第8話

『つまり、先輩と斉木姫が話してた内容を翌日、西尾って間男に確認したら全く違う話になってたってことですか』

 姫でも間男でもなんでもないが、嬉野のいう言葉選びに一つ一つツッコミを入れているようじゃ、話は先に進まない。

「まぁ、そんなところかな。それで、西尾がうちの職場のボスの後輩ってのもあったし、しかも建築業関係の知り合い紹介してもらえるってこともあって、うちのボスにそのことを言ったらすんげぇ乗り気になってさ。会社のワークスペース使って行って言われたからそれを言ったら向こうさん乗り気になって。それまで全然連絡こなかったのに」

 事実をただ淡々と言っているだけなのに今思い出しても少しイライラしてしまうのはなぜなのだろうか。合コンよりも勉強会としてつながりを持って、今後お互いを高め合えるような関係の方が社会人としては望ましいはずなのに。


『姫は先輩のこと男と思ってないんじゃないですかね?』

「異性としての興味の有無は置いといて、マッチングアプリで知り合ったやつと飲むまで行くか?普通」

『いやぁん、潔癖ぃさすが先輩ぃ。先輩ほど恋愛体質だったら?二人で出かけるイコールおデートなのかもしれないっすけど?普通はそこまで恋愛モードに突入できないもんっすよ。それに自分でわかってるんじゃなっすか?自分は利用されただけって』

「恋人いたことないお前に言われたくない」

 わかっている、これは俺のイライラを嬉野に八つ当たりしているだけだ。新田は思う。まだ1度しかあったことない人間にここまでイライラしてしまうのが自分でも情けなくて余計にイライラしてしまう。

『まぁ、複雑な男心としては、人脈のつながりを持ちたいがために利用されるのは腹たちますよね』

 自分の周りには確かに美術系の仕事に携わっている人間は多いだろう。確かにその業界に顔を広げるとすれば、これ以上ない物件だ。しかし、それは新田自身も顔をつなげるために勉強会に客寄せパンダとして進藤を連れて行ったことだってあるじゃないか。 

 フリーとして働いているわけではないが、個人で仕事をとってこれるのならばそれに越したことはない。そのためには、業界の知り合いを多く作ることが必須だ。今更イライラしてどうするんだ。


『まぁ、利用してる利用されているでいけば先輩だって姫のこと利用すればいいんですよ。姫ってまだ25なんでしたっけ、結婚願望強めなイケイケパリピ女子紹介してもらってその子といいところまで進んじゃえばいいじゃないですか』

「確かにそれはその通りかもしれないけどさ、女紹介してって言われても最近だとシングルは少ないからな」

『そして余り物でも、先輩の食指が動かなかったものでもなんでもいいんで、自分にもおすそ分けしてくださいよ』

「それが本音かよ」

 常に変化を求められる世界に身を置いていると、変わらぬものが愛おしい。いくら性格が悪くてもある程度気心知れていて、常に座標を変えようとしない嬉野の存在は、指標にもなりえる。ただ、言ってることはゴミだ。


『ははっ、本音ですけど、そのうちでいいですよ。っていうか、あれじゃないすか?姫とある程度先に仲良くなっといて、そのあとに姫に紹介してもらた女の子といい感じに進展しておけば、先輩をめぐってのキャットファイト開催!ふぅ!それこそお金払ってでも見物したいっすね』

「その能天気でなんでも楽しめる精神が俺にとっては羨ましくて仕方ないよ」

 嬉野と喋っていると、なんていうか、細かいことにくよくよ悩んでいたことがバカバカしく感じてくる。そう新田は感じる。


 嬉野が障害者手帳を持っているということを初めて知ったのは、よく喋るようになってからしばらく経ってからだった。どこか独特でつかみどころのないやつだと思っていたが、その特徴が障害から由来していることとは知らなかった。

 それを知ってしまったのだって偶然だった。

 数人で飲んで騒いで遊んでグデグデになった時、嬉野が一人で突然、新宿の東口のロータリー前でタップダンスを踊りだしたのだ。タップダンスと言っても、ただ足を踏み鳴らしてるだけでかっこいいものでもなんでもない。しかし妙に絵になっていた。

 一緒に飲んでた女の子が「かっこいい!もっと踊って!」と嬉野を煽ったのもきっかけになって、嬉野のステージは簡単に出来上がった。結局始発が動き出すまで嬉野は一人で踊り続けた。

 フラフラになった素人がタップを踏み外すのは時間の問題だった。嬉野がカバンをぶちまけた時、一緒に中身を片付けることができたのは、その日酒をほとんど飲んでなかった新田だけだった。

 なぜか知らないが、芸術を学問として嗜む人間には心を病んでいるものが多い。友人の障害者手帳なら何度か見たことある。だから、その緑色のカバーを見た瞬間、中身が何かはすぐわかった。

 

 エロ本を読んでるのが周りにばれた時、すぐ閉じて表紙を隠すみたいな、あの独特の行動。上目遣いでこちらを伺ってくる。

「誰にも言わないよ」

 障害を持っていることを隠したい人間は多い。特にそれが精神障害ならなおさらだ。自分は健康体だ!そう、振る舞いたい障害者はごまんといる。

 その一言で嬉野が心を開いたのかどうかはわからない。とりあえず、それをきっかけに二人で会うことが増えた。だからといって心を許した相手にしか見せない顔があるとかそういうのは全くない。ただ、二人で過ごす時間が増えただけだ。


 新田は思う。

 嬉野は嬉野で悩んでいるのだ。別に悩みがない人間なんていないことは100と承知だ。ただ、能天気な行動をとり続けていると悩みがないように見えるだけだ。

 しかし、新田は知っている。

 その能天気な態度を変わらずずっと振る舞い続けるには忍耐が必要だということだ。そして、嬉野がその能天気な行動を取る理由のことも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る