第6話 勘違い

 翌朝、よく眠れた、とは言い難いアルスは、微睡んだまま着替えて部屋を出た。

 だが、朝早く届いていた手紙に歓喜して、すぐさま覚醒した。


「ロンガさん!」

「お嬢様がまだ寝ております。お静かに、アルス様」


 手紙を持ってきてくれたのは、ルイスツール家の家令のウィリディスだ。アルスは外、特にフォロクラースではカイナの従僕という体だが、ルイスツール邸では、カイナの客人であり、ロンガ・タイムが推薦するフォロクラースの生徒だ。


 もともと、カイナとアルスは五歳のときにアルスの村で一緒に遊んだ仲の良い友人だった。

 それは、今は亡きカイナの父親の仕事で、ルイスツール一家がアルスの故郷ブライトに滞在していたときの事だ。その時に仲良くなった二人は兄弟のように遊んでいた。生まれたのは数日アルスが早く、自分がお兄ちゃんで彼が弟のように思えていた、茶色い髪の、少々内気な男の子。

 そう、二ヵ月前までのアルスは記憶していた。

 そして、それがのちに少々ややこしい事態を招き、カイナの不興を買うことになった。


 二ヵ月前、それは壁際地域といわれるこの世界の端の地域で病が流行ったころだった。

 死者は出ない、だが、病にかかったものは眠りについて起きてこない。

蒔夢病ソムニウム』と名付けられたその病。アルスの村ブライトも例外ではなく、その多くが眠りについてしまう。

 そんな中アルスの元に現れたのが、ロンガ・タイムだ。

 王立病院に勤務し、ルイスツール家お抱えの医師でもあるロンガは、調査目的で村を訪れるとともに、カイナから手紙を預かっていた。

 その内容はこうだ。


『親愛なる アルス

 お元気ですか? そう書くのも憚られますが、アルスとご家族が無事であることを祈ります。もし、皆さまが起きていらっしゃるのでしたら、どうか中央区のルイスツール邸にいらしてください。

 カイナ』


 まだ無事だったラザフォード一家だが、他の村人がいるのに自分たちだけ逃げるのは憚られた。だが、日ごと増える蒔夢病ソムニウムの患者。ここにいるべきではないと、ロンガがアルスの両親を説得し、一家を村から連れ出したのだ。

 本来なら、アルスと両親、そして七歳の妹の四人でルイスツール邸に向かう筈だったが、両親は中央区では仕事にはありつけないと、ルイスツール縁の南部地区に妹と身を寄せることになった。アルスも家族と一緒に行く気だったが、カイナと同じフォロクラース学園にロンガが推薦するという話に、アルスの両親は喜んだ。この世界で一番優れた教育の機会が得られるとあって、両親の強い希望の元、アルスはカイナのもとに行くことになった。

 アルスも、自分が弟のように思っていた友人が、どう成長しているのかが楽しみだった。相手は貴族だが、気にかけてくれているのだ、昔のように気兼ねなくとはいかなくても、また楽しい時間が過ごせるのではないか、そう期待していた。

 それが、全くの誤算だと気付かぬまま。


 そうして、中央区にロンガと降り立った日。完全にお上りさんだったアルスは、ロンガとはぐれた。

 広場で群衆の中歌を歌う小太りの男性に思わず釘付けになってしまったのだ。


「せっきたんのぉ~、にぃおいうぉ~」


 と、謎の歌を歌う男性。後にカリブ・クルスだと判明するが、とにかく大道芸か何かかと思うその様子に驚き、ロンガを見失った。


 行き先は貴族街と聞いていたアルスが地図を頼りに街を彷徨っていると、路地に引っ張り込まれたのだ。ガラの悪い連中に。


「いくら持ってる?」

「手持ちがないなら荷物を置いて、全部脱いでいけ」


 路地の奥で、あれよあれよという間に男どもに取り囲まれたアルスは、抵抗を試みるも、一度殴られて口から血を吐いた。


「ゲフッ……」


 笑いと共に、背負っていたバッグを取られ、取り戻そうと伸ばした手も思い切り踏んづけられた。そして衣服迄はがされそうになった時、冷ややかな声が聞こえて来たのだ。


「へぇ、あなた達、男子を愛でる人なのね。別にいいけど、ちょっと強引じゃないかしら? 彼の方は納得してないようだけど? そこんとこ、大事よね? ああ、その子の年齢的にアウトかしら」


 十人ほどいたゴロツキが一斉に後ろを振り返った。残念ながら寝そべっていたアルスの位置からはゴロツキが邪魔で声の主は見えなかった。だが、確実に女性のものである声音に、「あ、危ない」という微かな声が口から出たが、それは人が倒れる音にかき消された。

「うっ」や、「ぐぇ」という細切れの音と共に、ドサ、と人が倒れる音が続けざまに響いた。

 アルスの一番近いところにいた奴がアルスを盾にしようと手を伸ばしたが、触れる前に「ぐぇ」と横に倒れ、代わりに上から見下ろしたのは、ふわふわブラウン頭の少女だった。


「君、大丈夫?」


 そう言って、手を伸ばしてにこやかに微笑んだ少女は、反対の手に鞘に収めたままのレイピアを握っていた。

 強くて可愛い、そんな少女に思わず見惚れたアルス。

 返事ができず、口元に伝っていた血をぬぐってもらってやっと「ありがとう」と、いう言葉が口から出てくれた。


「どうしてあんな奴らに襲われていたの?」

「いや、人とはぐれて……。探していたらいきなり連れ込まれた……」

「そう。人探しもいいけど、怪我してるから診てもらった方がいいわ」

「あ、でも、俺が探している人、お医者様だから、外科医だし、怪我は診てくれると思う」

「そう? なら、どこの病院か分かる? 連れて行ってあげるわ」

「王立病院だ、名前は、ロンガ・タイム」

「ロンガ……、タイム?」


 それまで、優しい笑みを湛えていた少女の顔が引きつった。まじまじとアルスを見ると、ギギギ、と首をぎこちなくひねった。


「あの、ロンガ・タイム先生って、藍色の髪の毛で、すんごい口調が丁寧な、二十代後半くらいの先生かしら?」

「ああ、歳は詳しくは知らないけど、そんな感じだな」

「……ちなみに、君、名前は?」

「アルス――」

「アルスですって!? ブライトの村の!? アルス・ラザフォード!?」

「そう、だけど……」


 少女に肩を掴まれ揺すられて、男どもに殴られた顔がの痛みが増したアルスは、眉をしかめた。


「あ、ご、ごめんなさい……。って、本当にアルス!?」


 一度アルスから離れた少女は、次の瞬間抱き着いた。


「やっと会えた!!」

「うぉ!?」

「ごめんね、私が駅まで迎えに行けばよかったわ……。こんな、あの子の後つけてる場合じゃなかった……」


 くすん、と少し鼻をすすった少女に完全に圧倒されたアルス。ふわふわブラウンの髪が顔に触れて少々くすぐったいわ、抱き着いている体が柔らかいわで思わず手が宙を彷徨った。


「えと、あの、誰だ?」

「何言ってるのよ。手紙送ったから来てくれたんでしょ? カイナよ! そりゃ久しぶりだけど、会ったら思い出してよ!」


 そう、ぷう、と可愛らしく頬を膨らましたカイナを見てアルスは固まった。そして、絶対に言ってはいけないことを口にしたのだ。


「カイナ、って、男、だろ?」

「……なんですって? なんですってアルス!!!!」


 ガシッ、と肩を女子の力とは思えぬ握力で掴まれ、アルスはカイナの思うがままに揺すられた。


「うおぉぉ!?」

「私のどこが男なのよ!? そりゃ確かに昔はズボンはいていたし! って、今もズボンだけど!? まあ、髪短かったし! 男の子っぽかったかもしれないけど! なに、それじゃあ、アルスはこの十年間、私のことず――――――っと男だと思っていた訳!?」

「……」

「無言は肯定とみなすわよ!」

「わ、悪いって……」

「許さない!!」

「ご、御免ってば!!」


 カイナに肩を揺さぶられ続け、もはや痛いんだか眩暈がするんだか分からなくなったアルスのもとにロンガが駆けつけて、カイナの怒りは、小指の先くらいはおさまった。




 ロンガの手紙を見つつ。アルスは今更ながらに反省した。

 白い便箋に丁寧な文字でつづられているロンガの手紙。

 対して、カイナから送られたあの時の手紙は、薄ピンクの便箋で丁寧かつ柔らかい筆跡。文面も男性にしては丁寧だと、後になって改めて見返してそう思った。


 後にカイナが無表情で「……アルスもご家族も大変だっただろうから、手紙で気づかなかったことは水に流してあげる」と、言ったことで、カイナを男だと思っていたことは許してくれたようだ。

 まあ、ふたを開けてみれば、男子よりも運動神経が秀でており腕っぷしも強いカイナに連れまわされる感じでアルスの日々はめまぐるしく過ぎ、ある意味充実していると言って良いものになった。


 つまり、アルス的に、ここでの生活は悪くない。

 そこまで振り返り、アルスは時計を見た。もうじきカイナが起きる時間だ。


「さて、ロンガさんはなんだって?」




『ウィアさんを止めてください』

 ロンガの手紙はその一文から始まった。

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