第72話:【外伝】セーレの過去2

 中学生になった。

 嫌な季節だ。これから中学生活が始まるというのに、家では父と祖父が私をどこの大学に行かせるかで喧嘩をしていた。行き先はどこでもいいから、聞こえないところでやってほしい。

 中学校は小学校より人が多く、違う小学校だった生徒から話しかけられたり好奇の視線で見られたり、他のクラスからも私の姿を見に来る人がいる。

「あー、面倒……」

 休憩時間に七海の前で愚痴る。七海とは幸い同じクラスだった。

「悠、可愛いから」

「そうじゃないでしょ……」

「まぁ、確かに。可愛いから美人の方向になってきたと思う」

「あのね」

「わたしは悠の顔好きだよ」

 何を言ってもダメだな。と、ため息をつく。まぁ、七海が隣にいれば話しかけられる頻度が減るのでありがたい。そして、いつも七海が褒めてくれるので、この頃は自分の容姿を嫌いだと思うことは少なくなった。

「うーん、でもそうだなぁ……」

 七海が何かを考えていたが、何を言いたかったのか続きはないまま別の話題になってしまった。


 翌日、その答えを知ることになった。

「ちょ、ちょっと七海。何やってるの!」

 七海の髪がとんでもなく派手な金髪になっていた。

「イメチェン?」

「校則違反でしょ」

「いやー。あんたの気持ちわかるかなー? って、思って。めっちゃ見られるね、これ」

「馬鹿なの?」

「へへへ」

 七海はその後すぐに教員に呼び出されて、結局翌日には黒髪に戻っていたが、まぁ、気持ちは嬉しかったし、思い出すと笑いが込み上げた。


 中学生になってしばらくすると、祖父の嫌味が少し減ってきた。テスト結果で学年上位を維持し続けて、バイオリンのコンクールで賞をもらったからだろうか。身長が伸びてきたのも影響しているかもしれない。

 それでも祖父からは調子に乗るなとは言われたし、父からは当然だと褒められもしなかった。家にいるのは相変わらず億劫で仕方がない。

 小学生の頃より勉強の時間を増やされて、ゲームをやる暇はなくなってしまった。

 疲労で習い事の最中に倒れたこともあったが、鍛えていなからだとか根性論を振りかざす祖父に、早くくたばれと心の中で呪詛を吐いた。

 父も顔すら見に来なくて、看病はずっと茂に任せっきりだった。私のことは、物としか見ていないのだろう。


 中学生活にも慣れて、いつの間にかクラスの皆が高校はどこにするかと相談するような季節になっていたが、大学まで親に決められようとしている私にはあまり関係のない話だ。

「悠と同じ高校行きたいんだけどさぁ」

「それは……」

 七海の今の成績では難しい。

「どうしたら悠みたいに頭よくなれるの……」

「別に頭はよくないよ。人よりたくさん勉強して詰め込んでるだけ。将来そんなに役に立つとも思えないし、無理に上目指さなくていいと思うよ」

「ええーっ。悠は、わたしいなくていいって言うのー!?」

「そうは、言ってないよ。……い……一緒だったら嬉しいし……」

 恥ずかしくなって視線を逸らす私の顔を、七海が覗き込んでくる。

「うわ。今の、可愛いね」

 七海は私のことをよく可愛いと言ってくるが、七海の方がよほど可愛いと思うし、なにより明るい笑顔と性格が好きだ。なぜ一緒にいてくれるのか未だに疑問に思うことがある。

 しかし、七海と違う高校になってしまったらと思うと気持ちが沈む。

 自由な時間などないのに、学校で会えなくなってしまうとなると、そのまま七海に忘れ去られてしまうのではないかと不安になる。七海には私以外にも友だちがたくさんいるのだから、私がいなくても何も困らないだろう。


 それから月日は流れて、志望校の入試の結果が発表された。

 自分のことは心配してはいなかったが、自分と同じ高校を受けた七海がどうなったのか。それが気になりすぎてろくに眠れなかった。

 そして、貼りだされた合格発表の中から自分の番号と七海の番号を探す。自分の番号はすぐに見つかった。父ではないが当然だ。

「あっ! あったぁ~!」

 七海が飛びはねる。どうやら自分の番号を見つけたらしい。

「見間違いじゃないよね? ね? 番号あってるよね?」

 と、私に確認してくる。

「……うん。合ってる」

「反応薄いぞ!?」

 とても嬉しいのだけれど、そういう表現は苦手だ。

「ああ、うん。おめでとう。頑張ったね」

「上から目線だな、おい!?」

「え、そんなつもりは……」

「冗談だよ! いやー。勉強頑張ったかいあったわ」

 七海が、私の手を取って嬉しそうにぶんぶんと振る。

「これからもよろしくね」

「うん、よろしく」

 また、この笑顔を見ていられるのだと思うと嬉しかった。


 高校に入ると、すぐにまた私の大学について父と祖父が揉めている。医学部だ、法学部か経済学部だとか。どれにも興味がない。そもそも将来やりたいことなどまるで思い浮かばない。

「七海は、将来やりたいことあるの?」

 昼食をとりながら七海に聞く。

「あるよ」

 七海は、迷いなく答える。

「美容師やりたいから、それ系の学校行きたいなーって」

「そうなんだ」

「前に染めた時に楽しいなーって思って。悠はどうするの?」

「私は……何も……」

「えーっ、顔もスタイルもいいんだし、身長あるしモデルとかどう? パリコレいけるよ」

「無理だよ」

 そんなことは家が許さない。

「ていうか、悠の家って働かなくてもお金あるよね?」

「そうだね……」

 そう考えると、本当に親のご機嫌取りや世間体だけで勉強をやっていることになるのだなと、ため息をつく。父は会社の経営に関わっているが、私に継がせる気はなさそうだ。


 高校1年の冬頃、祖父が脳卒中で倒れてそのまま帰らぬ人となった。

 あっけないものだ。

 正直、葬式になど出たくなかったが、これでお別れできるのだと割り切り、ぼんやりと時間が過ぎるのを待つ。

 親族の控室で着替えている間に、珍しく祖母と二人きりになり話しかけられた。

「せいせいしましたか?」

「はい」

 ぼんやりとしたまま答えてしまって、口を押える。

「あっ……も、申し訳ございません。今のは……」

「あらまぁ。貴方、お人形さんみたいだと思っていたけれど、そんなこともなかったのね」

 自分からしてみれば、祖母の方こそ人形のようだと思っていた。私の失言を気にした様子もなく、祖母は言葉を続ける。

「私はつまらない人生を歩んでしまったけれど、あなたはそうならないといいわね」

 祖母との会話はそれだけで終わってしまった。もう少し話してみたい気もしたが、話しかける勇気はなく、祖母は祖父の一周忌が終わると屋敷を出て行ってしまった。

 なお、祖父が亡くなって「優勝した」と七海に言ってみたが、七海は自分が言ったことを忘れてしまっていたのか変な顔をしただけだった。

 祖父が亡くなった後、家はずいぶん静かで穏やかになったけれど、父が苦手だという意識は消えないし、お互いに話しかけることも滅多になかった。

 一つだけ不思議に思ったのは私の大学の候補に音大が増えていたことだ。バイオリンで賞を取ったことが影響しているのかもしれないが、それほど愛着があるわけでもない。

 結局、父が最初に挙げていた大学に進むことになった。



 大学生になって七海と別れてしまったのは寂しかったが、大学ともなると様々な人がいて目立つことも少なくなったし、人の詮索をするような人も少なかった。塾や習い事も減ったので、帰りや休日に七海と会うこともできたし、そう悪くはなかった。


 しかし、二十歳の誕生日の時は、ひどいものだった。

「悠、そろそろ結婚を考えたらどうだ」

「……え?」

 父の部屋に呼び出されていくと祝いの言葉もなく、そう言われた。

 何を言っているんだこの人は。

「お前は頭もよく音楽の才能もある。見目もよいと評判で、嫁に欲しいと声をあげてくれる人間も多くてな。財閥や一流企業の御曹司に、スポーツ選手や、芸能人も……」

「何を……おっしゃっているのですか」

「これまで勉強ばかりだっただろう? 大学を卒業した後は人としての幸せを見つけてもよいのではないかと思ってな。今のうちから付き合ってみたらどうだ?」

「……本気でおっしゃっているのですか?」

「悠……?」

「人間扱いしてこなかったくせに……。こんな家庭環境で育てておいて、今さら人として? 結婚? ふざけるのも大概にしてください!」

 気づけば父の胸ぐらを掴んで、そのまま突き飛ばしていた。父の背後にあった花瓶が落ちて、派手な音をたてて割れる。

 父は呆気にとられた顔で私のことを見ている。見たこともない表情だ。

 私自身も何をやってしまったのか、自分で理解するまでに時間がかかった。

「あ……」

 花瓶の落ちた音で、使用人たちが飛んできて扉を叩く。

「旦那様、いかがなさいましたか?」

 父も私も無言でいると、不審に思った使用人たちが部屋に入ってくる。

「旦那様」

「……ああ、花瓶を落としてしまった。青木は悠を部屋に連れていってくれ。他の者は片付けを」

「お嬢様、参りましょう。破片を踏まぬようお気をつけください」

「……はい」

 何をやってしまったんだ私は。

 今まで、抑えていたのに台無しだ。

 血の気が引いていって、視界がぼやけて、周囲の音がぐわんぐわんと鳴っているように聞こえる。どうやって部屋にたどり着いたのかわからない。

「お嬢様、お嬢様」

 茂が私のことを呼んでいて、ハンカチを差し出している。

 なぜ、茂がハンカチを差し出しているのかがわからない。

 受け取らないでいると、茂がハンカチを私の頬に当てて、そこでやっと泣いていたのだと気づく。

「私……、大変なことを……」

「……よければ、お聞かせください」

 茂は、基本的には自分から干渉してこない人だ。珍しい。

 そんな茂の態度に、自然と口を開いてしまっていた。

「お、お父様から……結婚でもどうかと言われて……、気づいたら手を上げてしまっていました」

「それは……」

「もう、なんでもかんでも決められるのは嫌です。家族なんて嫌いです。家庭を持ちたいとも思わない。……出て行きます。こんな家」

「お、お嬢様。お待ちください」

「茂さんにはよくしていただいたと……。ああ、私が今出て行ってしまってはあなたの責になりますね。明日落ち着いたら出て行きます」

 七海に事情を話せば少しの間なら泊めてもらえるかもしれない。貯金はあるし、しばらくはどうにかなるだろう。それからは……仕事はできるだろうか。わからないけれど、まぁきっとどうにかなる。

「失礼します」

 ふいに茂に抱きしめられ、頭を撫でられる。

「これまでよく頑張りましたね。……そして、お力になれずに申し訳ございませんでした」

 温かい。

 思い返せば、父に抱きしめられたことも頭を撫でられたこともない。

「茂さんみたいな人が……家族だったらよかったのに……」


 荷物を整理して朝まで部屋に閉じこもって、いざ出て行こうとしたら屋敷の中が騒がしい。

 父が怒っているのだろうか。もしかしたら、怒鳴りにくるかもしれない。

 そう思ったけれど、もう出て行くと思えばどうでもよかった。

 そして、部屋の扉がノックされる。

「お嬢様、よろしいですか」

「どうぞ」

 茂が少し困った表情で立っている。

「騒がしいですね。何かありましたか?」

「はい……。旦那様が、出ていかれました」

「……は?」

「使用人の一部は旦那様とともに別邸に。わたくしは、お嬢様のお世話をするようにと」

「なに……それ……」


 茂からは学費や生活費は気にする必要はないと言われたが、この家にいたくはなくて、でも出て行ったら茂が困ってしまう。自分が一人で生活できるとも思えない。父が帰ってきたらと思うと恐ろしいが、留まるしかなかった。私は、一人では何もできない弱い人間だ。

 その件をきっかけに、習い事は全てやめてしまったが、急にできた空き時間に何をしていいかわからない。時間の潰し方がわからない。試しに茂に料理を教えてもらったが、全く向いていなかった。

 ひとまず休日に七海を呼び出して、近所の喫茶店で会う。

「おひさー。この前、誕生日だったよね。はい。プレゼント」

 誕生日の出来事を思い出して、少し気持ちが沈む。

「うん、ありがとう」

「元気?」

「……どうなんだろう?」

「何かあったの?」

「うん。父と喧嘩して、父が家を出て行っちゃって……。習い事全部やめたから暇になったんだけど、何していいかよくわからなくて。どうしたらいいと思う?」

「え、待って? 待って待って」

 七海はしばらく考え込んでから私の頭を撫でる。

「何?」

「落ち込んでない?」

「家出に失敗したのは、ちょっと落ち込んでる」

「そう……。でも家出って、あんた一人で生きていけるの?」

「うーん、難しいと思う。家の買い方とかわからないし」

「まずそこは、買うんじゃなくて借りるだろ。まぁ、あんたなら買えるのかもしれないけど」

「そうなんだ……。でも、借りるっていうのは……どういう状態なの?」

「どういうって……。空いてる家とか部屋を借りるんだよ」

「別荘みたいなのを……貸す人がいるの? もしくはホテルみたいな状態なの?」

「まぁ……うん。あんた、やっぱダメだよ」

「そんな気がしてきた」

 一応、後からネットで調べてみようとは思う。

「それで、時間の潰し方って。遊べばいいじゃん」

「遊ぶ……」

「ちなみに、今は空いた時間何してるの?」

「母が置いていったCD聞いてる」

「へー、どういうジャンル?」

「茂さんが言うにはメタルだって」

「お母さんフィンランドだっけ」

「うん」

「納得だわ。で、遊ぶって言ったら、本読んだり、テレビ見たり、ゲームしたり、買い物行ったり、旅行行ったり、スポーツしたり、色々あるでしょ」

「そっか……。ゲームやってみようかな。昔、少しやったし」

「おっ。じゃあ、一緒のやる? VRMMOってジャンルなんだけど」


 そんな感じで七海に誘われたゲームを買う。ついでに茂の分も購入しておいた。

 使い道がわからずに貯まり続けた小遣いはゲームを一つ買ったくらいではびくともしなかった。遊ぶ暇もなかったのに、何のための小遣いだったのだろうか。

 ゲームを起動すると、キャラクターを作ってくださいと言われる。とりあえず女の子で、黒髪黒目で、小柄な……。コンプレックスの塊だな。と思いながらもこれでいくことにした。職業は見た目に合うかなとサムライを選ぶ。茂と一緒にプレイしたゲームも近距離で戦うタイプが好きだったからこれでいいだろう。

 キャラクター名は、そろそろ春だからと小春と名付けた。

 七海に連絡して、茂と一緒にクランとかいうものにも入れてもらった。ゲーム内での会話は、当たり前だがそのゲームについての話題が多かったから会話には困らないし、興味のない話題には参加しなくても空気は悪くならずにすんだので、過ごしやすかった。

 勉強はしなくなったものの大学の単位は問題なかったので、空き時間を全てゲームに費やした結果、ネットで廃人と晒されるようになっていたらしい。マリンからも「あんた、やばいね」と言われてしまった。

 ある時、野良で一緒になった男性プレイヤーに言い寄られて、面倒になってPKをした。ゲーム内の情報だけで言い寄ってくるのは気色が悪い。まぁ、リアルで来られてもそれはそれで嫌だけれど。そして、うんざりすることに声をかけてくる男は他にもいたので、次に新しくゲームをすることがあったら男キャラにしようと思った。どうやら私の口調が丁寧なのも原因の一つのようだったが、ボイスチャット主体だったので、そこを変えるのは難しい。ゲームを始めてから、周囲につられて多少言葉使いは悪くなった気はするが、それはそれだ。

 面倒な輩をPKしまくっていたら、クラン内では『人斬り小春ちゃん』というあだ名をつけられていた。「PKが気軽にできるゲームでよかったね」と七海に言われた。気軽でないゲームもあるらしい。


 就職に関しては、たぶん働かなくとも生きていけるのだが、家の金で生き続けるのは嫌だったので、仕事は探すことにした。

 以前、七海にモデルでもやったらどうかと言われたのを思い出して、茂に探してもらったら、あっさり専属モデルの仕事が見つかったので、ひとまずそれで生きて行くことにした。

 最初は不安もあったが、案外どうとでもなった。所属先は外国人モデルも所属していたので、浮くこともなかったし、私に合わないであろう仕事は、秘書を買って出た茂が勝手に断ってくれていたので快適だった。

以前は、自分の見た目が好きではなかったのに、それを売る仕事をすることにしたのは、自分でも不思議なことだ。


 プレイしていたゲームがリリースから数年経つと、アップデートも少なくなって、クランの人たちは若干飽きているようだ。そんな時にビッグタイトルがリリースされて、マリンに誘われてそちらのゲームに移ることになった。

 種族は一番攻撃性能が高いものを選んだ。

 自分の顔を読み込む機能がついていたけど、どうせ自分の顔はあまり見ることもないし、早くプレイしたいしとキャラクターの顔は少しだけ変更して、男キャラにして始めた。


 そのゲームのタイトルは『白のエリュシオン』と言った。

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