8話 幸先よくいくなんて幻想だった

 寧が作ってくれた朝食を食べつつ、僕は気になっていたことを寧に聞いた。


「ねぇ。そういえば寧は通っていた学校はどうしたの?」


 本来ならもっと早くに聞くべきことだった。自分の身の回りのことで手一杯になっていて、今日まで全然気づけなかった。


 けど、聞くまでもないことはわかっていた。


「ああ。あの学校なら自主退学したわ」


 何でもないように、さらっと告げる寧に僕は黙り込んでしまう。


「お兄様。もし自分のせいで、とでも思っているのならそれは間違いよ。あのままあの学校にいたところで、全く為にならない授業を、ただ機械のように延々と受け続けるだけだもの」


 寧の言葉からは嘘のようなものは感じなかった。


「別に親しい友人がいたわけでもないしね。それならいっそのこと、新しい環境でお兄様とともに夢見た学生生活を送るほうがずっといいわ。まぁ、寧は生徒ではないけれど、細かいことは関係ないわ」


 寧は紅茶を一口含み、うっとりした様子で僕を見つめてくる。どうやら寧にとっては、今の状況はお望みの展開らしい。


 僕にとってはあまり望ましいものではないから、何かすごく複雑な気分だ。



 寧とともに朝食を済ませ、身支度も済んだ。いよいよだ。


 僕は見慣れているはずの玄関のドアを見て、思わず息を飲んだ。


 このドアを潜るといよいよ外の世界に飛び出すことになる。普通のことのはずなのに、ゾンビ、そして女の子になった僕にとっては、まるで未知の世界へと飛び込むかのようだ。


「お姉様、これを」


 隣から寧が真っ黒な日傘を手渡してくる。ゾンビの僕には、太陽の光は天敵だ。そのために、寧が日傘を用意してくれた。


「うん……ありがとう」


 日傘を受け取り、改めてドアを見る。ここまで来たら、もう当たって砕けろの精神だ。いや、砕けちゃダメか。


 とにかく! 余計なことは一切考えない!


 そしてついに、僕はドアを開けた。


 ――肌に触れた風がとても懐かしく思える。風に乗った匂いを嗅ぎ取り、自分が今外に出たことを強く実感させた。


 上を見れば、どこまでも続く晴天の青空が広がっていた。それと、太陽も――、


「ぎゃあ⁉」


 目に焼けるような痛みが走り抜け、僕は両手で目を押さえて地面にのたうち回った。感慨に耽っていた気分なんか一瞬で消え去った。


「お、お姉様⁉ 何で太陽を見ちゃうのよ⁉」


 寧が焦ったように、日傘を僕の頭上に差し、焦った声を漏らす。え? 今の程度でもダメの?


 感動的な場面だったはずなのにぶち壊しだよ。自業自得だけども。


 もう出だしから不安になる始まりだった。



 太陽直視事件を除けば、寧の用意してくれた日傘のおかげもあって無事に水鏡高校までたどり着くことができた。……いや、無事とも言い切れないかも。途中に乗った電車で精神的なダメージを負ってしまったから。


 電車に揺られている間、ずっと視線(ほとんど男の)を感じた。いくら視線を逸らしても、逸らした先でまた別の人に見られてしまうため、挙句の果てに目的地に着くまで目を閉じて視線に耐える羽目になった。


 しかも、寧は寧で、隣で苛立ちまぎれに殺気を放つような勢いだったから、気が気でなかった。


「お姉様の容姿に他人が惹かれるのは誇らしいけれど、あそこまでいくと考えものね。あれじゃあ、お姉様が有象無象の人たちから凌辱されているようだわ……!」


 このように、学校に着いてからも寧は苛立たしげだった。ちなみに、かなり早い時間にきたため、生徒の姿はない。


 別に凌辱されたわけではないけど、精神的には苦痛だったのは事実だから何も言えない。


 だけど、ここでへばるわけにはいかない。ここからが本番なんだから。


 僕の眼前には、久しぶりに見る水鏡高校がそびえ立っていた。僕にとってはここは、トラウマとも言える場所でもある。


 教師という夢に憧れ、教員免許を取り、始めて教師をする場だったのがここだ。同時に、夢を壊された場所でもある。


 これまでのトラウマを思い出し、嫌な汗が出てくる。


「大丈夫よ、。もうここには、お兄様を苦しめるやつらはいないわ」


 寧の言葉に、ふと我に返った。そうだ。ここにはもうあいつらはいない。残されているのは、教えを待っている生徒たちだけだ。


 僕は自分に叱咤を掛けるように頬を叩いた。


「うん! 大丈夫!」


 改めて水鏡高校を見る。もう恐怖はなかった。


「それじゃあ行きましょう、お姉様」


「ええ!」


 口調を水城蓮のものに合わせ、僕は寧とともに水鏡高校の校門を潜った。

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