41話 これが本当の地獄……のちに天国?

 美柑たちと脱衣所に入り、僕は皆から一度距離をとって、聞こえないように「スタート」と呟いた。


 ちなみに、コンタクトレンズのことは美柑には話している。というか、話さないわけにはいかないけど。


 何か音が鳴るのでもなく、目の前の視界に「ジジッ」というようにノイズが走った。やがてノイズは視界全体を覆い尽くした。真っ暗で何も見えない中、美柑たちの声だけが聞こえてくる。けど、それも十秒にも満たない時間で終わり、視界が元通りになっ――た……?


「レンレン! どうしたの? 早く入っておいでよ!」


「ぶっ⁉」


 ただ美柑が喋っただけなのに、僕は吹き出さずにはいられなかった。


 な、何だよこれ⁉ 何で、


 あまりに理解不能な目の前の光景に、思わず口に出して叫んでしまうところだったよ! それほどまでに、意味がわからない⁉︎


「れ、蓮? 本当にどうしたの?」


「ぐふっ⁉」


 まるでボクサーから右フックでももらったかのように仰け反ってしまう。声はましろのものなのに、喋っている相手は身長の高い眼鏡を掛けたイケメン男なんだ。これが困惑せずにいられるか⁉


 美柑とましろだけじゃない。真希波も綾子も、他の皆も男に見えてしまっていた。何この地獄絵図? 気が滅入ってくるんだけど。


「あはは、遊びすぎて疲れちゃったんじゃない? それなら早く温泉に入ろうよ」


 真希波が手招きしてくるが、僕にはいかつい男の人が笑顔で手招きしているようにか見えないんだけど⁉ 何この、あの変態教師が喜びそうなシチュエーションは⁉


 ……ん? いや待てよ?


 ふと違和感を覚え、僕は自分の体を見下ろした。僕の体だけは異常もなく、これまで通りの女の子の体だった。つまり……、


(これじゃただの乙女ゲームじゃないか⁉)


 僕からしたら、僕だけが女の子のこの状況は、いかにも乙女ゲームのヒロインじゃないか⁉


「レ、レンレン! とりあえず、入ろう⁉」


 美柑が僕の変調に気づき、手を引いてくる。美柑は明るい好青年みたいな男に変換されており、不覚にもドキドキ……できるか⁉


 すっかりカオスとなってしまった僕の世界に、おそらくこの状況を生み出したであろう寧に僕は怨念まがいの思いをぶつけるのだった。



 状況の整理が追い付かず、美柑に手を引かれるまま温泉(露天風呂)に入ってしまったが、あの時、僕は無理やりにでも逃げるべきだったと、遅すぎる後悔をしてしまった。


「いやあ、目一杯楽しんだ後に入る温泉は気持ちいいね!」


 綾子が「うーん」と腕を伸ばしている。けど、その姿も僕には大学生くらいの男に変換されている。


「本当、気持ちいいわね。蓮も落ち着いたかしら?」


 ましろが僕の様子をうかがってくる。ごめん、全然落ち着けないよ。


 僕は周囲を見回す。女湯に、明るい好青年の男、いかつい男、大学生くらいの男、そして、眼鏡をかけたイケメン男。他にもエトセトラ……。そんな異常すぎる光景に、女の子の姿をした僕が溶け込んでいる。……やばい、泣きたくなってきた。


「ましろん、レンレンは恥ずかしがってるんだよ」


 何も言えない僕に代わって、美柑がフォローをしてくれる。美柑も僕の変調には気づいているけど、皆がいる手前上理由までは聞けないでいるのだろう。


「そんな恥ずかしがる体じゃないと思うけどな。むしろ羨ましくて少し嫉妬しちゃうくらいだよ」


 真希波がぷくっと頬を膨らませる。やばい。女の子がしたら可愛いその仕草も、いかつい男がしたら気持ち悪く見えてしまう。


「本当いい体してるよね。でも、ましろも負けてないよね」


 綾子が横目にましろの体を見る。


「私はそんなことないわよ」


 ましろは目を閉じて、さらっと受け流すものの、美柑が反応を示してしまった。


「そんなことあるよ! ましろんってば、中学の時からスタイルよかったんだよ!?」


「ちょっ、やめなさい……⁉」


 美柑がスーッとましろに近づき、ましろの肌をペタペタと触り始めた。


 やめて⁉ 今の僕の目の前で、そんな光景を見せないで⁉ 男が男の肌をペタペタ触るなんて、それもう別のゲームになっちゃってるよ⁉ 


 温泉に入っているはずなのに、さっきから鳥肌が止まらないよ……。


 僕は視線を外すため、夜空を見上げることにした。そこには、無数の星が輝いていた。


「綺麗……」


 何だか心が浄化されるようで、気づけばそんな言葉が漏れていた。


「本当だ。綺麗だね」


 僕の言葉を聞いた綾子も夜空を見上げていた。美柑たちも空を見上げ、しばらく星を眺めるだけの時間が過ぎていった。


「もっと近くで星を見たいな……」


 沈黙を破って、美柑がそんな希望を口に出した。


 天体観測か、僕もやりたいかも。けど、道具なんてここにはないしな。


「天体観測⁉ いいね、やろう!」


 真希波がナイスアイデアというように、うんうんと頷いてみせる。


「そんな簡単にやるって言わないの。第一、道具がないでしょ」


 ましろが事実を口にするも、真希波は指をちっちっと振ってみせた。


「それがそうでもないんだよ。別のクラスなんだけど、私の友達に新島にいじま美羽みうって子がいるんだけど、彼女天文部で、よくコンパクトにした望遠鏡を持ち歩いているんだよ。彼女のことだから、この旅行でもたぶん持ってきてるはずだよ」


 まさかの希望があることを告げ、美柑が顔を輝かせる。


「やった! じゃあ、この後皆でやろう⁉」


「まあ、道具があるのなら全然構わないわよ」


 こうして、急遽天体観測をすることが決まった。僕はすっかり心身ともに疲れてしまっていたが、天体観測をすることは賛成だ。何より、久しぶりにできると思うと嬉しい。


 それに、どうせ明日も休みなんだ。少しくらい無理をしても――、ん?


 不意に、視界にノイズが走った。それは徐々に激しさを増し、瞬く間に僕の視界を覆い尽くしてしまった。な、何が起きてるの⁉ 


 僕が戸惑っている間に、ノイズはやがておさまり、さっきまでの温泉の光景に戻った。そう、……。


「――っっ⁉」


 僕はものすごい勢いで端まで下がり、その場で硬直してしまった。


 な、何で⁉ いや、何が起きたの⁉ 何で、皆裸になってるの⁉


 語彙力などすっかり失ってしまい、僕は目の前の光景にただ恐怖していた。さっきまでは確かに、皆の姿は男に変換されていたのに、今のノイズの後に皆元の姿に戻ってしまった。


 コンタクトレンズが壊れた? いやでも、壊れるようなことは何もしてないはず。壊れる原因なんて…………っ⁉ まさか⁉


『やりたいことあるから手早く済まさせてもらうね』


 藤原先生がそんなことを言ったと、昨日寧は言っていた。あの変態教師、手早く済ませるばかりに不具合のチェックをしていないんじゃないか⁉


 一度そう思ってしまうと、もうそう疑わずにはいられなかった。あの変態教師め! 何てことしてくれるんだ⁉


 だけど、今は変態教師に恨み事を言っている場合じゃない。


「レンレン、ど、どうしたの?」


 美柑が心配げに僕を見てくる。湯気で大事な部分は隠れていた。ナイス、湯気!


 けど、まだ全然安心できない……⁉ 湯気で隠れていても近づかれたら一発アウトだ。不幸中の幸いに、僕は入り口側の端まで下がっていたため、すぐに脱出できるはず。


「ご、ごめん⁉ ちょっとのぼせそうだから、先に上がってるね⁉」


 言うが早いか、僕はすぐに湯から出て入り口目掛けもうダッシュする。


 その時だった。入り口で扉が開かれる絶望的な音が鳴った。絶望はそれだけに留まらず、扉の先から瞬く間に数人の大人のお姉さんたちが入ってきて、退路を断たれてしまった。


「ご、ごめんなさ、がはっ……⁉」


 謝りつつ、僕はそのまま固い床に仰向けに倒れてしまった。


 だ、だめだって……こんなの、刺激が強すぎるよ……ガクッ。

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