38話 言えるわけないじゃないか
「何か文句を言いたそうな顔ね、お兄様」
校長室で寧の仕事が終わるのを待っている間、寧がようやく僕の様子に反応してくれた。……ずっと無視されてたから、少し寂しかったじゃないか。
「文句というか、あんなことするなら、最初からペナルティなんて付けなくても良かったんじゃない? あの事実を知るまで相当落ち込んでた生徒もいたし」
結果的にはよかったとはいえ、どこか釈然としないものがある。
「前にも言ったように、あれはお兄様の罰でもあるし、一応生徒のためでもあるのよ。ただリスクもなくテスト明けに温泉旅行が控えているとわかったら、お兄様はどう思うかしら?」
寧が僕に質問を投げかけてくる。僕は不本意ながらも、その答えはすぐにわかってしまった。
「……温泉旅行を楽しみにするあまり、テストそっちのけになる生徒が出てくる」
「正解よ」
確かに、寧の言う通りだ。悔しいけど、寧は僕の罰を抜きにしてもしっかりと考えていたんだな。意地悪なのは変わらないけど。
「寧の考えはわかったけど、ほどほどにしてね? この学校の生徒はまだ、辛い思いをして傷を抱えてる生徒がほとんどなんだから」
これ以上生徒が辛い思いをするのは、この学校の元教師である僕からしたら見逃せないことだ。
「お兄様がそこまで言うのなら、次回からは控えめにするわよ」
少し拗ねた顔をしつつも、寧が了承してくれた。その顔に、僕は少し申し訳なさを感じてしまった。
「……まあでも、僕にもう一度先生のようなことをさせてくれたことは、感謝するよ」
今回みたいな危機的状況で、本気で教えるという行為をしたからこそ、教師を目指していた時の夢を思い出せた。そこは素直に、感謝すべきことだろう。
「ふふっ、何だ、お兄様のツンデレだったわけね。素直に最初からそう言えば良かったのに」
素直に感謝を伝えた瞬間にこれだよ。僕は少しげんなりとしつつも、これが寧なんだからと、諦めることにした。
「そういえば、お兄様。真倉に一体どんな手を使ったの?」
僕は一瞬意味を計りかねたが、すぐに真倉が叩き出した点数のことだと思い当たった。
「僕も驚いたけど、ただ普通に教えただけだよ。美柑は教えたことをその日のうちに毎回復習をしていたみたいなんだ」
それにしても、予想外すぎる結果だけど。
「……本当にそれだけかしら? お兄様絡みで何かありそうだけれど」
寧の鋭い眼差しに、僕は内心でギクッとしてしまった。たぶん、寧の予想は当たってる。
けど、馬鹿正直に恋の力だなんて言ったら冷ややかに笑われるか、鞭で叩かれるか、もしくはその両方かだろう。
「ほ、本当にただ教えただけだから」
「……まあ、この場は信じてあげる。ところで、話は変わるけれど、お兄様、あれから迷惑メールはきたかしら?」
寧が話題を迷惑メールのことに変えてきたため、僕は内心で安堵しつつそれに乗った。
「きてないよ。やっぱり、ただのちょっとたちが悪いだけの迷惑メールだったみたい」
送り主の正体が依然としてわからないことだけは不安の種だけど、何もしてこないのなら大丈夫だろう。
「お兄様にしては楽観的ね。……私としては、送り主にはもっと頑張ってもらって、お兄様と真倉を引き離してほしいのだけど」
「いやいや、何不吉なこと言ってるの⁉」
冗談でも怖いよ⁉ 何僕と美柑の仲を引き離す手段に、迷惑メールもとい脅迫メールを利用しようとしてるの⁉
「寧としてはそっちのほうが好都合なのだけれどね」
その言葉に、僕は今度こそガクッと項垂れてしまった。
さすがに勘弁してください。僕は本気でそう思うのだった。
テストも無事に終了し、温泉旅行まであと二日となった日の放課後、僕は美柑に連れられ美術部に来ていた。
「え⁉ 温泉ってそんなに広いんですか⁉」
「ええ。それにただ広いだけじゃなくて、色々な効能の温泉もたくさんあったわよ」
美柑と保科先輩が、お互いキャンパスそっちのけで温泉について話し合っている。保科先輩たち2年生は僕たちより先に温泉旅行に行っている。そこでの感想を今美柑に話しているわけだ。
「わあ! それ聞くとすっごい楽しみです!」
美柑はワクワクした顔で温泉旅行への思いを馳せているようだ。結果的にテストの結果が関係なかったとはいえ、美柑からしてみれば頑張って掴み取った温泉旅行のようなものだ。その嬉しさも格別だろう。
「レンレン! 温泉旅行楽しみだね! この気持ちを絵に描いてみるよ!」
そう言うと、美柑はキャンパスに向かって絵を描き始めた。
「うふふ。本当に嬉しそうね、真倉ちゃん」
保科先輩が美柑のことを微笑ましく見つめつつ、僕に話しかけてくる。
「そうですね。そういえば、美柑から聞きました? 今回のテストの結果」
「ええ、聞いたわよ。真倉ちゃん、すごい頑張ったみたいね。それに、あなたのおかげとも言ってたわ」
保科先輩が感心した様子を見せる。
「いえ、頑張ったのは美柑自身ですから。僕もあそこまで飛躍的に点数を上げるとは思ってもいませんでした」
「あらあら、謙遜しちゃって、うふふ」
保科先輩は茶色の髪を手で掬ってみせ、改めて美柑のことを見た。
「頑張った真倉ちゃんには、温泉旅行を存分に楽しんでもらいたいわ」
保科先輩の美柑を見る目は優しいものだった。保科先輩が美柑の事情をどれだけ知っているのかはわからないけど、美柑への心遣いは本物のように感じた。
それからしばらく、皆一様にキャンパスに向かってしまったため、僕は手持ち無沙汰になってしまったが、思いの外見ているだけでも良いもので、あっという間に時間は過ぎていった。
やがてチャイムが鳴り、藤原先生がやってきた。
「はーい、時間です。皆帰る準備してね」
眠そうな目で、定型文のようなことを口に出す。テスト返却の時もそうだったけど、ここ最近いつにも増して眠そうだな。どうでもいいけど。
「あ、そうそう。保科さん、今日はちゃんと戸締りしてね」
藤原先生が困ったような顔でそう言い残し、部室をあとにした。
「はーい」
おっとりした口調で、誰もいない場所に向けて保科先輩は言った。
「レンレン! 見て見て! これが今の私の気持ちだよ!」
美柑の言葉に振り返る。すると、美柑はまるで見せびらかすようにキャンパスに描かれた絵を見せてきた。
……絵のほうは相変わらずだね。そう思ってしまう出来だった。けど、同時に別のことも思ってしまい、気づけば口を開いていた。
「美柑は絵を描くことも、好きなんだね」
僕のその言葉のニュアンスには、かつてテニス部に入っていた美柑を気遣う気持ちが含まれていた。
美柑はゾンビの体になってしまったがゆえに、好きだったテニス部を辞め、美術部に入った。
美柑とお互いの秘密を打ち明けあったあの日、美柑は笑顔だったけど、テニス部を辞めることになったことに対しては、何か思うところは少しでもあるはずだ。
胸に内に押し込めていた疑問を、この場で思わず遠回しであるが聞いてしまった。
美柑は僕の言葉の裏に隠された意味に気づいたようで、その顔に戸惑った笑みを浮かべた。
「……辞めなきゃいけなかったことは少し残念だったけど、こうして絵を描くことも好きだから、やっぱり後悔はないよ」
僕は美柑からそのことを聞いて安心した。それならよかった。僕が心配することじゃなかったな。
「そっか。なら、これからも頑張って。いつか、美柑が満足のいく最高の絵ができたら、それを見せてくれたら嬉しいかな」
「……⁉ うん! レンレンに一番に見せてあげるね!」
僕と美柑はお互いに笑いあった。
勉強を教えるだけじゃなく、教え子が好きなことを応援するのも、教師の役目だ。
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