第37話 後悔と肯定(一)

 ルーフス邸。

 昨日ウィアが通された、ピンクを基調にした部屋は客人用の部屋。


 フェルーノの部屋は、淡いグリーンを基調にした落ち着いた部屋だ。


 朝早くから来たユースは、フェルーノがソファを勧めても一向に座ろうとせず口を開こうともしない。

 五分ほど、ドアの前で突っ立っている。


 ユースにしては珍しく、非常識な時間に押しかけて来たわりには要件を言わないこの事態だが、フェルーノも急かさず待っていた。


 玄関ホールが少し騒がしい。誰か来たのか分からないが、ユースが閉まっているドアを見た。それがきっかけになったのか、ユースがぽつり、と呟いた。


「ごめん」

「何がかしら?」


 謝られることなど皆目見当がつかないフェルーノは首を傾げた。


「兄さん、もしかしたら助けられたかもしれない」

「……どういうことです?」

「でも、兄さんをとれなかった」

「……『ユリダス』、ちゃんと順を追って話して? ね? ほら、隣に座って」


 ソファに着いたユリダスが口にしたのは、昨日の夜、カイナの病室での出来事だ。


 カイナが重傷を負った。

 助けてくれる、今ではあり得ない技術を持った医師がいた。

 でも、その医師は『カイナ』か『蒔夢病ソムニウム』か『その他』かとせまった。

 もしあの時、アルス達に軽蔑され、カイナを見殺しにすれば兄は助かったかもしれない。


「……それで、私に『ごめん』と謝りに来たの? 意味が分からないわ」

「フェルーノだって兄上が元に戻ったら嬉しいだろう」

「それは当たり前の事よ。でも、それでなぜカイナ様とアルス・ラザフォードの邪魔をするの? もう、呆れてものも言えないわ」


 そうお茶をすするフェルーノの肩をユリダスは掴んだ。

 ほんの少し紅茶が服に落ちた。制服じゃないことが救いだ。

 だが、ユリダスは普通ならこんな荒い態度をとるような人ではない。生まれも育ちも申し分ない、思っていることを隠して振る舞うのが身に付いたユリダスが取り繕わないのは、婚約者のフェルーノの前だから、というよりは、余裕がないからだ。


「どうしてそう兄上を突き放せる!? 兄上は特別――」

「だからカイナ様を見捨ててもしょうがないと、そういうことなの? ユリダス?」

「そういうわけじゃない!」

「じゃあどういうことかしら?」


 フェルーノがまっすぐ目を見れば、ユリダスは視線を下に落とし、膝の上で拳を握った。


「……別に、僕はただ、兄上に戻ってきてもらいたい。僕より……」

「私だって同じよユリダス。アーラともう一度話をしたいわ。あの時は、弱っていくアーラが怖くて、現実を見られなかった。今ならもっと話しておくべきだったと私だって後悔してる。でも、それと今のあなたの話は別よ!」

「フェルーノ……」


 怒られた子供のように肩を震わせて上目遣いに見上げてくるユリダス。そんなユリダスにフェルーノはゆっくり、諭すように語りかけた。


「ねえ、ユリダス。言いかけたことは何? 『僕より』何かしら?」

「……」

「まるで前のユリダスに戻ったみたいね。


 『アーラを助けたい』

 

 そう言って、義姉女王から逃げて父親先王の影からも逃げて。

 『もし』、アーラが生きていたら。

 『もし』、病弱なのが自分なら。

 『もし』、父親の代わりに自分が死んでいたら。


 その方がアルビオンもみな幸せだったと言ってたことがあったわね。しばらく言わなかったのに、『もしも病が』再発したの?」

「……そんなことは、ない」

「貴方が夢ばかりみていては、誰も幸せにはならないわ」


 フェルーノはそっとユリダスの手の上に自分の手を重ねた。膝の上で握られていたユリダスの手は随分震えている。


 ユリダスは昔もこうだった、それも何回、何十いや、何百回も。


 先王を亡くしてから、アルビオンの貴族達は、病弱な兄王子のアーラ派とまだ五歳の弟王子ユリダス派に分かれた。ユリダスは知らず知らずのうちに権力闘争に巻き込まれかけた。

 だがそこに、女王が彗星のごとく現れ、王位争いは落ち着きを見せた。

 だから、リガトゥール家で匿われていたユリダスが、アーラのもとにお忍びで出かけることができ、父親について遊びに行っていたフェルーノ自身とも面識ができた。アーラと一緒に三人で遊べた日々は、フェルーノにとっても大事な思い出だ。


 そんな幼馴染のユリダスは、次第に体が動かなくなる兄のアーラを見ては、「どうして兄上が」という事が多くなった。


『もしも』と兄が元気な仮定の話をするユリダスをフェルーノは叱ってやめさせた。


 でも、本当は、そんなことはしたくはなかった。自分だって、『なんでアーラが』と思う日々だったのだから。

 でもそれを押し殺してもユリダスに弱音を吐かせなかったのは、他でもない、アーラに言われたからだ。


『ユリダスに弱音を吐かせるな。それが許されるのはフェルーノだけだ』と。


 兄の事で悩んで迷って立ち直って、また悩んでを繰り返して少しずつ自分の立場と向き合ったユリダスをずっと見て来た。


 最近はとんと聞かなくなった『もしも』の言葉に、フェルーノは、また昔のユリダスが戻ったと呆れ半分、懐かしさ半分。そして、そんなユリダスから、いい加減自分も離れなくてはと、そう親心でいっぱいだ。

 なにより、ユリダスと一緒にアーラから聞いていたヴォルフが出て来たのだ。もう自分がユリダスの手を引く番も終わらなければならない。


 フェルーノは、ユリダス頬を挟んでを自分の方に向けた。


「カイナ様のお父様がどうして命を落としたかを知っているユリダスが、カイナ様の命を軽視するだなんて、あってはならないわ。それだけは、アーラだって許さない。『絶対』と言い切れるわ」

「フェルーノ……」

「貴方は、アイテールでしょう? アーラが言った通り、ヴォルフは貴方についたのに、まだ迷うつもり?」

「僕は……」


「ワン!」


 朝早く、ルーフス家の犬が吠えた。

 躾けがしっかりされている犬だ、無暗に吠えることなどあり得ない。

 それに、ひと声だけ鳴いて後は静かだ。不審者なら吠えたてるだろう。微かに「キュー」という高い声も聞こえてくる。


「どうしたのかしら?」


 フェルーノは窓に近づきそっと外をのぞいた。そうして、思わず口元がほころんだ。


「……ふふ、犬にも好かれる方みたいですね」

「フェルーノ?」

「ちょっと待ってて、ユース」


 キイ、と窓を開けてバルコニーへと出たフェルーノは、音でちょうど上を向いた少女に声をかけた。番犬を大人しく『お座り』させて頭を撫でているその少女は、フェルーノの顔を見て「あ」という口をした。


「ウィア様、おはようございます。当家に何か御用でしょうか?」

「ああああ、あの、フェルーノ様、おはようございます! あ、お庭にはちゃんとルーフス宰相の許可は頂いておりまして……! そう、このが可愛くて! あと、庭もお綺麗で、えーと……。そう、ユース様とお話が……、あ」

「?」

「あの! 直接じゃなくていいのです! そう、伝言を、お願いいたします! そんな変な内容ではありませんので!!」

「ぷっ……!」

「フ、フェルーノ様?」

「朝からお元気ですね。伝言と言わずに直接どうぞ。あがっていらして」

「いえ、もう出ますので!」

「どちらに?」

「ちょっと……、南の方に。そう、えーと、ウルさんと行ってきますとお伝えください!!」


 そう言い残し、ウィアは一礼して去って行った。


「あら、お早い。ねえユース、聞いて――」

「ごめんフェルーノ! 用事ができた!」


 そう言うなりユースは、フェルーノの横を通り、バルコニーから庭に飛び降り、ウィアを追いかけて行ってしまった。


「ふふ、彼女が心配ならそうハッキリすればいいのに。アーラに話したら絶対に喜ぶわ」


 今日は学校帰りにアーラのもとに寄って楽しい報告ができるとフェルーノは朝から上機嫌だった。

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