第32話 カイナ意識不明(一)
事は二時間前に遡る。
ウィアがルーフス家に目隠しの馬車で連れていかれた後だ。
アルスはカイナが女王への報告が終わるまで
王立病院に隣接する寮がロンガの住まいだ。
「夜にすみませんロンガさん。ユースとウィアが後でお祖母さんのところへ来たいそうなんです。会わせてあげられませんか?」
書類や本で埋もれた、娯楽に関するものが一切見当たらないロンガの部屋。その中に通されてお茶を出されるも、うっかりこぼして書類を駄目にしそうでアルスは少々緊張した。
「いいですけど、街の騒ぎといい、一体何をしていたんですか、お二人とも」
「
そう元気に答えるカイナにロンガは一度「おお!」と手を叩き微妙な顔をした。
「カイナ様。なさったことは素晴らしと思うのですが、言葉遣いが駄目です」
「……タイム先生もユースみたいなこと言うんですね。ねえ、駄目? アルス?」
「別に気にしないけど……」
「アルス君、そこは気にしましょう。カイナ様に嫌われたくないからって甘いことばかり言っていたら駄目ですよ」
「うっ」
「カイナ様も、あまりにも元気すぎると、そのうち深層のご令嬢にアルス君がコロッと落とされちゃうかもしれないですよ。フォロクラースにはそういうお嬢様方が山ほどいるでしょう?」
「え!? 嘘でしょアルス! ちゃんと駄目なら駄目って言って!」
カイナに肩を思いっきり揺さぶられ、アルスは「あああああ」と返事をしようにもできなくなった。
「――ッ、ないない、それなはい!! ロンガさんも変なこと言うのやめてください!」
そう一通り騒いだ後、ルイスツール邸に戻る途中で二人は顔を見合わせた。
何かにつけられている。しかも、分かりやすい。手慣れていない尾行者を撒き逆にその背後をとった。
「ああ、あれはソルスティ・ランセットね」
「父親と一緒に捕まったんじゃないのか?」
「ランセット公爵と夫人は捕まったって報告があったけど、娘はまだね。今頃兵が血眼になって探しているわよ。ちょうどいいわ、捕まえて突き出しましょう」
道の端でカイナとアルスを見失い頭をキョロキョロさせていたソルスティ・ランセット。ほどなくして路地裏に入り込んでしまった。
貴族街の路地裏はほとんどが見通しの良い一本道だ。気づかれずに近づくには適していない。遠くからソルスティを見ては、曲がったところで一気に距離をつめ、最後とある建物に入ったことを見とどけた。
「なんだここ」
「警備のための見張り台よ。古いからもう使われてないやつね。ほら、とり壊し予定が書いてある」
入口にある張り紙。『老朽化の為立ち入り禁止』、そう書かれている。
「行きましょう」
そんな張り紙はカイナには関係がない様で、さっさと中に入ってしまう。腰にある剣に手をかけて、一階を壁伝いに進むと微かな話声が聞こえてきた。
「このまま中央区から逃げないと!」
「でもどこへだ!? ランセット領も無理だろう!」
「……
「私たちがかかったらどうするんです!?」
「死ぬよりマシだ!」
「……」
「お嬢様?」
「なんでよ……。どうして我がランセットがこんな目に遭わないといけないのよ!」
「お静かに、お嬢様」
「どうかしてるわ! 頭の固い女王も! それに頭があがらなくて媚びへつらうルーフスもリガトゥールも! もとはといえば、あいつらが正規の
「お嬢様ここはまだ貴族街です。女王陛下の目が行き届いております。不用意な発言はお控えください。ここに来るときに女王陛下のお気に入りを見かけたと仰っていたのはお嬢様です」
「ふん、途中で消えたわよ」
「消えた? お嬢様、それまさか、つけられて――」
「気づくのが遅いわよ。大事なお嬢様なら一人で歩かせたりしない方が良かったわね? ランセット家の皆さま」
カイナがドアを蹴破って中に入ると、そこにはソルスティ・ランセットとお付きのリサ・マイヤー。そして家のものかゴロツキか判断しかねる男が二人。
男が銃を抜き構えたところでさっさとカイナの一撃が入り、銃は真っ二つ。それでもカイナに迫る二人は、一瞬で凍りついた。アルスが詠唱をすっ飛ばして『ロス・グラシアレス』とだけ口にすれば、人型の氷は造作もなかった。
「アルス、早いわ!」
そうカイナがガッツポーズで喜びを露わにし、どうだとばかりにソルスティ・ランセットに目を向けた。
「な……今の何よ!? あの
「うふふ、私の下僕は有能でしょう? ソルスティ・ランセット。さ、お父様方のところにお連れして差し上げます」
剣をソルスティに向けて構え。カイナは青ざめるソルスティを悠然と見下ろした。
「じょ、冗談じゃないわ! なんでルイスツールのあんたにそんなこと言われないといけないのよ!!」
「それは私が――」
当然、とばかかりに答えようとしたカイナを、ソルスティの言葉が遮った。その顔は恐怖かそれとも何かしらのアドバンテージがあると確信しているのか嫌な笑みを湛えるものだ。
「女王陛下のお気に入りだから? ルイスツールを継ぐのにずいぶん必死じゃない? とり潰されてもおかしくない家のくせに、ねぇ?」
「……なに、を?」
カイナの剣が、一瞬ピクリ、と揺れたがすぐに止まった。徐々に細められていくカイナの目。それとは反比例するように眼光は鋭くなっていく。大きく動く胸と肩が、カイナが自分を落ち着かせようと意識して息をしているのを示していた。
そんなカイナに一瞬ひるんだソルスティだが、手を出さなないカイナを見て口元に弧を描いた。
「ふん、私知っているのよ。先代国王が殺されたのは、年に一度のアイザーンの洞窟での儀式に向かう道中。場所はランセット領だけどその実行犯はルイスツール領出身の人間でしょう。本当なら、ルイスツール領ごと潰されていてもおかしくないこと。それを、貴女の父親は自分の命を差し出してルイスツール領と家の存続を申し出たそうじゃない! なのに肝心な子供は娘だけだものね! いずれ他家に吸収されて終わるのが妥当なのに貴女の父親は無駄なことをしたわ!」
「……その話を一体どこで?」
「お父様からよ」
その言葉をカイナは鼻で笑った。
「ああ、なるほど……。おつむが弱い父親の娘って、同じくおつむが弱いんですね。親から言われたことを馬鹿正直に、いえ、素直に吸収なさって……。安心しましたソルスティ様」
「なっ! っう、あああ!?」
一歩踏み出したカイナの剣が、まっすぐソルスティの左足に突き刺さった。
「カイナ!?」
「お嬢様っ!?」
「っあ、……いや、まって!!!」
しゃがみこみ苦痛に悶え、ゆっくり迫るカイナからなんとか逃げようと、血の線を引き後ずさるソルスティにカイナは首を振った。ゆっくり剣をあげると、忠誠心からか、青白い顔の少女が割り込んで来た。ガタガタ震えて主を守るリサ・マイヤーを見てカイナは首を傾げ、「ふふ」と笑った。
「忠誠心って大事よね。それは素敵だと思うけど、時には悲劇にしかならないわ。どきなさい」
「い、いえ……!! どきません!」
「そう、貴女も頭が悪いのかしら?」
カイナはそう首を傾げてから、再び「ふふ」と笑った。
「なら良かった、ここで私が貴女たちを殺しても誰も損はしなさそうね。ああ、でも女王陛下にはお詫びするわ! 予定していた手駒が二つ減って申し訳ありませんと!!」
「カイナ!? っ、『ロス・グラシアレス!』」
カイナの剣がリサ・マイヤーに届く寸前でアルスが三人そろって動きを止めた。息が白くなるほど部屋全体を氷りつかせて。
ソルスティとリサは完全に氷に埋没した。そんな二人に剣を振り下ろしたカイナだったが、アルスの氷に阻まれてリサまでは届かなかった。
「何をするのよ、アルス!」
「馬鹿なことを考えるな! 殺す必要はないだろう!」
「冗談!! ありもしないことをでっちあげて勝手にルイスツールを貶めるような輩、どうしてのさばらせておかないといけないのよ!!」
「もう捕まえたも同然だ……、自由にはできない。カイナが手を汚さなくても裁きは受けるだろう?」
「……それは
「さっき言われたことは後で訂正させればいい。カイナが手を汚す必要はない、だから落ち着け」
アルスに諭され、カイナは握っていた剣を鞘にしまった。
「不甲斐ないわ……。お父様のことあんな風に言われるだなんて」
「ここの事を報告して帰ろう。家で話はゆっくり聞く。今朝から色々あって、カイナも疲れてるんだ、な?」
「……うん」
静かになった室内に風が吹いた。老朽化で壊れていた壁板が、二、三枚めくれあがっていた。アルスが部屋を凍らせた際に入り口は完全にふさいでしまい、上手く消そうにも溶ける気配がない。
「アルス、ここの壁板を剥がして出ましょう」
すでに剣を隙間に入れて剥がし始めているカイナ。アルスは氷が解けないことを一人一人確認していた、ちょうどその時だ。
「え、ここ一階じゃないの?」
そうカイナが後ろで不安げな声を出した。
見張り台の立地として、一段高いところに建っていてもおかしくない。入り口からここまで平坦だったが、奥まっているこの部屋の下は高さがあるらしい。
「カイナ、お前、高い所苦手だろ? 無理するなよ」
ウィータの家でウィアを見張る時、アルスの後ろに隠れていたカイナ。だが今はどうだ、隠れたり、怯えて逃げようとするどころか、剥がした壁板の穴から身を乗り出してしまっている。
「カイナ?」
「っ、あ……」
「おい、どうした?」
真っ青なカイナの顔。その手が下に向かって勢いよく伸びた。
「お父様!!!!」
「カイナ!?」
アルスは氷で足元を取られて思うように走れなかった。それとも、すでに間に合わなかったか。
壁の穴に吸い込まれるように姿を消すカイナの体を掴むことはできなかった。完全に姿を消したカイナの行く先は地面。だが、ここは見張り台。使われていないといっても元々あった設備はそのままだ。
侵入を拒む場所にはそれ相応のものがついている。王都下水路の施設が柵と有刺鉄線に囲まれていたように、ここも外部からの進入を拒むものがあった。
有刺鉄線は言うに及ばず、上に向かって伸びる鋭利な柵。
カイナは、地面まで落ちずに、その柵で止まっていた。
腹部から突き出るのは血がべっとりついた黒い突起物。
「あ……」
だらんとぶら下がっている手足は落下の衝撃の余韻かまだ少し揺れていた。
「あああああああ!! カイナあぁあ!!??」
アルスはカイナを抱え、王立病院にいるロンガのもとまで来たのだ。
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