第19話 意気地なし(二)

 そう言って、ウィータはアルスの手を取った。


 『ウィータに不用意に触れるな』と、そうロンガに言われているアルスは、思わず自分の手を引っ込めた。

 別にウィータに触れられたくないわけじゃない。むしろ、ウィータから触れてくるならロンガの言いつけを破ったことにはならないだろう。

 そうは思うが、『ロンガの恋人のウィータ』という図式が初対面の時に出来上がっているアルスは、律義にもウィータから距離を取ろうとした。


 だが、今度は逃がさないとばかりきつく手を握られ、アルスは狼狽した。


「……ロンガの言いつけを随分素直に聞くわね、アルス。でも、今は素直に私に従いなさい。時間がないんだから」


 金と黒の虹彩異色。

 その瞳でアルスを見上げて来たウィータの目は細められ、いつものおおらかな雰囲気とは似ても似つかない冷たいものだ。後ろにさがるアルスに、車椅子から立ち上がったウィータは、そのままアルスを自分の方に引き寄せた。


「ウィータさん!? 日が落ちたら歩けないんじゃないんですか!?」

「普段はね。でも、今はちょっと無理する時なのよ。さて、アルス、ウルちゃんは意外と甘いのよ。だから私が教えてあげるわ」


 口元に笑みを湛えたウィータにアルスの背筋に悪寒が走った。


「何をです!」

「大昔の話よ。私の故郷は氷河で有名な地域だったの。すごい雪が降る場所」

「……どこの話です? アルビオンにそんな地域はありません!」

「五千年前の話よ。場所は『ロス・グラシアレス』。それが私の故郷なの」

「なんでその名前を知ってるんですか!?」

「もう、何度も魔導書は開いているのでしょう? でも、その深淵までは到達してない。ウルちゃんがもっと厳しくすれば簡単に見られるのにねぇ。そうしないのは、アルスを信用してないからかしら、それとも、逃がそうとしているからかしら?」

「何の話です……」

「まあ、ウルちゃんの気持ちも分かるわ。こんな何も知らずにのびのび育った子供に、ウルちゃんの後が務まるとは到底思えないもの、ね!」


 ブチ、という音がアルスの腰から聞こえた。

 チャラ、という音がしたウィータの手には、アルスが常に腰につけている、ウル曰く『テネリの魔導書』が握られている。そのプレートの束から一枚をむしり取り、ウィータはアルスの胸ポケットにそっとしまった。


「いいことアルス。本当にウルちゃんの後を継いで『悪王の再来』とやらになる気なら、このプレートごと魔法を飲み込んでごらんなさい。そうすれば魔法も何もかも思いのままよ。ただし、もう二度と後には引けなくなるから」


 残りのプレートを、チャラ、と指にかけ、車いすに収まったウィータ。


「残りは、私が預かるわ。覚悟ができたら私からもぎ取りにいらっしゃい」

「ウィータさん……。貴女は――」

「アルス!! 何やってるのよ! ウィアが通ったわよ!!」

「ほら、行ってらっしゃいなアルス。大事なお嬢様がお待ちよ?」


 そうひらひら手を振るウィータに聞きたいことは山ほどできた。

 ウィータのあまりの変化に、今までの二カ月間騙されていたのではないかという思いも芽生えたアルスだが、カイナの呼ぶ声でその思考は途切れた。

何度も瞬きしたアルスの視線の先には、いつもと変わらないウィータが、にこやかに座っている。


「アルス!! 何やってるのよ!? ……ウィータさんに何か用なの?」


 部屋をのぞいたカイナの一段下がった声音に対して首を振ったアルスは、カイナの体を押して部屋から出た。


「何? あ、ウィータさん、行ってきます!」

「……行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい。気をつけてね、三人とも」


 すでにウィアの後をつけて家から出ているユースに追いつくべく、二人は走った。先に王都下水路クラウンに入られて、ウィアに鍵でも閉められたら計画が大狂いだ。

 だが、そんな心配は無意味で、ユースはすぐに見つかった。その先にいる、金髪メッシュの髪を水色のシュシュで結んでいるウィアはいつもとは違って人混みを歩いている。

 たまに、首を横に動かす素振りをするが、後ろまでは首は回らない。


「ウィア、随分挙動不審よ」

「まあ、僕たちがついて来ているのか気になるんだろうね」


 その二人のやり取りを聞いたアルスも、後ろを振り返り、かろうじてまだ見えるウィータの家を見て胸ポケットを掴んだ。しっかりと存在を主張する小さいプレートが布越しにヒンヤリした感覚を伝えてくる。


 あの流れでポケットに入れたのだから、このテネリの魔導書が『ロス・グラシアレス』で間違いはないだろう。なら、何故、ウィータがそんな事をするのだろうか。


 ウルを匿っていることから常人ではない可能性は薄々感じていた。日中は歩けるのに日が落ちると立てなくなってしまうのもおかしかった。だが、ウルも、そしてロンガも特に何も言わなかったため、アルスは深く追求することを避けた。

 だが、少しでも真実に踏み込んでおくべきだったと、アルスは自分の意気地のなさを悔いた。


 そうして、一つの疑問が浮かんだ。


 ウルとウィータを知っているロンガも、もしかしたら世間一般の人とは違うのではないか。


 そんな、もしもの思考が頭をよぎり、アルスは立ち止まってしまった。


 先を並んで歩くカイナとユース。

 次第に距離ができる二人を見ていると、ウルたちに深くかかわる自分は異質であり、二人に混じるのは異様なのではないか、そんな思考が芽生えてしまった。


「アルス?」

「あ、ごめん……」

「しっかりしてよね?」


 慌てて駆け寄ればカイナが頬を膨らませて怒っている。自分の進退とウィアの処遇がかかっており、カイナのやる気は馬車の中から少しも衰えていない。ユースはウィアから一度たりとも目を逸らすことなくまっすぐ前を見ている。


 そんな二人を見て、アルスは後ろを振り返るのはやめて前を見ることにした。

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