第40話 それが役目(一)

 アルビオンの南部地域。その最南端はウィアの故郷ヴォルフ領。中央区から列車を乗り継ぎ数日かかる行程をウィアは半日で到達すると言い切った。


 貴族街の門を出た二人は、中央区の街の駅向こうまで歩き中央公園近くにある川にやって来た。この川は中央区と南部地区を隔てる大河へと流入している。その川のサイドにある石畳には船着き場を管理する小屋があり、ウィアはその小屋の主と話すと鍵とケースを持ってやって来た。


「船はこっちですよ」


 そう意気揚々と進むウィアが乗り込んだのは人が二、三人乗れそうなボート。船と呼ぶには小さいサイズのものだった。


「これで行くのかい? ずいぶん心もとないが……」

「大丈夫ですよ! ほら、この船、魔晶を動力にして動くんですよ。行きはもちろん帰りに川を上るのも大丈夫です!」


 そうボートの後部にある箱を開けて魔晶をセットするウィアは手際がいい。


「中央区から流れ出る河川のうち一つは、アイザーンの壁へと流れ込んでます。流れに身を任せれば着きますよ。何の問題もありません」

「随分自信があるんだね。何故そこまで言い切れるんだい? そのボートにも手慣れてそうだ」

「……」

「なんだい?」

「絶対に怒りません?」

「……怒られるような事なのかい?」

「いえ! 必要なことでしたよ! ヴォルフ領からよく出て色んなところを見て回ってました。中央区からヴォルフ領に帰るのに、この川でアイザーンまで行くんです。通い慣れてますから、心配はいらないですよ!」


 ウィアはそう胸を張った。

 だが、ウィアの口から出た言葉は、非常に聞き流せないものだった。


「ウィア、君たち家族はヴォルフ領から出ないんじゃなかったのか?」


 ヴォルフ領にいるようにとアイテールに言われ、ヴォルフに近づく貴族も、アイテールによって彼らに危害を加えない者のみと制限されたはず。


「『ベトーリナ・ヴォルフ』はそうですが、『ウィア・フォリウム』は違います。いろいろとアルビオンを見て回ってました。楽しかったですよ! 北部の鉱山地帯の機械化は圧倒的でしたし、東部の自然は観光地域ということもありとっても綺麗でした! 実はアルスの故郷の西側の壁際の村、ブライトにも行ったことがあるんですよー。あそこは林業や酪農が盛んで長閑のどかないい村ですよ」

「つまり、偽名を使ってアルビオン中を飛び回っていた訳かい?」

「正解です! 『百聞は一見に如かず』です! 我がヴォルフにとって、世界を知ることは必要不可欠ですから。使えない『しるべ』じゃ意味ないでしょう?」


 揺れるボートに軽やかに乗り込んだウィアがユースに手を出した。笑顔で「どうぞ」と差し出される手にユースは複雑だ。


「普通逆じゃないかい……」

「そうですか?」


 少々シュンとして手を引っ込めかけたウィアに手を出せば嬉しそうに「どうぞ!」と再び手を出してきた。川を行くのに日差しが照っているため麦わら帽子をかぶるウィアによく似合う笑顔だ。ユースは自分の調子が狂うが不快じゃない、そんな不思議な感覚に戸惑った。


「まあ、いいか……」


 そう自己解決したユースの視線の先では、ウィアがボート後部の動力部に手をかけた。


「さ! 行きましょう!」


 繋いであるロープを外し、小屋の主から受け取った鍵を回せば川の流れに従って速い速度でボートが流れていく。

 後部から出る飛沫をあげて走る様はボートというより確かに船だ。

 ウィアは後ろで、帽子が飛ばないように頭を押さえ舵を取っており、ユースはそんなウィアと左右の景色を見比べて忙しく頭を動かした。


 五分ほどボートで進みより幅の大きな川に出る。それを数回経て、中央区と南部地域を隔てる大河へと入り込んだユースは思わず顔を覆った。


「なんだか、いつもより日差しが強い気が……」

「強いですよ。多分、王都下水路クラウンの氷を溶かしたいんだと思います」

「溶けるものなのかい?」

「分かりません。もしも溶けたらこの辺の水嵩みずかさが増すはずなんですけど、変わっていないのでまだ溶けるには至ってないと思います。そもそも、アルスが魔法で凍らせたんですよね? 気温をいじって溶けるのかも謎ですよ」

「アルス……」

「一体どこに連れて行かれたんでしょうね……」

「カイナを治させるのもそうだが、フィデスにアルスを連れてこさせるためにも早く『シンケールス時代の遺産』とやらを採って帰るよ、ウィア」

「はい!」


 川を下る間、ウィアによる説明でユースは退屈しなかった。父親と何度も通ったことのある川やその近隣の村にウィアは詳しく、「あそこの村の魚料理が美味しいんですよ!」とか、「あの村の宿屋はぼったくりです!」だ、「あそこの林には絶滅危惧種に指定されている鳥がいて一見の価値ありです!」とか、「あの村のお祭りは絶対に参加したくない……。なぜか男性が皆脱ぐの!! でも、伝統工芸の織物は見事でした!」など喜怒哀楽豊かに話してくれた。

 最終的に、「あ、のど渇きました? お茶飲みます? お菓子もあります! お弁当はもう少し後です!」と、もはや遠足としか思えない和やかさだ。


「水筒のお茶なんでユース様にはちょっと失礼かもですが……、どうぞ!」


 そう渡されて一口飲むと、美味しい。風に当たってしばらくウィアと話していたからのどは結構渇いていた。つい飲み干しそうになり自制してウイアに返すと、受け取ったウィアが「あ」と急いで水筒をしまった。


「ちょっと揺れます! でも、ここを過ぎるとヴォルフ領ですよ! だから注意してください。『壁際地域』です。もしも、動いているものがあったら、最大限の注意を、ユース様。そして、不用意に何かには触れないでください」


 ウィアの声のトーンが先ほどまでとは打って変わって低くなった。


『壁際地域』そこで流行るのは『蒔夢病ソムニウム』。皆寝ており、起きているものはいない。そして、一体何故そんな病が流行ったのか未だに謎だ。

 もしかしたら自分の身にも降りかかるかもしれない。


「ユース様。万が一私が起きなくなったら、私の事は放って、この川を上って中央区へ戻ってください。最悪、中央区まで行けなくても、ヴォルフ領の一つ内側にあるカイナのルイスツール領へ行けば平気です。そこは鉄道がまだ生きていますから。船の動かし方は簡単です。船尾の箱のここがスイッチで、鍵を回せば動力源の魔晶が動き出します」

「……分かった。だが、万が一僕が眠ったら、ウイアは僕を置いてすぐに引き返せ」

「何言ってるんですか! きちんと連れて帰ります!」

「同じだ、ウィアを置いて帰る訳ないだろう。というか、そんな事態にはさせない」

「ユース、さま……」


 そう呟いたウィアの声にユースは違和感を覚えた。声がかすれて思うように出ていない。喉を押さえて少々喋りにくそうにするウィアにユースの背筋に悪寒が走った。


「どうした? 喉がおかしいのか!?」

「え、あいや、これは……」


 岩場に差し掛かり上下左右に大きく揺れるボート。思わずボートにしがみついた二人だが、ほどなくして、なだらかな水面になったところでユースはウィアに迫った。


「ここに来て急にどうした? 体調は? まさか眠いのか!?」

「いえ、違います。 ただちょっと……」

「なんだ!?」

「喉が渇いたなぁ、と」

「……水筒があるだろう?」

「あ、一個しか用意してなくて」

「? まだ入ってるぞ」


 視線を彷徨わせてしどろもどろになるウィアの顔が若干赤い。


「その、コップは持ってきてないんです……」

「コップ? そんなもの別にいらないだろう。……あ、ウィア、まさか僕が口をつけて飲んだから嫌なのか?」

「嫌とかじゃないですけど!! ちょっと抵抗が……」

「つまり、僕の後じゃ飲めたもんじゃないと?」

「そうじゃないです!! ただ……」


 赤くなり口ごもるウィアの言いたいことは良く分かった。ユースは水筒を掴むとふたを開けウィアに差し出した。


「飲め」

「え」

「変なところで恥ずかしがるな」

「ユース様は恥ずかしがってください!!」

「何故?」

「何故、って……!!」


 ウィアがショックを受けたように固まった。「どうせ私なんか……」と、ぶつぶつ言い始めてしょげてしまった。


「……何やってるんだい。体調が悪くなくてよかった。ほら、さっさと飲むんだ」

「分かりましたよ!! もういいです!」


 ユースから水筒を奪うとウィアは一気に飲み干し「ぷはっ」と口から声が出た。


「ウィア、豪快だな……」

「もういいんです! いいんだもん!」


 ウィアは証拠隠滅とばかり水筒をバッグに突っ込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る