第13話 取引
つけられている。
ここ数ヵ月、毎日のように、街を歩けば後をつけられている。それも一人じゃない、複数の人間に。
彼らは決して向こうからは接触してこない。
昨日、その内の一組と運悪く遭遇してしまったけれど、向こうは話をそらしてくれた。
でも、今朝は違った。
まさか、彼が待ち構えていようとは。
ヴォルフ男爵家の貴族街の邸宅は他の男爵家に比べてもかなり小規模。そんな屋敷の門を出て学校まで急ごうとしたウィアは、門の脇の壁に背を預けている少年を見て我が目を疑った。
朝日に、結った長い金色の髪を輝かせ、フォロクラースの制服に身を纏った少年がいた。
ウィアの記憶が確かなら、このヴォルフ家の周囲にフォロクラースに通う年齢の子供はいない。もっとも、ヴォルフ邸は貴族街の外れにあり、周囲に爵位持ちの家すらない。
そんな辺鄙な場所なのだ。間違っても彼が来る場所ではない。
「ユース・リガトゥール様……」
「やあ、今朝も徒歩で登校かい? ここからフォロクラースまでは距離があるだろう、馬車で送ってもらえば良いものを、なんで徒歩なんだい?」
「……私は、お付きの身分ですから」
「主の代わりに、行きたくもないフォロクラースに通うのにかい?」
「行きたくないなんて、滅相もない!」
ウィアが思わず否定すると、ユースは鼻先で笑った。大方、アイテールとヴォルフの確執から、ウィアの言葉が嘘だと思ったからだろう。
それならそれでいい。
だが、状況はまずい。身動きが取れないウィアに、ユースは壁にもたれかかったまま呆れた声を出した。
「遅刻するから急ぎたいのだけど?」
「……もう間に合う時間じゃないと思いますよ」
「君は無遅刻無欠席のはずだ。一体どうやっていつも遅刻せずに通ってるんだい?」
「それは……。今日はたまたまこんな時間になっただけで、いつもはもっと早いんですよ」
「へぇ? 昨日も、先週も。君はいつもこの時間に家を出ていると思うけど?」
街に出た時にカイナたちにつけられていたのは気づいたが、まさか貴族街の中もだとは思っていなかった。ウィアは、隠れて舌打ちした。目の前で不敵な笑みを湛えるユースは、カイナとアルスのコンビとは違って随分と有能だ。
「……ストーカーですか、ユース様」
「何とでも言えばいいさ。この前は途中で見失ったからね。徒歩で一時間はかかる距離を、君はどうやって半分以下の時間で登校しているのか……。今日は逃がさないよ、ウィア・フォリウム」
「……何をおっしゃっているのやら。今日は遅刻していきます。ああ、流石にユース様を遅刻させる訳にはまいりません。ヴォルフの馬車でよければご用意いたしますよ」
「遠慮しておくよ。僕は君と一緒に行きたいんだ」
「……なら一時間歩いて仲良く遅刻ですが」
家の体面的には悪いが、致し方ない。そう諦めたウィアは平常心を保って、足早にユースの前を横切った。
「もし僕が『
「な……!?」
背後からそう投げかけられ、こぼれんばかりに目を見開いてウィアはユースを振り返った。ウィアの行動が全て思い通り、そう言いたげな不敵な笑みを浮かべたユースは、硬直したウィアの耳元で囁いた。
「まあ、花は無理だから種になるけどね。どうせ、君を動かしている奴らはそんなものを用意はできないさ」
「……何故そう決めつけるんですか?」
「ここで話していいのかい?」
「……分かりました。こちらへどうぞ」
ヴォルフ邸の裏は、貴族街の周囲を流れる川だ。
その塀には一見何もないように見えて、
「ここは王都下水路かい?」
「この階段を下って扉をくぐればそうですよ。ですが入ろうとはしないでください。
オレンジの光がぼんやりと灯る静かな空間に、ウィアの上ずった声が響いた。
「その……! 『
「君次第だよ。悪い話ではないと思う。どのみち、今のままでは『
「何故ですか!?」
そこまで広くない空間。だが、下に続く階段にウィアの必死な声が反響し、それがウィアの心を急き立てる。
何故、ユースが『
だが、対するユースは冷静だ。ウィアが今か今かとユースの言葉を待っているのに、深く息を吸ってからやっと話し始めてくれた。
「一つ目、ランセット公爵はすでに女王陛下に『
「やっぱり……」
「否定しないところを見ると、君に『
ウィアは、こくり、と力なく頷いた。
「なら三つ、僕の言うことを聞いてもらおうか、ウィア・フォリウム。そうすれば、『
そう、だからユースをここに招き入れたのだ。誰にも、聞かれたくはない大事な大事な、ウィアにとっては、自分の一生をかけてもいい話。
「……交換条件ですか。三つも……」
「絶対手に入らないものを手に入れるなら安いもののはずだ」
「具体的には何を?」
ユースは指を一本突き出した。
「一つ目は、ランセット公爵を捕まえる手伝いをしてほしい。君の事は、最大限擁護する。カイナは君を庇う気満々だ」
「やっぱりカイナ様も絡んでいるんですね。流石は女王陛下のお気に入りでいらっしゃる」
「二つ目、これも君になら簡単だ。フォロクラースに通学させなくて構わないから、君の主、ヴォルフのご令嬢に会わせて欲しい」
ウィアは首を傾げた。興味本位だろうか。ヴォルフの令嬢など、リガトゥール公爵家のユースが気にする必要などない人物のはずだ。
「お嬢様にですか? 何故です?」
「君に言う必要はない。どうだい?」
「……『
「僕はフェルーノ・ルーフスの婚約者だ。ルーフス宰相でもリガトゥールを通してでも、女王陛下に頼める。いざとなったら、そうだな、懇意にしている第一王子に頼むさ」
「……なんだか、そっちの方が強そうですね」
王子に宰相、女王の育った家のリガトゥール公爵家。その豪華な顔ぶれを頭に思い描いて、ウィアは思わず吹き出した。落ち目のランセット公爵よりも、ずっと信ぴょう性がある。
「まあ、花ではなく種になるけどそれでもいいのかい?」
「そんなこと百も承知です。『
「……ヴォルフのご令嬢にちゃんと説明して欲しい。『
「……すんごい嫌々感漂ってますね。言い訳みたいですけど」
「それでなければ協力しない」
「分かりました!! お嬢様に伝えます!」
「ついでに、遅刻しないようにフォロクラースに案内してもらおうか?」
「……言っときますけど、変な行動取ったら、水路に落としますからね」
「しないさ。カイナたちがいないところで捕らえても、彼女の手柄にならない。決行は今晩あたりかな? それまでボロを出さないでくれよ、ウィア・フォリウム」
「分かりました、ユース様。……」
「どうした?」
もしも、ランセット公爵とかかわる前に、誰かに助けを求めていたら、もう少し違った道もあったかもしれない。
もしも、アイテールに直訴していたらすんなり事が運んだかもしれない。
ユースという思わぬ人物の登場に、「もしも」という考えが浮かんだが、ウィアはそれを頭から追い出した。
「いえ、ありがとうございます」
「礼は全部終わってからにした方がいいと思うけど」
「そう……、ですね。そのときも、お礼は言わせてくれますか? 罪人だから知らないとか、言わないで下さいね」
そう笑ってみれば、ユースは眉間にしわを寄せた。困ったところを見ると、ウィアを犯罪者と見ているのは間違いなさそうだ。
それも仕方がない。自分は全てを捨てて、祖母をとったのだから。
まあ、その祖母に言えないようなことに手を染めているのは申し訳ないし、祖先に顔向けもできない。ヴォルフ領で眠る故郷の父にも、会わせる顔もない。
そして、もう一人。
約束しているはずのあのお方にも。
ウィアは、一瞬口をへの字に曲げると、パッと笑顔に切り替え恭しく頭を垂れた。
「では、お連れします、ユース様。
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