第28話 玲瓏 下
単に建物があるというだけでなく、使用人が何人もいるようだ。非常に手入れが行き届いていて、芳醇な資金を持った貴族の家だと感じられる。
濡れ縁をわたり案内された部屋は広い板の間で、開け放たれた御簾の向こうは美しい庭園になっていた。
「どういうことなの?」
こんな貴族屋敷の立ち並ぶ中、これだけ大きな屋敷を勝手に建てることは難しいだろう。
むろん玲瓏の能力をもってすれば、これだけの建物を作ることは簡単だが、周囲の人間に疑念を持たれるのは間違いない。それに、使用人を雇うとなれば、常時こちらに滞在しないとならないだろう。
「この家は、ある貴族の屋敷でして。私はその
「え?」
意味が分からない。
「わかりませんか? この家の主には子がありません。僕が息子になってもなんの問題はないんです。時折尋ねてくる、遠方に住む息子ですので」
玲瓏は涼しく笑う。
「要するに、暗示をかけて、この家の人間に息子と思い込ませたということ?」
「別に、たいして迷惑はかけてませんよ。たまにきて数日泊まる程度ですから」
「そうかしら」
私は呆れる。
自分の都合の良いように、他人に暗示をかけるなんて、ちょっと自分勝手すぎる気がする気がする。もっとも、私も都合の良いように生きているから、人のことは言えないけれど。
「もちろん、それなりの対価は払っています。こちらに来るたびに、金銀をこの家に差し入れていますから」
しれっとした玲瓏は、全く罪の意識がない。
滞在するのは年に数回。対価に金銀を入れているのであれば、この家の人間にとって、それほど悪いことはしていないのかもしれないけれど。
それでも、家族のふりをするということはそれなりに情愛が絡むはずだ。ただ、この世界に滞在するためだけに、わざわざ『暗示』をかけるなんて……とは思う。
ただ、暗示をかけたわけではないけれど、私も伍平さん夫婦と家族のように過ごしている。それも「この世界に滞在するためにしている」と言われれば、それまでかもしれない。
「どうです? なかなか良い屋敷でしょう」
自慢気に玲瓏は笑う。
確かに、こっちに来てから見たどの建物よりも、大きくて、居心地が良い。
御簾も几帳も最高級のものだ。床は艶やかに磨かれている。屋敷内に吹き抜ける風もとても気持ちが良い。気が澄んでいるということは、屋敷が平和に満ちている証拠だ。
「……そうね」
私は頷いた。良い屋敷なのは間違いない。玲瓏がこの家にもたらしたものは、決して悪いものではないとは思う。
「天界に戻らないのでしたら、もみじさんもここに住みませんか?」
「え?」
私は目を丸くする。それは無理だ。
天界に戻りたくないのもあるけれど、私は伍平さんたちといっしょにいたいのだ。いくらこの屋敷が快適だといっても、それだけだ。伍平さんたちも一緒にと言われたら、心揺れるかもしれないけれど。
「あのさ、私は私で好きにやりたいし。玲瓏は玲瓏で好きにすればいいと思う」
贅沢な暮らしがしたいのであれば、天界で玉座に着けばいいのだ。私は貴族のような生活がしたいわけじゃない。伍平さんたちと暮らしたいからここにいるのだ。
「僕はもみじさんと一緒にいたいだけです」
「……と、言われましてもね」
玲瓏には悪いけど、甘えを含むような甘い声も、本心とは思えない。彼の目の中にはいつもどこか冷えた光が光っている。
なつっこい笑みもどこか、計算されたものに見えてしまう。
もちろん好意を向けられるのは嬉しい事には違いないんだけれども。
「玲瓏なら、天界の玉座も手に入ると思うし、もっと素敵な女性を妃にすることだってできると思う。私も応援するから」
「兄上にも、そう言ったんですか?」
玲瓏が私の顔を覗き込む。
その質問に私は返答できなかった。
確かに晦冥には言っていないと思う。私が何かを言う暇もなく、嫁だと連呼されていたせいもあるし、彼は玉座には見向きもしていなかった。
玲瓏は大きくため息をついた。
「結局、もみじさんは僕の気持ちを本気にしてくれていないんだ」
傷ついたようなその顔は、つい母性本能をくすぐられそうになる。
玲瓏は末っ子で甘え上手だ。可愛いけれど、今、彼が求めているものに私は答えられないと思う。好きか嫌いかと言えば、好きだけど、夫にできるかといえば違うと思う。
「ごめん。私、帰る」
私は立ち上がる。
「私は天界には帰らないし、誰の嫁にもなる気はないの。お願いだから、もう放っておいて」
「わかりました」
玲瓏は頷く。
「今日のところはお帰り下さい。でも、僕は諦めません」
玲瓏の目が私を見つめる。それは、少し怖いくらいに真剣な目だった。
次期第六天魔王は嫌なので、天界を脱走して五平餅を焼いてます 秋月忍 @kotatumuri-akituki
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