第30話 星空の絨毯の意味(三)
王宮を出たのは午後10時近く。
邸宅の明かりに照らされた貴族街を走る馬車で、ベトーリナは唸っていた。
「あのー、殿下? その、今から行って病院に入れますか? 普通、無理ですよね?」
「問題ない。アルスがタイム殿に連絡済みだ」
「タイム先生にまで迷惑かけたのね……」
「今更だ。それに、今回君を止めろと言ってきたのはタイム殿だ」
「うぅ、耳が痛いです、殿下……」
そう、耳を押さえる素振りをすれば、正面からため息が聞こえた。
「その『殿下』はやめてくれないか?」
「なにを仰ってるんですか。ヴォルフにとってアイテールがどれだけ重要か、お分かりでしょう?」
「それはお互い様だ」
アイテール王家とヴォルフ男爵家は、外の世界の地図である『
それが世間の常識だ。
現ヴォルフ領の最南端、アイザーン。
そこにある、入っても何故かすぐに出てしまう『アイザーンの出戻り洞窟』。
アイテール国王が年に一度、地下世界の平安を願い祈りを捧げる場所でもある『アイザーンの出戻り洞窟』は、アイテール王家にとって重要な場所。
そして、その奥へと入るには『
しかし、アイテールは自由にその洞窟に出入りするべく
それに対し、初代アイテール国王との約束として、頑なに拒否し続けたヴォルフ家。
ならばと、アイテールはヴォルフを領地に押し込め、年に一度の式典にかかる費用を、全て負担させ、中央区へと出向くことすら許さず、交流する貴族も限られたものとした。
爵位も公爵から男爵へと、降格させられ、苦渋を味わったヴォルフ家。
それが表向き。
実際は違う。
全てはヴォルフとアイザーンを守るため、当時のアイテール国王とヴォルフの当主による芝居だ。
アイテールとヴォルフ、両家は二千年前まで遡ると同じ人物に辿り着く。
それが初代アイテール国王。
その息子である第一王子の血統が現アイテール。
第一王女が降嫁した家がヴォルフ。
父であるアイテール国王に
兄妹から始まった二つの家の繋がりは固く、アイテールとヴォルフはもっとも近しい間柄だった。
だが、それをよく思わないものも二千年のアルビオンの歴史には度々登場した。
最も過激な事件は、五百年ほど前、南部と西部の境目で死者を出すまでに規模が大きくなった抗争だ。その原因となったのは、南部側のヴォルフ領の末端の村が、隣接する西部の領へ侵略したことに起因した。
と、当時は言われた。
勿論ヴォルフの村がそんな事態を起こした事実などはない。
だが、虚言を最初に発した西部の村とその領主貴族を、ヴォルフに敵対心を抱く貴族連中が肯定するかのごとく振る舞い、証拠は捏造され、虚偽の情報に世論は流され、最終的にヴォルフが裏で仕組んだことと責め立てられた。
アイテール王家の腹心と名高い名家の所業に揺れたアルビオン。
逃げ場のない閉塞空間における混乱は、他の地域でも抗争の火種となった。ヴォルフ領は侵略され、ヴォルフが守るアイザーンの洞窟も、その内部に踏入ろうと試みる不届きものが現れる。
もちろん、そこにはヴォルフの
そうなり、ようやくアイテールはヴォルフを裁くことを決めた。実証はない、怪しい証拠でヴォルフに裁定を下したのだ。
『アイテールが決めたのだからこれ以上は騒ぎ立てることは許さぬ』とばかり、他の貴族から遠ざけるように、アイザーンを含む領地にヴォルフ家を押し込めた。全ての権限は取り上げ、『
数年後、ヴォルフの無実は証明されたが、すでに貴族社会ではあってないもののように扱われていたヴォルフの真実など誰も意には介さない。史実から罪は消されたが、その立場や評価に変わりはなかった。
そうして、領地に押し込められたこと、『
『ヴォルフは、『
それか今の一般常識だ。
だが、アイテールと、ヴォルフだけは真実を忘れてはならぬ。自分達は常に共にあることを忘れない。それを後世へと残すため、両家の当主が代替わりするとき、アイテールからヴォルフへ『
世界に嫌われ、王家の花壇にしか咲かないその花が、秘密を共有する両家には最適だった。
「祖母は心配しているんです。先代国王が亡くなられたとき、王子お二人はまだ幼かったですから、両家の当主の血筋が知る約束を教えられているのか、と。女王陛下は父に『
「だからお祖母様に
「はい。せめて、何も心配することなく安心して眠って欲しいと思いました。
「……」
「でもダメですね……。祖母を騙して、父や祖先にも、アイテールにだって顔向けできないことをしていると思うと、怖くて……!」
「ベトーリナ……」
「でも! 殿下のおかげでちゃんと祖母に見せられます! ヴォルフにとってこれほどに嬉しいことはないんです!! ありがとうございます、殿下」
「……ベトーリナ、君は――」
コンコン
不意に馬車をノックする音が聞こえた。思わず口をつぐんだユリダスに倣って、ベトーリナも口を押さえた。
そういえば、馬車が走る音も振動もない。
外に目をやれば景色も停止し、見なれた白い建物が近くにあった。
「ここは……」
「お待ちしておりました。早く降りてきてくださいませんか。ユース様、ウィアさん」
「タイム先生!」
二人は顔を見合わせて声を潜めた。
「いいかい、僕は『ユース・リガトゥール』だ」
「はい。私も『ウィア・フォリウム』とお呼びください」
「お祖母様の前でもかい?」
「『ウィア』は祖母が私を呼ぶ愛称です。なんでも、祖母は私に『ウィアルイーナ』って名前をつけたかったらしいんですよ。名前を譲った代わりに、私の愛称は『ウィア』になりました」
「まあ、孫の名前を決めたい気持ちも分かるけど……」
「随分父と騒いだらしいですよ。母曰く『あんな風変わりな親子喧嘩みたことない』だ、そうです」
「なんだい、それ」
「なんでも、世界をまたにかけた鬼ごっこだったとか」
「はあ?」
「両方とも私と同じく『導』の持ち主ですから、意地と意地のぶつかりあいだったらしいです。お腹の大きな母を領地に残して、何をやっていたんでしょうねぇ、ホントに」
呆れたウィアの声に続いて、再びノックの音がした。外の声も若干呆れぎみだ。
「先に行って鍵を開けておきます。もう夜も遅いですからね。静かに来てくださいよ?」
馬車から離れる人の気配。
白衣の後ろ姿を追った二人は顔を見合わせて頷き、ウィアが元気に馬車から飛び降りた。
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