58話 あなただけを見つめる
僕は駅に向かって走りながら、寧へと電話を掛けた。電話はすぐに繋がり、スマホ越しから寧の声が届く。
「お姉様から掛けてくるなんてね。今日はまたどういった用件で勝手に行動――」
「ごめん、今はそんなことより、聞きたいことあるんだ! 例の迷惑メールについてなんだけど」
寧の非難の言葉を遮り、僕はまくしたてる。さすがに僕の状況が普段と違うことに気づいたのか、寧も鳴りを潜める。
「迷惑メールがどうしたのかしら?」
「『unknown』の正体、あれが保科先輩だってことはさっき本人から直接聞いたよ」
スマホ越しから寧がわずかに息を呑む音が聞こえる。
「そう、気づいたのね。そうよ、寧が保科美玖に頼んでお姉様にいたずらメールを送らせたわ」
もう少し悪気があるように言ってほしいものだけど、今そのことに言及している余裕はない。
「けど、『ヒマワリ』の正体は違った。僕は同一人物だと思っていたけど、寧は最初から別の人だって気づいてたんだね?」
「あら、そのことにいつ気づいたのかしら?」
寧の疑問に、「ついさっきだよ」と答えつつ、僕は寧に迷惑メールについて初めて相談した時のことを思い出す。寧はあの時、僕が見せたメールに対してこう言った。『……ふぅん、いい度胸してるわね、こいつ』、と。
僕はあの時はまだ、『ヒマワリ』と『unknown』は別の人物だと考えていた。けど、寧は確かに『こいつ』と一人だけを指していた。あの時は疑問にすら思わなかったけど、改めて考えればおかしな言動だよ。
寧は『unknown』の正体はわかっていたから、最初から『ヒマワリ』に標的を絞っていたんだ。
「寧も最初は驚いたのよ。まさか同じようなタイミングで、別のメールが送られてくるとは思わなかったもの」
さすがの寧も、『ヒマワリ』からのメールは予想外だったらしい。けど、問題はまだあった。
「寧、はぁっ……ま、まだ『ヒマワリ』の正体はわかっていないの?」
僕は催促するような気持ちで聞く。僕が今一番知りたいこと、それは『ヒマワリ』の正体だ。
「……悪いけれど、わからないわ」
歯切れの悪い寧の言葉に、思わず焦燥感が募ってしまう。
「お姉様? 何やら息切れが聞こえてくるけど、今どこかに向かっているのかしら?」
「ましろの家に、向かってる! その『ヒマワリ』、なぜかましろの家に現れたらしい、んだ……⁉」
走りながら喋っているせいで、段々息がきつくなってきた。けど、足だけは止めるわけにはいかない。今もましろは『ヒマワリ』に追い詰められているんだから!
「…………笹倉の家に?」
間をおいた後、寧の戸惑いの声が聞こえた。
「僕も混乱してる! 『ヒマワリ』、の狙いは僕と美柑、のはずなのに、なぜかましろの家に現れたんだ!」
ただでさえ『ヒマワリ』の正体がわからずじまいなのに、ここにきて予想外の行動を取ってきた。頭の中は混乱が渦まいている。
「それ、誰から聞いたの?」
「えっ……? ましろからだよ! さっき助けてって、電話が僕にきたんだっ……」
何でそんなことを聞くんだと思ったけど、すぐに寧からの言葉が届く。
「とりあえず状況はわかったわ。寧のほうからも救援を寄こすから、お姉様はそのままましろの家に向かってちょうだい」
「……⁉ ありがとう、寧!」
寧からの救援を得られることになり安心しそうになるも、まだ全然安心はできない。スマホをしまい、僕はタイミングよくきた電車に飛び込んだ。
電車に揺られているだけの時間がひどくもどかしく、目的地に着いた瞬間、すぐさまましろの家に走った。ここまでずっと走ってきたため、すっかり汗まみれだ。頬に張り付く自分の髪が気持ち悪い。
やがてましろの家は見えてきて、僕はインターホンなど無視してすぐに玄関のドアを開いた。鍵が開いているということは、やっぱり『ヒマワリ』は中にいる! 途端に緊張が走るが、ここで物怖じしている暇なんかない。
「ましろーー⁉ どこだーー⁉」
『ヒマワリ』にバレることは承知の上でましろの名前を叫ぶ。広い家に僕の声が響くだけで、物音一つしないのが不気味だった。僕は叫びつつ、一部屋一部屋探していく。
(ましろ、どこだ⁉)
焦る気持ちを感じつつも、気だけは絶対に抜かないようにする。僕が来たことはさっきの声で知られているはずだから、いつ、どこからともなく『ヒマワリ』が襲ってくるかわからない。
けど、いくら部屋を探してもましろの姿は見つからない。代わりに、探せば探すほど違和感が膨らんでいった。『ヒマワリ』が入ってきたというのに、これまでのどの部屋も全く荒らされた形跡がない。部屋数が多いから、ただの偶然か……。
疑問を抱えつつ、やがて見覚えのある部屋の前までやってきた。ここは、僕が二度目にましろの家に来た時に、道に迷って辿り着いた大扉の部屋だ。以前見た時は、その扉が閉ざされていたが、今はわずかに開いていた。
僕は確信めいたものを感じ、その先に入ることにした。これまでと違い、より慎重に中の様子を窺う。
(暗くて、見えないな)
しかし、中は暗く、ここからでは何も見えなかった。なので、僕は覚悟を決め、勢い良く中に足を踏み入れた。
扉の隙間から差し込む光だけでは何も見えず、心臓の鼓動が早くなっていく。けど、このままでは埒が明かないため、思い切ってましろの名前を叫ぼうとした。その時だった。
僕が入ってきた扉、それが後ろでひとりでに閉じ、部屋は完全な暗闇と化してしまった。瞬間的に罠かと思ったが、突如紫色の明かりがつきはじめた。紫色の光は数を増やしていき、やがて部屋の様子を曝け出した。
僕は曝け出された部屋を見て言葉を失った。そこは、紫とピンクをメインで彩色されたような部屋で、家具とかは普通なはずなのに、それだけでどこか淫靡な雰囲気が醸し出されている。もっと簡単に言えば、どこかラブホテルを彷彿とさせるような感じだ。実際に見たことはないから、イメージにはなるけど。
「フフッ、ようこそ、蓮」
突如横合いからかけられた言葉に、僕は思わず安堵する。今のはましろの声で、その口調もいつもと変わらなかったから。色々と疑問はあるけど、とにかく今はましろの無事を確かめようと振り向いた。
「…………え?」
驚きの声とともに固まってしまう。そこにいたのは、たしかにましろだったけど、いつものましろとは違っていた。
「フフッ、蓮ってば、どうしたの?」
「……いや、え、ましろ、その格好は……?」
ましろの格好は、上下ともに紫色のどこか大人の雰囲気が感じられる下着を身につけていた。それだけで、それ以外には何も着ていない。一瞬本当にまずいことになったんじゃないかと思ったけど、ましろの様子を見るとそうでもないようだから安心する。けど、なら尚更混乱が収まらない。
「照れているのね、可愛いわ」
「い、いや⁉ 待って、何でそんな格好しているの⁉ というより、『ヒマワリ』はどこにいったの⁉」
わけがわからない状況に呑まれそうになるも、『ヒマワリ』のことを思い出す。ましろは『ヒマワリ』から襲われていたはずだ。……それが何でこんな状況になる?
「フフッ、『ヒマワリ』、ね……」
何がおかしいのか、ましろは口元に笑みを浮かべる。そして、その足で僕に近づいてくる。なぜか僕は、得体の知れない何かに脳が警鐘を鳴らしていた。
思わず後退りしてしまうが、途中で何かにぶつかり後ろから倒れ込んでしまった。背に感じたのは羽毛布団のような柔らかなもので、倒れ込んだのがベッドだと気づく。僕が倒れ込んだ隙を見逃さず、ましろはベッドに身を乗り出し、僕の上に跨ってきた。
「ま、ましろ、何を⁉」
「そんなに怖がらなくていいわよ。私は別に蓮を傷つけるつもりじゃないわ」
安心させるかのように柔らかい口調でましろが告げると、近くにあったのか、普段見るましろのとは違うスマホを取った。何やら操作した後、ましろはスマホの画面を僕に見せてきた。
「…………は?」
目を見開いて、またしても驚きの声を上げてしまう。けど、今度はさっきよりも比にならない驚きだった。僕が見ているスマホの画面、そこには僕に送られてきた『ヒマワリ』のメールが二通表示されていた。
「ましろが、『ヒマワリ』?」
僕が呆然とした声で言うと、ましろは頷いてみせた。
「そうよ。『ヒマワリ』は、紛れもない私よ」
ましろの口からその事実を告げられても、すぐに信じることができない。だって、そんなのおかしいじゃないか。何で、ましろが僕に迷惑メールなんかを送る?
「その顔、信じていないわね」
ましろが残念そうな顔をするけど、僕はそれを気にしている余裕はない。
「し、信じられないよ⁉ 何でましろがそんなことするのさ⁉ それに、そのスマホ、ましろのじゃないよね? もしかして、誰かに脅されてやっているの?」
ましろが脅されている可能性を示唆し、僕は気が気でなくなる。けど、ましろは不思議そうな顔をする。
「ねえ、蓮。あなた、何か勘違いしていない? もしかして、私が送ったメール、脅迫文か何かとでも思っているの?」
「……え? 違うの?」
すると、ましろは思いっ切りため息を吐いた。え、何で?
「蓮、これは脅迫とかそんなものじゃないわよ」
ましろがいつも見せるようなジト目で僕を見てくる。そんなましろに少し安堵するも、これが脅迫メールじゃなかったら何なんだ? 僕が疑問を覚えていると、ましろの顔に妖しげな笑みが浮かんだ。
「ねえ。私が最初に送ったメール。その内容は覚えているかしら?」
まるでいたずらでもするかのように、ましろは僕を見下ろしてくる。
「内容って、『私はあなただけを見つめる』っていう一文だよね」
僕は忘れもしないその一文をすんなりと言って見せる。ましろは満足したのか、その先の言葉を僕に放った。そう――
「正解よ。私は、あなただけを見つめる。フフッ、私、笹倉ましろは、先生だけを見つめる」
――僕を撃ち抜く、言葉の弾丸を。
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