第3話 リョウの野望
こんなマンションに住めたらいいな。今のアパートの取り壊しが決まって途方に暮れていたリョウは思った。今住んでいるアパート以上に安い物件なんてあるはずはなく、田舎の親からの仕送りは途絶えがちで東大生のくせに塾や予備校のバイトを嫌がった結果、手元にはお金が無かった。
あと四ヵ月間しのげればよかった。四月からの就職先は既に決まっている。配属先が決まればどこか地方に行くかもしれない状況では、新しい部屋の敷金礼金も勿体ない気がして、ネットカフェでの生活も視野に入れていた。
リョウには野望があった。会社を興してお金持ちになることだった。東大へ入ったのもそれが理由だ。まずは大手企業に入社して経験を積み、数年後に起業をする。そう計画を立てていた。そのための努力は惜しまなかった。
まさか近くの土砂崩れの影響で住んでいたアパートの取り壊しが決まるとは。人生最大の計算ミスだった。
憂鬱な気分で商店街を歩いていた。不動産屋の前を通ると敷金礼金ゼロ、家賃は半年間一万円という文字が目に入り即契約をしていた。
「やっぱり自分は完璧だ」と、一人悦に入り荷解きを始めた。まさか自分の希望通りになるとは。このマンションには全てが揃っていたので、アパートの荷物は全て処分した。何だか自分はセレブの御曹司で、夢は全て叶うのだと錯覚さえしていた。
クローゼットに就活用のスーツをかけていると、小さな金庫を見つけた。
「まさか、ここに大金が入っていたりして」と、独り言をつぶやきながら開けてみた。
「嘘だろ。本当にあった」
腰を抜かすほど驚いたが、すぐに冷静になった。契約書を取り出し、隅から隅まで読み込んだ。
「そうか、半年後にそのままお金があればいいんだな」
リョウは金庫のお金を数えた。一億円あった。
「半年か」
その間に何ができるか、どうすればいいのか、どうすべきかを考え始めた。
これは絶対にチャンスだった。地方出身で親もお金持ちではないとキャンパスライフは惨めだった。親の別荘の話や子供の頃から通っている海外の話題についていけず、持っているモノの格差に心は乱されっぱなしだった。そんなこととは関係のない世界もあるにはあったが、リョウはどうしてもお金のある向こう側の世界ばかりを追いかけてしまう。
まずは会社を設立しようと考えたが、まだ具体的プランはなかった。闇雲に立ち上げたとしても半年で収入が得られる訳もなく、数日は部屋に閉じこもり悩み続けた。
食料の買い出しに外に出ようとマンションのエントランスに行くと、そこで大家とばったり会った。大家とは引っ越しの時に挨拶を交わした程度だ。一億円のこともあり、大家に会うのを何となく避けていた。
「何か困ったことはないかしら?」
「あっ、いえ別に」
どうも歯切れの悪い返し方しかできない。
「お時間あるなら、私の部屋でお茶しませんか」
「はい」
いつもなら断ることができるのだが、一億円のことが頭を過り、つい部屋に行くことにしてしまった。
部屋に上がり紅茶とケーキをご馳走になる。
「その様子だと、金庫のお金に気付いたようね」
「はい。でも、まだ手を付けてはいません」
「あらそうなの。自由に使っていいのよ」
「でも、半年で返さないといけないから」
「あなた、何か目標はあるの?」
「はい、実は・・・」
リョウは就職するつもりだが、数年後には起業したいこと。お金持ちになりたいこと。それらの野望を思いのほか熱心に大家に話していた。
「どうしてすぐに起業しないのかしら?」
「まだ準備ができていなくて」
「準備って何があるの?」
「大学を卒業して、社会の仕組みを覚えて、次に・・・・・・」
「それなら、あなたは起業なんてしないで、サラリーマンとしての道を歩いたほうが向いているわね」
「えっ、でも」
「本当に起業したかったら、学生のうちに会社なんて作れるし、大学の卒業証書なんて起業家には必要ないと思うけど」
本当にその通りだった。それはわかっていた。現実に大学を中退して起業した知り合いもいたし、大成功を収めている起業家たちの自伝を読むと、大学の勉強なんて必要がないことは薄々気付いていた。
「親を安心させたかったから、卒業はしたいと考えていて」
そうは言っても、それも言い訳に過ぎない。自分はただの臆病者なのかもしれない。
「就職活動をしてちゃんと合格したということは、そもそも起業家には向いていないということなのよ。だって、それって普通の人だという証でしょう。起業して成功する人は、どこか普通の人とは違うものよ」
大家との会話で悩んでいた結論が見えてくる気がしていた。
「あなたが最初に考えていた、まずは大学を卒業して就職をする。そこで数年頑張ってみて自分の適性や社会の仕組みを理解していくうちに答えを出すのも一つの手だと、私も思うわ」
「はい」
リョウは何だか吹っ切れた。
「企業をする時に、また、ここに来ればいいわ。内容を伺った上で出資をしてもいいしね。でも、会社作るのってそんなにお金は必要ないけどね」
「ありがとうございます」
一億円を前にして我を忘れていた自分が恥ずかしかった。マーク・ザッカーバーグのようにはなれないことは、自分が一番よくわかっていた。
一億円と一緒に寝起きをし、四ヶ月を過ごした。一億円は手つかずのまま就職先の寮に移ることが決まった。その報告で大家の部屋を再び訪ねた。
するとそこには先客がいた。おばさんとその息子くらいの青年だった。
「以前に今のあなたの部屋に住んでいた方たちよ」
「えっ、あっ、こんにちは」
「アキコです。この部屋には時々来ていて、大家さんに株を教わっているの」
「サトルといいます。この近くのレストランで住み込みで働いています」
「リョウです。来月にはここを出て会社の寮に移ります」
「あら、寮が決まったの?」
大家は喜んではいるものの、少し寂しそうな表情をしてくれた。
「はい。まずは東京本社勤務なので都内の寮に入ることになりました」
「なら、それならいつでも会えるわね」
「あの、皆さんあの部屋ということは、金庫のお金のことは・・・」
「勿論知っていたわよ。そのお陰で今は株式投資が私の収入源よ」
「なるほど」
「自分は実は最近までそのことを知らなかったけど」
サトルという自分より少し年上の青年の言葉に興味を覚える。
「まじで?」
「そう。金庫なんて縁がなかったから開けようと思わなくてね」
「僕は早々に開けたけれども、結局は一銭も使わずに出ていくので、同じですね」
早くも感じの良いサトルにリョウは気を許していた。
桜がすっかり散り、緑の葉の隙間から時折夏の気配が顔を出すが、風は冷たく冬の存在を忘れさせてはくれない。新入社員として意気揚々としていたのもつかの間、リョウは思い描いていた理想と現実との違いに生まれて初めて戸惑っていた。
サトルが店仕舞いをしようと外に出るとそこには暗い顔のリョウが立っていた。
「どうしたの?入る?」
「いいですか?」
「大丈夫だよ。これから一人で試作品作ろうと思っていたとこだから」
「・・・」
「何か暗いね」
「上手くいかなくて」
「そっか」
店の主人がワインを出してくれて、後はよろしくと三階にある自宅へと行ってしまった。
サトルの作った試作品をワインと一緒に食べながらリョウは会社で行き詰っていることを話し出した。
「自信過剰だね。自己評価が高すぎる。なんで素直に先輩たちの話を聞かないの?」
「だって・・・」
「東大出だから?頭がいいから?」
「そりゃあ・・・」
「東大出ていようと、頭がどんだけいいからって、仕事には関係ないと思うけど」
「仕事に関係ない?」
「そう、だってここのおやじさんなんて、中学もろくに出ていないって話しているけど、さっきみたいに、優しい笑顔でこの場所を提供してくれるし、ワインだってご馳走してくれるし、何より自分をちゃんと叱ってくれる。そしてこの店をもう何十年も続けている。すごいことだよ」
「そうですね」
「リョウは立派な会社で働いて偉くなって、大きな家に住んで、高級車に乗って、海外旅行を楽しんで、なんて生活に憧れているのかもしれないけれど、人を見下したり、差別したり、人を大切にできない人にだけはならないで欲しい」
「大きな家と人を差別することがセットって・・・」
「この店に来るお客様でも色々いてね。高級腕時計を見せびらかすようにしている人こそ大柄な態度だったりしてさ。おやじさんなんてそんな物には縁はないけど、人への思いやりは誰にも負けないくらい持っている。比べることではないけれど、どんな大人になりたいかって聞かれたら、おやじさんみたいになりたいって思うから」
「どんな大人になりたいかなんて考えたこともなかったです」
「自分もこの店で働くようになってからかな。そんなこと考えるようになったのは」
「お金って大事ですよね」
「そりゃあね」
「でも、それだけではないのかも」
「うん。お金持ちでも幸せそうでない人もいるからね」
「なんでお金持ちなのに幸せになれないのだろう」
「おやじさんを見ていると、美味しい料理作って、それを食べてくれる人が笑顔になる。そんな単純なことが人の営みの基本だと思う。なんてね」
「人の営みか」
「前の仕事ではさ、お金がうごめく世界を嫌というほど見てきた。ホストクラブやキャバクラは一見華やかだけれども裏では誰かが傷つくシステムだし、振り込め詐欺のビジネスを平気で仕切る人にも会ったことがあるけど、お金が人をダメするって思っちゃってね」
「俺はお金にしか興味がなかったのかも。金儲けをして金持ちになることばかりを考えてきた」
「その前に人の幸せがあるっていうことかな」
「お金持ちになる手段は人として正しくないといけないのかもしれない。人を押しのけたり、ましてや騙したり、バカにしたり、傷つけたりしてはいけない」
リョウは自分自身に言い聞かせていた。手早くお金持ちになることばかりを考えていた。目の前に出された仕事をバカにして先輩たちにも生意気な発言しかしてこなかった。大事な仕事の見極めなんてまだ出来る筈もない若輩ものなのに。
「リョウがあの一億円に手を付けなくてよかったよ」
サトルはしみじみ言葉にする。
「どうして?」
「だって、手を出したら最後、一生お金に苦しめられていたよ」
「返せなくなって、利息ばかりが膨らんで・・・」
「万が一、大穴を当てたとしてもそれは長くは続かないからね。俺自身のことだけれどね」
「サトルさんはお金を見つけなくてよかった」
「その通り」
笑顔で語り合っているうちにリョウの心から澱が流れ出たような感覚があった。
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