第5話 芋がゆ
「いやあ、実に痛快でした」
体格の良い男性が、頷きながら声を掛けてきた。非常に高そうな直垂だ。この辺りの名士なのかもしれない。太刀をぶら下げている。
にこやかな感じではあるが、目が笑っていない。かなり狡猾な印象を受ける。一癖も二癖もありそうな感じだ。年齢は二十代後半くらいかな。
「どうも」
私は頭を下げる。
「うちの若い衆なんですが、どうにも性根が腐ったやつで。ご迷惑をおかけしましたなあ」
男は雪の埋まった男の方に目をやった。
「お詫びに、芋がゆなど、どうですか?」
どうやら、さっきのチンピラの関係者のようだ。使用人が、小娘に投げ飛ばされて、つぶされた面目をとりもどそうとでもしているのだろうか?
「ああ、私はこの辺りを仕切っております
「ひぇぇ。田沢さま?」
伍平が慌てて頭を下げた。
「こ、これはとんでもねーことになってしまいまして」
「いや、悪いのは、うちのもんです。そちらが頭を下げることは何もない」
なんか、面倒なことになってきたかも。
「お詫びなどいりませんから、どうせなら、傘、買っていただけると嬉しいです」
まさか家に行ったところで、仕返しとかはされないだろうけど。私はしおらしく頭を下げた。
「傘は、もちろん全部いただきます」
使用人と思われる男が脇から顔を出し、銅貨を積み上げる。
うーん。これって、断れない感じ?
私は、伍平の顔を見る。伍平も戸惑っているようだ。
「さあ、どうか遠慮なさらずに」
田沢の笑顔の圧力が、すごい。周囲の人間も見守っている感じだ。もちろん断る事もできるが、これから先も市に来ることは、あるだろう。のちのちに響きそうな雰囲気だ。
「帰るのに時間がかかるので、少しだけなら」
伍平が、私に頷いてから答えた。
「ええ、もちろんお時間はとらせません」
田沢は、傘を使用人に抱えさせ、ゆっくり歩き始めた。
田沢の家は町の高台にあった。かなり大きい。おそらく、この町で一番大きいのではないかと思う。
私兵を持ち、使用人も何人も抱えた大地主らしい。豪族って言うんだっけ。
今日は、身内に祝い事があったらしい。庭先に大きな鍋が焚火にかけられていた。
美味しそうな香りが漂ってくる。
「さあ、こちらへ」
私達は、ぬれ縁に座るように言われ、腰をおろした。
御簾がおろされた向こうには、板張りの床が見える。私は、注意深く家を観察して、記憶する。
使用人達は、突然の来客に驚いたようだったが、特に異を唱えることも無く、主人に指示されるがままに、私達をもてなしてくれるらしい。大鍋から木の椀に、温かな芋がゆをよそって、私達に差し出した。芋がゆというのは、山芋を甘葛の汁で炊いた甘い粥だ。
立ちのぼる湯気が、顎を温めてくれる。寒い中では、温かなだけでも、ごちそうだ。
「いただきます」
ちょっと気乗りしないお誘いではあったけど、いざ食べ物を前にすると、お腹がすくし、田沢がとても良い人に見えてきた。うん。単純だ。
温かで、美味しい。でも、伍平の家でのような衝撃はなかった。この味なら、天界にもある。
天界の料理がことさらに不味いという訳ではなかった。
「どうです?」
田沢は、得意げな表情をしている。この芋がゆ、宮廷料理でもあり、高級料理だったはずだ。これは、富の象徴なのかもしれない。
「食べたことの無い味です」
伍平は恐縮しているようだ。
「美味しいです」
社交辞令のぶんも含めて、私は笑顔で答えた。
「どうです? 私の嫁になればいつでも、これが食べられますよ」
「は?」
「あなたの度胸の良さ、腕っぷしの強さ、実に素晴らしい。そして、何より美しい」
田沢は、うんうんと頷きながら、私を見る。
えっと。これ、美味しいけど、毎日食べるなら、断然、五平餅だよ? というか、朝の雑穀の粥に青菜の方が美味しかった。間違いない。
そもそも、私は、結婚したくないんだって。
「嫁?」
伍平は、驚きの表情を浮かべている。
「悪い話ではないですよね」
田沢は、自信たっぷりだ。
「芋がゆ、ごちそうさまでした」
私はゆっくり箸を置く。
「でも、お話はお断りします」
「なぜ?」
田沢が、驚きの表情をみせた。
「これから先、生活に困ることはないのだよ?」
「お断りすると、生活が、困ることになるのですか?」
私は、にこやかに質問を返す。
「なかなかに面白い娘だ」
ニヤリと、田沢が笑みを浮かべた。
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