第23話 王都下水路(四)

「な、何よ!?」

「まさか……!!」


 ウィアが慌てて水路のドアを開けると、水路に流れる水の水面が波打ち、着実に水位を上げ始めていた。


「そんな……、予定より早い! ランセット公爵が水路の水量を増やしてます!!」

「じゃあ、ここは……」

「水没します! 早く逃げましょう!!」


 ウィアが証拠になりそうなアンプルを持ち、その辺の木の低木から実がついた枝を一本折取った。

 出口に向かうはずの四人。

 だが、その足並みは揃わない。


「カイナ様!?」


 微動だにせず、低木に囲まれているカイナの腕をウィアが引いた。でも、叩き落とされ、当のカイナは壊れた人形のように首をゆっくり振り続けている。


「駄目よ……。そんな、訳も分からない肥料とその魔果実ソムニポームだけじゃ! ここの栽培現場の証拠は絶対必要なの! 上の魔晶を壊せば記録紙とやらが使えるんでしょう!? それに記録させれば……」


 そうカイナが振り返ったドアの隙間から、チロチロと水が侵入し始め、アルスがカイナの腕をつかんで引き寄せた。だが、それに反発するのがカイナだ。

 地面を踏みつけて抵抗するカイナはテコでも動こうとしない。それどころか普段以上の力で振り払おうと必死だ。


「アルス放して!!」

「バカをいうなよ! 魔晶を壊せるわけないだろう!? 水路も危険だ! 逃げるぞ!」

「いやだ、ってば!!」

「カイナ! ここで僕たちが消えたら、ランセットの思うつぼだ! 最悪、全ての罪をウィアに着せてシラを切り通されるかもしれない!!」

「それに謁見で見せた魔晶指紋があっただろう!! ランセットの関与はもう十分なはずだ!」


 ユースとアルスの言葉に、カイナは全身を駄々をこねるように揺さぶり拒絶した。


「そうじゃないの!! 女王陛下は、完璧な形での事件解決がお望みなのよ!! ウィアの協力を得たにもかかわらず、栽培現場の証拠が無いだなんて……。そんな失態許されないの!!! ウィアだってそうよ!? このまま逃げたら罪は軽くならないわ!!」

「……あ、えと……」

「お前は真に受けるな! カイナはいい加減にするんだ!」


 ユースがアルスからカイナを引き剥がす。カイナの顔は苦痛に歪んだ。どうやら、ユースが有無をいわずアルス以上の力でカイナを無理に引きずったようだ。担ごうとすればカイナの足が飛び、可愛らしく抱っことはいかない。


 ユースに連行される形でアルスから離れたカイナは、叫んだ。


「これ以上女王陛下のご不興を買うわけにはいかないのよ!!」


 絶叫したカイナの声。それに、顔をしかめたユースと、思わず立ち止まってしまったアルス。

 すでに部屋全体が浸水し始め、アルスの足も着実に水に浸かっていく。

 まだ浅い水深で足は動かせる。たが、カイナの声で縛られたように動けなくなったアルスの脳裏をよこぎるのは、数刻前の謁見でのカイナだ。


 女王の前で、見たことがないほどに顔が白く、事前準備をしていた魔晶指紋のことすら自ら口にできなくなるほど怯えたカイナ。

 それを思えば、自分が女王に抱いた恐怖と怒りも再び込み上げてくる。


「女王陛下に『不要』だなんて言われてお父様の跡を継げないなら、私の存在に意味はないのよ! 三人でさっさと逃げなさいよ!!」

「そう自棄やけになるのは――」

「ユースに私の何が分かるのよ!?」


 最早ユースの言葉を聞きはしないカイナは、少し離れて棒立ちしていたアルスに視線を移してきた。


「アルス!!!」


 アルスは、睨むわけでもなく、ただ必死に己を見つめてくるカイナに釘付けになった。ユースを振りほどこうともがくも、カイナはすでに出口に押し込まれそうになっている。

 ウィアは視線をあちこち動かしてせわしない。


 次第に部屋の外を流れる水音が腹の底から響くようになり、それが耳に入る音と身体の中で反響し合う。アルスには一気に水の恐怖が押し寄せ、一歩、足を踏み出した。


 その瞬間、アルスの背後でバキバキと不吉な音が走った。


「アルス! 壁に亀裂だ!!」

「カイナ様、もうこれ以上は無理です!」

「――! あ、アルス!?」


 ユースに抵抗して出口の壁を掴んでいたカイナの手が、今度はアルスに差しのべられた。


「アルス!!!!」


 状況的に、きっとカイナはアルスに「逃げて」と言ったつもりだろう。アルスとて、迫る音と水の恐怖から逃げたかった。

 だが、真っ白な顔で、いつの間にか赤くした目で叫ぶカイナに名を呼ばれたアルスには、カイナがこう言っているように聞こえた。


「助けて」


 と。



 アルスは胸ポケットを服の上から握りしめた。そこで存在を主張しているのは、ウィータに入れられた、『テネリの魔導書』とやらのプレートだ。


 アルスにユースやカイナのような技量はない。

 あるのは、人とは違う、異質な力。


 公になれば奇異の目で見られること間違いなしの魔法とやらは、今までアルスの思うようには使えたためしがない。カイナに『しょぼい』と言われ、ウルには『想像力が乏しい』と嘆かれた挙げ句、ウィータに発破をかけられた。『このプレートごと飲み込んでみろ。だが、後にはひけなくなる』と。


 足元に広がるのは水。

 胸ポケットにある、天井の疑似太陽の光の元で水色を呈するプレートは、氷を生み出す『ロス・グラシアレス』で間違いない。


「……水の動きを止めるのに、凍らせることほど適した方法はないだろう?」


 アルスは自分にそう問いかけた。


「アルス何してるのよ!? 早くこっち来てよ!!」


 カイナが己を曲げてアルス自身を気遣ってくれるなら……。


「俺がカイナを守らないでどうする!」


 アルスが胸ポケットから『テネリの魔導書』を取り出したその瞬間、栽培部屋の天井の魔晶が粉々に砕け散った。

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