第24話 王都下水路(五)

 高純度魔晶の制御特性は、いうなれば、近くの弱い魔晶は黙ってろ。

 邪魔をするなら壊れてしまえ。


 そんなものだ。


 この部屋の頭上の魔晶が疑似太陽に使われるのと同じ高純度なものならば、この世界アルビオンにおいて、どの魔晶の影響も受けない。

 そして、魔晶は高硬度で人の力では砕くことができない。高純度の魔晶が不純物の多い魔晶を砕くことはあるが、その逆はないのだ。


 天井にあった疑似太陽と同等の魔晶が壊れた。

 このことが示唆する可能性、それは二つ。

 一つは、部屋の光源の魔晶が疑似太陽と同じものというのは嘘。

 もう一つは、高純度魔晶を凌駕する物がこの部屋にあることだ。


 だが、後者など聞いたことなどない。


「アルス!?」


 光源を失い一気に暗闇と化した空間。

 そこにカイナの声がいやに響いた。


 自分が握りしめているプレート。指の隙間から漏れてるその蒼白い光が、徐々にあがってくる水面に反射し、自分の周囲がボンヤリと浮かび上がっている。

 その幻想的な光景にアルスは息をのんだ。

 一瞬自分が置かれている環境に見とれてしまったアルス。だが、そんなアルスをあざ笑うかのように、握りしめた手に冷感が走った。


 『魔晶を壊したのは私』

 そう存在を主張する、魔導書の一枚。

 ウルが造ったといわれる魔晶よりも古い、『テネリの魔導書』。


 アルスが握りしめたプレートを放り出そうと手を開けようとするも、自分の手が自分の意志で動かない。プレートに張り付き、手放すことを拒否するかのように固まった、アルスの拳。


「なんだ? って、っう!?」


 冷感はアルスの皮膚をプレートに張り付かせ、火傷をしたような熱感に襲われた。

 冷たいはずなのに熱いという神経がバグったかのような感覚。そして、指の間から、ピシ、と、にじみ出た氷は、アルスの手を覆うと口を開けた蛇のように一気に腕を飲み込み、アルスの視界を占領した。




『やめろ!!』


 アルスはそう声を出した。そのはずが、自分の耳には何も聞こえなかった。

 手の自由も戻り、氷すら跡形がない手を穴が開くほど見つめたアルスは、やっとまともに息が吸えた。


 しかし今度は全身を貫く寒さと指先の感覚の消失。そして、咽頭に流れ込む空気が冷たすぎて思わず口を腕で覆った。

 息をすることすら苦痛。

 足元の雪を踏みつけて、アルスは顔を勢いよく上げた。


『なんだよ……、ここ!』


 見渡す限りの氷の平原。

 その奥には、巨大な水溜まり。

 首を横に動かせば、遥か高く澄みわたる晴天の空に突き刺さる勢いでそびえ立つ、青白い壁がある。


 そして、その前では人が二名アルスに背を向けていた。アルビオンには存在しない『大自然』。その中に立つ人間のスケールはアルスと変わらないはずなのに、いやに小さく見えた。


 二人は防寒を徹底しフードつきのコートを着ている人間と、それとは対照的に軽装の人間。

 軽装の人間は、その緑色の鮮やかな髪を、時折吹く肌を刺すような風になびかせて隣の人間を見た。


「すっごい寒いですねぇ。で? 自分だけ着込んで酷いですよ、テネリ」

「何言ってるのよ。それくらい魔法でどうにかして頂戴、双璧の名が泣くわよ」

「え、今更それを出します? 言っときますけど分野が違いますからね。テネリは軍事、私は医療」

「なら、感覚をなくすくらい、フィデスなら朝飯前でしょうが」

「それをやると、色々不便なんですよ? テネリ」

「……悪かったわ、取り消す」

「それはいいですけど、駄目ですよ、その仏頂面! 子供たちが泣きますから、ほら笑ってー? 最近、テネリの笑顔も評判よかったじゃないですか」

「茶化すな! いい、規定する詠唱はこうよ!


 創世と破壊を繰り返す、連綿たる氷河よ。その青き氷石の轟音と共に姿をあらわせ。


『ロス・グラシアレス』!」


 コートを着こんでいるのは声音からして女性だ。


 女性がそう叫ぶと、辺りの風がおさまった。日の光が降り注ぐ氷原は、反射して直視できないほどに眩しい。


「どうかしら?」


 女性は手を頭の上にやり、なにかを透かして見ている。光を反射するそれは、小さなプレートだ。

 アルスは思わず己の手を見た。

 今はその存在が失せている『テネリの魔導書』とやらのプレート、それが女性が掲げるものと同じに見えた。


「いいんじゃないですか? これで病院の子供たちも喜びますよ! 題して『テネリの絶景コレクション そのいち』」

「前にも言ったけど、私の魔法は絵本じゃないのよ。って、続くの!?」

「いいじゃないですか、病院にいながら世界の絶景を見られるどころか体験できるだなんて、長旅ができない子達がどれだけ喜ぶと思うんですか? 期待してますよ!」


 そう背中を叩くフィデスとよばれた男性。その所作で、女性の被っていたフードがとれた。日光で輝く黒髪をなびかせて横を向いたその顔は、『まさか』、という思いよりも、『やっぱり……』、という思いが勝るものだった。


『ウィータさん……』


「さあ、さっそく帰って試しましょう! 『創世と破壊を繰り返す、連綿たる氷河よ。その青き氷石の轟音と共に姿をあらわせ』 皆覚えてくれるといいですねぇ」

「覚えなくていいわよ……。大体詠唱なんていらないでしょ。邪魔なだけよ」

「……テネリ、今は軍事の最前線じゃないですからね。一秒の差で勝敗が決まる現場じゃないんです。今のテネリは無駄を楽しむのが大事ですよ! なにより、カッコいいじゃないですか、詠唱があった方が!」

「フィデスの趣味は知らないわよ。ったくもう……」


 踵を返したテネリが、スッとアルスの横を通り過ぎて見えなくなった。それに数歩遅れて付いて行くフィデス。

 彼の姿も見えなくなり、アルスの目の前には氷の絶景だけが広がった。自分がちっぽけに感じるこの景色を、小手先だけの感覚や想像で現実に表すなど到底無理だと思えてしまう。


「ちゃんと魔法は使えそうですか?」

『!?』

 

 急に緑色の髪が顔の前に現れた。横から覗きこんだフィデスの金と黒の虹彩異色の瞳に射抜かれ身動きが取れないアルスに、フィデスはさらに迫った。


「詠唱が邪魔だと思ってませんか? そんなこと言わずに、口を動かしてくださいね」

『なんでお前に俺が見えるんだ!?』

「稀代の天才魔導士、テネリ・タースの故郷ですよ。ものすごく価値のある場所だと思いませんか?」

『人の話を聞け!』

「もし、ちゃんと言えたら、そうですね……。このフィデス・オルセルヴァンが一回だけ無料でどんな怪我でも治してみせましょう!」

『おい!』

「ちゃんと私のところまで来て詠唱を披露しないと駄目ですよ?」

『いい加減にしろ!』


 アルスがフィデスに向かって伸ばした手が空を切った。


「……何してんのよ、フィデス」

「ほら、ここに魔柱核があるじゃないですか。魔導書を読み解く人はここからの景色を見るわけでしょう? 詠唱が面倒くさいとか邪魔とか言われると悲しいので、ご褒美をつけとこうと思いまして!」

「そのご褒美が天才魔導医フィデス・オルセルヴァンの治療? 上の連中なら喉から手が出るほど欲しがるやつね。いいの? 悪用されるかも知れないわよ」

「大丈夫ですよ。そんな奴らが『テネリの絶景コレクション』なんて興味持つわけありませんからね」

「だといいんだけど……」

「さて! 話しが逸れました。君も、テネリや私のところに来てくださいね、ご褒美用意して待っていますから。君が今いるのは病院ですか? それとも保養所ですか? もっと別の場所ですかね? なんにしろ、会えるのを楽しみにしてますよ。詠唱は覚えましたか? なんなら一緒に言ってあげましょうか? ほら、テネリ」

「は?」

「は? じゃないです、詠唱のお手本を」


 そうフィデスがアルスの視界から出て行った。


「いらないでしょう、お手本なんて」

「天下のテネリがケチ臭いですよ。子供相手に器の小ささ見せないでください」

「……フィデスが普段私をどう思っているのかよーく分かったわ」

「あ、しまった」

「……はぁ。どんなに頭で想像したって、自然を超えるのは無理なのよ。私の魔柱核が自然を再現してくれるのだから無駄な努力はしないことね。体は魔法を具現化するための通り道よ。まあ、私の魔法を使いたいという多少の覚悟は必要だけど。さ、私に倣うのよ」


「『創世と――』」


 そうテネリの詠唱が始まった。

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