第46話 いない!
途切れていた意識が急に動き出した。
カイナの瞼の裏には、途切れた意識の最後が鮮明に映し出された。
死んだはずの父に手を伸ばして、そのまま落下、そして体に激痛が走った。ただ、それがどのくらい前かは分からない。
「――っ!?」
落ちたときは暗かった。でも今は、開いた目が痛くなる明かりが天井から照らしている。
瞬きして落ち着くと、まず飛び込んできたのはウルの顔。
「カイナちゃん!?」
下瞼で可能な限り涙を溜めたウル。そんなウルをカイナの視界から押し出すようにユースが顔を歪ませて現れた。
何の痛みも違和感もない自分の体。
上半身を起こせばロンガとウィータが悲しそうにこちらを見てくる。
一瞬、自分は起きてはいけなかったのか。そう体がこわばった。
「……カイナ、様?」
「ウィア?」
ウィアが入り口から青い顔を覗かせ、そして静かに近づいてくる。
部屋にいるのは五人だけ。
「……アルスは?」
カイナにとって一番自分の近くにいておかしくない、そして、一番いて欲しいアルスの姿が見当たらない。
父の幻影に手を伸ばして落下した。
そこまでは覚えている。
激痛が走ってからの記憶がない。
「あの、ここは病院、ですよね? 私、怪我したんですか?」
「……ええ、それはそれは大きな怪我でした。アルスくんがここに運んでくれました」
「そう、アルスが……。もう体がなんともないですけど、どのくらい寝ていたんですか?」
「一日です」
「それでもう治ったんですか? タイム先生凄すぎます」
「治したのは私じゃないです」
「じゃあその人にお礼を言わないと。あと……、アルスは?」
二度目の問いかけ。
一度目は誰も答えなかった。
そして今回も誰も返してくれず、より一層部屋の空気が重くなった。
すると、開け放たれたままの部屋の扉を律義にノックする音がし、全員が廊下に目をやった。そこにいたのは、アルス、ではなくて燕尾服の男性だ。
「ウィリディス!?」
「皆様、この度はお嬢様が大変なご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません」
病室にやってきた燕尾服の初老の男性は、ルイスツールの家令のウィリデスだ。
部屋の中に向かって頭を下げたウィリディスは、そのままカイナの隣に歩み寄った。
「カイナ様、アルス様はルイスツールから出て行かれました」
「え……。ど、どういう事よ、アルスが出て行ったて……」
「言葉のままです。アルス様はお嬢様のお付きも辞退されました」
「そんな……、待ってよ、なんで!? 私、アルスに何をしたの!?」
「そこまでは私も存じ上げておりません」
「すみませんウィリデスさん。カイナ様はお連れしますので、ロビーでお待ちいただけますか?」
ロンガがそういうと、ウィリデスは病室を後にした。
今にも泣きそうなカイナを残して。
「タイム先生! アルスは!? ねえ、ウィア、ユース!!」
「……アルスはしばらくカイナとは距離を置く」
「ユース……、どうしてよ!?」
「それは君のためだ。だから、納得できなくてもしてくれ」
「無理に決まってるでしょう!?」
カイナは、それ以上答えないユースから、視線をウィアに移した。
「ウィア! 私、アルスに嫌われるようなことしたの!? ねえ、教えてよ……、ねえってば!!」
「カイナ様……。大丈夫です、カイナ様はアルスに嫌われるようなことはしてない、それは確かです」
「じゃあ、なんでよ……」
「本当ですよね、なんでこんなことに……」
ウィアは、自分の服の胸元を握りしめた。
「カイナ様……、私が説明します」
病室の隅にいたウィータが、ポツと口を開いた。
「フィデス・オルセルヴァンという名を聞いたことはありますか?」
「いえ……」
「カイナ様を治したのはフィデスです。とても優秀な医師で、フィデスに治せない病も怪我もありません」
「なんですか、その人は……」
「魔導医ですよ。魔法がまだこの世界に残っていることをご存知のカイナ様なら、魔法で治療する医師の存在も受け入れられますね」
「……自分がそれで治ったなら。その方とアルスに何の関係が?」
「フィデスが怪我を治すには絶対に必要なものがあります」
テネリはカイナを指さした。
「それが、魔法がかかる体です。ですが、今の人間は魔法が使えず魔法が効かないのです」
「そんなはずないわよ。だって、アルスもウルさんも人を凍らせていたじゃない!」
「あれは違うのよカイナちゃん。人そのものは凍らせていないの。凍らせていたのは周囲の空気中の水分。それが凍るから皮膚について冷たく感じるし、動きも止められるのであって人自体は凍っていないの。水分が半分以上を占める人の体を凍らせたら、細胞が壊れて即死よ」
「即、死……」
「ええ、ですからフィデスがカイナ様を治すためには、カイナ様の体が魔法に適合するように魔素といわれるものを使わなければなりません。ですが、魔素を使って治ったカイナ様の体は魔素が蓄積され魔晶と同じになります。その側で、無闇に魔法を使うと、場合によっては『上位権限』が働き……カイナ様の体が壊れます」
「壊れる……?」
「アルスはまだ魔法がうまくコントロールできません。カイナ様の近くにいると貴女に危険が及びます。ですから、アルスは魔法が意のままに使えるようになるまでフィデスに教えを仰ぐことになりました」
「……それで、アルスはいつ戻ってくるの?」
「分かりません。アルス次第です。数ヵ月か、数年か……」
「何年も!? 冗談でしょ? そんなにアルスに会えないの!? アルスが魔法を使わなければいいんでしょ!? だったら――」
「カイナ様。アルスの魔法器官は特に優秀です。アルスの感情の変化にとても敏感に反応してくれます。馴れれば威力も桁違いですが、不馴れな今は感情の動きですぐに暴走します」
「嘘、だって今まで全然使えてなかった――」
「カイナ様、それは本当てす。さっき、私の持っていた魔晶が壊れました。それに
「あ……」
それははっきり覚えている。その直後だ、アルスが想像以上の魔法で
「そして、カイナ様、貴女はアルスが最も感情を動かされてしまう人です。アルスはそれが分かっているから一度貴女から離れたんですよ」
「なによそれ……。なんで私の知らないところでそんな話になってるのよ!! 近付かなければいいんでしょ!? 離れているからアルスをよんで!」
誰もそんなカイナの希望には応えようとはしない。
「いいわよ! 自分で行く!!」
ベッドから勢いよく飛び降りて廊下に出ようとするとユースが入り口に立ちはだかりそれ以上のカイナの自由は許さなかった。
「どきなさいよ」
「ベッドに戻れ」
「もう体は何ともないわ! どけ!」
「駄目だ!」
「――っ、ならいい!」
直ぐにユースから離れて窓へといくと、ウィアが「カイナ!? 駄目!」と焦る声が聞こえた。
ここは一階ではないようで、窓から下を覗いたカイナは、再び足元が震えた。
「あ……」
ここは窓だ。昨日のように落ちることはないし、ユースとウィアがきちんと両サイドで体を支えてくれている。
「カイナ、しっかりして? ここは病院よ。ルイスツール領じゃないわ」
「ベト-リナ……」
「久しぶりね、その名前で呼ぶの」
「……」
「……カイ、ナ?」
一度窓の外から視線を外していたカイナは、微かに呼ばれた自分の名前に再び外を見た。
いつもなら父親の幻影が見えるところには、暗闇にも映える綺麗な緑色の髪の男性と、少し背の低い、片目が金色に輝く少年がいた。
「アルス!」
「カイナ――」
やっと会えた、やっぱり待っていてくれた、そうカイナがアルスを呼ぶと、再び呼ばれた自分の名前。
そして、すぐに街灯とは違う光が辺りを包むと、何かがはじけ飛ぶ音がして、一気に周囲が暗くなった。
先ほどまで外で光っていた街灯。それがアルスの周囲の物だけが砕けて消えていた。
下にいた二人は見えなくなり、金色の目も消えてしまった。
「アルス!?」
「カイナ様、今のが魔晶の上位権限です。分かりますか? 今のアルスには、カイナ様の隣で貴女に会えて嬉しいと思うことすら許されないんです。それを分かってあげてください」
「っ! そんなの……」
カイナは、窓に足をかけそのまま飛び降りた。
最早、父の幻影なんて見えもしない。
見えてしまうのは、自分を呼ぶアルスだ。
でも、それはすでに幻で、降り立った地面には誰もおらず、風でサーっと舞い散る魔晶の粉のみが、アルスがそこにいたことを証明していた。
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