第34話 カイナ意識不明(三)
「セーフですね、窓を破壊されなくて済みましたよ。ナイスです、ウィータ」
「……ほんと、変わってなくて呆れたわ」
冷ややかな顔で侵入者を見下ろすウィータとロンガの視線にも負けず、『石炭研究家 カリブ』はあたりを見回していた。
石炭の話をするとどこからともなく現れる、もはやホラーの人物、カリブ・クルス。
貴族街に自由に出入りしている時点でおかしいが、四階の窓から転がり込んでくるのもおかしい。そして、何故、『石炭』というワードに反応してくるのだろうか。
もはや人ではないカリブの所業にアルス達は呆気に取られていた。
「おお? おおおおお!? そこの坊ちゃん! その黒いの!! その形! まさか!!??」
「これですか? これは――」
『テネリの魔導書』です、と口に出しかけてアルスは口をつぐんだ。そんなこと言えるわけがない。どう言うべきか答えを模索し始めたアルスだったが、その心配は杞憂だった。
「それは『絵本』よ」
そうあっさり答えたウィータ。その顔は無表情だ。
「ああ、『テネリの絶景コレクションシリーズ』ですな! じゃあ、やっぱり坊ちゃんが! いやー、今か今かと待ってましたよぉ。この時のために、『石炭』という単語をずっと追いかけて生きて来たんですぅ」
「ええええと?」
「で? どうです? 意志は固まりました?」
「……なんのですか」
「おや? おやおやおやおや?」
カリブはその丸っこいフォルムの体の上だけを、ぐいん、とウィータに向けた。
「テネリ、これは?」
「悪いけど、一つ頼みがあるのよ」
ウィータの視線を追って、カリブはカイナを見た。
「あー、確かに気になってはいたんですがぁ……。このお嬢さん、ルイスツールのご令嬢ですなぁ。これはこれは、もってあと二、三十分くらいですかな?」
「な!? ちょと待って! カイナが助かるんじゃないんですか? ウィータさん!」
「なんです、まだこの子にそんな名前で呼ばせてるんですかい? 相変わらず甘いことしてますなぁ、テネリ」
「……うるさいわよ。アルス、そいつは医者。そんなんだけど、腕は確かよ」
「ほほう、テネリのお褒めに預かり光栄ですなぁ。ですが、坊ちゃん。私の治療を受けるのは、そのお嬢さんには無理ですな」
「なんでだ!?」
カリブは胸を張った。
「まず、私にやる気がない! もう人の怪我は治さんと決めたんですよ」
「そんな……。お願いします! 何でもする!」
「その言葉は非常に魅力的ですが……。治療に関しては、譲れませんなぁ。そうほいほい命を動かしてはいかんのです」
必死なアルスとは対極的に、わざとらしく大袈裟に、やれやれと拒否をするカリブに、苛立った声が投げ掛けられた。
「……助けられるくせに助けないんですか、フィデス」
「おお、ロンガが怒るとはおめずらしい。しかしですな、身の丈にあわない技術を与えると、人はつけ上がりますからなぁ」
「ロンガさん、いまフィデスって……。カリブじゃなくて?」
「ああ、そうだった! この姿じゃ流石の君も分からなかったのも無理はない!」
カリブはそういうと、一度深々と頭を下げた。
そして、顔をあげた時、アルスの前を緑の髪が撫でていく。顔を確かめようとカリブの目線に合わせるも、見えるのは白衣。そのまま体伝いに視線を上にずらせば、金と黒の虹彩異色の瞳にかち合った。
「閑職魔導医 フィデス・オルセルヴァンです。アルスですね? そのプレートの束が変化したなら、一度くらいは私を見ているでしょう」
「お前……。テネリと一緒に氷河の前にいた奴!!」
忘れるわけはない。
人の前でドアップで、魔法の詠唱をしろとさんざん言っていたのは、このフィデスという人物だ。
「それは『ロス・グラシアレス』のことですね。確かに一緒に行きましたね、テネリ。いやー、懐かしいです! そういえば、今日の氷は君の仕業ですよね。随分と使いこなせて天晴ですよ」
「なら!!」
アルスは、フィデスの服をつかんだ。
魔導書の中で、詠唱を迫るフィデスは、今のアルスの望みそのものを言っていたのだ。
「おや? なんです?」
「『創世と破壊を繰り返す、連綿たる氷河よ。その青き氷石の轟音と共に姿をあらわせ』」
「それは詠唱ですね。それがどうしました」
「お前、言ってただろう! テネリの魔柱核がある場所から見ていた俺に言った。『詠唱が邪魔だとか面倒だと言わないように褒美をつける』って!」
「ん?」
「それをお前の前でちゃんと言ったら、『一回だけ無料でどんな怪我でも治してみせる』って、そう言っていた! なら、今だ! お前が言いだしたことなんだから約束は守れ!!」
「……そう言えば、確かに」
「言ってたわね、そんなことも」
アルスに胸倉をつかまれて睨み上げられたフィデスは頭をかいて、後ろに目をやった。そして、大きく息を吐きアルスの手をつかみ、下ろさせた。
そうして、自由になった上半身で伸びをすると、カイナのベッドに手を置いて上から下まで何度もなぞるように見て、ふむ、とウィータに目をやる。
「テネリ、魔晶が濃縮されたものは何かあります?」
「魔晶の? いえ……」
「それじゃあ話にならない……。なら、魔晶を砕きましょうか、と言いたいところなんですがそれではらちが明きませんね。そこでヴォルフのお嬢さん」
「はい!」
「ちょっとお遣い頼まれてくれませんか? 女王に伝言です。『カイナ・ルイスツールの命はこのフィデスが預かった。助けたければ、シンケールスの時代の遺産を持ってこい』と」
「え……」
「大丈夫です、帰りは抱えて飛んできてくれますよ。あと二十分です。頑張って王宮に乗り込んでください」
「わ、分かりました! 行ってきます!!」
「ウィア、王宮なら僕も行く!」
病室から駆け出た二人。
二人がいなくなるとアルスはカイナに近づいて手を取った。しばらくはフィデスも何もすることがなさそうで、アルスをじっと見ているだけだ。
「まさか、五千年以上前の自分の言葉がここに来て返ってくるとは思いませんでしたよ。君は運がいいですね」
「何が……」
「でも、大変な問題があります。このまま完治とはいきません。命を取り留めるくらいで、治すためには必要なものがあります。まあ、その話はまた後にしましょう。あの二人組が帰って来てからがちょうどいい、って――おや?」
けたたましい足音と共にドアをぶち開けたのは血相を変えたウルだ。後ろでウィアとユースが青い顔をして沈黙している。
「ちょっとフィデス・オルセルヴァン!!!」
「なんでドアから入ってくるんです? 早すぎません? 勢いつけて窓から転がり込んでくると思いましたよ」
「『女王陛下のお気に入り』が瀕死の重傷っていう知らせが来たのよ! 慌ててくる最中にこの子達を見つけたの! ほら、これでしょ、あんたのご所望の品は!」
ウルが差し出したのは、カイナたちが女王に提出した証拠の一つ、麻果実栽培に使われていた液体肥料だ。
それを受け取り、フィデスはアルスに笑みを向けた。
「さて、アルス・ラザフォード。君に選択肢をあげましょう」
「なんだよ!」
「私はどんな怪我でも病気でも治せます。それをどう使うかは君次第。そんな君は一体何を願いますか?」
フィデスは指を一本立てた。
「カイナ・ルイスツールの完治ですか? それとも……」
二本目。
「壁際で流行る『
「!」
三本目。
指を立てたフィデスは、やり取りを見守るユースとウィアに目を向けた。
「はたまた……、それらを押しのけてでも、アルス・ラザフォードに回復を頼んで欲しい、大事な人がいますかね? そっちの二人は?」
「「っ」」
ユースとウィアは下を向いた。
「二人とも……」
「さあ、それらを踏まえて、アルス・ラザフォード。君はこの私に『誰』を治して欲しいですか?」
「フィデス、あなた、会わないうちに性根が腐ったの?」
「テネリ、昔と今は違うんです。本来ならあり得ないことを起こすんですよ? そう簡単にできると思われては困ります」
そう深刻そうに言うフィデスを、ウルが鼻で笑った。
「……自分が変身するときには、体の骨格組み替えて自由に伸び縮みする奴が何を言ってんのよ。それこそあり得ないわよ」
「そういう無駄なツッコミは要りませんよ、ウル・ティムス」
じとっとした目でウルを見て、フィデスは再びアルスに視線を定めた。
「さあ、どうしますか?」
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