第31話 星空の絨毯の意味(四)
病院裏の入り口から薄暗い中に入ると、数人の職員の会話が近くで聞こえた。
話し声が遠くへと去り、ウィアに従って足音を立てずに他の職員に気付かれぬよう最上階の部屋へ進むと、廊下に白衣姿の人物が立っていた。
ユースも幾度かルイスツール邸で会ったことがある人物。藍色の髪の毛に中性的な顔立ちは一見すると女性のようにも思える、王立病院に勤務するルイスツールお抱えの医師、そしてウィアの祖母の主治医であるロンガ・タイムだ。
「タイム先生」
「お待ちしていましたよ。街は随分と騒がしかったみたいですけど?」
「あの、それは……」
「まあいいです。次の巡回の職員が来るのは一時間後ですよ」
「はい、ありがとうございます」
「ウィア、僕はここで待ってるよ」
「何を仰ってるんですか、ユース様は一緒じゃないと駄目です」
気を使ったユースだが、ウィアに押されて病室へと入った。
そこに横たわるのは、話しに聞き、自分の兄とその境遇を重ねたウィアの祖母。想像と違わぬその姿に、ユースは胸が締め付けられた。
固まって開きそうにないウィアの祖母の手。
その手にウィアが手を重ねて包み込むと、ほんの少し顔が動いた気がした。だが、それはユースの気のせいであり、横たわり微動だにしないウィアの祖母は、傍目から見て生死は分からなかった。目を凝らしてみると分かる胸の浮き沈みだけが唯一生を主張しており、その動きを見てユースは一歩ウィアの祖母に近づいた。
「おばあちゃん見て! 『
小瓶を顔に近づけるも、ウィアの祖母の目は開かない。
ウィアの祖母が事態を認識できないのでは、祖母を安心させたいというウィアの願いは叶わない。全てがウィアの自己満足で終わってしまう。
「おばあちゃん、あのね、おばあちゃんが教えてくれたこと、役に立ちそうよ! この花もね、アイテールの方が用意してくれたの! 第二王子のユリダス殿下よ、おばあちゃんも名前は聞いたことあるでしょう!?」
徐々にウィアの声が大きくなってきた。
扉に目をやれば、ガラス越しにロンガの影が見える。話を聞かれそうだが、ユースにウィアを遮る気などは起こらなかった。
「ちゃんとお父様とおばあちゃんの分まで頑張ってくる! 陛下を外の世界までお連れするのがヴォルフの役目でしょ? 私がいたら絶対迷わないって、お父様だって絶賛していたもの……。そうで、しょ……?」
反応がない。今まではその事実に語気が強まっていたウィアだが、それが次第に小さくなり、弱々しい声へと変わっていった。
「……ごめんなさい、おばあちゃん……。もっと早く持ってこられたらよかった。私がアイテールを信じなかったから……。変なことをしないで、招かれた学園にちゃんと通えばよかった。もしもそうしていたら、もっと早く殿下にも会えて――」
「ウィア、君は結果的に僕を信じたんだ。だからここにいる。もしもだなんて話はやめるんだ」
「でも……」
「そんな仮定の話をしたらキリがない。それに、ウィアが僕に会えなかったのは、ランセットが君を見つける前に探し出せなかった僕の落ち度だ」
「……なんでそんな自分のこと駄目みたいに言うんです」
「事実だろう」
「違います! どう考えても犯罪に手を染めた私がいけ――」
「しっ!」
思わずウィアの口を手で覆った。そうしなければ聞こえてしまうと思った。
どの程度五感が機能しているのかは分からない。だが、もし話すことができなくても、耳がまだ言葉を聞けているのなら、今の話は聞いて欲しくはない。知らなければウィアの祖母の中では何もないことになるのだからあえて言う必要もない。
そんな思いでウィアの口を塞ぎ黙らせたユースは、横たわる祖母を見て数回、力強く瞬きをした。
今までずっと開いていたのか、それとも今だけ開けたのかは微妙だが、本当にうっすらと瞼があがっている。その中で黒目が一度左右に動いた。
「……聞こえていらっしゃるんでしょうか?」
「んんーんん(おばあちゃん)!?」
寝ている角度から、ウィアではなくユースを見ている様に見えるウィアの祖母。彼女に話しかけようとしてユースはウィアの口から手を放した。
「ウィア、君のお祖母様のお名前は?」
「メルカです、メルカ・ヴォルフ」
ユースはメルカの視線に確実に入り込み、祖母の手を握るウィアに自分の手を重ねた。
「メルカ殿、ヴォルフの『
「それで私は『
その二人の言葉に対して特に反応はなく、再び閉じてしまった瞼。だが、その目じりから涙が伝った。生理現象か、それとも感情の表れか、それは分からない。でも、拭いてもまたすぐに伝う涙はきっと後者だろう。それからしばらくしてまた薄目が開き、ユースとウィアを見ては閉じる。それをゆっくりと繰り替えし、涙も枯れた頃、ウィアの祖母は再び規則正しく胸を上下する眠りに就いた。
「おばあちゃん……」
「すみません、もうそろそろ退出できそうですか?」
病室のドアをほんの少し開けて、ロンガが声をかけてきた。
「あの、おばあちゃん今目を……」
「そうですか。それはよかったですねウィアさん。入ってもよろしいですか?」
ウィアが頷いたのを見て、部屋に入って来たロンガにウィアが非常に言いにくそうに切り出した。
「あ、あの、そのっ、先生?」
「どうしました?」
「その、私、おばあちゃんに、いけない薬……」
「知っていますよ、変な錠剤持ち込んでいましたね。大丈夫です、あれは飲ませていません。ここに溜まっています」
引き出しの中に、袋がいくつも入っていた。それは、ルイスツール家にいるアルスのもとにロンガが手紙で送った、
「まだよく話せた頃、お祖母様はこう仰ってましたよ。『うちの孫は分かりやすい、まあそこが可愛いんだけど。でも、悪いことしていたら口がへの字に曲がるから、そのときは叱ってやってくれ』と。まあ、大分よろしくないことに首を突っ込んでいたときはどうしようかと思いましたが……。これはちゃんと焼却処分しますからね?」
「――っ。ごめんなさい!」
「私に謝ってどうするんです? いいですか、しでかしたことは消えません。でも、ウィアさんがそれをどう償うかです。
「いいえ! 罪は償います」
「ウィアちょっと待て。それだと今までの事が全部水の泡だ」
「ユース様、これはウィアさんの問題ですよ。それに、償い方は人それぞれです。なにも、命を差し出せと言っているわけじゃありません。私にそうさせる権限もありません」
「じゃあ、何故タイム殿はそんなことを――」
バタバタと夜の病院にはそぐわない足音が聞こえてユースは口をつぐんだ。
「どうします? ウィアさんだけならこちらに留まってもいいんですが、ユース様はお帰りいただかないと色々まずいですよ」
「……僕は席を外す。ウィアは?」
「私はもう少し残ります」
「じゃあ、ユース様はこちらに――」
ガラッ!
そう、ノックもせずにいきなり開けられたドアに、ユースは思わず身構えた。ロンガも何事かと二人を隠すようにドアの前に進み出た。だが、そんなロンガから出たのは呆れた声だった。
「何をやっているんですかアルスくん……。こんな時間に病院内で騒がないでください。そもそも、どうやってこの病室が……」
ロンガの動きが止まった。
「……!! っ! あ! ろんっ、あ」
「アルスくん? どうしました、話せますか?」
急に緊張感が増したロンガの声。やって来たのがアルスなら、ウィアとユースも隠れる道理はない。何事かとロンガの後ろから覗いたアルスの顔は、血の気が引き、唇も青く、手が震えていた。
そして、服にべっとりと張り付く、血。
「カ……」
アルスがロンガの腕をつかんで病室から引きずり出そうとし、それにロンガが顔をしかめた。
「怪我ですか? 処置ならここで――」
「俺じゃない! カイナがっ!! ロンガさん! 早く来て!!」
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