第4話 カリブ・クルス

「……なんであの人なんかと話しているのかしら」


 カイナは急に気分がゲッソリし、アルス共々ウィアに背を向けた。


「アルス、もう帰りましょう」

「え? ウィアを最後までつけるんじゃないのか? ヴォルフ邸に戻るかまで見た方がいいだろ?」

「それは正論なんだけど! でも! 一緒にいる人が悪すぎる! 巻き込まれる前に戻るわよ!」

「カリブさん――ゴフッ!」

「アルスの馬鹿! 名前を呼んだら駄目!」


 カイナはアルスの後頭部に本日三度目の打撃を与えた。一度目の床、二度目の家屋の壁、三回目は街路樹だ。まだ樹皮の方がクッション性はあるかもしれないが、カイナが勢い良く打ちつけたアルスは、若干涙目だった。


「来ちゃうじゃない! あの人――」

「おーや」


 そう道の反対側から聞こえた声は、徐々に大きくなって来た。


「こーれはこれは!」


 大通りには馬車が走るレーンと四輪駆動車が走るレーンがあり、交通量は多い。にもかかわらず、横断歩道もないのに、大通りの向こうから声が近づいてきた。


「お久しぶりですなーぁ、ぁぁぁああ!!??」


 アルスとカイナが身動きを取らず隠れていた街路樹の向こうから友好的に近づいてきた声は、途中で驚愕の声へと変化し、そのままカイナたちの横を過ぎて歩道に面した店のショーウインドウに激突した。

 ガシャン!! と、ガラスが砕ける音と共に、店内からは悲鳴と怒号が聞こえた。カイナはアルスの手を引いて、出来つつある人混みの中にソロリソロリと紛れ込む。ショーウインドウは見事に砕かれ、箱がついた自転車に乗った小太りの男性が、砕けたガラスの破片を振り落としながらムクリと起き上がった。


「まぁーたお前か!! カリブ・クルス!!」

「いやぁ! 勢いつきすぎましたな! はっはっはっ!」

「いい加減大人しくしてろ! 訳わかんねぇ発明ばっかりしてねぇで、ちゃんと仕事しろ!」

「してますよぉ。これもその一環です! 石炭を動力にして半分の力でいい自転車! スピードが出過ぎて止まれないのが難点ですなぁ! はっはっはっ!」

「……笑ってねぇで弁償しろぉぉぉ!!」

「えぇぇぇ、その前にぃ……、おや、お二人が消えましたなぁ?」


 悪びれる様子もなく周囲を見回している小太りの男性、カリブ・クルス。そんなカリブの視線から逃れるように、カイナは野次馬の外に移動して胸をなでおろした。

 だが、ホッとしたのも束の間、正面を見れば、通りの向こうにいるウィアの視線をもろに浴び、逸らすことはできなかった。その割に隣のアルスは「よかったな、見つからなくて」などとのんきなことを言っている。


「……ばか」

「へ?」

「へ? じゃないわよ! ああ! こっちに来る……」


 少し遠くにある横断歩道を軽快に駆けて来たウィアは、カイナの前に来ると丁寧にお辞儀をした。


「カイナ様、ご無沙汰しております」

「久しぶりね、ウィア。学園じゃ話せないものね。貴女が元気そうで何よりよ」


 パッと、カイナがにこやかに微笑めばウィアも花が咲いたような笑顔を見せてくれる。難しい表情など似合わない、快活な笑顔が似合う子、それがカイナの知るウィアだ。


「お気遣いありがとうございますカイナ様。アルス、こんばんは! カイナ様のお付きね? お二人ともどちらに行かれていたのですか? しかも徒歩でなんて」

「俺がルイスツール家に行く前にお世話になっていた人の家に、顔を見せに行ってたんだ。馬車より徒歩の方が目立たなくていい。そうですよね、お嬢様」


 ルイスツール男爵令嬢の従僕。それが、学園でのアルスの立ち位置だ。ウィアの質問に淀みなくそう答えたアルスをカイナはチラリと見上げた。目と口に綺麗な弧を描いて造ったような笑みでそう話すアルス。ウィアの質問に対して答えた内容に何一つ嘘はないのだが、造り出した表情で語られた言葉はどことなく嘘くさく感じた。


「そうね。ウィアは? 何故ここにいるのかしら?」

「お遣いですよ!」


 そう、ウィアもアルスと似たような笑みを湛えて答えた。お遣い、と言えばお遣いかもしれない。麻果実ソムニポームの違法栽培の主犯格、ランセット公爵のお遣いだろう。主は違えど、お遣いはお遣い、嘘ではない。物は言いようだ。

 そう内心ため息をついたカイナの斜め後ろから、予想外の質問が飛び出た。


「お遣いって、ヴォルフのお嬢様のか?」


 勘が良いのか悪いのか分からないその質問。もし考えてした質問ならウィアの出方を見るのにちょうどいいが、何も考えずにしたのなら、アルスは短慮だ。


「え、ええと、急に言われてね、駅向こうまで行ってきたのよ!」


 そう答えたウィアは、「大変だったの」と、口をへの字に曲げた。

 その時、未だ野次馬が引かない現場から歌声が聞こえて来た。


「せっきたんのぉ~、にぃ~おいうぉ~」


 ガシャーン!!


「破片をまき散らすなぁ!!」


 壊れた店先を片付けようとでもしているのか、カリブが陽気に歌を歌いだした。


「……逃げるわよ! ウィアも帰るんでしょ!? 行くわよ!」

「何ですか、あの方……。アルス知ってる?」

「カリ――」

「名前を言うんじゃないわよ!!」


 駆けだす直前の早歩きで現場から離れ、三人は大通りに沿って街の中央から遠ざかった。街の中央とは、鉄道の終着駅、中央駅がある広場であり、三人が向かうのは閑静な住宅街方面だ。この先に、貴族たちの中央区での住居が建ち並ぶ特別警備区域、通称『貴族街』がある。大きな門、その先には水が流れる堀がありその上に橋が架かっている。その先には貴族の邸宅があり、その中央には女王陛下の住まう王宮があるのだ。


「で、ウィア、なんであの人と一緒にいたのよ! 知り合い!?」

「え? いえ、初対面ですよ。面白いもの持っているって急に声をかけられたんです。正直、どうしようか困っていたので、助かりました。あの方、誰ですか?」

「名前は呼ばないわ。あの人、飛んできそうで怖いもの」

「お嬢様、そこまでおっしゃらなくても……」

「何を言ってるのよアルス! カリ……ゴホン!! あの人は、次世代エネルギー研究所の所長よ。魔晶に代わるエネルギー源として注目されている石炭の活用方法を研究する人! 『石炭あるところ己在り』が座右の銘で、石炭があると歌声と共にどこからともなく現れるともっぱらの噂よ。入れるはずのない貴族街にも入り込んだって噂がいくつもあるくらいなの!」

「でも、カリ……っと、あの方は女王陛下から命を受けて研究されているでしょう? 謁見で内部に入る機会もおありでは?」

「送迎はきっちりしているわ。貴族街の中で一人にさせるな、と、女王陛下のご命令よ」

「ああ! その噂は私も聞いたことございます。石炭を渡さなかったらその夜、枕元に立っていた、っていうあの噂の方ですね!」

「それ、もう怪談話じゃないか」

「そうね。でも、陽気そうで怖い方には見えませんけど……」

「あの人の場合、陽気さと狂気が紙一重よ。どこでスイッチが入って周囲が見えなくなるか分かったもんじゃないわ」


 貴族街と街を隔てる門が見えて来た。カリブの騒々しさも消え去り、ほんの少し安堵したカイナ。大通りから逸れて一気に人影が少なくなった。


 暗い中歩く三人の少年少女。

 ふわふわブラウン頭の少女は、少々身なりの良さを感じさせるスカート姿。

 金髪ベースのポニーテールの少女と、黒髪の少年は動きやすいパンツスタイル。

 向かう先は貴族街。

 まだ門とは距離があり、門兵からの視認性も悪い場所。


 建物の隙間にでも引きずり込めば、簡単に事を成せる。

 そんな隙間の前を通ったカイナは、ウィアの手を引いて建物から距離をとった。

 取り残され、隙間に引きずり込まれたのは、なぜだか男のアルスだ。


「え!?」

「アルス!?」

「ウィア、近づくんじゃないわよ。アルスなら平気よ、多分」

「た、多分って、カイナ様!?」


 隙間から出てきたのは、くたびれた身なりの男が三人。そいつらは、アルスとカイナたちを見比べて鼻で笑った。


「なんだ、男が一番頼りなさそうだな」


 本来人質に取るのに一番適しているであろうカイナはウィアの前に立ちはだかり、反応が一番鈍かったのは男のアルスだ。アルスを後ろ手で縛り上げた奴らは、アルスの喉元に刃物を突きつけ、カイナを見てきた。


「こいつを解放してほしければ、お嬢ちゃんたち二人がこっちにおいで」

「……冗談でしょ。みすみす捕まる奴の為にくれてやるものなんて何もないわよ」

「カ、カイナ様……。あの、ちょっと言いすぎでは」

「ちーっとも! アルス! この私の下僕がその体たらく? 情けない!」

「げ、下僕って。お嬢様……」

「うるさいわよ。四の五の言わず、帰ってらっしゃい!」

「……分かってますよ、お嬢様」

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