第42話 通路(一)

 船着き場は立派なもので、他にも船が停泊しており管理のための設備もある。周囲には飲食店や民家が軒を連ねており、人がいれば活気がありそうだ。

 だが、今は静まりかえり草が道まで侵食している。


 その事実に、いま壁際地域で流行っている病の不気味さをウィアとユースは身をもって体験していた。

 二人とも、中央区にいる間は壁際地域からは隔離された生活をしていた、それは今アルビオンで起きている人間大多数にもいえることだ。


 随分安全な場所にいたものだ。

 守られている、それゆえに、事態の本質を知らない。

 自分の立場ではあってはならないことだと、ユースは己を恥た。

 そうして、道から窓を除いたユースはその中で机に臥せる人を見て足を止めた。


「本当に寝てる……」

「三か月もこの状態なんですよね」


 先を行くウィアは振り返らないが窓に映った顔は険しかった。自領の領民の様子を目にしてやるせなさを感じない領主はいないだろう。ましてや、ウィアのヴォルフ領の家も同様な事態のはず。起きている家族はいない、そのウィアの事実にユースは改めて自分を重ねた。


「でもおかしいと思いませんか。どうして皆さんただ寝ているだけなんでしょうね? 普通、三か月も飲まず食わずだなんて、生きられないと思いませんか?」


 そういうと、ウィアは別の民家のドアを開けた。


「みんな寝ているだけです……。確かに少しやつれていますけど、でも三か月も何も処置をせずこのまま放置で生きていられるなんて、おかし過ぎると思うんです」

「確かに……」

「一体何なんでしょうね、この蒔夢病ソムニウムって。病院でタイム先生は自分が治すと言いましたけど、本当に治せるんでしょうか……」


 ウィアはユースにそう話しかけてきたが、特に答えは求めていないようだ。ユースが返答に詰まっていると「行きましょう」と歩き出してしまった。


 静まりかえった街。


 来る船の上とは違いウィアが沈黙してしまい、この場に響くのは二人の足音だけ。時折風で草がこすれる音が不気味に響き、それが木の葉のざわめく音に代わると、目的の場所の近くになる。


 アルビオンの最南端アイザーン。その壁にポッカリと口を開ける、人が三人横並びで入れる洞窟。

 入ってもすぐに出て来てしまう、通称『アイザーンの出戻り洞窟』。


「ここです、ここが出戻り洞窟、正式名称『王家の祭礼窟』です」


 壁にポッカリと穴が開いているだけ。ここが祭礼窟だと示すものは何もなければ、周囲に警備設備もない。ただ自然のまま存在するその洞窟の前で、ユースは自然と背筋が伸びた。

 今まで何人ものアイテールの人間がここに入た。父親もまた然り。そして、今度は自分がそこに入る。目的は今までの国王とは違うが、同じ道を辿ることになり、ユースは兄を思い出した。

 本当なら、兄がここに立つはずだっただろう。


 その思考が頭をよぎってしまった。


「ユース様? 行きましょう! 中では絶対に私から離れないでください。私より前に出たり、人一人分以上は離れないで下さいね。もし、外に戻って来てしまったらそのまま待っていてください、お迎えにあがりますから。さ、お手をどうぞ」


 そうウィアに手を伸ばされた。


「だから……」

「もう、男女逆は聞き飽きました! 行きますよ!」


 手を伸ばすのを渋ればウィアに手首をつかまれそのまま洞窟内に引っ張られた。


 迷うことなく自分の手を引くウィアの背中は今まで以上にしっかり大きなものに見え、それが兄に重なった。それを見て、ユースは思わずウィアの手を振り払った。


「え、ユース様?」


 急に手を振り払われたウィアが振り返り不安げな視線を向けて来た。しまった、と、一瞬ウィアから離れたユースは次の瞬間、暗い洞窟から一転、洞窟の外へと一歩踏み出していた。


「え?」


 何がきっかけか分からないが、これが噂の『出戻り』だ。

 後ろの洞窟を振り返り、呆気にとられたユースは、唸り声を聞いた。


「ユースさまぁぁぁ?」


 ユースに続いてすぐにウィアが洞窟から出て来た。その顔は額に青筋が入っている。


「……言った傍から何してらっしゃるんでしょうか? 正当な理由を述べてくださいね?」

「あの、すまない……」

「もう!! 手をつなぐのが嫌なら、離れずついて来てください!」


 そう一人で怒りながら洞窟に戻っていくウィアを見送ると、再び唸り声が聞こえて戻ってきた。


「……入る気がないなら、そこでお待ちになりますか、『殿下』?」

「いや、ちゃんとついて行き、ます」

「早くする!!」

「わ、分かった!」


 慌ててウィアの隣に並ぶと、ウィアが足元を指さした。


「説明しながら行きますから、ちゃんと聞いててくださいね。ここは前座です」

「前座?」

「足元に魔晶が埋め込まれているのが見えますか? この魔晶の半径五十センチ以内にしか前に進む道がないんです。それ以外はウル・ティムスの魔法で外に強制送還ですよ。さっき、ユース様はその五十センチから出たんです」

「それを先に言っといてくれ」

「だって本当の洞窟では通用しませんもん」

「本当の洞窟?」


 薄暗い洞窟、足元の魔晶から離れないように進むユースとウィア。足元に気を付けて進むと前を行くウィアが立ち止まった。


「この洞窟は三つのエリアに分かれています、まず今まで歩いていきた導入部。誰でも通れますが道を外れれば戻されます」


 ウィアは首元にかけているネックレスを引っ張った。そこには魔晶が埋め込まれたカードがついている。


「次、この鍵がないと入れないのがこの先です。二番目のエリアは、一定の知識とこの鍵があれば何とか行けます。さ、どうぞ」


 ウィアが、壁の三か所に手をかけるとその部分がスライドし、魔晶が埋め込まれた窪みが現れた。そこにカードをかざしたウィアは、現れた取っ手を引き、いともたやすく目の前の壁を開けてしまった。

 そして、中に入るとすぐさま退路は断たれた。


「……真っ暗なんだけど、ウィア」

「そうじゃないと困るんですよ。あ、ユース様、右側見てください」

「右って言われても……」

「右側、小さい赤い光が向こうから来るのがわかります?」


 目を凝らせば、確かにゆらゆら揺れながら次第に大きくなる赤いものがこちらに向かってやって来る。真っ暗の中で唯一見える赤い光は何とも異質で気味が悪い。


「あれが頭上を通ったらその下をついて行きますよ。そうすると次に緑の光と交差する部分があるのでそうしたら緑の光について行きます。赤緑青の順で繰り返しているとそのうち白い光に出会うので最後はそれを追いかけて終わりです。さ、行きましょう、う!?」

「っ!?」


 行きましょうと言われたので行こうとしたらウィアと激突した。暗いんだから仕方ない、そう思ったら急に周囲が明るくなる。後ろを振り返れば洞窟だ。とすると唸り声が聞こえてくるのも仕方がない。


「……ユウスさまぁぁぁぁ!?」

「いや、今のは……」

「ぶつかった衝撃で道から飛び出たんです! もう! 大人しく私に手を引かれてください!!」

「……はい」


 今度はしっかりウィアに手首をつかまれて連行される形で洞窟に入った。原理が分かれば簡単だ。この洞窟はウル・ティムスにより、侵入者が排除する仕掛け、つまり魔法が施されており、誘導のために仕掛けられている魔晶から一定の距離を置くと魔法により外へと強制送還されてしまう。床の魔晶、頭上の魔晶がその誘導魔晶で、それを辿ればいいらしい。


「まあ、確かに分からないと難しいが、原理に気付けば簡単だな。あと、そのウィアの持っている鍵か」

「そうですね、ここの、二つ目のエリアまではそうです」

「三つ目は?」

「こちらです」


 頭上の白い光から目を離さぬよう、そしてウィアに従って進むと足元が急に、ジャリ、と音を立てた。


「なんだ?」


 一瞬足元に目をやり、前を見ると、あっという間に水辺に立っていた。頭上から優しい光が降り注ぎ水面を照らしており、今までの圧迫された空間とは違って清々しい空気が美味しく感じる場所だった。


「ここは……」

「ここは休憩所ですよ。フィデスが言っていた『シンケールス時代の遺産』はこっちです」

麻果実ソムニポーム栽培に使っていた肥料だろう? やっぱりここの物だったのか……」

「そうみたいですね。まさかとは思っていたのですが……。一体誰がここから持ち出したのか……。ユース様も知ってたんですね」

「ああ、文献で読んだことはある。ウル・ティムスのいた『フィーニス』よりも前、『シンケールス』の時代。その時代に造られた植物育成のための特殊肥料だろう。それなら、麻果実ソムニポームが一日で苗木から実をつけるのもうなずける」


 湖を半周すると桶くらいのくぼみに透明な水が溜まっていた。そして、その天井をウィアが指さした。


「あそこから落ちてくる水に、この地層にある『魔晶』の成分がしみ込んで『魔素』入りの水ができるんですよ。それが『シンケールス時代の遺産』です。あっちから染み出ているはずです」


 ウィアが地面をなぞって少し斜面を下ったところを指さした。そこにあるのは塗ったような青い水溜まりだ。


「湧き出ているけど、色が変じゃないかい? 一度見たのはほんの少し水色がかった水だった」

「ここすごい水深が深いって父が言ってました。だから溜まっているのを見ると色が濃く見えるみたいです。試しに掬ってみるとほら、こんな感じです」


 そう言ってウィアが手で水を掬うと確かにほぼ透明な水だった。


「へぇ……」

「とりあえず、これはこっちに入れて……」


 フィデスから受け取っていた小瓶の蓋を開け、ウィアはその青い水溜まりの中に手を入れた。瓶からはコポコポと空気が出ており、入れ替わりに中に水が入っていく。十秒、二十秒とそのままにしているウィアの首が傾いていく。


「うーん?」


 長い、長すぎる。すでに二分はそのまま水の中に手を入れているが、一向に空気と水の入れ替わりが終わる気配がない。


「……確かにフィデスは見た目の容量以上に入るって言ってましたけど……。どれだけ入るんですかね、これ」

「……さあ? 重くないかい?」

「今のところは、水の中なので……」


 待つこと十分以上。やっと、空気がこと切れてウィアは水面から手を抜いた。


「……意外と軽いですね。不思議すぎます……。ま、いいか。ところでユース様、空になった水筒にここの水入れてくれませんか?」

「良いけど、どうしてだい? 持って帰るのかい?」

「まさか! そんなことはしませんよ。折角来たんだからもうちょっと奥を案内します! それにはここの水を持って行った方がいいんですよ」


 ウィアに急かされて水筒を水に入れればすぐに満タンになる。やはり、水が特殊というよりはフィデスの容器が特殊なのは間違いない。思わず考えそうになるユースにウィアが嬉しそうに声をかけてきた。バッグをかけてその中に水筒をしまい、「早く早く!」と急かす様はピクニックだ。


「どこに行くんだい?」

「洞窟の最奥です! 今度は私の後ろをついて来てくださいね!」

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