第4話 タカオの安定
地方公務員だったタカオは定年退職をするまで公舎で一人暮らしをしていた。一度結婚はしたが、妻は一人娘を連れて出て行った。離婚をして二十年以上になる。これといった趣味もなく、外で飲むことも食べ物への拘りもないため、お金は貯まる一方だった。
公舎を出ることになり、生まれて初めて不動産屋に行った。預金は親から相続したお金と退職金とを合わせて一億円になる。年金も共済年金があるので多少の家賃は支払える。兄からは持ち家があったほうがいいとアドバイスもされていたが、どうしてもそんな気にはなれなかった。
結局、一番安い物件を選んだ。半年間は毎月一万円でその後は十七万円になる物件だった。とりあえず半年間だけ住んでみようと思った。
それまで暮らしてきた町から少し離れた場所を選んでいたので、慣れるための期間が必要だったからだ。
古い公舎での生活しか知らないので、最新の家電や設備に戸惑ったが快適だった。これならそのまま住み続けるのも悪くはない。
クローゼットの中に小さな金庫を見つけた。説明書通りに開けてみるとそこにはお金が詰まっていた。数えると一億円ある。自分の預金とほぼ同じ額だと思った。
大家の意図を確認するために、部屋に向かった。
大家は淡々とあのお金も備品の一つだと言った。部屋を出るときに返してくれたらいいと。
そこへアキコと名乗る中年女性と青年が料理を持って入ってきた。
「これから食事会なのあなたもどうかしら」
「私はそろそろ」
「いいじゃないですか。あなたにも参加資格のある会なのだから」
「自分もいました」
青年はサトルと名乗った。
そのあとすぐにサトルと同じ年くらいのリョウが加わり、食事会は始まった。
部屋を出るタイミングを無くし、仕方なくその場に留まることにした。
「あの、私にも参加資格があるというのは」
おずおずと確認してみる。
「お部屋よ。皆さん今のタカオさんの部屋に住んでいた方たちなの」
「ああ、一億円の」
「そう。皆さんあのお金を見つけると、ここにやって来るから」
「自分は気が付かないまま部屋を出たのですが」
サトルが言う。
「そうだったのよね」
アキコが可笑しそうに言う。
「普通、金庫があったら開けてみるよ」
リョウもサトルを笑う。
「だって、金庫なんて自分には関係のないモノだと思ったから」
「じゃあさ、お金を見つけていたら本当のところどうしていたと思う?」
リョウがからかいながらサトルに詰め寄る。
「いや、どうしただろう。自分はギャンブルに嵌ってしまった時期があって。だから、競馬場に行っちゃったかな」
「そうしていたら、人生が変わってしまったわね」
アキコがしみじみと言う。
「サトルさんはお金を使い込んで、返せなくなって、夜逃げしていたと僕は思う」
「どうして、そうなるんだよ。競馬で一儲けしてお金を増やしていたかもしれないじゃないか」
「そんなこと、ないない」
「確かに、自分の場合はあのお金を見つけなくて良かったと思っています」
「そうなの?」
「だって、リョウの言う通り、ギャンブルって怖いですからね」
「私のやっている、株式投資もギャンブルみたいなものだけどね」
「アキコさんはどうして株式投資を始めたのですか?」
リョウが質問する。
「あら、言ってなかったかしら。大家さんに勧められたのよ」
「そうなのですか」
「今でも大家さんは私の先生ですからね」
「儲かっていますか?」
「そうね。ほどほどかな」
「ほどほど?」
「儲かる日もあれば、ダメな日もあるから」
「でも、トータルでは負けていないのなら、すごいですね」
「先生のおかげです」
「アキコさんの緻密さや冷静さが株式投資に向いているよ」
「先生に言われると、何だか恥ずかしい」
「自分には無理かも」
リョウがボソッと言う。
「そうだよな。お前も俺も、一発逆転を狙って失敗するタイプだ」
「一緒にしないでくださいよ。僕の場合はそんな失敗はしないけど、お金を動かすだけで儲けを出すということに興味がないってだけだから」
「私はそれが楽しいかな。大胆に勝負に出る時もあるのよ」
「本当に?そうは見えない」
「その冷静さや大胆さがアキコさんの強みなのよ。普通は人と同じことをしてしまって大損してしまうから」
「タカオさんは、あのお金をどうされる予定ですか?」
突然アキコに聞かれ一瞬戸惑うタカオだった。
「そのまま一緒に暮らしてみます」
咄嗟にそう口にしていた。
「え~。ネコじゃないのだから、一緒に暮らすって。ね~」
リョウがサトルに同意を求めた。
「お前だって何もしないでそのまま部屋を出たじゃないか。同じだよ」
「俺は起業しようと考えていたけど、大家さんと話をして思い留まったから」
「私は起業にも、株式投資にも不向きな性格なので」
「タカオさんは何をされていたの?」
「今年の春で公務員を定年退職しました」
「これからどうされる予定?」
「まだ決めていません。少しゆっくりしようと思ってまして」
「公務員だったらお金あるでしょう」
「はい、一億円くらいは」
「え~。まじ?」
「うそ」
皆が一斉に反応した。
「家なんて楽に買えるじゃない」
「はい、でも最近まで実は空き家対策の担当だったので持ち家を所有するのが怖くなってしまって」
「ああ、空き家って増えているからね」
「はい、私には残してあげる家族もいないので」
「ずっと独身でいらしたの?」
「いいえ、随分前に離婚をしまして」
「あら、そうだったの」
「子供が一人いるのですが、もう元妻は再婚しているので」
「どうして離婚したのですか?」
「そんなこと聞いちゃだめよ」
リョウの無邪気な発言をアキコが咎めた。
「いいですよ。もう、二十年も前の話ですから。女性に縁がなかったので四十歳過ぎてやっとお見合いで結婚できました。ただ、その頃、私は生活保護関係の部署にいまして受給希望者と役所側との間に挟まれ、半分鬱的な状況になっていたのです。最初は彼女も私を理解しようと努めてくれました。子供も生まれ私も頑張ろうと思っていました。子供が二歳になった頃でしょうか、今度は税金を取り立てる係になり、税金滞納者との闘いが始まったのです。意外に思うでしょうが税金滞納者って立派な家に住み、大きな車に乗っていることも多く、嘘も上手かったりして、色々な面で人間不信に陥りました。私としては家族のことを気に掛けていたつもりだったのですが、妻は陰気になり塞ぎ込んでいく私との生活に耐えられなくなり、実家に帰りその後すぐに離婚届が送られてきました」
「公務員も大変だよな」
「私の性格が悪いのです」
タカオは自分でも信じられないくらい饒舌になっていた。同僚にも友人たちにもこんな話をしたことはない。両親や兄にも離婚をした事実しか伝えたことはなかった。
食事会が終わり大家の部屋を出る時、不思議とタカオの顔は晴れ晴れとしていた。新しい生活の舞台が幕を開けた。タカオは胸の高鳴りを抑えることができなかった。
タカオは大家の提案でこのマンションの管理人兼メンテナンスを請け負っていた。清掃や植木の手入れを定期的に専門会社に依頼しているのだが、その回数が減るくらいタカオは日々、マンションの清掃や庭木の手入れに精を出した。
真夏の庭掃除は思いのほか大変だったが、タカオは噴き出る汗を拭いながらも充実感を味わっていた。こんなに身体を動かす労働は初めてのことで戸惑いもあったが、夜、部屋に帰り風呂上りに飲むビールは格別の味であった。時々開催される大家の部屋でのあの集まりも楽しみの一つになっていた。初めて実家とは違う家族ができたようで、この地に落ち着く決意を固めていた。
玄関ロビーに見知らぬ若い女性が困った顔で立っている。
「どうされました?」
タカオは声を掛けた。
「人を探していまして・・・」
その女性はタカオの名前を口にした。よく見ると自分の娘くらいの年齢だった。
「もしかして、ショウコか?」
「お父さん?」
「どうしてここがわかった?」
「伯父さんに聞いたから」
「そうか。よく来たね」
タカオは自分でも不思議なくらい落ち着いていた。
そこへ偶然大家が買い物から帰ってきた。
「大家さん、私の娘です」
「あら、お父さんを訪ねてこられたの?」
「はい」
ショウコの笑顔はどこかぎこちなかった。
「うちに来ない?」
大家に誘われてタカオは内心ほっとしていた。自分の部屋に招き入れることにどうも抵抗があったからだ。
「でも、ご迷惑では」
「ちょうどケーキも買ってきたことだし、どうせタカオさんのお部屋、掃除していないでしょう?」
タカオが掃除好きのことを知っていて大家は嘘をついた。タカオもその嘘に乗った。
「そうなのですよ。少し困っていたところでして」
目の前に自分の娘がいること自体に戸惑いを隠せないタカオだった。
ショウコは東京の大学を出て就職を機に独り暮らしをしていると言う。少し派手目の化粧が気になった。
「お母さんは元気かな?」
「はい、義父と妹二人と元気に暮らしています」
「時々は実家には帰るの?」
大家の問いかけに一瞬固まるショウコだった。
「何かあったのね?」
大家はタカオが聞きたいことを聞いてくれる。
「あの家は私の家ではないので」
新しい家族で楽しくやっているものと思い込んでいたタカオはショックを覚えた。
「すまない。父さんのせいで肩身の狭い思いをさせてしまったようだね」
「大学までのお金は出してもらいましたし、何不自由なく育ててくれました。でも、最近義父はリストラされてしまい私の存在が目障りなようで、母も私を煙たがっていて」
「妹さんたちの教育資金のせいかしら」
「はい、きっとそれもあると思います」
タカオは離婚して数年間は養育費を支払っていたが元妻が再婚してからは何もしてこなかった。ここへ来たのはお金が目的なのか。タカオはだったらいくらか支払うつもりでいた。
「お金が必要なら私が何とかするから、ショウコは心配しなくていい」
「ありがとうございます。でも・・・」
「それだけではないのね」
「実は今住むところがなくて・・・」
「どうしたんだ」
「就職した会社を首になって・・・」
「どうして?」
「そんなに詰め寄っては、お話もできないじゃないの」
大家に止められ、タカオは冷静になるよう努めた。
「妹たちの教育資金を作るために夜はアルバイトをしていたのですが、それが会社にバレて・・・」
「妹さんたちの教育資金のためだけではないでしょう?」
「最初はそうだったのですが、仕事仲間に誘われて行ったホストクラブに・・・」
「嵌ってしまったのね」
「はい」
「ホストクラブ?」
タカオの頭は真っ白だった。つくづく自分の部屋で二人きりで話をしなくて良かったと思った。
「これからのことを考えましょう」
大家の言葉でタカオは動揺している場合ではないことを理解した。
ショウコはタカオと大家の前で、もうホストクラブには行かないこと、しばらくはタカオとここに住むが、仕事を探してちゃんと独り立ちすることを約束した。
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