77話 酔った勢いでつい
安芸と別れた後、真っ直ぐ自宅まで帰ってきた。別れ際に安芸と話した内容が蘇り、リビングのドアを開ける手が一瞬止まる。
あの話の後だと、寧と顔を合わせづらかった。一体、寧は僕にどんな嘘を吐いていて、嘘を吐いた理由は何なんだ?
……考えてもわからない。けど、このまま突っ立てるわけにもいかず、僕は意を決してドアを開けた。
「…………あれ?」
シンと静まり返ったリビング。そこに寧の姿はなかった。不思議に思い、玄関まで戻ってみると、寧の靴がなかった。
もう日付が変わろうという時間なのに、家に帰ってない? ふと、嫌な予感が頭をよぎった。もしかして、何か事件に巻き込まれてしまったとか。けど、あの寧が事件に巻き込まれたというのも想像しづらい。
僕はまたどうせ勝手に用事だとかで出掛けているだけと思うことにし、ひとまずソファに腰掛けることにした。一応メールを送り、テレビを付けてしばらく体を休める。
…………帰ってこない。かれこれ30分くらいボーっとしていたけど、寧は帰ってこないし、返信も返ってこなかった。
(いやいや、さすがに大丈夫だって)
僕は嫌な想像を振り払って立ち上がり、喉を潤すために冷蔵庫に向かった。適当に飲み物を取り、乾いた喉に流し込む。
に、苦いな。喉を潤う快感よりも、口の中を占める苦さに顔をしかめる。それに、何だかどんどん体が熱くなってきたような気がする。
そう感じてからはあっという間なもので、熱が出たかのように顔が熱くなり、頭がぐわんぐわんと揺れ始めた。しまいには、頭痛までしてくる。
僕はこの感覚を懐かしいと思うとともに、しまったと思った。この感じ、お酒を飲んだ時の症状だ。ラベルを確認すると、そこにはアルコールの表記がなされていた。
「……うっ――」
気持ち悪い。男の体の時でも、こんな微量程度のアルコールで酔ったことはない。間違いなく、今のこの体がアルコールに弱いんだ。
そう自覚した時には遅く、僕の頭には半分ほど靄が掛かり、冷静な思考が難しくなる。
「ふぇぁ……ひゃ、ふふぁ……っ」
言葉が意味をなさい。それを半分ほど自覚しながらも、それをコントロールすることができない。その状態のまま、千鳥足のような感じで足が勝手に動いていく。
目的もなくふらつき、気がつけばどこかの前まで来ていた。僕の頭には、目の前に映るものが何なのかわからず、けど、なぜかそれを無性に殴りたくなってしまった。
「ほぉ~~……そ~れぇ~~!」
腕を振りかぶり、何の躊躇いもなく右手を思い切りそれに叩きつけた。――瞬間、耳をつんざくほどの轟音が僕の耳を揺らした。
あまりの音に酔いは一瞬で覚めたものの、僕は上から降ってきた固い何かに押しつぶされてしまった。
「……な、何が起きたの……?」
痛みを堪え、体にのしかかったものを押し退けて顔を出す。視界に映ったのは、久しく見ていなかった、けど見覚えのある部屋――寧の部屋だった。
あれ? 何で寧の部屋が目の前に? そもそも、僕は何をしていたんだ? まだ残る頭痛を堪え、直前の記憶を呼び起こす。間違えてお酒を飲んでしまい、そのままふらふらと歩き、何かを思い切り殴ったような。
…………あ、殴ったのって、よりによって寧の部屋のドアだったのか。そのことに気づき、顔が青ざめるのを感じる。けど、すぐに違うことに思考がいく。
寧の部屋って確か、鍵が掛かってなかったっけ? 僕がゾンビとして蘇った次の日から、寧の部屋には鍵が取り付けられていた。普通なら開かないはずの部屋を、僕は酔った勢いで力任せに壊したことになる。
どこにそんな力が。そう思ったのも束の間で、僕は以前美柑がましろの家で見せてくれた馬鹿力を思い出していた。脳のリミッターが外れているからこそできるあの力、僕はそれを酔った勢いで偶然にも出してしまったということだろう。その証拠に、僕の右腕はだらしなく垂れ下がっている。
(って、冷静に力のことを考えてる場合じゃない⁉ 今はこの惨状をどうするかを考えないと⁉)
僕は焦った。勝手に部屋を開けたにとどまらず、ドアごと滅茶苦茶にしてしまった。寧が見たら、恐ろしいことになりかねない。
しかし、僕は目の前に広がる瓦礫の山を見て唸る。こんなの、数時間、いや数日あっても僕一人じゃ到底治せないよ。
僕はどんな言い訳がいいかを考え、頭を悩ませる。そこでふと、視界に映るものが気になった。
何だろう、これ。机の上に一冊のノートが置かれていた。表紙には『日記帳⑥』と書かれており、各所に使い古した跡があることから、長年使っていたことが予想できる。
日記帳。寧が日記を付けているなんて意外だな。あまりそういうイメージはなかったからなおさらそう感じる。それに、⑥ってことは、①から⑤までもあるのだろう。
僕はダメだと思いつつ、好奇心に、いや、それ以上に何かに引き寄せられるような感覚を覚え、中を捲ってしまった。
最初のページには、6月16日と日付が記載されていた。ざっと目を通してみると、どうやらこれは、僕が大学3年生の時期に書かれたものらしいことがわかる。しかも、書かれている内容は、どうやら寧から見たその日の僕の様子らしい。
もしかしてこれ、僕の観察日記じゃないか? それ以降のページを見てみても、書かれている内容の主は僕だ。それに気づいた瞬間、僕はノートを置き、机に向かってうなだれてしまった。これが⑥ってことは、寧はかなり小さい時から僕の観察日記をつけていたことになる。妹からのあまりの愛情表現に、僕は頭を抱えずにはいられなかった。
でも、中には僕の教師になるという夢を応援する寧の気持ちが各所に綴られていた。そのことに、不覚にも心が温まるのを感じてしまう。
とはいえ、これ以上傍から見た過去の自分を見ていたくない。僕がそっとノートを閉じようとした間際、一瞬見えた天体観測という文字。僕は後ろ髪を引かれる思いでそのページを開いた。
『タイトル お兄様と天体観測』
タイトルを見た瞬間、僕の心臓はドクンと跳ねた。わざわざ日記に書いているということは、やっぱり僕は寧と天体観測をしたことがあるんだ。同時に、寧が嘘を吐いていたことが白日の元となった。
僕は焦る気持ちを押さえ、文字を目で追った。次第に、ノートを捲る手が震えていく。喉が渇ききって痛みを感じてくる。脳がそれ以上先を見るなと警鐘を鳴らす。けど、止まれなかった――――止まってしまった。
『7月7日、今日は久しぶりにお兄様と天体観測をした。偶然居合わせた新島美羽という女もいたけど、天体観測に興味があったようだから、今日限りにおいては許すことにした。だって、今日だけはお兄様も同じ趣味を持つ人が一人でも多くいた方が嬉しいだろうし。
……お兄様には、大好きな星を見て忘れてほしい。お父様とお母様が死んだ事実を…………』
僕の世界は、星も瞬かない真っ暗な闇に呑み込まれてしまった。
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