第38話 後悔と肯定(二)

 ウィアは逃げていた。

 ユースから。


 ルーフス邸の庭の奥に入ってしまうと、フェルーノの部屋から本人がご登場。さらにそこからユースが飛び出してくる事態に陥り、入り口に向かって来た道を遡るウィアはそれはもう必死だ。


「どど、どうしよう! 邪魔しちゃった!!」


 別に何もしていないのに勝手に動揺したウィアは、それでも迷うことなく入り口に向かって進んでいる。だが、流石に初めて来たこのルーフス邸のショートカットは分からない。ましてや植物をかき分けて進むのは、ウィアには気が引ける。

 初見のウィアより、地の利があるユースだ。

 従って、このルーフス邸に何度も足を運んでいるユースが、木と木が密集している間から葉っぱを舞い散らせてウィアの行く手を阻むべく飛び出して来たのも無理もない。

 自分より先を行かれたウィアが、驚きと悔しさを詰め込んで叫んだ。


「うぇ、ユース様ぁ!? なんでっ!!」

「ウィア、朝から無駄にうるさい。彼女と一緒にアイザーンに行くのか? なら――」

「も」

「も?」

「申し訳ありません!!」

「は?」

「フェルーノ様とのお楽しみを邪魔して!!」

「……ウィア?」

「私は平気なんでどうぞ、戻って続きを!!」

「いや、続きって、フェルーノとの話はもう終わった。なにを考えてるんだ君は」


 ユースが少々乱れた髪をかき上げた。


「一晩慰めてもらって……」

「一晩? ……違う! 僕はさっき来たばっかりだ!!」

「……そうなんですか?」

「フェルーノには昨日の事を話していただけだ。カイナと、……兄上のことを」


 そう、ユースは目を伏せ、ウィアもとりあえず、ユースとフェルーノのことは頭の隅に追いやった。


 ユースが兄のアーラを助けたかったのは間違いない。それでも、葛藤した結果、カイナを選んだ昨日のユース。

 ウィアは、昨晩はその事実に安堵した。だが、今のユースをみていると、その安堵が間違いだったと思わざるを得ない。

 凛としているのが似合う、それが当たり前。そんなユースは、いつもより一回りくらい小さく見えるほど、自信が欠如している。


 ユースは自分の決断に疑問を抱いている。それか、他の心配ごとか、それとも後悔か。


 黙りを決め込んだユースにウィアは近寄りその顔を覗き込むが、ユースは目を合わせてはくれなかった。


「ユース様、大丈夫ですか?」

「ああ……」

「私、これからアイザーンに行ってきます。船は懇意にしている方がいるので自分で用意しますよ? だから、もう一度フェルーノ様のところにお戻りください」


 わざとフェルーノのことを蒸し返してみる。これで、「しつこい」、とか「いい加減にしてくれ」など反応があることを願ったウィアだが、全くの期待外れだった。


「ウィアは、兄上のことを知っているか?」


 ユースはちっともこちらの話を聞いてない。そのことに、若干悲しくなるウィアだった。


「……アーラ殿下のことですか? 一般的なことしか知りません。どのようなお方なんですか?」


 その言葉にユースはやっとウィアの顔をみた。少し目を細めて嬉しそうなユースが意外だ。


「兄上はとびきり優秀でなんでも出来るんだ。優しくて、芯も強くて、人望もあって……。父上から、ヴォルフと星空の絨毯ステラのことを聞かされていたのも兄上だ。……兄上が元気なら、ウィアは兄上についただろう。……フェルーノだってそうだ。兄上は何だって持ってた……」

「ユース様……。あの――」


 一変したユースの顔。一瞬で真逆の感情を呈したユースは、自分の顔を手で覆った。


「なかったのは、普通に生きれる身体だけだ! でも、兄上は泣き言一つ僕には言わなかった! 弱い部分なんて見せたこともない! どうして自分の身体が動かなくなるのを分かっていて、ああも強くいられたんだ!?」

「ユース様……」

「……ごめん、ウィア。折角君は僕の前に出てきてくれたのに、僕はどんなに頑張っても、兄上には追いつけない。……僕に兄上の代わりは無理なんだ……」


 亡くなった父親先王

 目を覚まさない優秀な兄第一王位継承者

 王の座を拐った義姉女王


 ユースが手本にすべき人間、したいと思う人間、それはもはや王宮にはいない。

 今王宮にいるのは、絶対的な権力を持つ現女王でありユースにとって最大の障壁だ。


 ウィアは、幼い頃から父や祖母に己の役割を教え込まれてきた。だからこそ、二人が眠りについた今でも自分のすべき事が分かる。


 だが、ユースは違う。

 なら、今から学べばいい。先達は沢山いるのだから。歴史の中には手本にすべき者が多く存在するのだ。

 でも、そのために必要なものがユースには足りていない。


 自分が父の跡を継ぎ、王になるべき存在だと認識すること。

 いやそれ以前に、兄が死の淵にいる一方で自分が生きていること。ユースはそれが許せていない。


「そんなの、悲しすぎます」


 ウィアがそう、ポツリと呟いた。その声にユースが少しだけ顔をあげた。


「……何ですか、代わりって。そんなのいませんよ。貴方はユリダス・マレ・アイテールでしょう? 誰かの代わりに生きてるんじゃありません」

「ウィア?」

「大体、私は漠然と王家の誰かに付くとそう思っていました。それが誰かとハッキリ分かったのは星空の絨毯ステラをもらったときです。あの時のユリダス様はご立派だったのに、急に情けなくなりましたね。どちらが貴方ですか?」

「……こちらだと言ったら、幻滅でもするかい」

「まさか! いいですか、よく聞いてください」


 ウィアはユースの顔を覆っている手を掴んだ。

 こっちを見ろ、とばかり、力任せに手を引くと、そこにはユースの苦渋に満ちた顔があった。


星空の絨毯ステラをくれたこと、その前に私に話しかけてくれたことも嬉しかった! あの時から私は貴方を信じると決めたんです。貴方が王家でなくても、とそう決めてました! フォロクラースの庭園でアイテールに誓ったもの! だから王家の人に何と言い訳しようか考えたんです! 私にとって貴方は私の『しるべ』としての全てを捧げる人なんです! だから、自分が誰かの代わりだなんて思わないでください!」


 力一杯掴んでいたユースの手首から手を滑らせて、ウィアはユースの手を握った。


「貴方は私の信頼を手にいれたんです。貴方が自分を認められないないなら、私が何度だって、うるさいって言われても言い続けます。

 ユリダス・マレ・アイテール、貴方は世界に出ていくべき王なんです。

 私は『しるべ』です。貴方が迷わないようにずっとそばにいます、ユリダス殿下」

「ベトーリナ……」


 ユースの目にうっすら涙が浮かんでいる。なんとか堪えているようだが、ちょっとずつ頬を落ちるそれを、ウィアが拭ってやると、自由になったユースの手が、ウィアの手に重なった。


「ありがとう、ベトーリナ」


 そう、本の少しだけ口角があがったユースの言葉に、ウィアは満足して笑い返した。


「あ、でもそれとこれとは話が別で!!」

「……何がだい?」


 ユースから、パッと離れて距離をとったウィアは、少し眉を潜めたユースから、一歩ずつ距離をとっていく。


「あー、フェルーノ様といらっしゃる時はお邪魔にならないように離れてます」

「ベトー……、ウィア?」

「ということで……。私は失礼いたします!!」

「ウィア!?」

「ごめんね、上を失礼するわ!!」


 ウィアはそう花壇を飛び越えて脱兎のごとく逃げ出した。


「ウィア!? だから、何を考えてるんだい君は!!」

「そんなこと言えませーーーん!!」


 今度は庭を突っ切って入り口まで走るウィア。入り口にはウルがいたがここで止まればすぐ後ろにいるユースに捕まる。


「ウルさーーーん!!」

「……なにをやってんのよ、ウィア、と、ユース?」

「私、一人で行ってきます! 話はまた今度聞かせてくださーい!!」

「え、ちょっとぉ!?」


 道に出るとウィアは一目散に貴族街の出口とは違う方向に走っていった。それを遅れてユースが追いかけたが、ウィアが曲がった角を覗いて足を止めてしまった。


 呆然と路地を見つめていたユースが、お腹を抱えて笑い出した。端から見たら、リガトゥールのご子息ご乱心だ。

 一通り笑ったユースは、不敵な笑みを浮かべている。

 獲物に逃げられたのに、それが面白いと言わんばかりに一言叫んだ。


「ウィア! まだその辺にいるか!? 逃げられると思うな!!」

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