第2話 サトルの夢

 二十五歳のサトルには帰る実家がなかった。両親はサトルが小学二年生の時に離婚。父親が家を出て母親と暮らしたが常に彼氏がいる状態であったため、見かねた父方の祖父母がサトルの面倒を見てくれた。その祖父母も亡くなり住んでいた家は父親の姉弟たちに処分され、今はもう跡形もなかった。

 高校を中退し居酒屋などで働いたがどこも長くは続かず夜の街を転々としながら細々と食いつないできた。

 やっとの思いで寮がある職場を見つけたのだが、そこも数か月で追い出された。途方に暮れていた時、半年だけだが家賃一万円、しかも敷金礼金なし保証人もいらないという物件に出会った。加えて無職の自分でも大丈夫だという。訳ありだろうが裏があろうが関係なった。とにかく数日でもちゃんとした家で暮らせるならそれでいいと考えた。

 

 家具付きの部屋だったので、初日は買い物にも出ずベッドのマットレスだけの上でスタジャンをかけて眠りについた。昼間は半袖でも過ごせたが、すでに秋の気配は近づいていて、朝方は寒さで目が覚めた。それでも今までにない心地よい熟睡にありつけた。

 クローゼットに収納するほど服は持っていない。冬用のダウンジャケットだけ紙袋から取り出し、ハンガーにかけた。ふと金庫の存在に気が付いたが、自分には関係のないものと無視することにした。

 キッチンには包丁とまな板、小さな鍋とフライパンまで揃っていた。近所のスーパーで買った食材で焼きそばを作って食べた。

 部屋でボーとしていると、チャイムが鳴った。何かの勧誘かと無視しようとしたが、女性がドアを叩いている音に気付き、不機嫌にドアを開けた。

「大家です。これ貰いものだけれど、食べる?」

 柿と梨の入った袋を差し出された。

「あっ、すみません。まだご挨拶もしていなくて・・・・・・」

「いいのよ、気にしないで。私のお節介だから」

 どことなく育ててくれた祖母に笑顔が似ていた。祖母にお金があったら、こんな風に着飾って年をとっても若々しくいられたのかもしれない、そう思うと悲しくなった。

 お金があったら祖父も祖母ももっと長生きできたのかもしれない。自分も大学へ行ってちゃんとした会社に就職できたかもしれない。そもそも祖父も父もその姉弟たちもお金とは縁遠かった。だから祖母たちの古い家をすぐに処分し、その取り分で揉めたのだ。

 サトルはお金ができるとすぐにギャンブルで散財してしまう。儲からないのはわかっているのにお金を見るとギャンブルがやりたくなる。あの高揚感と緊迫感が忘れられず勤め先から前借をしてでもギャンブルをしていた。

 この部屋に越してきたとき決意したことがあった。とにかくギャンブルから足を洗うこと、仕事を見つけて地道に生きること。それは祖母からの遺言でもあった。


 料理をすることが好きなサトルは一人暮らしと聞いていた大家のもとにラザニアを作って持って行った。

「あの、自分が作りました。よかったら食べてください」

「あら、ありがとう。ここで一緒にたべましょうよ」

「あっでも、これ一人分ですから」

「あなたの分は部屋にあるの?」

「はい」

「だったらそれを持ってきなさい。ワインでも開けて一緒に食べた方が楽しいわ」

 大家の強引さに負けて、サトルは部屋から自分用のラザニアとサラダを持って再度大家の部屋を訪れた。

 大家の部屋は今までテレビでしか見たことのない豪華さだった。祖父母の家にはないものばかりで住む世界の違いをまざまざと見せつけられた。

「こんな部屋に暮らしていて幸せだと思う?」

 大家の唐突の質問にサトルは絶句するしかなかった。

「豪華な品物に囲まれていても幸せなことなんてちっともないのよ」

「でも、何もないよりは幸せではないですか?うちなんて貧乏だったから家は隙間風だらけで畳だって擦り切れていて、床の間らしきところに熊が鮭を咥えた置物があるくらいで他に価値のあるモノなんて何にもなくて」

「でも、皆でご飯を食べたり、おしゃべりしたりして、楽しかったでしょう?」

「はい、自分は祖父母に育ててもらいました。祖母は肉ジャガとか煮物しかつくれなかったのですが、それがすごくおいしくて、いつも三人で食べていました。高校生になってバイト先で覚えたこのラザニアとかを作ると喜んでくれて」

「そうなの。料理は得意なの?」

「得意というか、好きです」

「だったらそういった仕事をすれば?まだお仕事決まっていないと聞いたけど」

「はい、でもなかなか見つからなくて」

 それは嘘だった。前の職場を首になってから仕事を見つける気にもならず、所持金が無くなると日雇いを見つけては凌いでいた。

「私が紹介してあげましょうか?」

「えっ、でも・・・」

「何だか放っておけなくてね。私には子供がいないので子供がいたら孫はあなたくらいかなって思っちゃって」


 商店街の一画にある小さな三階建ての建物の一階にその店はあった。二階にも以前は接客スペースがあったのだが今は店主と妻の二人だけになり、二階は使っておらず一階のスペースだけで細々と店を続けていた。

「あら、奥様お久しぶりです」

 店主の妻は大家より少し若いくらいか、ふくよかで優しそうな人だった。店主は気難しそうな雰囲気だったがサトルを拒絶はしていなかった。

「もう誰も雇う気はなかったのだけれど、奥様の紹介なら断れないじゃない」

「よろしくお願いします」

 サトルは素直に頭を下げている自分に驚いていた。


 サトルはその店で働くことになった。

 数年前までは住み込みで働いていたシェフがいたが独立をして出て行ったという。一人娘も嫁いでしまい跡取りもいない店主夫婦は数年で店仕舞いを考えていた。だが、商店街は最近若い人たちへ店舗の貸し出しをしていて、それなりに活気が戻りつつあった。昔ながらの洋食屋にもスポットが当たるようになり夫婦二人では手一杯の日も増えていた。そんな中でのサトルの出現だった。

 サトルは買い出しの手伝いから厨房での下拵え、店での接客と何でも器用にこなした。一月も経つと料理を教えてもらうようにもなり仕事が面白くなっていた。

「二階の部屋を住めるようにするから、ここへ来ないか?」

 寡黙な店主の勧めにサトルは二つ返事をした。

 大家はすんなりそれを認めてくれた。

 荷造りと言っても何もなかったが、忘れ物がないか部屋を見て回った。そこへ大家がやってきた。

「色々とお世話になりました」

「忘れ物はない?」

「はい。もともと荷物が少ないので。あっそうだ、キッチン用品ですが、あまり使っていないし、ここに置いて行ってもいいですか?」

 サトルが買い足した物が結構あった。

「あらそうね。あちらにはもっといい道具が沢山あるものね」

「はい」

「そういえば、金庫は開けなかったのかしら?」

「ああ、あのクローゼットにあった。はい、使っていません。何も入れるものがなかったですから」

 意味深な笑顔を残して大家は部屋を出て行った。その後を追うようにサトルも部屋を出た。

 玄関先にある大きな桜の木が風で葉を落とす。今年のクリスマスは仕事で忙しくなりそうだと胸を弾ませるサトルだった。


 サトルが部屋を出てしばらくして、大家が店にやってきた。

「こちらはアキコさん。あなたがいた部屋に以前住んでいた方よ」

「初めまして。あなたも一億円と暮らしていたのね」

「えっ、何のことですか?」

「あら、知らなかったの?」

「そうなのよ。この子は金庫を開けずに部屋を出たから」

「金庫ってあのクローゼットにある」

「そうよ。あの中に一億円が入っていたのよ」

「嘘」

「嘘なんかじゃないわ。私はそのお金のおかげで株式投資に出会えたのだから」

「結局ご主人のもとに帰られて、今では幸せ一杯ですものね」

「夫が仕事に出ている間に株をやって、時々大家さんのところへお邪魔をして株の勉強をさせてもらう生活が楽しくて」

「株ですか。自分はその一億円に気が付かなくてよかったです」

「そうね。お金って怖いものね」

「はい」

 大家の言葉にサトルは大きく頷いた。

 一億円のある部屋の住人たちの交流はこうして始まった。

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