白狼の娘 第六話 辺境再訪

「何なの、これ?」

 ヨーコは目の前に置かれた水晶玉を覗き込んだ。


「何って、見てのとおりだよ。水晶玉を見たことがないのかい?」

 テーブルの向かいに座っている男がパイプをくゆらせながら、馬鹿にしたような笑いを浮かべる。

 四十歳前後かと思われる中年の男だが、やたらと背が低い。恐らく百五十センチあるかないかだろう。

 男なのに白いものが混じる髪を長く伸ばし、ぼさぼさの三つ編みにして背に垂らしている。


「水晶玉くらい見たことあるわよ。あんたが依頼するってことは、何かのアイテムなんでしょう?」

 水晶玉は淡い紫色をしていて、中心部になるほどそれが濃くなっている。ヨーコはあまり感覚が鋭い方ではないが、それでもその玉から不思議な気配を感じていた。多分、魔力か何かが封じ込められているのだろう。


「〝破毒の玉〟じゃよ、嬢ちゃん」

 ヨーコの足元からしわがれた声がした。

 彼女は振り返り、椅子から降りるとその場にしゃがみ込んだ。


「ごきげんよう、クルス。元気そうで嬉しいわ」

 そう言って両手を差し出すと、クルスと呼ばれた声の主がぴょこんと手のひらに飛び乗ってきた。

 それは身長が二十センチにも満たない小さな老人だった。黄色と赤の市松模様という、派手な色柄のパジャマのような服を着て、頭の上には同じ柄の三角帽子をかぶっている。長い顎髭を生やし、白い長髪はやはり三つ編みにして背中に垂らしている。


 ヨーコは立ち上がり、その小さな老人をテーブルの上に降ろしてあげた。

「〝破毒〟ってことは、解毒アイテムなの?」


 老人はヨーコの目の前に置かれていた皿から勝手にクッキーを一枚抱え上げると、遠慮なくぼりぼり食べだした。

「ああ、そいつはドワーフが造ったもんじゃ。

 封じ込められた魔法を開放すると、周囲のあらゆる毒を無効にするマジックアイテムじゃよ。毒を吐く怪物と戦うためのものじゃろうな。

 使い捨てじゃから宝具のうちには入らないが、人間にとってはそれなりに貴重品だとは言えるじゃろう」


 口にクッキーを入れたまま喋るものだから、老人の足元には細かい食べ屑が飛び散っている。

 ヨーコは馴れっこなのか、テーブルに置かれていたハンドタオルでさっと拭き取ってあげる。

 そして顔を上げ、正面の男に向き直った。


「これが何かは分かったわ。でもヴァン、どうして私がこれを届けに辺境まで行かなきゃならないの?」

 ヴァンと呼ばれた男は横を向いて口から「ふう」と紫煙を吐き出した。


「理由は三つある。

 一つは、今クルスが言ったように、この玉は結構な貴重品だ。金貨三十枚でも簡単に買い手がつくだろう。そんなお宝を見ず知らずの運送屋に託す気になれるか?

 ヨーコなら古馴染みで信用が置ける。おまけに腕が立つし、白狼という幻獣まで連れている。運び屋にはうってつけだろう?

 二つ目。お前は今、仕事をしていなくて暇を持て余してるはずだ。最近じゃ週に三日は来て、くだらない昔話で商売の邪魔をしていくのがいい証拠だ。

 いい気晴らしの仕事を回してやるんだ、感謝しろ。

 そして最後に、お前が大した用もないのにこの蒼城市を訪れたってことだ。王国でも東のはずれ、辺境の入口の都市に来たってことは、いずれそっちに行こうと思っているんだろう?

 何を迷ってぐずぐずしているか知らんが、この仕事は辺境行きのいい口実になるんじゃないのか?」


 ヨーコはかくんと首を垂れ、両手を挙げた。「降参しました」という意味だ。

「まいったな……。何でもお見通しなのね?」

「ばーか、魔導院で同級だったのを入れりゃ、もう三十年以上の付き合いだぞ」


 彼女は苦笑して、二枚目のクッキーと格闘しているノームの髭から菓子屑を摘まみ取って口に入れた。

「分かったわ。……それで、どこの村の誰が依頼人なの?」

「辺境中部にクリル村という大きな親郷がある。その村長のマクレンという男に届けてほしい。クリル村は知っているか?」


 ヨーコはにっこりと笑った。

「あらあら、奇遇ね。

 私が行こうかどうしようか迷っていたのは、そのクリル村なのよ」


      *       *


 このヴァンという男はヨーコと同じ二級召喚士だった。テーブルの上でクッキーを食べている小さな老人は、ヴァンが召喚したノームである。

 ノームは妖精族、それも地霊の一種だが、ドワーフの近縁で細工物が得意な上に、未知のアイテムも鑑定できる特殊な能力を持っていた。ヴァンはクルスが造る精巧な装身具を販売する傍ら、その能力を活用して鑑定屋もやっていたのだ。


 この世界には、どのような経緯で出てくるのか不明だが、ドワーフが造った宝具やエルフが祝福した武器・防具が出回ることがある。それらは王侯貴族、あるいは闇社会で取引され秘蔵されることになる。


 しかし、そもそもそれにどのような効果があって、どう使用すればよいのかが分からなければ、価値を測ることができない。

 通常の宝石や貴金属なら、それなりの経験と道具があれば鑑定できるが、こうした魔法が関わるアイテムとなると人間にはお手上げである。したがって、ヴァンの鑑定業はそれなりの需要があったのだ。


 彼が王都ではなく、四古都の中でも最も歴史の浅い蒼城市に店を構えたのは、二つの理由がある。

 一つは、闇社会の人間にとって、この若く活気に溢れた雑多な街が何かと都合がよかったこと。もう一つは、こうした魔法具がしばしば辺境で発見されるためであった。


 辺境の開拓村では、開墾の際に奇妙な形状の短剣や、用途の分からない宝飾品が掘り出されることがある。それは小さな村の噂話として語られる程度なのだが、どこで聞きつけるのかひと月もしないうちに旅の商人が現れ、有無を言わさず買い取っていくのだった。


 開拓民は見たこともない額の金を目の前に積まれ、一も二もなく売り渡してほくほくとしているのだが、その本当の価値を知ったら卒倒したことだろう。

 したがって、鑑定の依頼人(持ち主)が辺境の人物だというのは驚きだった。この村長はよほど裕福らしい。ヴァンの鑑定料は決して安くないのだ。


      *       *


 辺境の街道を巨大なオオカミに乗った女性がゆったりと進んでいく。

 すれ違う人たちは、誰もが道の端で身をかがめ、恐ろしそうにその姿を見送った。

 オオカミの体長は三メートル以上あり、彼女はまるで馬に乗っているかのようだった。その全身は日の光を受け、きらきらと白銀に輝いている。


 女性は栗色で緩いウェーブのかかった髪を長く伸ばし、それがオオカミの歩みに合わせて背の上で軽やかに踊っていた。

 季節は真夏であったが日焼け防止のためか、彼女は薄手の白い長袖シャツを着て、頭には大きなつばの帽子を被っていた。


 白いシャツは街道の埃を浴びて薄い褐色に染まっている。その胸のボタンはぴんと引っ張られて皺が寄り、豊かな胸がこぼれ出ようとするのに抵抗していた。下は厚手の綿ズボンに革のショートブーツを履いている。

 女性としてはやや背の高い方で引き締まった身体をしているが、柔らかな印象を受けるのは、彼女の笑みを湛えた穏やかな表情のせいだろう。


 女とオオカミが通り過ぎると、見送っていた旅人たちはその必要もないのに小声で噂し合った。

「ありゃあ、召喚士だな」

ちげえねえ。辺境に向かってるってことはオーク退治だろう」

「ああ、最近はどの親郷にも二、三人は召喚士がいるからな」

「なかなかの別嬪さんだったが……ちょっと年増すぎねえか?」

「三十半ば、いや四十近くはいってるな。それにしても……」

「ああ、乳がデカかったな」


 白狼に乗った女性はもちろんヨーコである。彼女は今年で四十歳になっていた。

 その美貌は相変わらずだったが、髪にはわずかに白いものが混じり、目元や口元には笑い皺が刻まれ、若いころよりも頬がふっくらとしていた。

 クリル村、いや辺境を訪ねること自体、十七年ぶりである。


 ヨーコはまだ二十代の若いころ、六か月間だが辺境でオーク狩りをしていたことがある。

 それ以前の彼女は、富裕層を相手に強盗や誘拐犯から人質や盗品を奪い返すという仕事をしていた。

 ただ、それは依頼主の権力や財力を背景にした私的な警察活動であり、犯人の殺害はもちろん、時には私刑リンチのような報復に繋がった。その凄惨な体験はまだ若く未完成なヨーコの精神を蝕み、人間に対する絶望感を育む結果となった。


 彼女はその精神的な重圧から逃れるように辺境にやってきたのだが、そこでオークにさらわれた少女を救い出した。そして助けた母娘と交流したことで、どうにか心の均衡を取り戻したのである。


 ヨーコは六か月という契約期間が切れると王都に戻り、以前の仕事に復帰した。

 ただ、依頼主の言いなりになることを止め、犯罪を私的に解決するプロとして主体的に行動する道を選んだのだ。

 彼女はもう精神を病むこともなくなり、それなりの名声を築いていった。


 しかし最近は体力の衰えもあって仕事を整理し、白狼のロキとともに気ままに遊び歩いていたのである。それが許されるほど、彼女は十分な金を稼いでいたのだ。


      *       *


 クリル村に着いたヨーコは、依頼されたマクレン村長のもとには向かわず、まずは以前に彼女を雇った旧村長の家に向かった。

 ヨーコを迎えた奥方のサラはすっかりお婆ちゃんとなっていたが壮健で、すぐに彼女のことを思い出して大いに喜んだ。

 そして二人はかつてのようにお茶とお菓子を前に、積もりつもったお喋りを楽しんだのである。


 サラの話によると、当時の村長だった亭主のトーマスは七年前に体調を崩して職を辞し、五年前にこの世を去ったということだった。

 その跡を継いだのが、今の村長らしい。

 親郷としてのクリル村は順調な発展を遂げ、今では枝郷が二つも増えて八村を支配下に置いているらしい。


 ヨーコはこれまでの十七年にわたる辺境の情報をたっぷり仕入れ、現村長のマクレンの家の場所を教えてもらった。

 サラの話が長男の嫁の悪口に及ぶと、彼女はマクレンに大事な用があることを言い訳にして早々に退散した。

 老女が嫁の愚痴を語り始めると長くなるのを知っていたからだ。


 マクレン村長を訪ねると、ヨーコは手厚い歓迎を受けた。

 彼女はマクレンの顔を覚えていなかったが、村長の方では女召喚士のことをよく記憶していた。

 彼女は鑑定屋のヴァンから託された水晶玉と分厚い書簡を手渡した。手紙には水晶玉の正体とその効果、そしてそれを発動させる方法や取り扱いの注意点が事細かに書いてあった。


「いやぁ、ヨーコ殿が水晶を届けてくれるとは驚きですな。

 あなたが私を覚えていないというのも、まぁ無理はないですよ。当時私は長衆おとなしゅう(村の幹部)の一人に過ぎませんでしたから、あなたとは挨拶程度しか言葉を交わしておらなんだ。

 でも私たちにとっては、初めて都会から招いた召喚士様でしたから、皆よく覚えておりますよ。

 ――ヨーコ様がいらしたということは、また辺境で稼がれるおつもりですか?

 最近は召喚士が親郷に複数常駐するようになっていますし、討伐報酬の相場は当時より下がっておりますが……」


 探るような村長の言葉に、ヨーコは苦笑いを浮かべた。

「いえいえ、私ももう若くありませんから、そんな元気はありませんのよ。

 ヴァンは魔導院の同期で古馴染みですから頼まれただけです。

 辺境でのんびり羽根を伸ばそうか――くらいしか考えておりません。それより……」


 彼女はそう言って、ヴァンから言付けられていた注意事項を伝えた。

「使用法はその書簡に書かれているとおりですが、くれぐれも〝試してみよう〟などとは思わないでください。

 そのアイテムは一度しか使用できませんから、使ってしまえばただのガラス玉になってしまいます。

 それから、もし手放す気になったら必ずヴァンの店に来るようにとのことです。

 いつでも銀貨二百枚で買い取るそうです」


「銀貨二百枚ですと……!」

 マクレンは目を丸くした。

 銀貨二百枚は金貨で二十枚に相当する。ヴァンは「金貨三十枚でも簡単に買い手がつく」と言っていたが、当然仕入れ値となると話が別になるのだ。


「では、この受け取りにサインをお願いします」

 彼女は水晶玉の受領書を受け取ると村長宅を辞し、宿に向かった。

 その横を巨大な白狼がゆったりと寄り添っている。

 親郷の村人たちは、もう召喚士が連れ歩く幻獣に馴れっこなのか、それほどロキに対する注目は高くなかった。


『用事は済んだのだろう? この後はどうするつもりだ』

 ヨーコは頬に手を当てて首を傾げた。

「そうね~、明日はサイジ村に行ってみようかと思うの」

『サイジ村? そんな村あったか?』

「あらあら、ロキお爺ちゃんったら、惚けたの? 今度お粥でも作ってあげようかしら。

 ……ほら、私たちが初めてオークを狩った村よ」

『ああ、あの村か……人間のつけた地名を覚えるのは苦手でな。

 ――ってことは、あの母娘の様子を見にいきたいのか?』

「まっ、そういうことよ」


 ヨーコは上機嫌だったが、ロキは年寄り臭い忠告をせずにはいられなかった。

『澄んだ水も掻き回せば濁る……って言うぞ。

 後悔する羽目にならなきゃいいがな』

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