37話 恋の力はチート能力だった

 しんと静まり返った教室に、ペンを綴る心地よい音だけが聞こえてくる。


 時間というものはあっという間にすぎるもので、今日は学力テストの日だった。


 僕は開始してすぐに全問解き終わり、見直しも済んで手持ち無沙汰になっていた。


 チラッと美柑と綾子の様子をうかがい見る。二人とも目の前のテスト用紙にペンを走らせは止まってを何度か繰り返している。


 やれるだけのことはやったつもりだ。後は、二人を信じることしかない。


 あまり見続けるのもカンニングと思われそうなので、僕はテスト用紙を見つつ、別のことを考え始めた。考えるのは、件の迷惑メールについてだ。


 結局というか、あれからあのアドレスからメールが送られてくることはなかった。


 寧もあの後探ってみたらしいけど、依然として送り主はわかっていない。


 不審な点は拭いされないものの、僕はどこかメールのことを忘れつつあった。何しろ、ここ最近普通に美柑と一緒にいたけど、何かあった試しがないんだ。


 やっぱり、迷惑メールは迷惑メールでしかないな。僕はそう思い、やがて襲ってきた睡魔にウトウトしつつ、残りの時間を過ごした。



 テスト終了から一週間後、ついにテスト返却の日が来た。美柑や綾子は当然として、他の一部生徒も緊張の面持ちをしている。


「き、緊張してきたよ。私、緊張のせいで朝もご飯一杯しか食べれなかったよ」


 美柑が緊迫した顔で言うけど、ご飯一杯って別に普通だよね?


「わ、私もご飯二杯しかいけなかったよ」


 綾子は何で増えてるの? 何これ、ツッコんだら負けなのかな?


 ちなみに、今日の一時間目でテスト全部がまとめて返却される……何で? 普通、授業毎に返却だよね?


「えー、それじゃあ今からテストの返却を始めます。呼ばれた人から来てねー」


 藤原先生が眠たそうな目で、やる気のない声で言う。何だろう、生徒のテスト結果なんてどうでもいいように見えるんだけど。


 何はともあれ、いよいよテストの返却が始まった。余裕がある生徒とそうでない生徒は半々な感じで、教室には何とも言えない空気が漂い始める。


「佐藤綾子」


「は、はい!」


 ましろが呼ばれた後に、綾子が呼ばれた。当然、ましろは余裕のある面持ちだったが、その顔は心配げに綾子に向けられている。


 藤原先生からテスト用紙を受け取り、綾子は恐る恐るというようにそれを見た。その目がカッと見開かれた。


 声を上げることはしなかったが、席に戻った後僕たちにグッと親指を立ててみせた。僕はその様子に、一つ肩の荷が下りた。


 綾子は無事突破できた。後は美柑だけだ。――そうして、


「真倉美柑」


「っ! ひゃい!」


 思いっきり噛み、美柑はロボットのようなガチガチな動きで歩いていく。僕は祈るような気持ちで美柑を見つめた。頼む。


 美柑はテスト用紙を受け取り、その場では見ずに席に戻ってきた。そして、細く目を開けては、閉じるを繰り返す……いや、もう見ちゃいなよ。


 僕までそわそわしてしまい、やっとの思いで美柑がテスト用紙に目を通し始めた。その目は徐々に見開かれていき、やがて両目を思いっきり見開いた。


「レ、レンレン⁉」


 美柑が小さい声ながらも、喜ぶ声で僕の名前を言った。そこでようやく、僕は肩の荷が完全に下りた。


(ふぅ……よかった。やり遂げたよ、僕)


 どこか達成感を感じ、椅子に深く腰かけようとした。


「……水城蓮」


 しかし、藤原先生の不機嫌な声を聞き、僕はハッとした。見れば、藤原先生が死んだような目で僕を蔑むように見ていた。その目からは、早くしろという感情がうかがえる。


「は、はい!」


 美柑のことに安心しきって、すっかり自分の番だということを忘れていた。てか、僕が出席番号の最後だから、残りは僕だけか。


 急いで藤原先生の元に行き、テスト用紙を引き取る。その際、藤原先生が僕にだけ聞こえるように小さく舌打ちをしてきたんだけど。あれ? 生徒の僕にそんなことしていいの? 確かに、今悪いのは僕だけどさ。


 僕はどこか納得いかず、さっさと席に戻った。


「コホンッ。ええ、全員分返却し終えたんで、ここからは見直しの時間に入ります。席の移動はご自由に。模範解答も一緒に配ったから、何か採点間違えがあったら僕の元まで」


 藤原先生はわざとらしく咳払いをした後、そう言って椅子に座った。すると、教室中がざわつきはじめる。


「レンレン! 私、やったよ!」


 待ってましたといわんばかりに、美柑が僕に駆け寄ってきた。


「私も! 今回は赤点二つで済んだよ! すごいでしょ⁉」


 綾子も来て、テスト用紙を見せてくる。赤点二つって、結構ギリギリだったんだ。……てか、他の科目も結構ギリギリでかなり危なかったんだけど……。無事なのに、この結果を見るとひやひやしちゃうよ。


「よかったわね、二人とも」


「おめでとう!」


 ましろと真希波も寄ってきて二人を労う。


「ありがとう! これも全部、勉強を教えてくれたレンレンのおかげだよ!」


「本当だね。ありがとう、蓮ちゃん! 今度何かお礼するね!」


 二人から純粋な感謝を伝えられ、僕は何だか照れくさくなって思わず頬をかいてしまった。


「ぼ、僕は別に。それに、教えたのは僕だけど、最後に頑張ったのは二人とも自分自身だよ。だから、頑張った自分のことも褒めてあげな」


 僕はあくまで二人の補助をしたに過ぎない。この結果は、美柑と綾子が努力で掴み取った結果だ。なら、それは誇れることだ。


「フフ、いいこと言うわね、蓮」


 ましろが感心した様子で僕を見てくる。そのせいか、ますます照れくさくなってくる。


「それでも、レンレンのおかげでもあったことは変わらないよ! 今度、絶対にこのお礼するね!」


 別に何か対価を求めてたわけじゃないけど、こうまで言ってくれてそれを無碍にするのも悪いだろう。なので、僕は頷くことにした。


「そういえば、美柑はテストの点数どんな感じだった?」


 綾子が美柑のテストを見せてーというように聞いている。それは僕も気になるな。赤点3つは回避できたにしても、その点数はいかほどのものなのか。


「えへへ、実は、今回赤点一つもなかったんだ」


 美柑が照れたようにそう言い、テスト用紙を見せてきた。


 …………えっ⁉


 思わず見間違えかと思い、僕は目をこすった後にもう一度テスト用紙を見た。けど、目に映ったその点数は変わらなかった。


「嘘っ……⁉」


 ましろが眼鏡の奥の目を見開き、驚いた顔をする。綾子と真希波も同様に驚いている。


 美柑の点数は、驚くことに全てが70点以上を叩き出していたのだ。


「み、美柑? これって、え……?」


 赤点ギリギリとかそんなレベルじゃない。そんなの凌駕するほどの点数だ。


「あー! 皆信じてないでしょ⁉」


 美柑が僕たちの反応に納得いかないのか、拗ねた声を上げる。……いや、だってあまりに現実味が薄いんだもん。


 美柑のこれまでの成績は、お世辞にもいいものとは言えなかった。普段の授業でも、わからないことだらけで頭を悩ませている光景を見てきた。


 そんな美柑がどうしてこんな点数を叩き出せた? 確かに僕がスパルタ気味に教えたとはいえ、あの短期間にここまで飛躍的に点数を上げるのは俄かには信じられない。


「美柑、どうしたの? 何か悪いものでも食べた?」


 真希波が心配げに美柑に語りかけるが、美柑はますます心外だとでもいうように拗ねてしまう。


「悪いもの食べたら余計に点数落ちちゃうじゃん⁉ 私はただ、普通に家でもちゃんと勉強をやっていただけだよ⁉ 眠くなりそうになっても、苦いコーヒーを飲んで耐えたんだから!」


 突如知ったその事実に、僕は面喰ってしまう。


「え? もしかして美柑、勉強会の後に家でも勉強してたの?」


 勉強会が終わった後の美柑は、毎回キャパオーバーしたみたいになる。そんな状態で、家でも勉強をしていただって?


「嘘……私なんて帰った後、ご飯とお風呂を済ませたらすぐに寝ちゃってたよ」


 ……綾子は少しでもいいから復習をしてね。


 でも、本当に驚いた。美柑は努力ができる子だとは思っていたけど、まさかここまでとは。


「それにしてもここまでの点数までもってくるなんて……並大抵の努力じゃできないでしょうね」


 何を糧に頑張ったの? というニュアンスがましろの言葉に含まれているようだった。美柑もそれを感じ取ったのか、一瞬僕のほうをチラッと見てから、「えへへっ」と笑ってみせた。その頬は心なしか赤い。


 何、これ。もしかして恋の力とかですか? 信じがたいことだけど、目の前の美柑を見ると信じざるを得ない気がする。


 恋の力って、チート能力だったんだね。恐ろしい。


 美柑の思わぬ偉業に驚きつつも、ふと周りを見ると冷静になってしまった。いや、ならざるをえなかった。


 教室は依然として騒がしかったが、一部ではどんよりとした空気が漂っている。理由なんて、聞くまでもない。テストの結果が芳しくなかった、それだけのことだ。


 何人かそういう生徒も出てくるとは予想していたけど、実際に落胆した様子を見ると胸が痛む。


 僕がもし生前と同じようにこのクラスの先生だったら、皆を合格させることができた? ……いや、できないだろう。僕にそんな力はない。


 美柑たちも一部の生徒の様子に気づき、口を閉ざした。


 僕は居ても立ってもいられなくなって、今すぐにでも寧に打診しに行こうと思い、席を立った。


「どこに行くんだい?」


 僕に気づいた藤原先生が、注意の眼差しを向けてくる。クラスの視線が一瞬僕に集まった。僕は寧の元に行く旨を伝えようとしたが、その前に藤原先生がシーとするように人差し指を口に当てた。


「まあ待つんだ。出ていくにしても、話しを最後まで聞いてからにしな」


「話し?」


 話すって、一体何を。僕が疑惑の目を向けると、藤原先生は唐突に机の下からノートパソコンを取り出し、その画面を僕たちに見せてきた。そこには、見覚えのある人が映っていた。


 ……あの人は確か、寧の影武者である表向きの校長先生だ。何で校長先生が映っているのか、おそらく疑問に思っているのは僕だけでなく皆も同じだろう。


 藤原先生が音量を上げたのか、画面越しに校長先生の声が届いた。


『え、ええっと、皆さん今頃はテストの結果に一喜一憂していることでしょうが、その……今回のテストで発生するペナルティの件なのですが、えっと、……じ、実は、う、う、嘘でした⁉ な、なんて……は、はは』


 ………………はい?


 やけにつっかえつっかえで、どこか怯えているような校長先生の言葉に途中までは違和感を覚えつつ聞いていたけど、最後、何て言った? 嘘? ペナルティが?


 呆然とする僕たちを置き去りにし、藤原先生はパソコンを閉じて僕たちに衝撃の事実を改めて言った。


「えー、今校長先生がおっしゃったように、今回のテストで赤点を3つ以上取ったらペナルティというのは、校長先生の嘘、つまりジョークです」


 藤原先生がつまらそうな顔で、やれやれといったように頭に手をやった。


 徐々に皆、呆然から立ち直り、校長先生と藤原先生が言ったことを理解していく。


「「「嘘ぉぉーーーー⁉」」」


 皆の心が一致したかのように一斉に叫び声が上がり、教室の窓を震わせた。


 な、なんだって⁉ う、嘘って、そんな⁉ いや、喜ぶことではあるけど、そうじゃなくて⁉


「嘘にしてもこんな嘘ってありかーー⁉」


 僕も思わず叫んでしまった。何だよ、心配してすごい損したじゃないか⁉


「まあ、何だ。校長先生は皆に勉強も頑張ってほしかっただけだよ」


 藤原先生が事前に用意していたような言葉を平然と吐く。くっ、初めからこうなることはわかっていたのか。


 てか、さっきの校長先生も、寧に脅されてあんなこと言わされたんだな。こんな嘘をカミングアウトすると、非難とまではいかないかもしれないけど、確実に生徒から文句の一つでも言われることを理解しているから、あんなびくびくしていたんだ。


 皆が「何だそれ⁉」みたいな顔で一様に驚いているけど、中には安心している生徒もいる。


 やり方があれではあるけど、これで誰も辛い思いをすることなく温泉旅行に行けるんだね。そこだけは本当に良かったよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る