたら、恥じらいを見せるかもしれない。普段の僕なら、そんなことを思っていただろう。けど、今だけは違った。震える唇を自覚し、僕は寧に問いかける。


「二人が死んだって、どういうこと……?」


 悲しみ、というよりも混乱の方が強かった。僕はついこの前、父さんたちと会ってきたばかりだ。二人とも、変わり映えなく元気で、寧とも仲直りすると言っていた様子に安心したのは記憶に新しい。


 二人は生きている。それなのに、ここまで動揺してしまうのは、無自覚にどこかでノートに書かれたことが、真実を物語っていることを理解してしまっているからかもしれない。


「そこに書かれている通りよ。お父様もお母様も、2年前に亡くなっているわ」


 寧の口から告げられた真実。けど、それをすぐに信じられるわけもない。


「そんなはずないよ! 寧だってカメラ越しに見たよね? 二人が生きてるところ⁉」


「ええ。……お兄様がゾンビになり、二人に会いたいと言い出した時、そろそろ潮時だとは思っていたわ」


 意味深なことを言う寧は、懐からガラスに覆われたベルを取り出した。


「今からお兄様にかけたを解くわ。それで、真実がわかるはずよ」


「催眠? 待って、寧が何を言ってるのか――」


 言い終わる前に、寧がベルをガラスにぶつけてしまった。心地良い音色が鳴り響き、僕の耳まで届く。混乱していた頭が落ち着いていくのを感じながら、僕の中で散り散りになった何かが組み合わさっていくのがわかる。瞬く間にそれは組み合わさり、僕の中で違和感が生まれた。


 ? 頭に浮かんだ疑問に、僕は混乱してしまう。ついさっきまでは、何で二人が死んでいるんだと思っていたのに、今は反対のことを考えてしまっている。その原因は、すぐに気づけた。


「7月5日、二人は交通事故に遭って死んでしまったんだ……⁉」


 思い出した。僕が大学3年の7月5日、二人は交通事故に遭い死んでしまった。僕はその悲しい真実を、確かに知っている。


「無事、記憶は戻ったようね」


 寧が確認するように、悲しむように僕を見てくる。


「……うん。けど、何で僕はこんな大事なことを忘れていたの? さっき言ってた催眠に関係あるの?」


「ええ。二人が亡くなった後の7日、お兄様に催眠術をかけたわ。お兄様には、二人が生きているっていう認識をさせるための催眠術をね」


 催眠術が実際に実在することにはさほど驚かなった。それよりも、僕は疑問を覚えた。


「何で催眠術をかけたか、教えてもらっていい?」


 僕がそう聞くと、寧は躊躇うように何度か口を開閉させた。やがて、意を決するように口を開き言った。


「……お兄様に、夢を叶えてほしかった、幸せになってほしかったからよ」


「僕が、幸せに?」


「ええ。あの頃のお兄様は、教師になるため必死に勉強していたわ。時には心身を削ってね。寧はそんなお兄様の夢を応援したかった。教師になることが、お兄様の幸せになると疑わなかったから。けど、そんな最中にお父様とお母様は亡くなってしまった。お兄様は気丈に振る舞っていたけど、寧には無理をしているのが筒抜けだったわ」


 寧の顔から悲痛な思いが伝わってくる。僕はそんな寧の思いに、ただ驚くばかりだった。


「だから、催眠術をかけた、いや、かけてくれたんだね」


 僕の心が脆くなって、教師という夢に頓挫してしまう可能性を防ぐために。寧は嘘を吐いてでも、僕を守ってくれていた。


「正確には、催眠術をかけたのは寧ではないけれどね」


 寧はどこか自嘲するように小さく笑う。けど僕には、その寧の気持ちがどうしようもなく嬉しく感じた。安芸が言っていた、僕を想うがゆえの嘘という意味も、今ならわかる。


「それでも、寧の気持ちは嬉しいよ。本当にありがとう」


 変な言い回しで誤魔化すことなく、僕は正直な気持ちを言葉に出す。寧は顔をプイッと逸らしてしまうけど、今はその仕草も可愛く見える。


「えっと、一ついいかな。もしかして催眠術をかけたのは、二人を蘇らせた別の人?」


 僕の言葉に、寧は顔を戻し、一瞬驚いた表情を浮かべる。


「さすがに、二人がゾンビだってことには気づいているのね。その上で、催眠術とゾンビ転生をしたのは別の人だと考えてるのね」


「さすがにね。死んだのに生きてるっていうのは、僕自身がその経験者だから。でも、だからこそ疑問は生まれる。ゾンビとして蘇った例は、僕が初めてなんじゃないの? 寧も藤原先生もそう言って驚いていたはずだよ」


 僕は最初に藤原先生と話した時のことを思い出す。あの時、藤原先生はゾンビ転生が成功したことに驚いていた様子だった。


 それに、寧だってゾンビ転生を行ったのは僕が初めてだと言っていたはず。


 それなのに、父さんたちは僕よりも先にゾンビとして蘇っている。言わば、ゾンビ転生は先に二人の成功例がある。にもかかわらず、寧と藤原先生は互いに初めてのような言動をした。つまり、このことも寧と藤原先生が吐いた嘘なのではないか?


「藤原がどう言ったかまでは知らないけど、寧も藤原もお兄様に驚いたのは間違いないわよ。だって、寧たちがゾンビ転生をしたのは紛れもなくお兄様が初めてだったもの」


「じゃあ、やっぱり別の人――――まさか、それが安芸?」


 僕はつい数時間前に話した安芸の顔を思い浮かべる。安芸は僕の正体を知っていたし、寧と藤原先生のことも知っていた。


「……あの天然バカ、うっかり漏らしたわね」


 寧が声を低くして言う。そして、諦めたかのようにため息を吐く。


「そうよ。お父様たちを蘇らせたのは鷹司。催眠術も同様にね。藤原は、鷹司の弟子のようなものよ」


 寧の口から何気なく出た事実に僕は慌てる。


「ちょっと待って⁉ え、それじゃあゾンビ転生を生み出したのって、まさか⁉」


「そのまさかよ。鷹司こそがゾンビ転生を生み出した張本人よ」


「嘘だああぁぁーーーー⁉」


 僕は思い切り叫んでしまった。安芸が二人を蘇らせたことはまだわからなくもない……いや、これもわからないけど、まさかのゾンビ転生の創造主だったなんて⁉ 僕の友達、いつの間に何てもの生み出しちゃってるんだよ⁉


「信じられない気持ちには寧も同情するわ。あんな一見するとバカにしか見えないやつが、実は頭のキレるやつだったなんてね」


「変な方向にだけどね⁉」


 けど、安芸のおかげで、二人も僕も、そして美柑も助かってるから何も言えないのがもどかしい。感謝すべきことのはずなのに、どこか釈然としない。


「まあとにかく、そんなわけでお父様たちは偶然出会った鷹司のおかげで蘇ることができたわ。でも、ゾンビとして蘇ったことをお兄様に伝えたら、余計にお兄様を困らせてしまいかねない。だから、お父様たちとはしばらく別々に暮らすことに決めたのよ」


「そう、だったんだ。寧と二人が喧嘩しているっていうのは、僕にかけた催眠術による誤った事実だったんだね」


 どうりで、この前会った時の二人の反応が少し変に見えたわけだ。二人とも、寧と喧嘩している事実なんてなかったから、咄嗟に誤魔化したんだろう。でもこれって。


「二人とも、もしかして僕の正体に気づいてた?」


 誤魔化したってことはつまり、僕の正体に気づいていることを意味する。僕の正体を知らずに、あの咄嗟の誤魔化し方はできない。


「お父様たちはお兄様の事情は知っているわ。けど、二人が実際にお兄様を見たのはあの時が初めてよ。ゾンビ、女の子、水城蓮の名前までは伝えていたのだけれど、肝心の姿だけは見せていなかったのよね。うっかりしていたわ」


 寧がらしくないことをしてしまった、というように額に手を当てている。対する僕は、またもあの時の二人の反応に納得してしまった。そりゃあ、突然やってきた女の子が僕だってわかったらあそこまで驚くのも無理はない。


「そういえば、催眠術の内容はわかったけど、これが何で天体観測のことまで忘れることに繋がるの? 一見、関係ないことのように思うけど」


「鷹司の催眠術が、天体観測を利用した方法のものだったからよ。催眠術といっても、その方法には様々な種類があるらしくてね、鷹司が使える催眠術がそれだけだったのよ」


「何か、俄かには信じがたいね」


 催眠術といえば、真っ先に硬貨を使ったものとかが思い浮かぶけどな。


「まあ、寧もそこはあまり詳しくないわ。ともあれ、それでお兄様は催眠術にかかったのよ。それと引き換えに、天体観測に関するものとそれに付随する記憶も忘れてしまうの。それが催眠術を解く引き金になってしまわないためにね」


「うーん……? でも僕、天体観測の知識はあったよ? それに、以前寧にも言ったけど、天体観測をしたっていう記憶もあったよ?」


 寧の言う通りなら、だいぶ矛盾があるように思えてしまうけど。


「鷹司も言っていたのだけれど、ゾンビ転生だけでなく、この催眠術に至っても未完成の部分があるらしいのよ。だから、お兄様にかけた催眠術も不完全だった」


 ゾンビ転生が未完成って部分には相変わらず不安を覚えるけど、催眠術も同様だったのか。若干呆れる思いを抱きつつ、僕はある重大な点に思い当たった。


「あれ? でも……話が戻るけど、二人が交通事故に遭ったことって、当然ニュースにも流れてるはずだよね? 催眠術だけじゃ、外から入ってくる情報までは防げないんじゃ……」


 今の情報社会なら、容易に二人のことが流れてきてもさほど不思議じゃない。不意打ちでくることもあるだろう。そうなれば、催眠術の事実との食い違いが発生してしまいかねない。


「鷹司と藤原、それに寧の伝手を使って全力でそれは防いだわ。けど、何より助かったのは、お兄様が大学ではボッチ気味だったことね。おかげで、あまり認知されていなかったお兄様と、ニュースで流れているお父様たちが身内であるとは思われていなかったわ。同じ名字の人なんて、この世にはたくさんいるものね」


「ぐっ……⁉」


 まさかの自分のボッチであったことに救われていたなんて⁉ 何だかすごい屈辱的だ⁉


「色々と紆余曲折あったけれど、2年は持ったわ。けど……お兄様もゾンビになってしまって、それから段々とボロが出始めたのよね」


 寧は瞼を閉じる。それからつらつらと静かに語り始めた。


「お兄様の天体観測に関する記憶の想起、鷹司含め、お兄様の学友との再会、お父様とお母様との再会、そして、二人と同じゾンビの体。嘘を隠し通すのもそろそろ限界だった。、お兄様には近いうちに真実を話そうと考えていたの」


 寧は目を開き、その瞳に切なげな感情を宿した。


「一度は迷ったわ。お兄様とクリスマスの日にデートをした時、もう一度お兄様に催眠術をかけようとしたわ。やり方は鷹司から教えてもらっていたからわかっていた。けど、出来なかったけどね」


 寧は自嘲ぎみに笑ってみせる。寧とデートした日の夜、天体観測をした。あの時、寧は僕に何かをしようとしていた。その何かが、催眠術だったんだ。


「僕が言うのも変だけど、何でやめたの?」


「催眠術をもう一度かけても、時間を先延ばしにするだけと気づいていたからね。それに、それはお兄様にとっての幸せにはならない。寧は、いつでもお兄様の幸せを願っている。お兄様が幸せになれる方法も見つけた今なら、もう真実を話すべきと、そう思ったのよ」


 寧は一度間を置き、僕を真っ直ぐ見据えて言った。


「お兄様。今から、お兄様のこれからの未来について話していきましょう」

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