UFO

 今夜はいい!揺らめきが少ない。星児は見慣れたスリットから見える光を一目見ただけで分かるようになった。風もないし、夜になっても昼間との温度差が少ない。こんな夜はシーイング抜群というのが我々の常識だ。シーイングは上層、中層の気流が温度差や気圧の変化などで大きく掻き回され、そこを通って来る点像の光を乱してきらめかせる。それに昼夜の温度差や風の影響で光路の多い反射式の光学機器はドームの中でも影響を受けてしまうのだ。

 星児は父親の跡を継いだアマ天の二代目だ。直径三メートルのドームに三十センチ反射赤道儀を備えたこの天文台は今年五十五才を迎える父が若い頃からの夢を実現したものだ。今は時々予告なく上がってきて、覗いて行くだけでめったに姿を見せない。星児と言う名はそんな父親のこだわりによって付けられた名前であり、名前負けしていると思う事しばしばだ。

 子供の頃からこの天文台は好奇に満ちた世界だった。中学生まで立ち入りを制限されたし、何かのイベントがあるとき以外は覗かせてはくれなかった。しかし、買い与えられる書物や連れていかれる休日の行き先がほとんど天文に関連したものだったし、書棚に並べられた父親の書物や定期購読の雑誌が目に触れると、必然的に興味の対象が同じ方向を向いてくる。中学の頃からは望遠鏡の操作を覚え、書籍を見る自由権も確保した。そして、父は定年の六十を超える年、星児の大学入学を期にこの天文台を譲りたいと言い出した。ほとんどすべてに精通していた星児だったから本人に異存は無い。まだ、早いとも嫌だともいわずに、やり取りのないまま既成事実になった。

 尤も天文台を所有するアマチュアであっても趣味の領域からは専門的な研究に足を踏み出すようなことはない。近年の大都市周辺の住宅地も都市化が進み、ここ堺も駅周辺は高層建築物が林立するようになった。必然的に光害が深刻になる。条件がよくても肉眼では四等星とが限界だ。そんな条件に見合う天体対象は惑星か月と言う事になって、父も月のクレータ写真を多く残した。星児は今、木星に嵌っている。父に言わせれば最近のデジタル技術は天体写真撮影にも革新的な進歩をもたらした。フィルムカメラによる銀板画像の時代から、CCDカメラによる直接的なデーター取り込み技術とそのデーター処理プログム技術は眼を見張るものがあり、昔は大型の望遠鏡でなければとれなかった画像を得ることが出来るようになった。星児はそんな最新技術を駆使している。ただ、一昨年から既に二百枚ほども画像を蓄積しているが、そこからは新たな発見やデーターを得るきっかけはつかめてはいない。

 今夜も、条件は抜群、晴れ渡った春の空である。東の隣家の屋根の上に目標の木星が顔を見せている。まだ、高度が低く望遠鏡を向ける気はしない。木星の魅力は何と言ってもあの複雑に入り乱れる気流によって描かれる縞模様だが、それにもまして正体不明の大赤点は不気味だ。大きさが微妙に変化し、色合いも変わる。木星は太陽になりそこなった星だと言われるようにその本体はガスの塊である。なのに地表の突出した山や火山などが作る模様だ言う説もある。こいつの正体はこんなアマチュアの活動で明らかになるはずもないが、探査機が飛ぶ頃までの未知に想像を膨らませるのは楽しい。

 この十日の日曜日に今年は大阪で日本アマチュア天文学会が開かれる。昨年は札幌だったし、余りに遠くだったので行く気がしなかった。だが、今年は大阪で日曜日であり、是非とも参加したいと思っている。大会へは参加者の論文発表など多彩だが、いつも父と同じく星児は聞き手に徹してきた。一度くらいテーマを決めて研究発表したいところだが、本職の仕事がそれを許さない。星児の本職は営業職である。

 大阪の公立大学を何とか卒業して、就職したのがH産業である。H産業は小中学校向けの科学教材を扱う会社である。学校の理科の授業を補助する教材で、例えば電池を使う点灯やモーター駆動、電磁石など複合的な応用を実際に試せるものであったり、その乾電池そのものを自作するキットなどである。他に水を使った水力や水圧、など多岐にわたる。勿論、天体望遠鏡の組み立てキットもあり、ニュートン式、ガリレオ式の違いを試せるものもある。星児がこの会社を就職先に選んだのはどこかでこのキットと会社が頭のどこかに刷り込まされた精だと思っている。募集案内を見た時、躊躇なく願書に手が伸びたのを今でも不思議なくらいだ。特別給料が良いとか他の待遇面も目立ったものはなく、地味な企業なのである。しかし、仕事は気に入っている。元来、科学には興味があるし好奇心は強い。小学校の夏休みには必ず自由研究に打ち込み、星座や、月の満ち欠けを得意満面で発表したのを覚えている。

 H産業の大阪支店は関西の広域を営業管轄している。即ち、大阪はもとより京都、兵庫、和歌山、滋賀、奈良、三重に跨り、小中学校の数は数百になる。それらを一々訪問営業するのは難しく、パンフレットや、カタログを送付して照会を待つ。初めての場合に初めてサンプルを持って訪問し、先生に内容の説明をして理解を得る。結果がよければ受注となるのである。星児の上司に四十を回った鈴木課長がその全般を管理されていて、星児らはその指示に従っている。しかし、業務全体は広範であり、一人では到底こなすことが出来ない。今年入社した新人の中村健司君と分担しながらその仕事もフォローしている。二人が出払う事もしばしばで、今年からアシスタントの山田恵子が入って来た。この全部で四人の小さな部署なのである。

 「坂本く~ん、中村く~ん」

 月曜日の朝一番だ。いつものように山本課長の間延びした呼び声が部屋に響く。

 「はい」

 いつもの月曜日、一週間の仕事の計画を指示する呼び声だ。朝のラジオ体操は創業以来の当社の社風で若い者は誰しも形だけ、手足を振って邪魔くさそうだ。そんな形式的行事が済んで直ぐのお呼び出しである。

 「今週はね坂本君には京都、滋賀を回ってほしい。合わせて八件だ。中村君は大阪の五件を頼む。中村君は坂本君から内容を聞いて漏れのないように頼むよ。それと、ああ、山田さ~ん、先週の発送伝票は回しておいてくれたね」

 「はい、金曜日に送っておきました」

 「ありがとう。それでね坂本君、京都の五条坂小学校で懐中電灯キットの部品不足が三件も発生しているんだって。まさかと思うがね、生徒が無くしたものを最初から入っていなかったなんて言われてちゃかなわんからね。その辺のところを確かめて来て欲しいんだよ。ああ、ことを荒立ててはだめだよ、あくまで穏便にね。それと大阪の城東小学校で説明書が不備だってクレームだよ。中村君に行ってもらうんだが、坂本君、フォローしてくれないか」

 「はい、わかりました。他の案件はメールでもらってる京都、滋賀の分でよろしかったですか」

 「そうだ、厄介な話はないと思うが、何かあったら知らせてくれ。中村君もいいかな」

 はい、と軽く頭を下げると課長の前を離れた。自席へ戻るとパソコンの電源を入れた。月曜の朝は一週間の大まかな計画を立てる。勿論、計画通りに行くことないが、特に先週要請を受けている客先への訪問を優先させなければならない。途中で緊急の対応を迫られることもしばしばだ。

 十時に出発するとして、それまでに計画立案を終えて自分の携帯パソコンに転送しておかねばならない。

 「坂本さん、よろしいでしょうか」

 中村君だ。まず中村君の仕事は城東小学校へ説明書の不備について出向いて説明しなければならない。その件でアドバイスを受けようというのだ。

 「ああ、そうだね。中村君出かけなきゃならなかった。その説明書の不備ってどんな話だったかな、ちょっと待って、見てみるから」

 クレーム一覧のファイルを開くと最後の欄を開いた。そして、星児は集中して黙読した。電池でモーターを回して自動車を走らせるキットだ。生徒が説明書の手順通りに組み立てていたところ、数人の生徒の自動車が途中で停止してしまった。調べてみると配線が軸に絡み、歯車に噛み込んだことが原因だった。配線の処理についての注意書きが抜けているとの指摘だ。確かに注意書きはないが、図には線の回し方や止め方が一目瞭然に分かる。だが、生徒は書いてあること以外はやらないし、図を見て図の通りにしなければならないと考える生徒ばかりではないと書かれている。

 「う~む、これはメーカーに書き加えてもらうしか対処の方法はないね。図から引き出して配線の処理をしましょうという項目が必要だ。理解能力に差があってもそれに合わせるのが我々の仕事だからな」

 「それじゃ先方には訂正しますと報告すればよいでしょうか。これって、先生がちょっと注意するだけで起きない問題だと思いますがね」

 「そう、先生にも色んな方がおられるからね、先生方に期待するのも限度があるんだ」

 「こんな細かいことを一々聞いていたら際限なく対応させられるんじゃないですか」

 「そうでもないよ、今までも結構クレームの多い先生がおられたけど、聞いて対応している内にこっちの立場も分かってくれるようになってね、今はウインウインの関係だよ」

 「そうですか・・・・・・・。僕も精々頑張りますよ」

 「うん、頼む」

 星児は一件を済ませるとパソコンに向かった。今週の訪問八件の優先順位を確認する。京都五件、滋賀三件だ、その中で京都に一件クレーム対策がある。これから京都へ出張して回れるのはギリギリ三件だ、まず急ぎの京都三件を訪問して、明日はデスクワークでそれを処理、水曜日に滋賀の三件を回る。木曜にそれを処理して、金曜に京都の残り二件を回る。帰ってきて処理という段取りである。その間に決まって緊急の案件が入る。それは残業でこなすしかない。星児は一覧表を作成して課長と山田さんに送信。今週の計画を終えた。

 「中村君、外出する前に今週の五件の処理計画を作って送ってくれる?僕から課長と山田さんに転送するから」

 「はい、わかりました」

 星児はパソコンを鞄に入れると立ち上がってイスを入れた。背広を摘まみ取りながら、山田さんに声をかける。

 「じゃ、山田さん、外出しますので後、よろしく」

 山田恵子は面長で切れ長の目を向けて微笑んだ。

 「行ってらしゃい。今日は直帰ですか」

 「早ければ寄るけど、恐らくは遅くなるだろうから直帰かな」

 「わかりました。気を付けて」

 踵を返すと足早に階段に向かった。フロアーは二階で、通りに出れば地下鉄○○駅だ。梅田まで十五分、そこからJRで京都まで三十分、まず、南から片付けよう。星児は地下鉄の階段を駆け下りた。

 JRの車内で中村君の週間計画を読んだ。特に問題を感じなかったので課長と山田さんに転送して、これからの訪問三件の問い合わせの文面に目を通した。どれも何度も採用してもらっているリピートだが、確認したいと注意書きがあるところを見れば、商品に何らかの注文があるようだ。サンプルも指定されたものは用意してきている。列車が京都のプラットホームに滑りこんだ時、駅の時計が十時半を回っていた。

 「よお~し」

 列車を駆け下りると自分にはっぱをかけた。歩きながら第一の訪問先の洛陽小学校へアポイントを入れた。今日の訪問は要請通りだが、時間までは約速出来ていなかったからだ。南北線の地下鉄に飛び乗る。九条まではほんの数分だ。そこから歩いて十分。校門にたどり着いたのは十一時少し前だった。

 話は順調に終わって五十セットの注文を確定した。昼を近くの食堂で済ませて、二件目も少し北に上がって東九条小学校を訪問。此処でも検討して明日発注するとの確約をもらう。三件目は京都駅を北東へクレームの五条坂小学校、懐中電灯キットの部品不足の件だ。この学校はキットの組み立てを理科実験室で行っている。そこへ案内してもらう。

 「メーカーの方で部品の入れ間違いってことはありませんか」

 担当の吉田先生が丸渕の眼鏡を上げながら聞いてきた。

 「今までにそう言う話はなかったもので、詳しく事情をお聞きしようと伺ったんです」

 「そうですか、それじゃ、ご希望の組み立て場所の理科実験室へご案内します」

 「すみません。お手間を取らせます」

 二階の端にある教室だ。

 「先週二組がここでキットの組み立てを行いました。皆で床なんかを探したんですが、見つからないのですよ」

 「今までも他校でも良くあることなので、探してみましょうかね」

 そう言いながら、星児は部屋の隅や机の脚の周り、床板の継ぎ目などを丹念に探した。

 「ああ、一個見つけました。一度、床へ落とすと見つけ難いですからね」

 「えっ、ありましたか、あれほど皆で探したのに。あなたは二分とかからないですね。全部見つけられるでしょうかね」

 「いえ、それは無理でしょう。要は部品不足ではなく、組み立て中の紛失です。今回の部品は後程送りますが、これからの事もありますので、生徒に注意するようにご指導のほど、お願いします」

 「はい、わかりました。お手間取らせましたね。すみませんでした」

 「いえ、新規の発注分は来週三十セットでしたね」

 「はい、よろしくお願いします」

 「こちらこそ、ありがとうございました」

 星児は今日の仕事をすべて終えた安堵感と、クレームの処理が無事に終わったことにほっとして京都駅に向かった。三時を少し回ってはいるがあと一件くらいは回れそうだ。中京の松原小学校にアポイントを入れてみた。

 「四時半ですか・・・・・・。はいわかりました。では四時半にお伺いします」

 授業が四時半に終わるそうだ。今から向かえば四時には着く。少し早いが近くで待つとしよう。と星児はバス停に向かった。うまくゆけば四件目を終えることが出来そうだ。バス停のすぐ前が古びた喫茶店だ。ドアに開店中の札が掛っていないと何の店だかも分からない。一枚だけのドアを押して店内に入った。客は誰もいない。カウンターにも誰もいない。壁際に向い合せの座席が二つ並んでいる。どうしよう。他へ変わるかな・・・・・・、と思い始めた時、奥の暖簾が開いて背の低い白髪の老人が現れた。鼻の下の髭が異様に長く口を覆っている。何も言わずに湯を沸かし始めたようだ。僕がコーヒーを頼むことを予見しているようだ。

 「どうぞ、お座りください。コーヒーでよろしかったですか」

 何気なくぼんやり立っていると、老人店主は話しかけて来た。星児は軽く返事を返してカウンターに腰を下ろした。店内は薄暗かった。よく見ると正面の壁に古い掛け時計やアンティークの店で見かけるような古ぼけた絵が掛っている。ヨーロッパの貴婦人画のようだ。

 「はい、ガテマラの粗挽きです」

 小ぶりのカップが前に置かれた。中には七分目位で少なめだ。星児は毎日コーヒーを飲むがどちらかと言うと、薄目で量は多くのアメリカンタイプを好む。大概は仕事をしながらであまり深刻に味わったことが無い。

 「あの~、ミルク頂けますか」

 「ミルクですか、はい差し上げますが、まずはストレートでお楽しみください」

 「はあ・・・・・・では」

 そっと取り上げたカップは少ない量なのにずっしりした重みだ。口に運んで立ち上る湯気を嗅いだ。芳ばしい香りが鼻腔に滲みる。かなりの濃いコーヒーらしい。一度に多くは飲んではいけない。そう思って星児はそっと口を付けて吸った。

少ししか吸ってはいないのに、口の中一杯に苦みが広がった。この手のコーヒーは苦手だな、そう思って少しづつ喉に流し込んだ。すると、舌先で味わっていた苦みとは別物の香りと味が喉の奥からせり上がってきたのだ。何だ、これは・・・・・・。その香りと味はそのまま鼻腔へと上がってゆく。星児は初めて体験するコーヒーの味わいに驚いている。コーヒーの味とはこういうものだったのか。二口目を多めに吸い込んだ。今度は長く口の中に留めてから徐々に喉へ垂らし込んだ。先ほどにも増して鼻腔が震えた。

 「美味しい」

 星児は思わず口走った。老人店主はちらっと星児を見たが、当然というふうに平然としている。三口、四口とゆっくりと雑念を捨ててそれに集中する。今までのコーヒーとは別物を味わっている。昔のアラブの王様がという歌を思い出していた。こんなコーヒーの事を言っていたんだ。知らなかった本当のコーヒーの味。これは困った。病みつきになりそうだと思って再びカップに口を付けた時、カップには底溜まりになっていた。それを勢いよく吸い込んだ。いつものアメリカンを何杯飲んでもこの満足感は味わえないと思ってカップを置いた。老人店主は相変わらず無表情でカップを磨いている。星児は漸く覚めたように腕時計を見た。いつの間にか四時十五分を回っている。約束まで十数分しかない。慌てた。ズボンのポケットから慌ただしく財布を引き出すと札を一枚出しながら、小脇に背広と鞄を挟んで立ちあがった。

 「とても美味しかった」

 星児はカウンターから出てきた老店主に札を差し出しながら言った。

 「そうですか、それは良かった。次は別の産地を差し上げましょう」

 店主はそう言いながらつり銭を出した。星児はそれを受け取るのももどかしく、ポケットに突っ込みながらドアを引き開けた。

 学校までは四、五分の距離だ。足早に校門に急いだ。職員室へ入った三分後にチャイムが鳴った。先生が帰ってこられた時には星児は資料を揃えて椅子に座っていた。

 「お待たせしました。時間が正確ですね」

 「はい、お忙しい処をすみません。資料をお持ちいたしました。ご検討のほどよろしくお願いします」

 「あの~、資料は他の先生から以前に頂いたのを見させてもらいました。それでですね、六十セットでは値段は以前より安くなりませんか、それと、納期はどの位かかりましょうか」

 「はい、ありがとうございます。今までは三十セットの注文でしたのであのお値段でしたが、六十になりますと、五パーセント値引きになります。それと、納期は三日ほどでお届けできますが・・・・・・」

 「そうですか、それではそれで注文しますのでよろしく」

 「ありがとうございました」

 話はこれだけだった。校門を後にして駅に向かう。何だ、これならわざわざ足を運ぶ必要もなかった。電話一本で事足りた。そう思った。今までも結構こういう商談が多い。相手の顔を見て話を決めないと安心できないらしい。星児はこれがオーソドックスな営業スタイルなのかなと思う反面、効率的な業務はお互いに必要に迫られているはずなのに、それでなくても最近の先生は時間不足に悩まされておられると聞く。我々の方から何らかの働きかけが必要なのだと思った。ほんの二十分ほど前に出てきたコーヒーショップのドアを横目に、地下鉄の駅の階段を下りた。

 JRの車内は通勤客でほぼ満員、日中なら車内で日報を作成して時間節約できるが、今日は無理だ。ぼんやりと明日の訪問先の順路など思い描いて、つり革にぶら下がっている。前の席でスマホでゲームに夢中の中年のサラリーマン風の男性が急にまなじりを上げて星児の顔を見上げた。何だろうと見下ろすと、星児の持つ鞄が男性の膝がしらを擦っている。

 「あっ、すみません」

 慌てて鞄を小脇に抱えた。、気まずい思いで電車を降りると急いでオフィイスに向かった。もう六時を回っているが、今日の報告書を済ませて置こうと思ったからだ。二階のオフィイスに向かって階段を上っていくと途中で中村君と鉢合わせした。

 「おお、今、帰り・・・・・・」

 「はい、今日の予定済ませましたので、お先に失礼します」

 「ああ、お疲れ様」

 中村君は駆けおりていった。オフイスのドアには明かりが漏れている。課長がいるのかなと思ってそっとドアを押した。居残りの主体者は田中さんだった。

 「お帰り・・・・・・・。お疲れ様」

 田中さんはパソコンに向かっていた顔を上げて微笑んだ。

 「残業?」

 「少し手間どちゃって」

 後ろから覗くと中村君の今日の注文を発注する伝票の作成中だった。中村君、任せて先に帰ったんだ。注文取ったら発注伝票作成までは担当の役割なのに、無責任な奴だ。星児の思いを察知したのか田中さんは言い訳気味に言った。

 「中村さん、約束があって急いでいたようなの、やっといたげるって言ちゃった」

 「まだ、かかるの?」

 「もうちょと、坂本さんは?」

 「僕は十分くらい」

 星児は早速パソコンを起動させる。伝票は作成済みだから後は転送すればすむ。立ち上げの方が時間がかかる。ほんの七、八分で処理を終えてパソコンを閉じた。田中さんはまだ操作中だ。

 「あら、もう終わったの」

 「ああ、待っててあげるよ」

 田中さんはそれから五分後にようやく打ち終えたようだ。

 「お待たせしました。待たせちゃってごめん」

 二人はオフィイスの消灯と戸締りを確認して階段を下りた。七時前である。

 「時間ないけど、お茶でもどう?」

 星児は突然のことなので食事は誘えないと思ったし、そうかといってこのまま別れるのも気まずい思いがして、お茶を誘った。

 「今からお茶?」

 「僕は良いんだけど、食事でも」

 「私も良いけど・・・・・・」

 「そんなら、食事して帰ろうか」

 二人が連れだって食事やお茶へ行くのはめったにない。今日に限ってそんな雰囲気になったのは不思議なくらいだ。

 「何が良い?」

 「そうね、お好み焼きなんかどう、ゆっくり出来るし」

 田中さんの言葉に何かしら違和感を覚えた。今日は月曜日だし、今週もはじまったばかりだ。金曜日ならゆっくりと話しながら食事するのも良いが、明日も又、出勤して忙しい一日のはずだ。思いながら地下鉄近くのお好み焼き店に入る。H産業の社員の常連店だ。しかし、今日は流石に客は少ない。座ると早々に田中さんは聞いてきた。

 「坂本さん、食事って迷惑じゃなかったの」

 「いや、丁度、お腹もすいていたしね」

 「私、一度、坂本さんとゆっくりお話ししてみたかったの、今までは課長や他の人がいたでしょう。いつも仕事の話ばっかり、たまには私的なお話も聞きたいしね」

 「ああ、そうだね、田中さんとは初めてだね。そうか、この春から内の部署に来たんだものねお互いに知る良い機会だ。良かったよ」

 そう言いながら店員に合図を送って注文をする。

 「普通ので良いね」

 「ええ、私は何でも」

 「一本ビール頼もうか」

 「そうね、口も滑らかになるわね」

 ふふふふっと笑いながら田中さんは俯いた。可愛い仕草だなと星児は思った。ビールが先に運ばれてきた。栓を抜いている星児に彼女は問いかけてくる。

 「坂本さんって堺まで帰られるんですよね、遠いのにごめんなさい」

 「いや、良いんだ。田中さんは何処だったけ」

 「私、天王寺なんです。駅から三分のマンション、両親と一緒に住んでます。まるで、身元調査みたいだね」

 「いや~そんなつもりはないけど」

 「冗談よ。坂本さんより近くてごめん」

 「謝ることないよ。便利なところじゃないか」

 二人の前にはビールの満たされたコップ、それにお好み焼きの鉄板に火も入って焼く準備も整った。そこへ店員が二人前のセットを運んできて、手際よく鉄板に垂らし込んで引き上げて行った。空腹に美味しそうな匂いが立ち込める。

 「じゃ、乾杯だ」

 「何に?」

 「う~む・・・・・・じゃ、二人の健康に」

 「本当は二人の将来に何て言いたいところね」

 「ははははっ、ほんと」

 言いながら星児は何かしら雲行きの怪しくなるのを感じている。最近の女性ってどうしてこんなに積極的なのだろう。こういう間接的でもアプローチに近い表現の言葉をかけられるのは初めてのことではない。しかし、今日は相手が田中さんだからか、悪い気がしない。寧ろ先ほどから心臓が鼓動を強くしている。僕って田中さんに好意を持っていたのだろうかと改めて考えてみたりする。

 「坂本さん、私、どうも苗字で言うの面倒くさくって、星児さんじゃダメ?」

 「えっ、良いけど、会社じゃまずいだろう」

 「当然でしょう。使い分けは・・・・・。私も恵子って呼んでほしいの」

 「ああ、分かった。ただし、二人の時だけだよ」

 「分かった・・・・・・・うふふふ良かった」

 星児は益々ドキドキしながらまずいことになってきたと思い始めている。田中さん、いや恵子さんは人並以上の容貌と言っていい。化粧っ気のないふっくらとした細面で、切れ長の大きな目、配属されてきた時は部屋が一気に花の咲いたように明るく感じたものだ。そうかといって、この娘を彼女にしたいと思ったことはない。女性への関心はあったとしても、どちらかと言うと奥手の自分には積極的になれないもどかしさを感じている。どうせ自分などには縁はない・・・・・・とどこかでブレーキをかけてしまっているからだ。

 「それで、星児さん、休日なんかは何をして過ごしているの」

 「う~む、そうだね、僕にはちょっと変わった趣味があってね。それにかなりの時間を使っているかな」

 「えっ、何、何、趣味って」

 「僕は私設天文台の台長なんだ。俗にに言うアマチュア天文家っていうやつ」

 「へ~、すごい、天文台って望遠鏡があるんでしょう」

 「勿論、父が若い時分から揃えて来たものなんだけど、最近僕が譲り受けてね、僕が台長ってわけ」

 「へ~、それで毎晩、星見ているんだ」

 「まさか、そんなことしてたら、仕事できないよ」

 「そうね、だから休日にってわけね」

 「そう、だからプロのようには活躍できないし、まあ、時々見て楽しんでるてわけ」

 「ねえ、ねえ、どんな星が見えるの、私も一度見てみたいわ」

 「昔は結構暗かったんだけど、あの辺りも都会化してね、空が明るくなって、暗い星がを相手にできなくなった。それで今は木星に嵌ってる。あの縞模様のあるやつ。見た事あるだろう」

 「ええ、写真で、輪のあるのって土星ね、土星も見えるの」

 「そう、そういう惑星が僕の観測対象だよ」

 「ねえ、今度、天文台に招待してくれない。一度見てみたい」

 「ああ、良いけど、きっと失望するよ。直接見ても写真のようには見えないからな。でも、縞や輪は見えるから見たけりゃ招待するよ」。

 「嬉しい、いつ」

 「次の休みは予定があってダメなんだ。その次くらいかな、天気が悪けりゃどうにもならないけど」

 「予定って、デイトかなんか」

 「まさか、そんなんじゃないよ、アマチュアの集まりがあるんだよ。大阪でね」

 「じゃ、楽しみにしてる」

 「じゃあ、今度は田中さん、いや恵子さんの番だよ、休みは何しているか教えて」

 「わたし~、こまっちゃうな、私の趣味はピアノなの、五歳くらいから初めてもう二十年近く同じ先生に教えてもらってて、週一で」

 「へ~、そんなにやったら相当な腕前になったんだろうな」

 「大したことないわ、先生って日本ではそこそこの有名なピアニストなんで、私なんか足元にも及ばないわ」

 「趣味だったらいいじゃないの、天文学だって同じなんだ。プロには足元にも及ばないさ」

 「そうね、楽しむんだったら・・・・・・」

 二人はしばらく黙ってお好み焼きを突っつき、ビールで喉を潤した。恵子は唐突に言った。

 「ねえ、星児さんって、彼女いるの」

 「えっ、そんなのいないよ」

 「良かった。じゃ、私が初めてね」

 「ええっ、け、恵子さんが僕の彼女になってくれるってわけ」

 「私じゃだめ?」

 「そんなことはない。嬉しいんだけど、あまり暇がないけど良いのかな・・・・・・」

 「いいの、こうしてたまに話し相手になってくれれば」

 「わかった。そうしよう」

 「約束ね」

 恵子はにっこり笑って時計を見た。星児も腕時計を確かめる。いつの間にか八時を回っている。

 「そろそろ帰ろうか、突然だったから家にも知らせてないだろう。心配かけるといけないから」

 「そうね、帰りましょう」

 二人は立ち上がった。


 次の日の朝、いつものように出社する。恵子さんは何事もなかったようにちっらと見ただけでお早うの言葉だけが返ってきた。早速パソコンを立ち上げると今日の予定を立案する。今日は外出の予定はない。出張予定のない分、サンプルの発送や、入荷荷物の整理と区分け、出荷発送など結構忙しい。午前は瞬く間に過ぎる。昼食は一緒に居た中村君と近くの中華店へ行く。ちょっぴり恵子さんが気になった。午後も発送業務を一頻りこなしてパソコンのメール処理に没頭する。突発の引き合いや、説明依頼が二件入っている。今週の訪問予定の四件とこの二件も今週に片付けなければならない。星児の仕事はこのような出張業務と社内業務の組み合わせて一週間が過ぎていく。あれ以来、恵子とはまともに口は聞いていない。朝夕の挨拶と仕事上の会話だけであった。それでも、見合わす目は今までとは違っていた。

 金曜日は出張の日である。予定のすべての訪問を終え、あの喫茶店に吸い込まれるように入った。老店主は相変わらず無関心を装うように一瞥しただけだ。コーヒーの魅力もあるが、ここで今日のまとめと週刊報告を書くための場所を探していて思いついたのだ。カウンターの一角の席に座るとすぐにパソコンを開けた。金曜日だからなのか店内には二組のカップルがいた。客が少ない分、格好の待合場所になっているのだろうか。

 「今日は少し値が張りますが、キリマンジャロなんかどうですか、痺れますよ」

 店主が聞いてきた。

 「ええ、じゃ、それを、・・・・・・・。今日は少し長居させてもらってもいいですか」

 「ええ、閉店は十一時です。それまでならどうぞ」

 客は少ないし何とのんびりとした店だな、これでよくも経営的に成り立つものだと思った。そうかといって、二杯目を頼んで十一時までいるほど暇はない。今日の報告を書き終え、週刊報告を始めようとした時、コーヒーがやってきた。置かれた途端、それから立ち上るのであろう芳香な香りに驚かされる。誘引されるようにカップ皿に手を伸ばして引き寄せると、そのまま両手を添えて鼻先へ、香りを嗅いだ。濃縮された香りは香しさを通りこして異種の匂いがした。首を傾げながらカップを取ると口を付けた。口いっぱいに広がった苦みを暫く溜めた後、喉へ流し込んだ。“うお~”思わず声が出た。そして店主の顔を見た。店主はちらっと顔を向けると片眼をウインクさせた。先ほどから、反応を伺っていたのだ。ちびりちびりと熱燗を呑むようにカップに口を付けている。これはいかん、すっかりコーヒーの虜になってしまっている自分を意識していた。店主が初めに言った痺れるの言葉が蘇った。これは頻繁に来る店ではないな、通が時たまそれを求めて引き寄せられる店なのだと思った。

 すっかり仕事を終え、店を出たのは六時に近かった。地下鉄へ急ぐ星児のポケットでスマホが鳴った。歩きながら取り出してメールを見る。田中恵子とある。開くと“今、どこですか、駅近のスワンで待ってます。恵子”とある。スワンはJR天王寺駅前の喫茶店だ。早速返信を作成する。“今、京都駅に向かっている。七時頃になりそう。星児”と打信する。地下鉄のホームで再び恵子から、“七時半まで待ってます。恵子”“了解、行けると思います。星児 ”でやり取りは終わった。いつもは南海電車で通勤しているが、大阪駅で地下に下り御堂筋線に飛び乗る。ややラッシュは過ぎようとしていたためか意外と早く天王寺に着いた。恵子はスワンの窓際で外を見ていた。

 「待たせたね」

 「あっ、意外と早かったじゃない」

 「ああ、ラッシュは済んでいたからね・・・・・・。どうする、今から」

 「今からだと九時まで一時間半しかない。だからお食事とかお茶じゃなくて、明日、明後日会えないかなって思って」

 「ああ、それじゃ明日の夜、晴れればだけど、我が家の天文台へご招待ってのはどうかな」

 「土曜日の夜はピアノの先生の所へ行かなくっちゃ。日曜日じゃダメなの」

 「日曜はアマ天の総会なんだ」

 「それって私も参加できないの」

 「そりゃ、誰でも参加は自由だけど、きっと退屈だよ」

 「いいの、退屈すれば近くの喫茶で待つわ」

 「そう、じゃ、日曜の十三時から会場始まるから、新大阪ホテルが会場なんだけど、ロビーまで来れる」

 「新大阪駅から分かるかしら」

 「駅のすぐ近く、一、二分らしいよ。分からなければ聞けば」

 「分かった。でも女性も参加者っているの」

 「ああ、結構、女性の参加者も多いよ。違和感は全くない。僕の友人と言う事で受け付ければ問題ない」

 「わかった。十一時半頃に行けばいいのね」

 「そう、じゃ、今日はこれから帰れば夕食に間に合うかもね」

 「ええ、メール入れるから大丈夫」

 星児は結局何も頼まず、恵子のコーヒー代を支払って店を出た。恵子のマンションはスワンからも見える駅近の高層である。

 「じゃあ、日曜日ね」

 恵子はあっさりとした態度で手を上げてその方向に足早に去ってゆく。その後ろ姿を見ながら明日は友達だということで通用するだろうかと心配になった。誰も咎めだてすることはないが、顔見知りもいる。ちょっと気の重い気もするが、勘繰られても仕方がないかと腹をくくった。

 南海電車までぶらぶらと歩いて我が家へ帰ったのは八時を回っていた。父は既に帰って夕食を済ませて時代劇のテレビを見ている。定年後の再就職で前の会社の子会社で技術職として働いている。前の会社では専門職の管理職にはなったが、やはり趣味に打ち込みすぎた結果、出世が遅れたとは本人の言い訳である。専門職のエンジニアだが、時代の流れはデジタル時代、アナログの技術者は必要だが多くを求められなくなった。星児はそれが本当の所だと思った。しかし、母はそんな父に満足している。性格は温厚だし、小遣いに文句は言わない。尤も今まで趣味にに十分に使ってきているからなのだろう。夕食を終えると後片づけの母に言った。

 「会社の田中恵子さんって新しく配属してきた子、天文台見せてくれって」

 「あら、そうなの、珍しいことがあるのね、今まで会社の人来たことないのにね」

 「うむ、興味あるんだって」

 「若い子?」

 「うむ、二十四、五かな」

 「へ~星児って隅に置けないのね」

 「そんなんじゃないよ。僕が誘ったわけじゃない」

 「どちらでも良いけど、お母さんも嬉しいわ。星児が女友達連れてくるんだもの。それっていつなの」

 「まだ日は決まってないんだ」

 「はいはい。決まったら言ってちょうだい」

 星児は言い終えるとさっさと天文台へ上がって行った。明日、大阪のアマ天総会へも一緒に行くとは言えなかった。

 土曜は一週間の疲れを取る日だ、夕べは早めに天文台のスリットを閉めた。あまり条件がよくなかったからだが、やはり少し疲れ気味だった。朝は七時半になってようやく起き上がった。

 朝食を終えて自分の部屋で明日の資料に目を通したり、自分が総会で何かを発表するとすれば、などと考えなながら午前中を過ごす。午後は天文月刊誌二冊の記事を読んだ。目を引く記事は系外惑星の記事だ。銀河系内の系外惑星、即ち我が太陽系以外の恒星の周りをまわる惑星の事だ。特に最近注目されているのが太陽系に一番近距離のアルファケンタウリC星だ。見かけは一個に見えるが実は三つの星からなっている。その三番目のC星に二個の惑星が確認されている、その内の外側を回るb星が地球に似た環境にあるらしい。そこへ向けて宇宙船を飛ばす計画があるそうだ。アルファケンタウリまで凡そ四、三光年の距離で、光速でも四年以上かかる。レーザー光を当てて加速し光速の二十パーセントまでの速度を出すという。それにしても二十年以上かけてようやくたどり着く距離だ。夢のある計画だが、そのb星はどのような環境にあるかは分かっていない。水があって温度が適正なら生物の居る可能性は高まる。

 星児は太陽系内の惑星である木星、土星などに観測対象を絞っているが、系外ともなるとアマチュアからは縁遠くなる。プロの五メートル以上の機器が必要だからだ。尤も太陽系内でも天王星や冥王星も似たようなものだ。興味はあるが自分も何かをしようとする気は起きない。

 夜の食事は父と久しぶりにビールを酌み交わした。いつものことだが母が話の中に入ることが出来ない。しかし、長年の事で少しは話が分かってきたと見え真剣に話の内容に聞き耳を立てている。と思いきや、突然、話に割り込んできた。

 「それで、星児、星見たいっていう彼女、美人なの」

 「えっ、突然何なの」

 「何の話だ」

 父も説明を求めてくる。何も今話題にすることないのに、自分が退屈してきたからって、と星児は一瞬むっとなる。そんなことはお構いなしに母は父に向き直る。

 「あのね、今度、会社のかわいい子が天文台見に来るらしいの」

 「へ~、その子って星に興味があるのか」

 父は星児に向かって言う。

 「見た事が無いから、一度見たいっていう程度だろう」

 「誰だって初めはそんなもんだ」。

 「あなた、そうじゃなくて、その子、星じゃないと思う、星児に興味があるんじゃないかしら」

 「ああ、そう言う事か。幾つだ。その子」

 「二十四か五くらいですって」

 「お母さんの言う通りかも知れんな、それで星児はその子のこと、どう思ってるんだ」

 「やめてよ、そんな話じゃないって言っただろう。変な勘繰り入れると成るものもならなくなっちゃうよ」

 「ああ、わかった。今努力中ってことか」

 「まあ、いいようにとってくれたらいいよ、とにかく静かに成り行きに任せるってことが大事だよ」

 「まあ、そう言う事だ。なあ、母さんも黙って協力しよう」

 「はいはい、わかりました」

 まだどうなるかわかりもしないのに、早とちりは敵わない。恵子さんが来た時、両親の態度って大事なのに。星児は自分が二十七になることを心配している両親を一方で理解しながらも、も少し平静な態度を保ってほしいと虫のいいことを考えてしまう。

 日曜日、早飯を食べて家を出る。新大阪まで一時間弱はかかる。何となく落ち着かない。いつもの学会とは気持ちが違う。いつもなら発表内容を考えていて会場まで行く途中は気にも留めないのにと思う。

 恵子は新大阪ホテルのロビーで待っていた。玄関を見ながら離れて一人ひとり確かめているようだった。以外に思ったのは女学生のように地味な服装で来たことだった。星児自身もラフなブレザー姿である。ほっとして近づいて行った。

 「お待たせ、早かったんだね」

 「あっ、星児さん・・・・・・・今来たばかりよ。色んな人が来るのね、びっくりしちゃった。小学生、中学生もおじいちゃんも、女性も結構見たわよ」

 「そうだろう。年齢関係なしの趣味だからね」

 「さあ、行こうか、受付をして、まずは基調講演からだ。メイン会場はその奥の大部屋だよ」

 二人は人の流れに乗って受付を済ませると奥へと入って行く。会場はほぼ満員、後ろの方の座席を確保して座ると、後ろには立ち見の人たちが並び始める。もう少し遅れれば立ち見だったなと胸を撫ぜ下ろす。

 基調講演は今話題の系外惑星の現状について、東京天文台の古田教授の講演だった。星児は事前に情報を得てきたので興味深々だったが、恵子には退屈その者だったに違いない。予め説明しておけば良かったと思ったが、後の祭り。四十五分は瞬く間に過ぎた。

 基調講演が終わると後は各分科会に分かれての発表である。左右二つのドアから人々の流れが始まったが、後ろにまでは中々順番が回ってこない。

 「恵子さん、僕は惑星分科会と写真分科会へ回りたいんだけど、それでいいかな」

 「私は何も分からないから、星児さんについて行くだけ」

 そう言って恵子はにこっと笑った。二人は人々の後についてエレベーターの前を通過して二階の階段へ五分科会の一つ惑星分科会の会場へ入って行く。中は二、三十人の人が既に席を占めている。その中の一角に二人は並んで座る。

 「難しい話かしら」

 「うむ、初めてならね、でも、今度、家で見てもらう時によくわかるようになれるよ。初めは木星の帯雲、赤道近辺の考察の発表だってさ」

 「何のことだかわからない」

 「仕方ないね、後で詳しく説明するから・・・・・・」

 結局、四十五分の発表時間内には恵子の理解する暇はなかったようだ。次は土星の衛星チタンの周回軌道についてだったが、今度も先ほど以上に理解の限界を超えているようだ。星児自身もそれが気になって発表の理解不足であった。そして、次に隣の写真分会会へ移った。内容はメーカの営業マンらしい男性が新製品のCCDと冷却CCDの二製品を説明した。星児は今使っているCCDに満足していて、買い換えるつもりはない、情報を集める積りで聞いた。そして、聞きたかった最後の発表は新しい写真ソフトの使用実績だった。これは興味深く聞いた。この時ばかりは隣の恵子が気にならなくなっていた。終わってふと見るとうつらうつらと居眠りしている恵子を見た。やはり無理だった。そう思った。

 「どこか落ち着いたところでコーヒーでも飲もうか」

 そう言って会場を出た。でも恵子はどことなく楽し気に見える。何が良かったんだろうと思ってみる。ホテルを出たところで屋外展示をしている一団がある。

 「あれって何かしら」

 恵子が何かに引かれるように近寄ってゆく。ああ、いつものあれだ。星児は思い当たった。アマ天の集まりに便乗した団体だ。大きな看板に“UFO研究会と大書されている。何枚かの写真パネルを並べて二人の若い男性がホテルから出てきた人に話しかけている。

 「UFOの研究をしているグループだよ。毎年来ているな」

 「写真見た事ある~、面白そう」

 いち早く近寄ってきた恵子に気付いた一人が話しかけて来た。

 「UFO研究会です。入会しませんか。系外惑星がどしどし発見されて、UFOの実証時期が迫ってきました。どうですか」

 「あの~、どんな活動をされてるんですか?」

 パネルを見ながら恵子が質問する。

 「そうですね、今までの目撃情報の共有とかその信憑性の検討や、実際にUFO探索活動。それにUFOとの交信活動なんかやってます。中には目撃情報の収集なんかで全国を回っている人もいますよ」

 「へ~、ロマンありますね」

 「そうでしょう。面白い人もいて実際にUFOに乗って系外惑星へ行ったっていう人もいるんですよ、それが満更嘘っぱちとも思えないんでね、皆、興味深々ですよ。そちらの方」

 男は星児に向き直るとパネルを指さした。

 「入会費はなしです。年会費を千円だけ頂いていますがそれは機関誌を郵送する費用です。系外惑星に興味ないですか」

 男の話振りに引き込まれた星児は言ってしまった。

 「そりゃ興味はありますよ、しかし、そこからUFOが来ているなんて話はちょっと・・・・・・」

 「あなた、じゃ、否定なさる?」

 「いや、否定はしませんが、そうかと言って飛躍しすぎですよ。第一科学的な根拠がない」

 「そうですかね、あれだけの目撃情報がある。あれをどう説明します?」

 「人為的なものや自然現象がほとんだというじゃありませんか」

 「ええ、それも確かにあります。でも、どうにも説明仕切れないものがあるのも事実です。僕たちは可能性があるならそれを見極めたいのです。昔、不可思議なものも科学者の努力によって科学的な証明がされたものが沢山あるでしょう。誰も証明しようとしなければいつまでもただ、不思議な対象に過ぎないと思いませんか」

 「う~む、なるほどそう言われてみれば仰る通りです。でも、人それぞれ興味の対象が異なるのも否定できません」

 「ええ、その通りです。どうです。ものは試し、一度、UFO探索会にオブザーバーで来られませんか歓迎しますよ。私は会長の吉沢と言うものです」

 星児は子供頃、UFOに興味を持った時があった。それは幽霊や怪物と同じもので宇宙人が突然やって来る怖さに怯えたものだ。しかし、今、科学的な対象として考えてみればそれはそれで面白くもある。たった今、基調講演で聞いた系外惑星には確実に生命が存在するはずとの話を聞くと現実味を帯びてくるのだ。今まで黙って二人のやり取りを聞いていた恵子が囁いた。

 「面白そうじゃない。星児さん」

 「いつあるのです、その探索会っていうの」

 「今は決まっていませんが、決まればご連絡します。メールアドレス教えていただけますか」

 星児はいつの間にか乗ってしまっている自分に気は付いてはいるが、恵子の乗りに合わせ、まあ、いいかと合わせてしまっている。鞄からスマホを取り出してアドレスを転送した。

 「わかりました。予定が決まればご連絡します。私は吉沢です。お名前は」

 「坂本です」

 「坂本さんですね、そちらの方は」

 「あっ、彼女はいいです」

 「はい分かりました。じゃあ、坂本さん又、連絡します」

 二人は会釈してその場を離れた。何かしら誘導されてメールを教えたような後悔がちょっぴり星児の脳裏を横切った。

 「あれって本当かしら」

 恵子が聞いてきた。 

 「今までは人騒がせなデマ情報ばかりだったんだけど、今日の基調講演にもあっただろう。地球に似た惑星が発見されているとなると、生命の存在が現実味を帯びてくるってわけだよ。それより、これからどうする。夕食はどうかな」

 「ええ、いいわ、今日は夕食いいからって言ってきたから」

 「うむ、じゃ、ビールの美味しい店知っているから、ドイツ料理なんかどう」

 「なんでも、星児さんの好みに合わせておかなくちゃ」

 「えっ、どういう意味・・・・・・」「

 「お嫁さんにして貰った時の準備」

 「えっ」

 「冗談よ」

 二人はしばらく無口で歩いた。星児は冗談ではないと聞いた。しかし、恵子は平然としている。新大阪から地下鉄で梅田へ、梅田の地下街のある店に入った。意外と広い。あるビールメーカーの専属店らしい。日曜日も結構な込み具合である。サラリーマン風は少ないが、どこかへの外出帰りらしいグループが多い。

 「星児さんって洒落たお店知ってるのね」

 「前に来たことがあってね、ここのソーセージの味が忘れられなくて二度ほど来たことがある」

 「そうなの、じゃ、私もそのソーセージ頂こうかしら」

 定番の生ビールのジョッキとソーセージ、アスパラガスとジャガイモにソースで味付けした料理を注文した。そして、ジョッキを翳した。

 「じゃ、今日はUFOに乾杯と行きましょうよ」

 「ああ、そうしよう」

 二人は笑いながらジョッキを傾けた。

 「本当に宇宙人っているのかしら」

 恵子はUFOの続きが気になるようだ。

 「宇宙人ね、こんなに広い宇宙だから、きっとどこかにいると思う」

 「へっ、じゃ、UFOってほんとなんだ」

 「その宇宙人が空飛ぶ円盤を作って、はるばると地球に自由にやって来れるかどうかは又、別の問題だよ。まずね、宇宙の生物て言ったって細菌のようなものから人間のような高等生物まで様々だからね。それに地球に住む人間だって高度な文明を築くのに一万年もかかっているんだ。地球の歴史は四十五億年だから一万年て針でつついたような時間さ。その僅かな時間の幅に合わせて相手が高度な文明を持って人間を見つけたとなれば可能性は出てくる。それにもう一つ難関がある。距離だよ、地球に一番近い系外惑星はアルファケンタウリ、四、三光年離れている。光の速度で四年以上かかる距離だ。しかし、物理的に光の速度は出せない。最近光の二十パーセントまでの速度を理論的に出せると計算した人がいる。時速七万四千キロだよ、それでも二十年以上かかる距離なんだ。地球の人間がどこかの系外惑星を訪問して相手のUFOになるのは不可能に近いということがそれで分かる。宇宙人がいても遭遇することは今の技術では無理だね」

 「じゃあ、将来はもっと速度の出る宇宙船が出来るかしら、スターウオーズって映画で宇宙船が星と星の行き来を自由にしているけどあれって噓」

 「あれは空想の世界さ、あのような技術は今の技術の延長線上にはないと思う。相対性理論をコントロールする技術だからね。想像も出来ない」

 「そんなら、星児さんったら、UFO見に行く約束したじゃない。あれは冷やかし?」

 「いや、今の僕の、いや人間の知識なんて百年前は想像も出来なかった。これから百年後の世界を予想することも難しくなってきた。それは技術の加速度的な進化だよ。人間は何をするか分からない。そう思ったんだよ。ひょっとして今の常識が覆されることもありかな、宇宙人だって・・・・・と思ったわけ」

 「じゃあ、UFO信じてるってことね」

 「いや、信じてはいない。可能性はゼロじゃないってことに気付いたってことかな」

 「難しいわね、どうだっていいけど、ロマンあるじゃない。メール来たら私も連れて行ってくれる?」

 「あ、良いけど、ちょっと危険かな」

 「まあ、脅しちゃって」

 二人はジョッキーを傾けながらドイツ料理を味わった。

 それからは天文台の訪問時期や今日の講演会の内容を解説して時間を過ごした。店を出たのは九時を回っていた。明日は会社だとお互いに言い合って帰宅に向かった。

 月曜日は又、一週間の計画からスタートだ。この週は少し遠出の出張になった。支店のテレトリーは近畿全般だから大阪京都以外も範疇に入る。兵庫や京都の府下へ回ることになった。日本海側の網の町へは遠い。一泊の計画だった。

 火曜日の夕方ようやく大阪まで帰ってきて星児は一息ついた。商談は二日で七件だったが、一件を除いて受注を確定した。まずまずの成果である。報告書も途中で作成し送信したので会社による必要な無い。疲れた足を引きずって家路に向かった。

 七時をいくらか回った時刻に玄関をまたぐと、気怠く風呂に入って、無口のまま夕食を済ませる。母が心配して早めに寝なさいと頻りに言う。父が毎日見る九時の二ユースを何気なく見て、眠くなった。お休みと誰に言うともなく声をかけて二階へ上がった。

 水曜日、ようやく体力回復して出社、今日は在社勤務の日だ。社の玄関で恵子に出会った。

 「お早う」

 「お早うございます。出張お疲れ様」

 声を掛け合いながら二階への階段を上る。一日の始まりだ。 昼食事に恵子を誘う。近くの中華店へ。いつもの中華飯を食べている処へスマホの着信音が鳴った。何だろう今頃と思って口を動かしながら片手で操作。発信者、吉沢とある。あのUFO研究会の会長だ。

 「来たよ、あの会長からだ」

 「えっ、UFOの」

 星児は箸をおいてメールを開く。

 「明日夜七時半から第二十五回探索会を開催します。場所は新宮市です。駅前で七時にお待ちします。だってさ。どうする」

 「だって、行くって言ったんでしょう。私も今夜話しておくわ、明日はちょっと遅くなるって、でも星児さんと一緒だと言えば大丈夫と思う」

 「ええっ、僕のこと話しているの」

 「当然でしょう。私のことはご両親は知らないの」

 「いや~、一応、話したけど・・・・・・」

 「そうでしょう。それより仕事のけりつけられそうなの。明日は外出でしょう」

 「そう、明日は東大阪の予定だよ、まあ、近くだから都合は良いけどね」

 「じゃ、私、直接、新宮へ行ってる。星児さんもそうされたら・・・・・・」

 「うむ、じゃそうしよう。七時集合だから余裕ありそうだな」

 「本当にUFO見えるのかしら、何だかドキドキする」

 「そう簡単にはいかないと思うよ、同じ場所で見れるってことは何かの自然現象の可能性が高いと思う。条件が整えばと言う事だからね。確かめてみたいね」

 午後の仕事は何となく落ち着かなかった。やっぱり気になる。どうせまやかしだと思う一方で得体の知れないUFOの出現をを期待している。

 木曜日、出張の日だが今日は東大阪の三校の予定である。会社を出たのが十時を過ぎていたので午前に一校、午後に二校を早めに回って、駅近の喫茶店に入った。ありきたりのコーヒーを飲みながら報告書を作成した。少し早いかと思いながらもJRに乗った。新宮までは一時間はかかりそうだ。

 六時半には新宮の駅に着いた。まだ、三十分ある。店を探して入るほどの時間もない。駅の待合で仕事の続きをした。一校からの宿題だ。七時五分前になったのでパソコンを仕舞うと立ち上がろうとした。目の前に人影が立った。恵子だった。

 「ここだと思ったわ、仕事熱心だからね」

 「ああ、今着いたの」

 「ええ、でもギリギリだったわ、やっぱり・・・・・・」

 「ほんと、結構遠いね」

 二人はそろって改札へ向かう。きっと改札で待っているだろうと見当をつけている。丁度、七時半、改札前にやってくると案の定、吉沢さんが改札の内側に向かって立っていた。

 「お待たせしました」

 星児が声をかける。驚いたように振かえって吉沢さんは二人を見比べた。

 「ああっ、お揃いで、お越しになってたんですか」

 「ええ、少し早めについたもので」

 「そうですか、じゃ、早速ですが行きましょうか。こちらです。車で少し山手へ向かいます」

 二人は吉沢さんの後ろから人混みをすり抜けて歩いた。北口と書いた電光表示の下を駅の外へ出た。暫くついて歩くとガード下にワゴン車が止まっている。吉沢さんは指さして言った。

 「あれで行きますので」

 運転席には歳格好が似たもう一人の男性が乗っている。近付くとドアを開けて中から声がした。

 「どうぞ、乗ってください。私は山下と申します。よろしく」

 二人はそれぞれに名乗りながら乗車した。車は直ぐに発進して暫く街中を走った。十分ほどして山に向かって坂を上ってゆく。皆、無口だ。かなりの坂をどんどん上ってゆく。やがて乗り上げるように平坦な場所に出た。見晴らし台のような場所だ。もう八時近くになっているので周りは真っ暗だが新宮の町の明かりが薄ぼんやりと辺りを照らす。

 「ここです。此処で一時間か二時間粘ってみます」

 星児は吉沢さんに近寄った。

 「この場所って過去に実績とかあるのですか」

 「ええ、会員が何度も目撃したと報告している所なんです。まだ、その会員以外見た人はいませんがね。その人変わっているんです。UFOに同乗したって平気言う人ですから、ただ、いつも真に迫ってて満更とも思えてくるんです。その人が今夜だというものですから。まあ、だまされたと思って付き合ってください」

 「そうですか、それはそうと、あそこにマイクロバスが止まっていますね。あれも仲間ですか」

 「えっ、いえ、今日は僕たちだけの筈ですが、ああ、確かに止まっていますね、中は電気ついてますが、誰も見えませんね。情報は他へは漏れていないと思うんですが、会員の誰かが漏らしたのでしょうかね・・・・・・。まあ、いいや、出ましょうか」

 吉沢会長は大型の懐中電灯とカメラ、胸のポケットにはサングラスを付けて山下さんに合図した。これからいよいよ探索が始まるようだ。星児と恵子は何も持っては来ていない。手ぶらで吉沢会長の後に続く。車を止めた所から更に細い曲がりくねった山道を登ってゆく。見下ろすと自分たちの車とマイクロバスが少し離れて見える。

 「この辺りで待機しましょうか。話によりますとUFOはあの小高い丘を越えて、この谷のどこかに入ってくるのだそうです。夜も更けますと少し冷えてきますが大丈夫ですか」

 「ええ、上着の厚めを着てきましたから、恵子さん大丈夫?」

 「ええ、大丈夫です」

 恵子はジャンパーにスラックス姿である。

 「チョコです。いかがですか」

 山下さんが箱ごと差し出してくれる。簡単な軽食は取ってきたが、チョコは有難い。

 「いただきます」

 恵子が手を出した。

 「吉沢さん、UFOって音出すんですか」

 「いえ、音はしないそうですから、目で確認するしかないんですよ。決定的瞬間は写真撮りたいですよね」

 時間は刻刻と過ぎるが辺りは何の変化もない。星児は頻りに暗い空に目を凝らしている。木星が東の空に上がりかけている。恵子が口をもぐもぐさせながら星児の方を叩いた。

 「あれって、マイクロバスの人たち?」

 見下ろすと人影の一団が列を作っている。どこから出てきたのか、五人ほどいる。中の二人が電灯でマイクロバスを照らしていて全員がその戸口に向かっている。星児が吉沢さんの腕を軽く叩いた。

 「吉沢さん、マイクロバスの人たちですよ。もう帰るようだ」

 「あっ、あれは・・・・・・、山本君じゃないのか、歩き方がそうだよ、山下君、やはり山本君って来ているよ。ちょっと行って見る」

 吉沢会長が立ち上がると足元を照らしながら、来た山道を駆け下りて行く。星児は山下さんの方を見て、どうするという顔をした。

 「あの人ですよ、先ほど話していた此処へUFOが来るって情報の提供者。来ていたんだな、しかもマイクロバス仕立てて何て大掛かりだ。僕たちも行ってみましょうか」

 バスに乗り終えた四人の最後に乗ろうとしていた男に吉沢会長が話しかけている。山下さんも急いだ足取りで下って行く。二人は取り残される恐怖を感じてその後を追った。暗い下りの山道に明かりが無い。二人は初めて手を握り合った。恥ずかしい感情は起きない。寧ろ足元の危うさが気になって摺り足になる。見えない石ころにずずっと滑って恵子は星児の胸にしがみ付く。ようやく踏みとどまって平地にたどり着いた。丁度、話を終えた山本と言う人がバスに乗り込もうとするところだった。そこへ山下さんが話しかけ、又、タラップを降りて何かを話している。星児たちは近寄って行った。

 「だからもう終わったって言ってるでしょう。あの人たちは行ってしまいましたよ。次って、そりゃわかりません。又、わかれば連絡しますよ」

 バスのステップから山下さんに向かって邪魔くさそうに言う。マイクロバスの中はほんのりと明かりがついていて、前の方に固まって乗っている四人の影が見える。星児はその人たちの異常な姿に目を奪われた。全員が同じ格好をしている。よく見ると手袋をして鍔なしの帽子をかぶり、しかも濃いサングラスをかけている。全身が真っ黒の服装なのである。山本さんだけが少し白っぽい上着を着ていて区別がつく。何で、UFOの探索にこんな服装が必要なの、星児は首を傾げた。吉沢さんが星児に近寄ってきて言った。

 「UFOは既に行ってしまったって言っているんですよ、訳がわからない」

 「あの人たちも見たんですよね」

 「ええ、そうらしい。職場の人達だというんです。会社のユニホームなんだってあの服装」

 「サングラスは?」

 「UFOが強烈な光出すからなんだって、なら、行ってしまった後なら、返って邪魔なくらいなのにね」

 「本当に見たんですかね」

 「さあ、何とも言えない。あの人たちだけで申し合わせしているかも知れないし」

 「あの人たちに聞いてみることできないのですか」

 「皆、ショックで口きけないんだって、本当かな、山本君の言う事いつもこうなんだ。訳がわからない」

 マイクロバスのドアが閉まった。運転席に座った山本君、見ている人たちに片手を上げて合図すると車を発進させる。星児と恵子はその車を目で追う。すると、バスは車輪を曲げたままそこに止まった。いぶかしく思っていると山本さんは車のエンジンをかけたまま、サイドブレーキをかけて再びドアを開けた。慌てて、車から降りてきた山本君、つかつかと恵子に歩み寄る。

 「あの~、貴方も会員さんですか」

 「えっ、いえ、オブザーバーってことで・・・・・・」

 「あなた、UFOに興味おありになるのでしたら、僕に付き合いませんか。実はあちらの方々が今まで男性が多くて女性が少ないんですよ。今日は急ぎますが、興味おありでしたら詳しくお話します。此処へ連絡ください」

そう言って名刺を差し出した。

 「はあ・・・・・・」

 恵子はあっけにとられて仕方なくその名刺を受け取る。そこには山本宇宙と言う名前と住所、メールアドレスが書かれている。山本宇宙は踵を返すとさっさとバスの運転席に戻り車を発進させた。車が走り去ると、後の人たちは取り残されたような妙な錯覚に陥った。

 暫く、誰もが黙って茫然と立ち尽くしていたが星児が吉沢さんに近づく。

 「吉沢さん、まだ、観察会続けますか」

 「あっ、いえ、そうですね、何かしら白けましたね。終わった何て言われてしまうし、今日はお終いにしましょうか」

 星児も恵子もあの一団を見てからは何だか未知のものへの憧れやロマンだけでない、薄気味得悪さを覚えている。

 「あの人達って普通の人じゃないみたいだったわね」

 恵子が言った。

 「ああ、あの服装は作業服だ何て言っていたけど、あれはカモフラージュだね。あの帽子やサングラス、どう考えても普通じゃないね。四人ともだから・・・・・・」

星児の言葉に吉沢さんが口を入れた。

 「前にもあったんだよ、一年程前、あれは生駒の裏山だったかな。あの時はよく似た格好の二人を連れていたよ。後で聞いても何も答えてくれない。会社の人だと同じことを言っていたっけ」

 「山本宇宙って名前、本名なの」

 「いや、昔は山本清二って言ってたな、自分で勝手に変えてるんじゃないの」

 恵子はもらった名刺を取り出して見入った。それを星児に渡すと言った。

 「星児さん、これ持ってて、私、気味悪くって、これいらない」

 「ああ、良いよ。ちょっと確かめてみるよ」

 一行は再び車に乗り込んでその場を後にした。時刻は十時前だ。やはりこんな時間になったんだと思った。新宮の駅で車を降りると二人はJRに乗り換える。研究会の二人は大阪まで車で帰るそうだ。JRでも十一時を回るので星児は恵子を天王寺のマンションまで送ることにした。気が付くとかなりの空腹だと気付いて、駅コンビニでおにぎりを買った。電車は空いていたので頬張る二人を気にかける者もいない。

 星児が自宅に帰ったのは十二時少し前だった。両親はすでに休んでいる。静かに二階へ上がるとシャワーも浴びることなく就寝した。中々寝付かれない。常識とは違うあの人たちの事が瞼に浮かんでくる。明日は金曜日で週末だが社内業務の日だ。恵子とは話す機会があるが何をどのように話せばよいのやら、きっと疑問だらけで迫って来るだろう。それにしてもあの山本さんと言う人、変わっていると言えばそれまでだが、そんな通俗的な表現で事足りる人物とは思えない。

 金曜日は常と変わりなく堺の駅の雑踏に揉まれている。夕べは就寝が常と比べて遅くなったわけでもなかったが、寝付かれぬ分だけ寝不足気味だ。一日頑張ろう。明日は休みだと気を取り直す。出社すると恵子も同じように疲れ気味の様子。僕と同じなんだと、少し可哀そうな気になった。昼の食事は他事業部の子に誘われた恵子とは食事が出来なかった。

 就業時間の終わりが近づいてきた。何となく落ち着かない。恵子がちらちらと星児を見る。一緒に帰ろうと暗に合図を送っているのを星児は感じている。昨日の事をあれこれ話したいのだろうと思う。チャイムが鳴ると早々に恵子が飛び出して行った。星児はそれを追うのは何となく後ろめたく思って、寧ろゆっくりと席を離れた。課長がまだ、残務整理している。

 「課長、お先に失礼します」

 「あっ、お疲れさん、そうそう、坂本君、京都の松原小学校から電話もらってね、丁寧に説明もらってよくわかりましたって、お礼言っていたよ」

 「あっ、そうですか、それは良かったです・・・・・・。それでは課長、お先に失礼します」

 「ああ、ご苦労様」

 星児は寧ろゆっくりとドアを開けると部屋を出た。それから階段を駆け下りる。玄関を出た所で恵子が誰かと立ち話をしているのが目に留まった。誰だろう。何気なく恵子に呼びかける。

 「待たせたね」

 見ると、昨日の山本宇宙って名刺をくれた彼だ。えっ、何でこんな所にいるのだ・・・・・・。星児は混乱した。

 「山本さん、えっ、何で・・・・・・」

 「やあ、夕べはどうも、たまたまここで出会いましてね。夕べも言ってたんですが、一度お話聞いていただけませんかって、お願いしていたところなんです」

 恵子を見ると大きく首を横に振って拒否の合図だ。

 「山本さん、昨日も言いましたけど、彼女は全く興味ないそうです。いい加減にしてやってくれませんか」

 「そうですか、無理にとは言いませんが、きっと満足いただけると思うんですがね」

 「お断りしますって彼女の意思です」

 「そうですか、分かりました。それはそうと坂本さんっておっしゃいましたね、貴方はアマ天だとか・・・・・」

 「ええ、それが何か」

 「そういう方にこそ我々の存在理由って分かってもらいたいんですよね、一般の方だと理解の限界でして、話しても通じないところあって、どうですか、これから少し話聞いてもらえませんか、お時間は取りません」

 「ええ、今日はこれから彼女とゆっくりしたいんですよ」

 「ああ、すみません。お邪魔して、何なら明日の昼間でもいいですが」

 「そんなら明日十三時にJR堺の駅前で落合ませんか、二、三時間なら大丈夫ですから」

 「分かりました。じゃあ、明日きっと会いましょう。聞いて下さいお願いします。失礼しました」

 山本さんは言い残すとさっと風のような足取りで去っていく。

 「星児さん、私気持ち悪い、あの人・・・・・・・。何が言いたいんでしょうね」

 「うむ、何だか異様だけど、僕がアマ天だから聞いてほしいという言葉が気になったんだ。明日聞いて話すよ」

 「ええ、でも何だか私も聞いてみたいような、怖いけどね」

 「結構難しい内容になるような感じだったね、大丈夫なら一緒に聞いたら」

 「どうしようかな・・・・・・・、星児さん一緒だから大丈夫ね」

 「行くなら、堺の駅前だよ、十三時」

 「分かった。待ってて」

 「良し決まった。そんなら今夜はどうしようか」

 「木曜日に遅かったから、あまり頻繁だとね、食事は明日にして、お茶で我慢しない?」

 二人は駅前のスワンに入った。コーヒーを頼んで一時間足らずで店を出た。まだ、サラリーマンのラッシュが続いている電車に揺られ天王寺で恵子と別れて南海に乗り換えた。

 昨夜、まともに会話していないだけなのに両親は久しぶりと言う顔をして星児を迎えた。めったに話しかけてこない父が言った。

 「夕べは遅かったじゃないか、遊びか?」

 「ああ、遊びと言えばそうだよ。実はUFO研究会から誘われてさ、新宮まで探索に付き合ったってわけ、尤も何もなかったけどね」

 「ええ~、UFOなんて非科学的なものに興味持ったのか?」

 「それがそうでもないって、明日、詳しい話聞けるかも知れないんだ」

 「超自然現象か、作り話だというのが大方の見方だがね」

 「明日、聞いてきて又、話すよ」

 「ああ」

 夕食は又別の話題だ。お母さんは又も、いつ来るのかと天文台見学の彼女の事を話題にしたがる。星児は京都のあの喫茶店を話題にしたいと機会をうかがっている。その内にテレビが付けられ話の機会が失われる。

 土曜日は朝が遅い。九時に朝食を終え、ゆっくりとお父さんの済ませた新聞記事に目を通す。何となく午前を過ごして外出の支度にかかる。朝が遅かった分、昼食はパン一枚にハムを乗せて済ました。父は庭の柿木の手入れをしている。秋には一家に十分の果実を提供してくれるからこれだけは欠かせないのだそうだ。

 十三時十分前にはJR堺の中央口に立っていた。恵子はまだ来ていない。土曜日は背広姿の乗客はほとんどいない。行楽への団体やお年寄りの集団が目に付く。ぼんやりとそれらの人々に気を取られていると背後から肩をポンと叩かれた。

 「お待たせ、あ~ら、まだ、UFOさんはお見えじゃないのね」

 恵子はこの前とは又違うスラックスに薄手のジャンパーを着て現れた。いつもと違う服装に見とれている。

 「あら、何かおかしい?」

 「いや、あまり見た事のない格好だから、珍しくて」

 「ほら、今日の主賓がお見えよ」

 目のやる方からいつもの目立たない服装で山本さんがゆっくりした足取りでやって来る。お互いに目が合うとお互いに黙礼を交わす。

 「昨日は失礼しました」

 山本宇宙は二人の前できっちと頭を下げた。そして、恵子に向いて言った。

 「来ていただけたのですね、ありがとうございます」

 「私は坂本さんのアシスタントなもので」

 「ああ、そうですか、わかりました」

 「山本さん、駅前の喫茶店でよろしいですか」

 星児が聞いた。

 「ええ、どこでも結構です」

 「じゃ、こちらへ」

 星児は先に歩き出した。前にも入ったことのある駅前通りを渡った向かいの喫茶“光”に案内した。店が広く、その割に客は込み合っていない。深刻な話をするのはもってこいの店だ。初めからこの店に決めて堺駅前を落合場所に指定したのだ。

 「光、ですか、丁度良い。私たちの話に打って付けのお店です」

 山本さんも気に入ったようだ。通りに面した窓の傍の席に着いた。店員がお絞りを持って注文を聞きに来た。コーヒーを頼んで三人は無口で待った。話を初めてしまえば途中で腰を折られるのを恐れたためだ。道行く人を眺めながらコーヒーを待った。沈黙を破るように星児言った。

 「山本さん、あなたのご職業は何ですか」

 「私ですか、ワイテックという会社を経営しています。俗にいうソフト開発会社ですよ。従業員は十人足らずですが、何とか食べるのに精一杯です」

 「へ~社長さんですか。お忙しいのにこういう事なさってて大丈夫ですか」

 「ええ、まあ、何とかなってます」

 そこへコーヒーが運ばれてくる。星児の問いかけに終止符を打つように全員がカップを引き寄せる。そして待ちかねたように口を付けて一息をつける。

 「さあ、じゃ、本題に入らせていただきましょうか」

 山本さんが口火を切った。

 「ええ、今日は山本さんからお聞きするのが私たちの役目ですから一方的にお話されて構いません」

 「ありがとうございます。お時間をいただき感謝いたします。これからお話することは余りにも突拍子なことですので、俄かには信じられない話になると思いますが最後までお付き合いください」

 「はい、覚悟しておりますから・・・・・」

 「実は先日UFOの探索に行かれましたが、あの時のマイクロバスに乗っていた人たちは地球の人たちではありません。あの時刻に黒尽くめでサングラスなんかかけて、おかしいとお思いだったと思います。実はあの場所から二、三百メーター下った谷にあの人たちの乗ってきた宇宙船が着陸していたのです。私が彼らを迎えに行ったのです。宇宙船は皆さんの帰られた後で離陸して帰ってゆきました」

 二人は声も出せないで話に引き込まれて行く。此処までの話なら全く作り話で済まされる。だが、次々と出てくる山本さんの話は真実味を帯びてくる。

 「宇宙船は地球で言うプロキオン、子犬座の一等星ですね。あのプロキオンの周りをまわる惑星からやって来ました。ご存知でしょうがプロキオンまでの距離は十一・四六光年です。比較的近くて我々の太陽によく似た恒星ですね。惑星はセリオンと呼ばれています。セリオンは太陽系と同じく四十六憶年前に誕生していますが、そこの人たち、取りあえず人たちと言う事にしておいてください。その人達は二億年前に誕生して文明を築いてきました。今の地球とは想像も出来ない文明度です。ご覧になった人たちは体格は地球人に似ていますがやはり進化の違いはどうにもなりません。彼らには髪の毛はありません。目は著しく退化していて光に弱いのです。指も細く足も細く体も痩せています。それでも生存に必要な機能は充実しています。地球に適合するのに三年はかかりますが、適合すれば人間と同じような行動が取れるようになります。特別に誂えた人体と同じサイズの外皮を着て一般人のように生活しています」

 そこまで一気に話して山本さんはコーヒーに手を伸ばした。

 「あの~質問はいいですか」

 「はい、どうぞ」

 「まず、光速に近いスピードを出しても十一年以上かかりますね、その宇宙船は何年かけてやってくるのです?」

 「尤もな質問です。彼らの科学技術は驚異的です。ほんの数時間でやって来ます。我々が外国へ行くようなものです」

 「そんなことは不可能だ。高速を超えることはできない」

 「いえ、それが出来るのです。詳しいことは教えてくれませんが質量をコントロールが出来る技術を確立しています。小さなブラックホールを作れるってわけです。だから宇宙船は一瞬にして現れたり消えたりします。それにエネルギーは核融合炉を極小化していますから宇宙船にも積まれています」

 「そんな彼らが地球に何をしに来ているのでしょう」

 「はい、次はそれをお話ししようと思っていました。我々の銀河系には地球に似た環境の惑星が二万五千以上存在するそうです。その中で知的な人型の進化を遂げている惑星が三千ほどだそうで既に文明が滅んでしまったのが二千八百。残りの二百の惑星に文明があるそうですが今にも滅びそうなのが百九十で残り十が予備軍だそうです。いずれの文明も似たような経緯をたどるもののようですこのまま放っておくと必ずすべてが滅びるのは目に見えています。その中の一つが地球、又別の一つがセリオンなのだと彼らは言っています。

 「確かに系外惑星が次々と発見されていますから、仰ることは全くでたららめだとは言い切れません。しかし、それほどの地球型惑星の文明が滅んだの、滅びそうだのとこれは途方もない話だ。じゃ、なぜセリオンは二万年も続いていてなぜ滅びないのですか」

 「はい、それではセリオンのお話をしましょう。セリオンはそれは美しい星です。地球に似て同じくらいの大きさで、四季もあり、緯度によって気候の違いも地球と変わりません。地球よりも陸地の面積が少ない分、晴れの部分が多く。雲は比較的少なめです。雪も降るし霧も発生します。高気圧も低気圧もあって風も吹きます。地球よりも安定した気候です。地球と似た動物や植物も多く、空には鳥に似た生物も飛んでいます。そんな地球に似たセリオンですが地球とは全く違った面があります。それは食べ物はすべて植物だという事です。人の食物だけではありません。あらゆる動物の食物は植物なのです。ですから弱肉強食や食物の動物連鎖はありません。それほどに植物が豊富で海にも大小の植物プランクトンが豊富です。何百年前から人たちは人口食を食べていて今はそれがほとんどだそうです。こんなセリオンですからあらゆる争いが起こりません。武器もなけば、核兵器も存在しません。動物を殺すこともなければ殺されることもないわけです。勿論、人たちの間で戦争なんて起きません。病気はほとんど克服されて死ぬのは老衰か、事故位ですセリオン全体が一つにまとまっていて国に分かれてはおりません。国民は平等に教育やその能力に応じて仕事が与えられ、最低生活が保障されています。即ち生産はすべて浪費されることなく人たちの生活や科学技術発展に使われるわけです。エネルギィーは核融合炉から無尽蔵に供給され、宇宙放出熱とバランスを取っています。石油も石炭もセリオンにはありません。しかし、セリオンの長い歴史を振り返ると地球に似た過去を持っています。何度かの小惑星衝突、プロキオンの周期的な活動変動などです。その都度、生物の絶滅の危機に直面し克服して来ました。平和だった人々や生物同士の生存をかけた奪い合いや殺し合いの時期もあったのです。しかし、過去に経験した平和な時代を忘れてはいませんでした。それから何千年もかけて、セリオンの人たちの努力が始まりました。生物の遺伝子改変を始めたのです。最初に行われたのが欲望のコントロールでした。中でも所有欲に関して抑制遺伝子が組み込まれ、次に闘争遺伝子にも抑制遺伝子が組み込まれました。その結果、徐々に昔のセリオンに戻して行ったのです。恐らくこれからも絶滅の危機は訪れるでしょうがセリオンは必ず克服するでしょう」

 「なんと素晴らしい、夢の楽園のような惑星じゃないですか。そんな惑星の人たちが何故、今にも滅び去ろうとしている汚らしい地球なんかへやってこなければならないのですか」

 「答えは一つ、他の惑星と違って地球には可能性があるからです。既に科学技術の発端を掴んでいるし、問題の本質も理解している。足らないのは欲望の抑制技術だけなのです。今、地球の指導者たちはそれに気が付いていません。自分勝手な小さな集団の欲望を国民のためと称して地球の生物を絶滅させようとしている。そう思いませんか。セリオン人たちは過去の自分たちをその中に見ています。今なら地球を救える。そう思った彼らは五十年ほど前からコンタクトを取り始めました。私はほんの三年ほどですが、接触した先人もおられます。努力に反して地球の危機は増すばかり。最近はセリオンも焦り気味です。私の話の大筋はこんな所ですが、質問ありますか」

 「お話は理解しました。ただ、あまりにも我々の常識外の事で、何とコメントしていいのかわかりません。ただ、アプローチの仕方があまりにも局所的だと感じるのですが、今の地球の現状を考えたら結構危機意識を持つ指導者がいます。特にヨーロッパの国々です。そちらの指導者にアプローチされたらどうでしょう。我々に話されるより余程効果的ですよね」

 「その通りです。勿論、あらゆる国の指導者に接触を試みています。しかし、入り口で拒否されるケースがほとんどです。あまりにも非現実的で、ヨーロッパの指導者たちも温暖化対策と言う狭い範囲でしか考えようとしていません。まだまだ経済優先でないと国民の支持が得られないのが現状なのです。そうかと言って大々的に正体をあらわにすれば、すわ宇宙人の来襲ってことになって逆効果でしょう」

 「それで我々にそのお話をされてどういうステップなのでしょう」

 「地球は人間が増え過ぎました。このすべての人たちの理解を得るのは不可能だと考え始めています。これからも今の状況は続き゚、絶滅への道を進むでしょう。歯止めをかける手前までは別の手段で人類を守るステップを進めています。それはセリオンへの移住教育です。地球の若いカップルを移住させます。そこで科学技術の最先端を学ばせ将来の地球の危機に対応させようとの計画です。私の話の全体像は以上です」

 「それで、我々に移住を勧められると言うわけですか」

 「はい、それもありますが、今日のこの日をどうかお忘れにならないでください。これだけお話したのですから、共感していただけた所もおありだろうと思います。後はあなた方のご判断です。私のお渡しした名刺には地球上のどこにおられても分かる位置情報回路が組みこまれています。書かれてあるアドレスに会いたいと送信いただければ、必ずどこでも出向きます。もう、こっれきりにしたいとお考えなら焼却してください。今後の一切の接触は致しません」

 「良く分かりました。私たちも聞いたばかりで考えがまとまりません。今のところは何ともお答えが出来ません。ゆっくりと考えさせてください」

 「私の話を最後まで真剣に聞いてくださる方々ばかりではありません。途中で怒って席を立たれる方がほとんどです。今日は真剣に聞いていただき感謝します。ありがとうございました」

 「こういう活動って本業をされながらでしょう。大変ですね」

 「ええ、世界に仲間は約三百人ほどいます。少しずつ増えていますが、その中からセリオンに移住人もいて、私も婚約者とこの夏にはあちらへ移住するつもりです。あと、三か月ほどです地球の生活は・・・・・・」

 「あの~、山本さんのご両親はご存じなのですか」

 「あっ、いえ、僕は天涯孤独の身の上です。だから気楽と言えばそうですね・・・・・・。長いことお時間いただきました」

 星児が時計を見ると二時間が過ぎていた。それはあっと言う間の短時間だった。

 「それではご連絡をお待ちします。じゃ、失礼」

 山本さんはレシートを取って席を立った。二人も一緒に立ち上がると後に続いた。山本さんは当然のように三人分のコーヒー代を支払ってドアを押した。

 「ご馳走になってすみません」

 星児が礼を言う。

 「いえ、それでは・・・・・・」

 振り返りもせず真っ直ぐに駅に向かって行くようだった。少し見送ってから二人は肩を並べて無言で歩いた。足は自然、星児の自宅に向かっていた。

 「いいの」

 恵子が聞いた。

 「ああ、僕は決心した。君をお嫁さんにする」

 「えっ、いいの、私で・・・・・・。それでご両親に合わせてくれるわけ」

 「駄目か、今夜、天文台見学ってことでいいじゃないの」

 「だって、お昼前でしょう。それにお土産の一つも買ってないんだもの、手ぶらじゃ行けないわ」

 「わかった、その横を曲がったところに洋菓子屋さんがあるからそこで買ったらいい」

 「でも~お昼食べに来たみたい・・・・・・」

 「大丈夫だよ、お昼は何時も簡単なパン食なんだ。特別に何かを作るってことないからさ」

 「ほんと、大丈夫ね、非常識って思われないかしら」

 「僕が突然言い出して無理やり連れて来たって言っておくから、さあ、ケーキでも買ってきたら」

 見ると露地の奥にハート型の看板が見える。恵子は一人で駆けだした。待っていると暫くして小さな箱をぶら下げて、後ろ向きに戸を閉めるのが見えた。近付いてきた恵子ははにかんで頷くと腕を組んできた。もう近くまで帰ってきたのに、と星児はおどおどしたが、家の前では自然と体が離れていた。恵子は恐る恐る玄関の階段を星児の後に続いた。

 「ただいま」

 星児がインターホーンに向かって言った。直後、鍵が開く音がして恵子を残して中へ入る。中で誰かに説明している声が漏れてくる。再びドアが開くと、星児が笑顔を出した

 「さあ、入れよ」

 「お邪魔します~」

 恵子は恐る恐る玄関に足を踏み入れる。そこに星児の母親と思われる女性がにこやかな笑顔を作って立っていた。

 「いらっしゃい。どうぞ汚い所ですが上がってくださいな」

 「あの~、突然すみません。もうお昼時なのに、私、山田恵子と申します。星児さんの職場で一緒の・・・・・・」

 「はい、聞いております。いつも星児がお世話になって、ありがとうございます。今日はどうぞごゆっくりさって下さいな。どうぞ、遠慮なさらずに」

 「ありがとうございます。お邪魔します」

 出してもらったスリッパを履くと居間に案内された。お父さんと思しき男性が新聞を読んでいる。入って行くと慌てて新聞を片付けると向き直って、微笑んだ。

 「いらっしゃい。星児の父親です」

 「お邪魔します。山田恵子と申します」

 「さあさあ、どうぞ」

 言いながら父親は新聞を持ってリビングへ移った。ソファに腰かけて恵子は辺りを見回す。一面の広い壁には星の写真がずらりと並べられている。流石、親子二代のアマ天だ。

 「後で僕の部屋へ行こう。気づまりだろう」

 「ううん、そんなことない」

 二人が小声で話しているとお母さんがお盆を持ってリビングから出てきた。

 「お昼にお紅茶かコーヒーにしましょうね、今は日本茶を召し上がれ」

 そう言って恵子の向かいに座った。

 「恵子さん、お住まいは・・・・・・?」

 「はい、天王寺のマンションです」

 「まあ、便利なところにお住まいだこと、ご両親と一緒?」

 「はい、兄がいますが東京で勤めで私は両親と同居です。父は出身が和歌山で近畿大卒です。近畿土木事務所に勤めていましてもうそろそろ定年じゃないかと、母は京都が実家でして、京都の短大を出ています。二人はは職場で出会ったそうです。私は一応大阪市立大を出ました」

 恵子は聞かれもしないことを饒舌にしゃべった。恐らく母親として事前に聞いておきたいことだろうと気を利かせたのだが、しゃべりすぎたかなと後悔した。

 「そうですか、ごめんなさいね、面と向かったから喋らせてしまったのね、うちの事は星児からお聞きになった?」

 「はい、少しずつは・・・・・・」

 「恵子さんお料理は得意?」

 「はい、休みは大概キッチンに立っていますから」

 「あらそう、じゃ、お昼手伝ってくださる?」

 「はい、わかりました」

 お母さんが立ち上がると、つられるように恵子も立ち上がってキッチンへ向かう。星児は取り残されて面食らった。これはお母さんの初めからの作戦だったと気が付いた。いつ連れてくるとも言わなかったが、その積りで待っていたのだろう。

キッチンの恵子は初めてやってきたお客とは思えない。打ち解けでにこやかに笑い合いながらサンドイッチを作っている。女同士ってこういうものなのだろうか、それともお互いに相手を意識しながら演技をしているのだろうか。星児は遠目で観察している。そこへお父さんがリビングへやってきた。

 「うまくやっているようだな」

 「女って分けわからない」

 「うまくやってくれれば、平和ってことだよ」

 やがて食卓に並べられたサンドイッチと紅茶を四人が囲んだ。和気あいあいの昼食であった。食後も二人で共に片付けが楽しそうだ。食後はリビングで他愛もない世間話に笑い合って、星児の子供の頃のアルバムなど勧められるまま見て時間を過ごす。

 「今日は昼から天気が良くなったわね、この分だと夜のお星様は大丈夫よね」

 お母さんが如才なく話題を提供してくれる。その時、お父さんが突然言った。

 「それはそうと、今日のUFOの話はどうなったんだ」

 二人は顔を見合わせた。突然の質問に、又、あの奇妙な世界が思い起こされたからだ。

 「う~む、何と言おうか、全く奇妙な話だった。それが全くの作り話とは思えないところが妙に引っかかる。まあ、お父さんには分かってもらえそうだが、お母さんに恐らく無理だね」

 「あら、なぜ?」

 「あまりにも突拍子もないからさ」

 「でも聞きたいわ、恵子さんも聞いてきたのでしょう」

 「ええ、聞くには聞いたんですが半信半疑ってところです。言われることを聞き入れる気にはならなくて」

 「益々気になるわね、星児話して」

 「ああ、実はって、話始めたんだよ。その人」

 星児はかいつまんだ話を筋を気にしながら話した。両親は間の手を入れる事も出来ずに聞いていた。まず反応したのがやはりお母さんだった。

 「それってオカルト好きの妄想癖の方じゃないかしら」

 それを両手で遮ったのはお父さんだ。

 「いや、話には筋が通っている。創作話にしては矛盾点が無い。この話をした人、創作話なら途轍もなく頭の良い方だし、本当の話なら地球人にとっては救いの神だな」

 「と言う事はあなたは信じるってこと?」

 「いや、信じるとは言ってはいない。宇宙は広い、ありうる話として否定できないという事だよ。しかも、無理強いしないし、最後には覚えておいてほしいと念を押したのだろう。それだけでも真実みがある」

 聞いていて恵子は流石、アマ天親子だなよく似た考え方をすると思う。理詰めの感想だからだ。お母さんが心配顔で星児に聞いた。

 「それで星児、その話に乗って恵子さんとその星に移住する積りじゃないでしょうね」

 「あっははっ、心配しなくていいよ。お母さんを捨ててどこかへ行ったりしないから」

 「そんならいいけど、お父さんが妙なこと言うものだから、真剣に考えちゃうわ」

 「まあ、若い者に任せて置こう。我々の年代のものは地球環境については言い訳が出来ないからね。若い者が地球を見捨てて移住しようが、宇宙人に助けを求めようが文句を言う筋合いはない」

 「とうとうお父さんまでUFOの虜になっちゃった」

 四人は笑いあったが、何となく余韻は複雑だった。お母さんがけりをつけるように立ち上がった。

 「コーヒー淹れましょうね。今夜は星見でしょう」

 四人はコーヒーを囲んだが、もう、その話は話題にならなかった。最後のお父さんの、若い者に任す、の言葉が利いている。早めの夕食を準備しましょう、とのお母さんの言葉でその後は又、二人そろって夕食の準備にかかった。

 星児は天文台で掃除をしながら準備をした。見せると言っても木星か土星、金星位しかない。あまり遅くならないようにと計画を立ててドームを開けておく。

 半日余りの時間に恵子はすっかりこの家の一員になったようだ。新しいエプロンを借りた恵子はまるで新妻のように華やかだ。夕食はカレーライスが出された。いつもと変わり映えはしないが一人加わった食卓は全く違う雰囲気になった。お母さんは喜々として嬉しそうだ。星児は急だったが今日、連れて来て良かったと思った。

食事の後片付けが終わって、リビングへ戻ってきた恵子に星児は言葉をかけた。

 「ありがとう。すっかり炊事仕事をさせちゃったな」

 「いいのよ、私好きなんだから」

 「一休みしたら、上に上がろうか」

 「ええ、楽しみにしていたわ」

 暫くして、二人はリビングを後にした。天文台は二階のベランダから屋上へ外階段が付けてある。三メーターのドーム内には仄かな灯りが灯っていて、何かが待っているようだった。白い鏡体が暗くなった空の一角に向いている。

 「へ~、こんなに大きなものだと思わなかった。このじりじりって音、何なの」

 「ああ、望遠鏡を常に対象に向けておくための時計装置だよ」

 「これってパソコンで動いているの、いや、これ自体の制御装置を持ってる」

 「じゃ、パソコンは何に使うの」

 「直接、レンズを覗くのではなくって、CCDカメラからパソコン画面で見るのさ、直ぐに写真にもとれるしね。便利なんだ」

 「じゃあ、早速見せて」

 星児がパソコンを操作すると画面に直ぐに画像が現れた。

 「ほれこの筒の先のあの星、木星だよ、ほら、三つ衛星が並んでる。四つが横に綺麗に並ぶことが多いけどね、この本体に何本も筋があるだろう。木星はガスの塊で自転速度が速いからガスがこのように筋になるんだよ」

 「へ~、もっとはっきり見えるのかと思ってた。リビングの写真みたいにね」

 「ああ、あれはそういう写真の撮り方ではっきり撮ることが出来るんだよ」

 二人はその後、西空の金星、そして、輪のある土星に筒先を向けた。その都度、星児は分かりやすようにその解説をしてやる。瞬く間に時間は過ぎて行く。その時、リビングからのインターホーンが鳴った。

 「はい、何」

 「もう、八時を回ったわ、そろそろお送りした方が良いんじゃない。ご両親が心配なさっておられるといけないから」

「ああ、分かった。お終いにするよ」

 ドームのスリットを閉め、パソコンの電源を落とす。望遠鏡にカバーをかけるとドームを出た。もう初夏の微風が頬に心地よい。ベランダへ下りて駅の方角の瞬くネオンを仰ぎ見た。

 「この名刺、ここで焼却しようと思うんだ。どう?」

 「賛成だわ、私たちこのままでとっても幸せだからね、先々のことはあの方たちにお任せするわ」

 「うむ、そうしよう」

 星児はいつの間に用意したのか、ポケットからライターと山本宇宙と書いた名刺を取り出した。そして、腰をかがめるとライターの火をつけた。その火に名刺を翳す。一瞬にして名刺は火を噴いた。確かに並みの紙質ではないようだった。二人はじっとその火を見つめた。

 見つめながら星児はその火と共に貴重なチャンスが消えていくもう一人の自分を見ている。これで良かったのかと・・・・・・。

 その時、恵子の左手がそっと星児の右の脇に差し込まれてきた。我に返った星児は恵子の瞳の燃え残る火を見ながら、地球の未来に幸多かれと祈った。

                                (完)

                  

                         

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