第45話 だからそばにはいられない(三)
「こんばんは」
「フィデス……」
昨日は窓から出て行ったくせに今日はきちんと部屋の入り口からやって来たフィデス。その後ろには、一度部屋の中を見て目を伏せたアルスがいる。
「アルスくん!? 無事ですか?」
ロンガはアルスに駆け寄って、下を向く顔を手で挟んで上を向かせた。
「ロンガさん……。はい、平気です」
へにょ、と崩れるように笑うアルスは全くもって平気ではない。ロンガがフィデスをひと睨みすると、心外だとばかりにフィデスが口を開けた。
「別に彼には何もしませんよ。大事な子です」
「……ねえフィデス。どうしてアルスを連れて行ったの。フィデスが目をつけたのはロンガでしょう」
「最初はそうです」
「……最初とはどういうことです、フィデス」
「ああ、ロンガ、心配しなくていいですよ。私の取引に応じる見返りに提供した旧暦時代の技術はそのままで構いません。ですが、今度はこの子をもらうおうと思いまして」
「だから、どういうことです!」
飄々としたフィデスを睨むロンガ。だが、その二人も急に開けられた扉に思わず廊下を振り返った。
「カイナ!」
「ウィア、ノックはした方が――!?」
「おや、『とってこい』出来ましたね、ほめてあげましょう」
元気が有り余るウィアもさすがのフィデスに一瞬おののいた。だが、そこは本来持ち合わせる気質だろう、すぐさま噛みついた。
「……犬じゃないわよ!! それより、これでカイナを治せるんでしょう!? 早くして!」
「良いですよ。じゃあアルス、席を外しましょうか」
「ああ」
「アルス!? お前がどこに行くんだ!」
フィデスを威嚇するウィアの横にいたユースが、踵を返し病室を出ようとしたアルスの手首を掴んだ。
「放せ、ユース」
「そういう訳にはいかない」
「放した方がいいですよ『リガトゥール』のお坊ちゃん」
「……何故だ?」
アルスからフィデスに視線を移したユースは、余裕の笑みで見下ろすフィデスを正面から睨みつけた。
「おや随分とマシな目をするようになりましたね、『アイテール』のお坊ちゃんは」
「……僕の正体を知っているからなんだ? お前を常識で考えたらいけなことくらい分かる」
「おや、案外冷静ですね。昨日はあんなに迷っていたのに?」
「ふん、言っておくが昨日の事を言っても無駄だ」
「そうですか。ヴォルフがつくとアイテールも変わりますねぇ。まあいいです」
フィデスが差し出した手にウィアが瓶を置いた。
「さて、すぐ治して差し上げますよ。ただ一つ注意事項です。治療は魔素をもとにして臓器を復元します。しばらくはルイスツールのお嬢さんの体は、魔晶と同じ状態になります。そんな状態のお嬢さんの周囲で魔晶の上位権限を無暗に発動したらどうなるか分かりますか? 場合によっては一気に壊れますよ」
一気に壊れる、それはカイナの治した腹部が再度同じ状態に見舞われるということ。それが分かったウィアとユースは顔をしかめた。ウィアに至っては昨日を思い出したのか、口元を押さえて青くなった。だが、ウルたちはそんなフィデスの忠告など、どこ吹く風だ。
「そんなコントロールができないと思ってんの?」
「テネリとウル・ティムスにそんな心配してませんよ。ロンガも優秀ですからね、平気です。問題は彼ですよ。最近魔法が使えるようになったアルスです」
フィデスがアルスの肩に手をやるとロンガがその手を振り払った。
「のらりくらりとやっているから、彼の発達は遅いんです。随分と良い目を持っているのに非常にもったいないですね。周囲がアルスを守って庇った結果がこれです」
「……だからなんです?」
「ちょっと交換しようと思いまして。私とて折角治した彼女を殺すのは忍びない。私のもとにアルスを下さい、そして……」
アルスに寄り添っているロンガをフィデスは呆れた顔で見た。
「ロンガ、君はテネリ達のもとに。そうアルスとは話をつけました」
「何考えてんのよアルス! あんたには私が魔法を教えてあげるわよ! ちょっと気をつければ問題ないわ!」
いつの間にかジッとカイナを見ていたアルスは大きく深呼吸した。
「俺は……、カイナが安全なほうがいい。やることはどっちについても変わらないんだろう?」
アルスはフィデスを見上げた。
「そうですね」
「『そうですね』じゃないわよ! あんた、アルスに何させる気!?」
フィデスとウルが面と向かって睨みあった。噛みつきそうなウルに対して、噛みついてきたら殺すとばかり見た人間の息が止まるフィデスの目。その目でウルを見ながら、フィデスはウルに吐き出すように言った。
「何って、当たり前の事聞かないでください。魔法のコントロールをうまくつけさせるんですよ。残念ながら、アルスが魔法を使わないという選択肢はありません。ですが、彼の感情に任せて使わせたら、すぐにルイスツールのお嬢さんは死にますよ。アルスが魔法をうまく使いこなせるようになるまでの話です。そうすれば、魔晶から石炭へのスイッチも楽勝です」
「それは、あんたがただ石炭の研究がしたいだけでしょう!? それにアルスが好都合なだけよ!」
「それはいいことのはずですよ? 人がエネルギーを手にするために魔晶を石炭に作り替えるのは、ウル・ティムスだって望むことでしょう。適材適所ですよ。それに、ロンガとルイスツールのお嬢さんは一緒にいた方が今後の為だと私は思います」
「どういう意味です……?」
「さあ?」
ワザとらしくとぼけるフィデスに、何一つ変わらない声がかかった。
「ねえフィデス、一つ聞いていいかしら」
「おや、何ですか、テネリ」
コロッと変わる表情は、昨日話を聞いていたときと同じだ。
アルスは傍観しつつ、フィデスにとってテネリが特別なのだと改めて知った。
「どうして、そんなに魔晶から石炭を造るのに熱心なの?」
「……単に興味です。私が知らないところで魔晶なんて造り広まらせた『独裁王』。その思考を暴きたいんですよ」
「……あんた、とことん私が憎いのね」
「今更です。もし、テネリがウルを指名していなければ、さっさと殺していましたよ」
「ああそう。アルス、フィデスはこんな奴なのよ!? それでもフィデスにつくの?」
「ああ」
アルスは頑張って、務めて冷静に返事をする。あまり長く喋ると、つい感情が湧き出てきそうだ。
そんなアルスを見てか、フィデスがため息をついた。
「ちょっといいですか? なんか、皆さん揃って深刻な顔になってますけど、別に監禁しようとかそういう話じゃないんですよ。ただ、テネリにつくか私につくかの違いなだけです。今生の別れでもないのに大げさです。ま、話は以上ですね。アルス、先に帰っていてください」
「分かった。じゃあな」
「おい、アルス!?」
さっさと病室を出たアルスは、廊下の端でユースに捕まった。
ウィアはユースの後から追いかけ、険悪な二人を前にしてどうしたものかと固まった。
カイナが大怪我した時のように騒いでくれれば止めやすいものの、こうも、深刻にお互いが話し出さないのはどう場を収めていいのか分からない。
気まずい空気。それは、ユースが話し始めたことでようやく動いた。
「……アルス、本当にカイナに会わずに帰る気か」
「ああ、しばらくカイナには顔を見せない」
「本気か!? お前、カイナが心配じゃないのか!? 目を開けたときにアルスがいなかったらカイナがどう思うと思ってるんだ!」
ユースがアルスの胸倉をつかんで顔をあげさせると、アルスは抵抗せずに首を振った。
「駄目なんだ……。気が昂ると無意識に魔法器官が動くみたいで……。フィデスのところでも、自分では魔法を使ってるつもりがないのに、何個も魔晶が粉々になった!」
そうアルスが叫ぶと、ウィアの胸元が光り、中に下げていた鍵に埋め込んだ魔晶が砕けた。
「え!? 嘘でしょ!」
「だからカイナには近づかない! カイナはユースがついているだろう。ウィアもいる。問題ない」
「いいわけないだろう!? お前、カイナのお付きはどうした!?」
「それは、さっきルイスツールに行って辞退した」
「何勝を勝手にやってるんだ!?」
「カイナを怪我させたことで、ウィリデスさんもそれが当然だって言ってたさ。もともとあまり役にたってない。ユースがいた方がいいだろう」
「……そうかい、アルスはそれで後悔しないな」
「なにをだ?」
「アルスが自分からカイナを手放すなら、遠慮はしない」
「ユース?」
ユースはアルスから手を放し、困惑した表情のアルスに冷たく言い放った。
「戻ってきたときに、カイナの隣にお前の居場所があると思うなよ」
「……ユース様」
「……ユース、お前。それ、どういう意味だ」
その問いかけにユースは答えなかった。
すると、その直後、病室から「カイナちゃん!!」と叫ぶウルの声が響いた。
「じゃあな」
さっさと、踵を返し病室に向かうユース。その背中を少し見て、アルスも踵を返し一度も振り返らずその場を後にした。
二人の間でウィアは自分の胸元を握りしめた。
鍵に埋め込まれた魔晶が砕けた。
アルスとユースが決別した。
ユースがカイナを選んだ。
「どうしよう……」
最早、自分がどれに対して出した言葉か分からないウィアは、青い顔をしてしばらくその場で固まることしかできなかった。
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