第9話 干し柿
伍平の家に着いた頃には、日が落ちて暗くなっていた。
「寒かったでしょう?」
タミが家の中へと迎え入れてくれる。
粗末な家ではあるけれど、火がたかれているので、とても暖かだった。
「土産に、干し柿を買ったよ」
伍平の言葉に、タミは嬉しそうに破顔した。
家中に広がっているのは、粥の香り。朝の粥の残りを温めてくれているのだろう。
「どうだった?」
「いろいろありました」
何から話したらよいか困ってしまう。本当にたくさんあったし、狒々にさらわれて、晦冥に送ってもらったくだりは、話せない。説明、面倒くさいし、信じてもらえそうもない。
冷静に考えたら、私、晦冥に接吻されたんだった。そう思うと、急に顔が熱くなってきた。あれは、事故。事故だよね。だって、了承してないもの。私は、二人に気づかれないように、顔をパンと叩いて、心を落ち着かせる。
「帰り路に、大変なことがあってね」
私達は蓑をぬぎ、火のそばに座った。
「まあ、それは疲れたでしょう」
タミは笑いながら、粥をよそってくれた。
「ご飯を食べて、ゆっくり休んで」
「はい」
すぐにあれこれ聞こうとしないタミは、本当に優しい。
「傘は全部売れたよ」
伍平は干し柿を取り出して、タミに見せる。
「とにかく、もみじちゃんが可愛いすぎて。芋がゆまでごちそうになってしまった」
「まあ」
伍平は、男をぶん投げたくだりを省略し、田沢家にまねかれたことを説明した。そうすると、随分平和な話になるなあと、ちょっと思う。
「田沢さまに気にいられて、縁談まで申し込まれて、本当にびっくりしたよ」
「縁談!」
タミは目を丸くする。
「断わりました。だって、まだ、結婚なんてしたくないですから」
私はあわてて、口をはさむ。
「あそこでは言わなかったけれど。正直、あまり賛成はできないんだ」
伍平は肩をすくめた。
「あっしらの娘っ子と思われているなら、嫁といっても、妾扱いだと思う。三度の飯が食べられる保証はあるかもしれないけれど、大切にしてもらえるとは思えない」
「そうですねー。田沢さまといえば、この辺りで一番のご名家で、私らのことは人と思っていないくらいだというお噂もありますものねえ」
タミが大きく息を吐いた。
ああ、やっぱりそれほど評判は良くないんだ、と思った。
「もみじちゃんが、帰りにあやかしにさらわれて」
「え?」
「あ、大丈夫です。よくわからないけど、なんともなかったの。神さまが助けてくれたみたい」
私は慌てて、手をパタパタさせた。
「何もされなかったかい?」
タミが心配そうに私の顔を覗き込む。
「ええ、怪我とかはないです」
接吻はされましたが。
「あまり覚えてないんです」
私はぺこりと頭を下げた。
「もみじちゃんは、神さまの授けてくれた子だもの。私たちの知らないものに守られていても不思議じゃないわ」
タミがにっこり笑う。まるで全てを知っているかのようだ。
「わがまま言うようだけど、すぐにお嫁に行かず、もうしばらく、私たちの子供でいてくれると嬉しいわ」
「はい!」
その言葉はとても嬉しい。
そもそも、伍平の家に落ちてきて、一日も立っていないのに、本当にこの人たちはあたたかい。
「さあ、ご飯を食べましょう」
タミに促され、私と伍平は椀を手にした。
「美味しい」
空腹を満たしてくれる、優しい味。決して贅沢な味ではないけれど、温かな気持ちになれる。
「お母さんの味って、こんなふうなんだ……」
生活に不自由をしたことなんてない。
だけど、幼い日に両親を亡くした私の知らない味だ。
「まあ。うれしい」
タミの目に涙がにじむ。
「こんな粗末なご飯をそんな風に言ってくれるなんて」
「良かったねえ。タミさん」
伍平がタミの肩に手をのせる。本当に優しい人たちだ。私が、この家の前に降りてきたのは偶然だけど、ひょっとしたら、どこかにいるかもしれない『神さま』ってやつの采配なのかもしれない。
もっとも、地上の人が思っているのと違って、神さまは天界には住んでないんだけどね。天界の人間は、地上の人間より魔力を持っているけど、神さまではない。時折、地上に力を及ぼすことはできなくはないけれど。
「ああ、そういえば、干し柿があったんでしたね」
大きな木皿に、干し柿をのせて、私たちは囲む。
「食べてご覧」
私は、手をのばして、口にした。
甘い。少しかたくて、口の水分を持っていかれる感じはあるけど、とっても甘い。
天界の砂糖菓子のようだ。
「美味しい!」
「そうだろう。そうだろう」
伍平が頷く。
この夫婦が作ったものではないけれど、これも本当に美味しい。
この調子だと、私、地上界にいると太るかもしれないな……とちょっと思った。
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