79話 気づくのが遅すぎたよ

「僕の未来?」


 寧が告げた言葉に、僕は首をかしげてしまう。


「そうよ。ねえ、お兄様、これまでで、ゾンビの体に疑問を覚えることはなかったかしら?」


「そんなの、たくさんありすぎるくらいだよ」


 僕は自分の体が原因で起きたこれまでのことを思い返して、げんなりとする。体が腐敗しそうになったり、簡単に腕が取れたり……元の人間の体より脆い体だよ。


「色々あるでしょうけど、もっと根本的に疑問を覚えることはないかしら? ――例えば、ゾンビなのに何で心臓が動いているのか、とかね」


「何でって……あれ? そういえば何でだろう?」


 言われて改めて疑問に気づく。ゾンビなのに、心臓が動いているというのも少し変な話な気がする。もっと深く突っ込めば、この体はどうやって機能しているんだ?


 この体になってから僕は、ゾンビ兼女の子という現実離れした体について、最初から深く考えるのを放棄していた。


「寧は知っているの?」


 わざわざ聞いてきたなら、寧なら知っているのかもと思い聞いたが、寧は首を横に振る。


「いえ、寧は知らないし、鷹司も藤原も知らないわよ」


 寧の口から出た衝撃な事実に、僕はずっこけてしまいそうになる。


「し、知らないの⁉ 誰も⁉」


「ええ。何度も言ったじゃない、ゾンビ転生は未完成だって。だから、どういう仕組みで蘇り、どういう身体構造で活動できているのか、未だにわかっていないことの方が多いのよ」


 さも当然のように言う寧に、僕は頭を抱えてうずくまってしまった。寧の言う通りなら、この体超危険じゃん⁉ 


 ある意味で僕の体はパンドラの箱みたいじゃないか……。


「じゃあ、何でわざわざあんな質問したのさ?」


 僕は最初の寧の質問に戻り、うずくまったまま聞く。


「あんまり拗ねないで、お兄様。わからない部分が多いけれど、この2年間ほどでわかったこともあるのよ。そう、お父様たちのおかげでね」


「父さんたちが?」


 そういえばさっき、寧は『2年もの確かな実績』という言葉を使っていた。実績というのは、つまり、二人がこの2年ほど生きてきた中で見つけた何かだろう。


「お父様たちはこの2年間ほど、何の問題もなく生活してこれたそうよ。時々、鷹司と藤原が二人の様子を見に行くこともあったけど、そこでも問題は見られなかったそうなの」


「……それってつまり、普通の人と同じように生活してこれたってこと?」


 僕の確認に、寧は頷く。僕は頭の中でその事実を咀嚼する。確かに、2年もの期間で何も問題なかったのなら、当面問題はなさそうに思える。二人とも元気だったし、悪いところなんてなさそうだったもんな。


「けど、全く問題がないわけでもないわ。お兄様も経験したように、光を浴びすぎることは体に毒になるし、軽い衝撃でも体の一部が壊れるなど、様々ね。そう言った意味では、ゾンビでも不死の体というわけではないわ。だけどね、もっと大事な問題があるの」


 寧は僕の瞳を真っ直ぐ見つめ、その先を言った。


「それは、。お父様たちは2年もの期間で、一度たりとも老化現象を見せたことがなかったわ」


「――あ……っ⁉」


 寧が告げた事実に、僕は反射的に言葉を漏らしていた。人間の体は通常、年を取るにつれて老化していく。20代後半辺りからだろうか、それは段々と顕著になっていくはず。二人の年齢なら、2年もの期間中に老化が進むのは当然といえ、全く老化が起きないというのは考えられない。


 しかし、ゾンビの体では、人間のように老化が進むわけじゃなかった。いや、進むどころか


「これがゾンビと人間の体の決定的な違いで、一番の問題点なのよ。人間社会の中で生きていくと、いずれはこの違和感は浮き彫りになってしまう」


 僕は思わず固唾を呑み込む。周りが年を取る中、自分だけは年を取らず、置いてけぼりになる。やがては、その異常性を誰かに指摘される。


 今まで考えていなかったこの体に潜む危険性。それを今になって自覚してしまった。


「ここまで少し真面目にお話をしてきたけど、お兄様はそこまで不安を覚える必要はないわ。お兄様たちをゾンビとして蘇らせたのは寧たち。その責任は、寧たちが持つわ。生きづらい体ではあるけど、最大限の手助けはしていくつもりよ」


 寧が申し訳なさそうな顔をする。その顔を見て、僕は不安な気持ちを押し退け、大丈夫というようにかぶりを振った。


「寧たちは本来死んだままのはずだった僕たちを生き返らせてくれたんだ。なら、責任とかそういう話は無しにしよう。僕は別に、寧たちを恨んだりしていないよ」


 僕が言ったことは本音だ。父さんと母さん、それに美柑だってきっと寧たちを恨んでないはずだ。


「……ありがとう、お兄様。けど、責任とかは抜きにしても、お兄様たちを支えていくのは、寧がしたいから、させてもらうわね。ただ、……これから先、ずっとそばにいることは、寧にはできないかもしれない」


「――え?」


 僕は声を漏らす。寧の言葉だけでなく、そこに含まれているような切なさのようなものを感じてしまったから。


 寧は儚げにも見える微笑みを浮かべて、僕に語りかける。


「年を取る寧と、取らないお兄様。もし、これから寧とお兄様の二人で未来を歩んで行っても、必ずいつか、違和感が生まれ、歪が生じる可能性が出てくるわ。だって、お互いが生きている時間が違うんだもの。お兄様は寧と同じように、成長できない」


 寧の言葉に僕はいつの間にか焦りを感じ、言葉が勝手に口をついて出てきた。


「ま、待って⁉ 確かに、僕は今のままで、寧は成長しちゃうけど、でも、一緒にいることは――…………」


 その先が、途切れてしまった。頭の片隅で気づいていたある可能性が、どんどんと膨らんでいく。


「寧はお兄様と未来を歩んで行きたいと思っているのは本当よ。でもね、多分、それは無理なのよ。成長するにつれて、寧だけが年老いていく。最初の内は大丈夫でしょうけど、いつか歪を感じ始めるわ。優しいお兄様なら、寧が年老いていってもそばにいてくれるでしょうけど、限界はすぐにくるわ。別々の時間に生きる二人がずっと一緒にいること、それはおとぎ話の中だけでしょうね」


「…………」


 僕は何も言えなかった。僕は現在に停滞したまま、寧は未来に進んでしまう。そんな僕たちがずっと一緒にいたら、寧の言う通り歪が生まれるのは必然の流れとも言える。


 寧がこの先、年老いていって、僕はそんな寧と自分との差を目の当たりにし、それでもずっと寧と歩んでいけるだろうか? 


 歩んでいける、と口で言うのは簡単だ。でも、実際にその未来を想像したら、絶対そうと言える自信は、情けなくも僕にはなかった。


「寧はお兄様を愛しているわ。それは、この先どんな未来でも変わらないと、自信を持って言えるわ。でも、だからこそ、お兄様に無理をしてほしくないし、必ず幸せになってほしいの」


「僕が、幸せに……」


「ええ。お兄様は、寧がいなくても幸せになれるわ。だって、いるじゃない。


 寧の言葉を受け、迷わず、僕の頭には一人の女の子の顔が浮かんだ。


「美柑……」


 僕と同じゾンビの体で、僕のことを好きと言ってくれる美柑。美柑となら、この先の未来を共に生きていける?


「お兄様と同じゾンビで、お兄様のことを理解していて、好意を寄せてくれる。今のお兄様にとって、まさしく理想の女の子ね」


 僕は寧の言葉に困惑する。同時に少し冷静になり、疑問が湧き出てくる。


「寧は、僕と美柑が付き合うことには反対しないの?」


 僕の知っている寧なら、どんな事情があるにしろ、僕が寧以外の女の子と付き合うのを許そうとすることがすぐには信じられなかった。


「お兄様、寧がさっき言ったことは紛れもなく寧の本音よ。寧は、お兄様の幸せを願っている。そのためなら、寧がお兄様と付き合えなくても、未来を歩けなくても、構わない。そして、真倉になら、お兄様を任せてもいいと思えた、だからよ」


 今度こそ、僕は目を見開いて驚き、これまで抱いていた自分の浅はかな考えに落胆した。寧は、。そんなことに気づこうともせず、考えようともせず、勝手にヤンデレ気味に僕のことを愛してきたとばかり思ってきた。


 気づいた瞬間、僕の中でどうしようもできない申し訳ないという気持ちが膨らんでいく。


「寧は真倉になら任せられると言ったけれど、誰を選ぶかはお兄様次第よ。これまでの話を聞いてなお、寧と一緒にいたいと言ってくれるなら、寧はそれでも構わないし、もう一人、お兄様に好意を寄せている笹倉でもいいわ」


「……ましろ?」


 膨らむ気持ちを抱えたまま、僕はましろの名前を声に出す。


「ええ。若干気に食わないところもあるけど、彼女のお兄様への気持ちが本当だって、これまでのこと、デートのことも含めて確認できたしね」


「ましろのこともちゃんと見てたんだね。……ん? 何で寧がデートのことを知っているの?」


 思わず聞き流すところだったけど、寧の口から聞き捨てならない言葉が聞こえた気がするんだけど。


「温泉旅行で笹倉のスマホを見つけた時、録音アプリを入れさせてもらったのよ。あくまで、彼女の気持ちを確認するためだけのものだから、安心してちょうだい」


「全然安心できないんだけど……」


 けど、そっか。やり方はあれにしろ、寧はましろに対しても真摯に向き合っていたのか。それも全部、僕のために。


「お兄様がどうしたいか、考える時間はまだ十分ある。寧は、どんな答えでもお兄様の気持ちを尊重するわ」


 寧はそれだけを言い残し、部屋を出ていってしまった。


(僕が、どうしたいか、か……)


 僕は混乱する頭で呆然とそう思う。一人になった瞬間、突如としてもの寂しさがやってくるかのようだった。


 ふと視線を足元に向けると、本棚にひっそりと収まっていたノートが何となく目に入った。引き寄せられるようにそれを手に取り、表紙を見る。


『日記帳⑦』だった。


 ⑥が大学3年の頃が書かれていたから、これは大学4年、そして社会人になってからの記録だろう。


 ページを開き、目を通していく。綴られているのは、寧が普段は見せないような、また違った僕に対する気持ちだった。読み進めるにつれて、さっき膨らんだ気持ちが再度膨張していく。


「……⁉ これって⁉」


 ある一ページが目に留まる。そこに綴られているのは、僕が社会人になってから数か月ほど経った日のことだった。



『最近、お兄様の元気がない。原因はわかっている。お兄様の職場のやつらが、お兄様を苦しめている。せっかく夢の教師になれたのに、全然幸せそうに見えない。……こんなの、絶対に許せない! お兄様はこれまで死に物狂いで努力してきたのに、それが報われないなんて! お兄様を苦しめているあいつら、絶対に寧が裁きを与えてやる! それまで、待っていて、お兄様。その間、少しでもお兄様の苦痛が和らぐよう、寧が献身的にサポートするから』


 

「……あっ……うっ、ぅ……」


 膨張した気持ちは割れ、僕は涙を流していた。寧は僕が苦しんでいたことを知っていて、助けようとしてくれていた。


 寧が会社のやつらをクビにした時、手際の良さに少し疑問があったけど、それもそうだよ。だってこうして、寧はずっと僕のための準備してくれていたんだから。


 それに、寧は苦しむ僕を毎日支えてくれていたんだ。それを僕は、また勝手にひどい解釈をしていた。飛んだ愚か者だよ、僕は。


 寧の数え切れない想いに、僕は涙を止めることができなかった。

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