第35話 とってこい
『カイナを治してくれ』
その一言を言えばいいだけ。
だが、少しの理性が混じると口から出ていかなかった。
ユースとウィアが黙ったのを好機と見たのか、フィデスの標的は二人に移った。
「ヴォルフのお嬢さんは?」
「……私ですか?」
顔をあげたウィアは意外にも平常心を保っていた。下を向いたときは寄っていた眉間のシワも消えており、フィデスに対して怯んだ様子もない。
「そんなの愚問です。『いいえ』、です」
そう、真っ向から言いきった。
「おや? お祖母様を助けたくはないんですか?」
「もう祖母と分かれる覚悟はしてます。昔の事も私の将来の事も山ほど話しました。一番見せたいものも見せられて、私も、きっと祖母も満足です。それに、誰かを殺して祖母を助けるだなんて真似は出来ません。なにより、私はカイナ様を助けて欲しいんです。言わなきゃいけないことが山ほどあるんですよ」
「では、そちらのお坊っちゃんは?」
ウィアの隣でユースは下を向いたままだ。
「僕は……、カイナを……治して、欲しいさ」
それが本意じゃないと明白な歯切れの悪さ。
アルスはユースに不快感を抱いた。
ウィアはといえば、その隣で心配そうにユースをみつめている。
「リガ――」
「ウル・ティムスは余計な口を挟まないでください」
「――っ!?」
口を挟もうとしたウルは、フィデスに睨まれると、簡単に体が宙を浮き、後ろの壁に激突した。
「――ったぁ……。あんた、あたしの扱い雑すぎるわよ!」
「うるさいですよ。その口、消してあげましょうか? 二度と喋れなくなりますけど?」
そう口の前で真一文字に指を動かしたフィデスにウルは青ざめて黙り込んだ。いつもの自由で遠慮のないウルにしては珍し過ぎる行動だ。そして、ウルとフィデスの間にウィータが入り込みフィデスと睨みあう。それは、フィデスの言ったことが口から出まかせではなく、本当に実現できることだということを示していた。
ウィータとウルはフィデスの実力を知っており、それは危険だ、という証拠だ。
「さて、アルス」
「な、なんだよ?」
「君の決断が早いか、ルイスツールのお嬢さんが死ぬのが早いかのどちらかですよ」
「俺は……」
「……カイナだ」
「ユース?」
「アルス、カイナを治せ」
「……ユース……」
「早くしろ!」
下を向いたままユースは叫んだ。
「……フィデス。カイナを治してくれ」
「おや、壁際の病は?」
「そ、それは……」
「……それは私が治します。アルスくん、フィデスの言うことにそれ以上耳を傾けなくて結構ですよ」
「ロンガさん……!」
窓枠にもたれかかり事の行方を静かに見ていたロンガが『病は自分が治す』そう断言した。アルスにとってこの上なく尊敬する人物の勇敢な発言は、実際に可能か否かは別として、十分信用できる言葉だった。
「フィデス、カイナを治せ!」
「ふむ、いいですよ」
フィデスはカイナに向き直ると、腹部を露出させ詰められているもの『全て』を取り出した。処置に使われ、止血のために留置されていた器具類、そして、それが留められていた損傷した
ズルリ、と床に落ちたそれらの血の塊に、アルスは思わず目をそらし、あがってくる不快感に耐えた。
何が起こっているのかは分からないが、カイナを見ることができないアルス。その背中をロンガが擦っているが、視線はベッドの上のカイナだ。
反対側では、ユースがウィアを抱え込んで視線を外させている。
「ほら、こんなところですね。もう閉じましたから見て平気ですよ」
アルスがゆっくりカイナを見ると、きちんと服も着せられており、呼吸もしっかりして綺麗に眠っている。時折、「すー」という寝息すら聞こえて先ほどとは大違いのカイナ。
顔に近づいて頬に触れれば温かいし血色もいい。ただ寝ているだけにしか見えないカイナの横に顔を埋めてアルスが話しかけようとするも、嗚咽が邪魔で声が出てくれなかった。
「っ、カイナ……」
「お喜びのところ申し訳ありませんが、これは応急処置ですよ。当面死ぬことはありませんが、目を覚ますのはまだ無理です」
「何でだ……?」
顔をあげると、フィデスは床に落ちていたものを片付けていたようで、手には血がべっとり付いている。だが、二、三回手を振ると綺麗に血は消え去り、カイナの腹部から出されたものは、医療器具以外は全て消えていた。
そうして、残った器具を無言でロンガが回収し、未だ後ろを向くウィアに「大丈夫ですよ」と声をかけた。
ユースの腕の中で、手で顔を覆い指の間から覗くようにゆっくりとウィアがこちらを見た。それを確認し、フィデスが空の瓶を振った。
「今は、機能しなくなった部分を取り外して出来た空洞を、別の物体で補完してます。本当なら、元々あった臓器を基にして新しいものを作って埋め込みたいんですが、そのために必要な物が足りません。それがこれです」
「それ、麻果実栽培に使われていた肥料だろ」
「ええ、『シンケールス時代の遺産』。『魔素を凝縮した液体』です。こんな小さいアンプルでは足りないんです。容器は用意しますから必要量をとってきてください」
フィデスは未だ青い顔でユースの腕に抱えられたウィアを見た。
一瞬肩を震わせたウィアは、さらに顔から色が消えた。
「場所はお嬢さんなら知っているでしょう。外の世界に繋がる洞窟です」
「アイザーンの洞窟……! やっぱり、そこのものだったんですね!?」
「アイザーン? 外の世界? ……ウィア、どういうことだ?」
『洞窟』と聞き生気を取り戻したウィアが、訝しげな表情をしたユースから離れようとするも、ユースにガッチリと抱え込まれており、どうやら逃げられそうにもなさそうだ。
「あああああ、ユース様!! そ、それは後で説明しますから今はもう何も疑問に思わないでください!! というか、放してください!」
「……どうしてそんなものを、ランセットは持っていたんだ? ウィア?」
「そうですよね! 私もそう思います!! 激しく同意!! でもいま大事なことはそこじゃないんですっ!! とりあえず放しましょう、私を!!」
「ヴォルフのお嬢さんの言う通り、今大事なのはそこじゃないですよ。ほら、『とってこい』してください」
「犬じゃないわよ!!」
すっかり勢いを取り戻したウィアが手を振り上げフィデスに抗議すると、その手に空の瓶が放り投げられた。フィデスが持っていたものと形は違うが、大きさはさして変わらない。
「……これに入れるんですか?」
「見た目の容量以上にその中には液体が入ります」
「……なんです、その便利器具」
「昔は当たり前だったんですよ。さ、私は……、この子を借りていきますから、洞窟は二人で頼みましたよ」
「「え?」」
カイナの側から急に引き離されたアルスは、仔犬のようにフィデスに軽々抱えられ連れ出されそうになり、窓枠にしがみついた。
「アルスくん!?」
「ロンガさん!!」
ロンガの手がアルスに伸びるも、届く前にフィデスが窓から距離をとった。空間を歩いて窓の外、二、三メートル離れれば、ロンガが身を乗り出しても届かない。
アルスがフィデスの腕から逃れようともがくが、その様子を目を細めて見たフィデスは、「見ててください」と、ロンガを指差した。
窓枠に足をかけて飛び出そうとするロンガ、その手首が自然に曲がり始めて、顔が苦痛に歪んだ。
「……っ、何をするんです、フィデス!」
「追いかけてこようとしても無駄です。その手首が折れますよ? どうします、外科医として使い物にならなくなったら」
「この……っ!」
「やめろ! ロンガさんにふざけた真似するな!」
「なら、ちゃんと私についてきますか?」
「カイナは……」
「ルイスツールのお嬢さんはそのまま寝かせておけば平気ですよ」
「分かった……」
借りてきた猫のようにおとなしくなったアルスにフィデスは満足気な視線を向けた。カイナが無事でロンガに危害が及ばないなら、こうする他ないだろう。
「フィデス」
窓とカイナのベッド越しに、ウィータが声を発した。
「何ですかテネリ。昔も今も私はテネリの為に、随分待ちましたよ。それがこの結果です。もうこれ以上は待ちません。次は、ヴォルフのお嬢さんがきちんと『とってこい』出来た時に来ますよ。では、また」
隣でフィデスがそう微笑むと、アルスの視界から病室も、再び手を伸ばすロンガも、窓に駆け寄るユースも全てが消えた。
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