第5話 魔法

「勝手な口きいてんじゃねぇ!」


 一度ため息をついたアルスの後頭部に本日四度目の衝撃が加えられた。衝撃で前にふらついたアルスの喉元に突き付けられていた刃が、グニ、と食い込んだ。


「アルス!?」

「ウィア、動かないで」


 ポタ、と刃の柄から足元に滴った血を見て、アルスは慌てて足で地面をこすって痕跡を消した。だが、途切れずに地面に落ちる血にさっさと見切りをつけたアルスは、後ろ手で男の服を掴み、叫んだ。


「『ロス・グラシアレス!』」


 ピシ、と何かが割れるような音がアルスの背後から聞こえてくる。それをかき消したのは、野太い男の叫び声だ。


「ひぃいい!?」

「お、い!? っ、この!!」

「ガキ! 手を放せ!」


 声だけで取り乱しているのが分かる男三人と、アルスの正面で面食らった顔をしているウィアがいる。ドサ、と重い落下音が響いたのは、アルスが男どものご所望通り、手を放した直後だ。

 アルスが後ろを振り返ると、地面に座り込む男が一人、己の服を脱ぎ棄てようとしている最中だった。

 その衣服はアルスが掴んでいた部分から白い蒸気をあげて氷の結晶となり男を包み始めていた。衣服に覆われていない肌も霜が降り、この男の周囲だけ氷点下の世界になったように凍りついていく。そんな男の腕をアルスは掴んだ。


「俺、オッサンの肌かとか見たくないから脱ぐのやめてくれない? もっと言えば、男を押さえつける趣味もないんだけど」


 顔を真っ青にした男の口が流暢さを失い、「あ……」と恐怖に満ちた目でアルスを見た。


「おま……、え、こ、れ、あく、お……」

「憲兵に引き渡すまで凍ってて。後ろのおっさん達もだ」

「じょ、冗談!! それ、魔法だろ!! お前が悪王の再来か!?」

「憲兵に突き出されるのはお前だろう!」

「なら、俺を捕まえるか?」


 逃げだす様子がないゴロツキ二人。

 アルスを憲兵に突き出し得られる報酬を思い描いたのだろう、一瞬笑みを湛えたが、それは、ゴツン、という巨大な氷が転がる音で消え失せたようだ。アルスの足元にゴロリ、と転がった人の氷漬けを見ると、たちまち笑みが消え、二人は踵を返した。


「ひぃ……!」

「化け物!!」


 そう脱兎のごとく走り去ろうとした男ども。それを追おうとアルスが氷漬けを飛び越えた時、男たちが向かおうとしていた路地の奥から一声響いた。


「『ロス・グラシアレス!』」


 その声を聴いたアルスがすぐさま踵を返すと、こちらを睨んでいるカイナとあんぐり口を開けているウィアに向かって叫んだ。


「横に飛べ!」


 すぐさま反応したカイナはウィアを抱えて路地の直線上から消えた。アルスが路地から飛び出て建物の影に隠れると、路地の奥からバキバキバキ……、と白いつららが地面から無数に生えて一気に表通りを横切って対岸の建物の間へと入り込んで行った。その、どこまで続くのか分からない氷の群をみて、「う、そ……」と、そう呟く声が聞こえた。


 カイナとウィアは無事に避けたようで、アルスが駆け寄ると、カイナが一言苦言を呈した。


「しょぼいわね」

「……そう仰らないでください、お嬢様」

「う、そ……。うそ、嘘でしょ!? そんなわけないわ!! あり得ない!!」


 そう、再びウィアが口を開いた。今度は傍に二人がいることなどお構いなしに、ありったけの声量で叫び、カイナが思わず耳を押さえていた。


 ウィアが叫ぶのも無理はない。あり得ないもの。それはこの世界において二種類ある。

 一つは外の世界にあるはずの大自然。

 もう一つは人が手放さざるをえなかった魔法だ。地下世界に移住した時に人類が手放した魔法。唯一使えるのは、悪王と名高いウル・ティムスのみだと言われていた。

 そのあり得ないものを見て叫んだウィアは、今度は微動だにしなくなった。


 その気持ちはアルスも分かる。

 初めて自分が魔法と思しきものを使ったときには息が止まったものだ。無意識にできるはずの呼吸すら不可能になるほど頭の中が錯乱し、生きるための脳の中枢すらショートしかけたような感覚に襲われた。

 同じ状況に陥っているウィアに、「大丈夫か?」と声をかければ、「はっ」とウィアは息をし始めた。


「え、ええ、ええええと? アル、アルス? が、これを、やったのね? そう、よ、ね?」

「あー、正確にはちょっと違う」

「そうよ、ウィア。アルスの魔法はあの最初の、ゆーっくり氷漬けを作っていたものよ。この氷のつららは違うわ」


 カイナが、非常に嫌そうな顔をした。


「やっぱり魔法!? どういうことよ!!!」


 ウィアの叫びに呼応するように、一気に氷のつららがはじけると、その残骸もろとも綺麗に空気に溶け込み消え去った。そして、路地の奥から三つの氷漬けが転がり出て来た。その最後の一つが転がり出ると、その上に誰かが足をガン、と乗せた。


「何やってんのよアルス、魔法を使ったら取り逃がすなと言ってんでしょうに」

「ウル……。お前、豪快過ぎるだろう?」

「言っとくけど、あれでも超手加減してるのよ! カイナちゃんに『しょぼい』言われるあんたの魔法、もうちょっとどうにかしなさいよ」

「……ま、魔法……。やっぱり魔法!? 貴女、一体どなたなんですか!?」

「あら、私に興味持っちゃうの? そう、それは嬉しいわ! この悪王ウル・ティムスの魔法、いかがかしらお嬢さん?」

「やっぱり、悪王ウル・ティムス、なんですか!? あの、私――」

「ちょ、ちょっと待てウィア。ウル、お前、ウィアにそんなこと話してどうするつもりだ?」

「まあ、一通り話した後は、全部忘れてもらうわよ。たまには私だって、自分の武勇伝くらい話したいのよ!」

「私もお聞きしたいです!」


 カイナの後ろにいたウィアは、興味津々ウルの手を掴んで生き生きした笑顔を見せていた。どうやら、ウルも悪い気はしないようで、鼻歌交じりに話す気満々だ。


「そう? なら……」

「あの、ウルさん、もう人が来ますけど……」


 いくら人気のない道だとはいえ、遠くにいる門兵が異変に気付くに決まっている。カイナの指摘にウルは残念そうに肩をすくめた。


「……あらぁ、残念だけどお嬢さんの記憶いじろうかしら」

「嫌です! 誰にも喋りませんから、このままで! それに、別の機会に話を聞かせてください! 私、出身がヴォルフなんです!」

「ヴォルフ? それを、わざわざ私に言うのね……。名前は?」

「……ウィア・フォリウムです」


 ウィアの言葉に、ウルは眉をひそめた。


「ふぅん……。まあいいわ、私の事もアルスの事も一切口外しないと、そうね、ヴォルフの貴女はアイテールに誓えるかしら」

「はい!」

「そう、ならいいわ。じゃあ、またね」


 そう言ってヒラリ、と細い路地の奥に姿を消したウル。その消えた道を、ウィアは食い入るように見つめ続けた。


 転がりだしたゴロツキの氷漬けは、門兵や憲兵が集まった時には綺麗に溶けていた。


「歩いていたら急に襲ってきたので仕留めました。私のことご存じなかったようですよ? 結構有名かと思っていたんですけど、まだまだですわね」


 襲ってきた三人は、最近荷馬車を立て続けに襲ったお尋ね者だったようで、そのまま憲兵に引き取られて行った。事後処理は任せて、帰路につく三人は、少々テンションの高いウィアが話の中心だった。


「ねえ、あの三人からアルスたちの事はバレたりしないの?」

「ウルが上手く記憶いじってるはずだから平気だ」

「すごいのね!! ねえ、アルス、どうしたらまた会えるの!?」

「え……」

「ウィア、貴女何故そんなにあの方に興味があるの?」

「えー、っとですね。ほら、夢があるじゃないですか!」

「夢ねぇ……」

「そうですよ! あ、私寄って行くところがあるんです! この辺で失礼します!」

「一人で危ないぞ? 送っていく。よろしいですか、お嬢様?」

「いやいや、平気よ! カイナ様を寄り道なんてさせられないわ! すぐそこだから大丈夫! ではカイナ様、失礼いたします」


 一礼して本通りからそれたウィア。その道がつながる先は一つしかない。


「行き先は、王立病院ね。この時間に行ってお見舞いなんてできるのかしら?」

「……主治医のロンガさんが取り計らってくれれば平気だろ。後つけるか?」

「今日はやめときましょう。アルスの首の怪我も手当てしないといけないし」

「血は止まってるから平気だよ」

「そうやって甘く見てると駄目だって、タイム先生いつも言ってるじゃない。アルスが言いつけ守らないでどうするのよ。小さい傷も命取りになるって、タイム先生の口癖でしょう?」

「分かった分かった」

「それ、分かってないわよ!」


 一応カイナの後ろにつき、立ち位置だけは従僕を装ったアルス。そのままルイスツール邸に戻ると、家令から恭しく差し出された手紙にカイナが青ざめた。


「……女王陛下の封緘」


 若干震える手で丁寧に封を開けて、手紙を読むカイナの顔が、ますます色を失っていく。


「……呼び出しよアルス。明日、学校が終わったら謁見にあがるわよ」


 カイナが女王陛下から命を受けたのは三か月ほど前。

 世界の最高権力者から急き立てる呼び出しは、『遅い』と言われているようで、アルスも生きた心地はしなかった。

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