第44話 だからそばにはいられない(一)
アルスが目覚めたのは、日が昇りそして沈み、すでに辺りが暗くなったころだった。
覚えのないベッドの上で寝ていたアルスは、寝汗がしみ込んだ衣服を脱ぎ、ベッドサイドの椅子に掛けられいた自分の服に着替えると部屋を飛び出した。
―――――
昨夜、カイナのもとから連れて行かれた先は、魔晶が高く積まれた山が三つある倉庫だった。
「……なんだここ」
「カリブ・クルスの石炭研究所ですよ。私がここに君を連れて来た目的は二つ」
アルスを放したフィデスは、魔晶の山をバックにしてアルスに指を一本突き出した。
「まず一つ目は、君に魔晶から石炭を作り出して欲しいということ」
「……それはウルにも言われた。お前たち同志か?」
「違いますよ。確かに望む先は同じですが手を取り合って仲良くやっているわけじゃありません」
無表情でそう言い切ったフィデスはもう一つ指を立てた。
「そして、二つ目、悪王の名を私の手に持ってきてください」
「それも似たような事を言われた。悪王の再来からその名をもぎ取れ、とかそんなことを。それもウルからだ」
「そうでしょうね、私とウル・ティムス。正確に言えば、私とテネリの目的は同じですから。問題は、『フィデス』か『テネリ』かということですよ、アルス・ラザフォード」
「同じものを巡って対立しているってことか?」
「そうです。私は最初ロンガ・タイムに目をつけました。ですからテネリ達は、私はロンガを自分の駒として使う、そう考えているはずです。まあ、実際私もそのつもりでした、ほんの一時間前までは」
フィデスがアルスを見る目がほんの少しだけ揺らいだ。恐怖を感じるというよりは、憐れんでいるような目。その視線を受けてアルスは顔が歪んだ。不快なフィデスの視線を睨んで「そんなことない」と自分に言い聞かせて。
「どういうことだよ」
「話は簡単です。これは代理戦争みたいなものです」
「代理?」
「ええ、まあ事の発端は、私とテネリです。五千年前の事ですよ。ちょっと大人しく聞いてくださいね」
五千年前。
その時代まだ人は魔法が自由に使えた。
自然も動物も、人さえも魔法で操ることができた人間。
そんな彼らはその力で、怪我や病の恐怖に怯えることはなく、そして寿命という概念がない永遠の命を享受していた。
しかし、そこに一つの病が流行りだす。
魔法が効かないその病。
その病をきっかけに、人は魔法と永遠の命を手放した。
その病をもたらしたのは、当時『稀代の天才』と言われた『テネリ・タース』という人物。それ故に彼女は人の寿命を規定した『絶命王』と呼ばれ最初の悪王と言われた。
それが世間の常識だ。
「ですが、大事なことが抜けています。途中でテネリは日和ってしまい病の流布という計画を止めようとしたんです」
「……テネリってウィータさんだよな?」
「ええ、そうですよ。彼女は意外と弱かった。それを引き継いだのは私です」
テネリが己の過ちを償おうとしたのをフィデスは止めた。そうして、テネリから病の元となる物質を奪い世界に流布した。テネリはその際一度フィデスの暴挙を止めようとして力尽きてしまった。
そうして、邪魔するものがいなくなったフィデスは、病を流布し、世界に混乱をもたらした。
「私とテネリは常々、『魔法がない世界をみてみたい』そう話していました。だから私は混乱の中、世界に問うたんです。私の魔導医としての腕を疑わない人間は私の言葉を信じるしかありませんでしたよ」
「何て言ったんだ?」
そのアルスの問いかけに、凄惨な過去を懐かしそうに語っていたフィデスの顔から感情が消えうせた。
「『魔法を手にしたままの死か、手放しての生か。生きたいならば魔導師として一度死ね』」
一切の抑揚のない平坦な声でフィデスはそう言った。
そしてすぐにコロッとまた懐かしそうな口調で過去を振り返った。
「そう私が世界に迫った結果、特別な能力を手放さず死んだ者もいましたが、ほとんどが魔法を手放す選択をしましたよ。そうして、長い年月をかけて徐々に魔法を人の手から切り離していったんです。つまり、本当に人に寿命を規定したのはこのフィデスで、テネリが悪王と罵られる意味がありません。彼女は私を止めようとしましたから」
やれやれ、と困ったようにいうフィデス。だが、今の話はおかしい。これでは、フィデスがテネリを庇おうとしている、そう聞こてしまう。
「お前とウィータさん、仲悪いんじゃないのか」
「これは仲が良い悪いという問題じゃありません。どちらが悪の名を引き受けるべき存在かの問題です」
「悪を引き受ける?」
「テネリが悪王だと言われ始めた時、すでに人に植えついてしまったその思想は変えられませんでした。ですから私は後世の人間にこう言いました『人が全てを手放す時に、悪王はまた現れ、全てを奪う』と。最後に私が出て行けばそれまでの歴史も覆る、テネリが悪王という事実も変わります。彼女が目覚めた世界でテネリが悪王だと罵られていたら悲しい。そう思ったんですよ」
もし、少し前のフィデスが喋ったならアルスは「嘘つけ」と切り返せただろう。
だが、先ほどからテネリを気遣うフィデスの話と彼の表情はアルスに『嘘』という考えを抱かせるようなものではなかった。
ほんの少し、胸が締め付けられる。
どうして、話を聞いている自分が悲しくなるのか、それがアルスには理解できなかった。
「お前は、テネリを、殺したんじゃないのか?」
「瀕死の重傷は負わせましたが、私に治せないものはありません。怪我は治し、眠らせて、魔法という魔法がその名残も全て消えたときに起こしてあげようと思いました。言ったでしょう、『魔法がない世界を見てみたい』私たちはそう話していたと」
そこまで話してフィデスの表情が一変した。
その変化にアルスの肝も冷えた。
今までに見せたことのない、得物を射殺すような冷たい目。それがアルスに突き刺さった。
「でも、ウル・ティムスのころから、テネリが邪魔して来たんです。折角瀕死のところを助けて、彼女を上手く寝かせておいたのに、ウル・ティムスがテネリを見つけてしまったんですよ。そうして、テネリは目を覚ましてしまいました。それが悔しい……。テネリが起きたときに彼女の評判は地に落ちたままでした」
ギリ……、と唇を噛み締めたフィデスに、アルスは恐る恐る訪ねた。
「それで、なんでお前とウィータさんが対立するんだよ?」
フィデスの表情は一変し、再び昔を思い出す懐かしそうな顔に変わった。よくコロコロと変わるものだ。今度はため息までつけて呆れた口調に変わったフィデスにアルスはホッと胸をなでおろした。
フィデスにとって『ウル・ティムス』は禁句で、『テネリまたはウィータ』は感情を柔和にさせる名前のようだ。
「テネリは頑固でして、最初に事を始めたのは自分だと、だから『私が悪王』そう譲らないんですよ。なのですべてが終わるこの世界で決着をつけることにしました。私とテネリでは魔法対決になりますが、どう考えても私が勝つんです。それではフェアじゃない。ですから代理を立てることにしました」
「それがロンガさんと俺か?」
「ええ。私は最初ロンガを見つけて、医師として自分と似た立場の彼が丁度良いと思いました。ロンガは優秀で魔法に関しても問題なく覚えてくれました。でもアルス、君は違う。ウルやテネリは甘いんですよ。幼い頃見つけた君に情が移って運命を強いることをしなかった。最近やっとテネリが強引に君を導いたみたいですが、甘いですよ」
「……」
「それ故に、今、問題があります」
「なんだ」
「ルイスツールのお嬢さんと君は一緒にはいられません。離れる覚悟をしてください」
急に話が自分たちになった。しかも、アルスには到底受け入れられない事だ。
「どういうことだ!?」
「君がルイスツールのお嬢さんに近づけば、ふとしたきっかけで彼女は死んでしまいますよ。なんせ彼女は――」
「適当なこと言うな! そう言えば俺が大人しくしていると――」
アルスがフィデスに掴みかかると、フィデスの背後の魔晶の山のうち、一番近いものが突然発光して音をたてて砕け散った。ちょうど、
「な……」
「ほら、こうなるんですよ」
「どういうことだ!」
アルスが再び叫ぶと、また発光と共に魔晶が砕けた。
「これからルイスツールのお嬢さんを治します。使うのは魔素です。そうすると、彼女の体に魔晶の力の元である魔素が蓄積して彼女が魔晶のようになります。魔晶の上位権限は知ってますね? 上手く魔法器官がコントロールできないと、勝手に『壊れろ』と命令が起きるんです。それが彼女に伝わったところを想像してください。死にますよ、君の大事な彼女は」
「……そんな」
「先ほどまでは、ここにいても魔晶はなんともなかったのに……。おそらく感情が昂ると自然と魔法器官が動くんでしょう。うまくコントロールしないと彼女に近づくのは無理ですよ。その為には、きちんと魔法の制御が必要です。その練習、テネリ達のもとでやりますか? 治ったルイスツールのお嬢さんの近くで」
「そ、そんなこと……」
「できませんよね? ならどうします? テネリやウル・ティムスでなければ、誰に教わりますか?」
他に選択肢はない。にもかかわらず、アルスに言わせようと不敵に微笑むフィデス。すでに、アルスはフィデスの敷いたレールの上だ。それでも、と最後の抵抗、無言を試みていると、フィデスがたたみかけ始めた。
「別に悪いようにはしませんよ。アルスの魔法が上達して、きちんと魔晶を石炭に作り変え、魔法の時代に終止符を打つ。それだけでいいんです。あ、魔晶を人から切り離す時は悪っぽくしてくださいね。インパクトは大事だと思います」
「……」
「悪王の再来らしくエネルギー源の魔晶を奪ってください」
「……お前、『石炭研究のカリブ・クルス』を演じてただろう。なぜ、そんなことしてるんだ」
悪と言いながら、魔晶に代わるエネルギーを研究するなど、随分と気前のいいことだ。
そんなフィデスの表情は再び冷ややかなものに変わった。
「ウル・ティムスが魔晶だなんてものを知らぬところで造っていたからです。個人的に彼女は今すぐにでも死んでほしいですよ。でも、テネリが目をつけたんで生かしているだけです。その彼女が開発した魔晶がどういうものか暴いてやりたい。ついでに石炭に作り変えれば世の為です」
「……お前、やってることと言ってることがバラバラだ。人をどうしたいんだ?」
「言ったはずです、私とテネリは『魔法がない世界を見てみたい』そう常々言っていました。それを実現するのに必要な要素は『是』で、逆行する要素は『否』なんです。そして、悪王はフィデスが『是』、テネリは『否』です」
「どうしてそこまで……」
「簡単です、君がカイナ・ルイスツールのことを思うように私はテネリが最優先なんですよ。それ以外はどうでもいい」
「お前……。ウィータさんのこと、その……、好きなのか?」
「好きかと言われると難しいですね。私とテネリの関係は他の人間の関係とは違います。ただ……、どうでもいい人のために私だって五千年は生きていないですよ。テネリを助けず、自分も死ぬという選択肢だってありました。まあ、とにかく、君はルイスツールのお嬢さんが好きだと間接的に口にしましたね」
「だ、だから何だよ」
結局フィデスの敷いたレールからは逃れられなかった。
「そのルイスツールのお嬢さんのために君はどうしますか? 誰に魔法の教えを請います?」
「……お前しかいないだろう」
「なら私の条件をのみますね。君は私の代わりに、テネリとロンガから悪王の名をもぎ取ってください」
「分かった」
「では確認ですよ、『悪王の再来』は誰ですか?」
「……俺だろう」
「上出来です」
そうして一通り話を聞いたアルスは夜が更けるまで倉庫から動かず、明け方フィデスが無理矢理眠らせてベッドへと運んだ。
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