42話 大人をからかってはいけません

『先生、手伝うわよ』


 大量の書類を抱えて職員室に行こうとした矢先、笹倉が僕に手を差し伸べてきた。


『笹倉? まだ残っていたの?』


 外はもう夕刻時で、教室はすっかりもぬけの殻だ。僕はそんな誰もいなくなった教室で、一人黙々と書類作業を終わらせていた。


『ええ。先生が終わるのを待っていたの』


 当然と言わんばかりの笹倉の発言に、僕は思わず頭を抱えそうになる。またか……。


『笹倉。前も言ったけど、別に無理して待たなくていいよ。そんなことより、友達と遊びに行ったらどうだい?』


 笹倉はここ最近、よく僕の仕事を手伝ってくれる。助かるには助かるのだが、正直申し訳ないという気持ちが強い。僕なんかを手伝うより、友達と遊んだほうがいいだろう。


『私は先生の手伝いをするほうが好きだからいいのよ』


『そうは言っても……ほら、よく一緒にいる真倉。彼女とは遊びに行かなくていいの?』


 笹倉はよく真倉と一緒にいたはずだ。友達なんだろうから、一緒に遊びに行けばいいのに。


『美柑は今日用事があるって言ってたの。……フフ、これで私が先生の手伝いをすることに何も問題はなくなったわね』


 そう言うが早いか、笹倉は僕が抱えていた書類の半分を取り、そのまま歩き出してしまう。僕は呆れつつ、仕方なくその後を追った。



 書類を運び終えた後、僕は笹倉とともに学校を出た。


『先生、そこのコンビニに寄っていきましょう』


 笹倉は僕の手を引いて中に入ってしまう。こんな光景、他の生徒に見られたら変に見られないかな。そんなことをふと気にしてしまった。


 笹倉が買ったのは、炭酸飲料とアメリカンドッグといった、ちょっとだけ意外なものだった。僕の勝手な思い込みで申し訳ないけど、真面目な笹倉は、あまりそういったものを食べるといった印象が薄かったからだと思う。


 僕がそんなことを思っていると、笹倉は僕の目も気にせずアメリカンドッグにかぶりついた。美味しそうに食べる様子に、僕は少し羨ましくなってしまった。僕も買えばよかったかも。


 しかし、そう思った時には遅く、無意識にお腹が鳴ってしまった。


『あら? 先生、もしかして私の食べているこれが食べたいの?』


 笹倉がいじらしくアメリカンドッグを振って見せる。


『ち、違うよ。ただ、今日はちょっとお昼を食べる時間がなくてね。そのせいだから気にしないで』


 僕は誘惑そのもののアメリカンドッグから視線を外す。ここ最近、仕事の量が多すぎて昼を抜くことが多くなってきている。


『……先生、最近大変そうよね。かなり無理をしているんじゃない?』


 笹倉が僕の内心を見透かすように心配してくる。


 無理は……少ししているかもしれない。けど、それも多少は許容できる。だって、この仕事が好きでやっていることだから。


『まあ、これくらい大人には平気だよ』


 僕はうそぶいて見せる。多少は許容できるとは言ったものの、別のことから襲いくるストレスには押しつぶされぎみになっている。けど、そんな心配を生徒である笹倉にはさせたくない。


『大人って、私にはまだ子供に見えるわよ。そんな子供に見える先生に、はい』


 笹倉はそう言って、アメリカンドッグを僕の口元に伸ばしてきた。食欲をそそる匂いが、僕の空っぽの胃を刺激してくる。


『だ、大丈夫だって。それに、それは笹倉が買ったもので、その……』


 僕はその先を言い淀んでしまう。いくら空腹でもそれは食べられないよ。


『私の食べかけだから?』


 僕が懸念していたことを、笹倉はさらっと言ってしまう。まずい、笹倉のからかいが始まってしまう。


 笹倉は時々こうして、僕の近くに来ては僕のことをからかってくる。正直、反応に困って疲れてしまうから、控えめにしてほしいんだけど。


『そ、そうだよ。だから、それは笹倉が食べちゃいな』


『フフ、先生ったら間接キスを気にするのね。やっぱり、まだ子供ね』


 笹倉の言葉に、少しグサッときた。た、確かに。たかが間接キスだ。それに一々ドギマギする大人って、何かカッコ悪い気がする。


『くっ、言ってくれるね。じゃあ、それをもらおうかな。僕は『大人』だから、間接キスくらい気にしないよ』


 挑発に乗っている気もするけど、もう後には引けなかった。


『どうしようかしら? 一度はいらないって言ったのに、やっぱり欲しがるなんて。そうね、じゃあこうしましょう』


 何か思いついたのか、笹倉の目が怪しく光った気がする。そしてあろうことか、笹倉はアメリカンドッグを僕の口に近づけてきた。


『はい、先生。あーん……』


 まさかのからかい第2波がきてしまった。


『あ、あーんって、何で!? ふ、普通に自分で食べるよっ』


『それならあげないわよ。それとも、先生は『あーん』も照れちゃう大人なのかしら?』


 くっ、どこまで僕のプライドを傷つけてくるんだっ。もういい。ここまで来たんなら、何が何でもそのアメリカンドッグを食べてやる!


 半ばやけくそになっていることにも気づかず、僕は口を開けアメリカンドッグを向かい入れる準備をした。


『フフ、いい子ね。はい、あーー……、



「何をやっているんだ僕は!?」


 あまりの恥ずかしい記憶に、僕はそんな叫びとともに起き上がった。


「…………あれ?」


 同時に、さっきまで見ていた光景とは違うことに気づいた。ここどこ? 理解が追いつかないまま辺りを見回してみると、目を唖然とさせているましろと目が合った。


「蓮、大丈夫……?」


 ましろは僕を気遣うように、心配げな声を上げる。ましろを見た瞬間、さっきまで見ていた光景が夢だということに気がついた。同時に、ここがホテルの部屋だということにも気づく。


 そうだ。僕は今、ましろたちとともに温泉旅行に来ているんだった。そうして……どうなったんだっけ?


「えっと、何か状況が思い出せないんだけど、何で僕ここにいるの?」


「覚えていないの? 蓮ってば、温泉に入っている途中で急に様子がおかしくなったかと思えば、気を失ったのよ?」


 その言葉で全て思い出す。僕は温泉に入っている途中、コンタクトレンズが故障して、ましろたちの裸が露になってしまったんだ。そのあまりにも刺激的すぎる光景に、僕は気を失ってしまったというわけだ。


 状況は思い出せたものの、その時の光景を思い出してしまい、顔が火照ってきてしまう。それに、今見たばかりの夢も相まって、余計に落ち着かない。


「やっぱりどこか調子悪いのかしら?」


 ましろが心配する声を掛けてきたため、僕は慌てて手を振った。


「ち、違うんだ。その、僕って湯に入っているとすぐにのぼせやすいんだ。それで出ようとした時に、ちょっとふらついて転んじゃったもんだから、意識が飛んじゃったみたい」


 本当はそんな理由などではないけど、笑って誤魔化す。


「そう。ならいいけど、せっかくの旅行なんだから、無理だけはしないようにね」


「う、うん」


 とりあえずこの場はセーフかな? 本当にひやひやとしたよ。


「そういえば、他の皆は?」


 この部屋にいるのは僕とましろだけみたいで、他の皆の姿はなかった。


「美柑たちなら、先に望遠鏡を借りに新島さんの部屋に行ったわ」


 それを聞いて納得した。温泉に入っている途中、今夜天体観測をしようって話になったんだ。


「ましろは残ってくれたんだね。ありがとう」


「お礼なんか別にいいわよ。蓮が私の膝枕で眠っている間、ニヤニヤした幸せそうな蓮の寝顔を見れたもの。余程楽しい夢でも見ていたのかしら」


 予想外のカミングアウトに、僕は吹き出してしまう。え? 僕眠っている間、ニヤニヤしてたの? 見てた夢はそんな楽しい内容じゃないのに……。


「てか、膝枕!?」


 嘘、僕ましろに膝枕してもらってたの? 夢のせいで飛び起きたからわからなかった。


「ええ。でも、蓮からしたら、また美柑にしてもらったほう嬉しかったかしら?」


 ましろがニヤニヤとそんなことを言ってくる。


「な、何で美柑が出てくるのさ」


 内心でドキリとしつつ、僕はそう返す。別にそんなことは思っていない……たぶん。


「だって蓮と美柑、最近特に仲が良いじゃない。まるで、恋人みたいよ。……私、少し嫉妬しちゃうわ」


 笑みを消さぬまま、けど悲しみの感情が含まれているような声でましろは言う。


「こ、恋人って、僕と美柑はそんな関係じゃないよ」


 僕と美柑の関係についてドキリとしつつも、内心では別のことに戸惑ってしまった。


 恋人に嫉妬。友人の美柑が僕に取られてしまったと感じているってこと? それともまさか、ましろは美柑のことが友人以上に好きということ?


 僕自身が女の子として美柑から告白されたこともあるから、可能性としてなくはない。


 僕がましろの心を掴みかねていると、外からどたどたと足音が聞こえてきた。


「新島ちゃんから許可とれたよ!」


 ドアが開かれ、美柑がピースを掲げて見せる。


「あ、蓮ちゃん目覚めたんだね、よかった」


 後ろから真希波と綾子も入ってくる。


「蓮ってば本当に湯あたりしちゃっただけみたい。でも、もう大丈夫そうよ」


 ましろはさっき一瞬みせた感情は閉じ込め、すっかり普段通りになった。なので、僕も沸いた疑問は一度忘れることにした。


「ごめん。また心配かけちゃったね」


 以前にも皆で温水プールに行った時に、似たようなことがあったため、本当に心配を掛けてばかりで申し訳ない。


「大丈夫、大丈夫! それより、回復したならさっそく星を見に行こう!」


 綾子が意気揚々と言う。僕も頷き、そうして僕たちは天体観測をしに行くのだった。

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