白狼の娘 第四話 誘拐

 オークに襲撃されたというハイネ村は、サイジ村のさらに二十キロほど北方にあった。ヨーコが滞在するクリル村からは五十キロ以上ある。

 彼女は村長から依頼を受けた日の午後遅くには親郷を発った。

 もちろんオオカミの足なら翌日の朝に出ても夕方前に着くのであるが、駆け通しになるとヨーコの身体にとっても相当の負担がかかるからだ。


 彼女は暗くなるまでは先を急ぎ、日が落ちたところで野宿をした。そして翌早朝、今度は並足でのんびりと北に向かったが、それでも昼前にはハイネ村に着くことができた。

 村には親郷であるヒデンの村長も待ち受けていて、ヨーコたちを出迎えてくれた。

 彼女とロキは、すぐに村人たちに案内されて現場に向かい、さっそく臭いをたどってオークの追跡に取りかかった。


 オークの足取りは気まぐれで、森の中を二時間ほどうろつくことになったが、ヨーコたちはそう苦労することなく喰い散らかされた羊の残骸を発見した。内臓はすべて食い尽くされていたが、まだ大部分の肉が残っており、それらは他の獣に取られないために蔓で縛って枝からぶらさげられていた。


 ただ、肝心のオークの姿は見当たらない。肉が残っている以上、彼は必ずここに戻ってくるはずである。

 ヨーコとロキは待ち伏せするかどうかを話し合った結果、オークがいつ戻ってくるかは分からず、暗くなっては危険だということになり、いったん村に帰還することにした。ねぐらは判明したのだから、翌日の未明に寝込みを襲った方が有利であろうというロキの進言を受け入れてのことだった。


 村では住民が固唾を呑んで待っていた。夕方前に戻ってきたヨーコが、オークとは遭遇しなかったものの居場所は掴み、翌早朝に仕留めるつもりでいることを伝えると、彼らは失望と安堵の入り混じった複雑な表情を浮かべた。

 この村はサイジ村のように、夜間に家畜たちを村内に避難させる対策を取っていなかったので、ヨーコは放牧場近くにある畜舎で不寝番に当たることを申し出て、彼らの不安を少しでも和らげようとした。


 まだ食い残しの肉が残っている以上、勤勉とは言えないオークが襲ってくる可能性は低い――彼女はそう踏んでいたが、それは黙っていた。自分を高く売り込んでおくのは大切なのだ。

 もちろんヨーコは寝ずの番などするつもりはなく、普通に眠ることにしていた。万が一にもオークが襲ってきても、ロキが必ず気づいて起こしてくれる。オオカミは例え寝ていたとしても、嗅覚と聴覚までも眠りにつくなどあり得ないからだ。


      *       *


 彼女は晩春の暖かな夜闇の中で、毛布とロキの白い毛並みに包まれて熟睡していが、まだ真っ暗だというのに何の前触れもなく目を開いた。

 むくりと身体を起こし、「うーんっ」と伸びをする。空には降るような星が瞬いているが、そろそろ夜明けが近いのだ。彼女は別に時計を持っているわけではないが、そういった感覚が外れることはない。

 それはロキも同様で、彼も身体を思い切り伸ばして盛大な欠伸あくびをしている。


 彼女は立ち上がってのそのそと近くのサンザシの茂みの陰に歩いていき、しゃがみこんで柔らかい土にナイフで浅い穴を掘る。用を足して戻ると、沢から引いている羊用の水飲み桶から溢れる水で汚れた布を洗い、ついでに洗顔をしてさっぱりとした。

 すっかり目の覚めたヨーコは寝床の後片付けをすると、ロキに跨る。

 何も言わずとも、オオカミは彼女を乗せて森の中へと入っていく。まだ東の空の端が薄っすらと白くなった程度で足もとさえ見えないが、オオカミは昨日の臭いをたどって迷いなく歩を進めていった。


 冷たい夜の空気からは、針葉樹独特の芳香と苔の湿った匂いがする。極小の水滴が顔にぷちぷちと当たる感触がすることからして、暗くて分からないが霧がかかっているらしい。

 女と白狼は黙ったまま大森林の中を進む。大柄なロキは普通に歩いているが、人間の駆足に近い速度が出ていた。


 鞍もあぶみもなしに跨っているヨーコの身体は乱暴に揺すられるが、よほど馴れているのだろう、彼女はしっかりと両膝でオオカミの胴体を挟み込み、バランスを崩すことなく両手を離していた。


 彼女は背中に回していた携帯用のれんを手に取り、やじりに毒を塗った矢を慎重に補充していく。

 リスト王国では連弩は普及しておらず、これは北の帝国からの輸入品である。矢は王都の武器職人に特注で作らせたものだ。


 連弩の上部には長方形の木箱(矢倉)が取り付けられており、これに矢を込める。

 発射のたびに自重で矢が下に落ち、自動的に装填される仕組みであるが、内部で矢羽根や鏃が引っかかって上手く落ちないことがあるため、ヨーコは鯨のひげで出来たバネを蓋に取り付け、上から押さえつける工夫を施していた。


 前日に確認していたオークのねぐらに近づくと、彼女はロキの背から滑り降り、風下から慎重に進む。

 足音を殺して接近していくと、やがて大きないびきが聞こえてきた。もう夜は明けかけて視界も確保されてきた。ヨーコは茂みの陰からそっと様子を窺う。

 鼾は罠ではなかった。オークは地べたに仰向けとなり、大の字で熟睡していた。


「あらあら」

 声を出すなど論外なのだが、彼女はロキにささやかずにはいられなかった。

「ここまで無防備だと、なんだか罪悪感があるわね。オークと言っても見た目はあんまり人間と変わらないもの」

『この間の村のことを忘れたのか? 奴らは人間を喰うんだぞ』


 オオカミの反応は冷静だった。彼女はうなずいたが、構えていた連弩は脱力したように下に向けられた。

 もう声は出さず、思念だけをロキに送る。

「毒矢を射込んだら、かえって暴れるかもしれないか……。ここはあなたに任せた方がよさそうね」

『ああ、任された!』


 ヨーコはくるりとオークに背を向けた。そして連弩の矢倉から矢を抜き、その辺から千切った柔らかそうな葉っぱで毒を丁寧にぬぐい取った。きれいになった矢はアケビの蔓で編んだ矢筒に戻して鞄にしまう。


 彼女の背後では獰猛な唸り声と、ばたばたと地面を叩く鈍い音がつかの間聞こえ、すぐに止んだ。

 ロキが眠っているオークにいきなり飛びかかり、その巨大な顎で首を噛み砕いたことが目に見えるようだった。憐れなオークは夢から覚める暇も、悲鳴を上げる余裕もなく命を絶たれただろう。


「終わった~?」

 しばらくしてヨーコが声をかけると、ロキから肯定の思念だけが返ってきた。

 彼女は茂みをかきわけてオークのねぐら(と言っても、窪んだ小さな草地にすぎないが)に顔を出すと、彼女たちの獲物はさっきと同じく大の字で地面に横たわっていた。

 違うのは首が半分噛み千切られ、顔が明後日の方向を向いているのと、彼のいびきが止んでいることぐらいだ。


 絶命する前に少しは暴れたのだろう、生皮の腰巻が腹の上にめくれ上がり、汚らしい股間が丸見えとなっている。

 なかなかに立派な陰茎が虚しく空に向けておっ立っているのを、ヨーコはブーツの先でちょんちょんとつついてみた。

「不思議ね。この前のもそうだったけど、オークって死ぬときには勃起するものなのかしら?」


 無邪気に首を傾げる若い娘を見て、ロキは『ああ、俺はこの娘の教育を間違えたのかもしれん……』と溜め息をついた。

 ただ、彼はその思いを胸にしまい込み、ヨーコに対してはこう答えただけだった。

『そんなわけがあるか! こいつはただの朝立ちだ』


      *       *


 ヨーコたちはまだ朝の内にハイネ村に戻った。やっと朝食を摂り終わったばかりの村人たちは、召喚士と巨大な白狼の姿を見て驚いた。

 彼女たちがこんなに早く帰ってくるとは思っていなかったのだ。


 ヨーコは慌てて飛び出してきた村長と肝煎に、オークを倒したことと死骸を運ぶため荷車と人数を出してほしいと伝える。

 もう一度経験したことなので、彼女の指示はてきぱきとして無駄がなかった。

 午後いっぱいで後始末は終わり、ヨーコは翌朝に村を発つことになった。軍からの聴取は、彼女を雇っているクリル村で行われることになっていたからだ。


 ヒデン村の村長は、かなりの好条件を出して「この際、うちの村に乗り換えないか?」と誘ってきたが、この世界は信用が第一である。彼女は丁重に断り、予定どおり次の日の早朝に村を出発した。


      *       *


 おだやかな春の陽ざしを浴びながら、巨大な白狼の背でゆらゆらと揺られ、彼女は辺境の脇街道を南下していった。

 どたばたとした二日間で蓄積した疲労と睡眠不足で、ヨーコはいつしか目を閉じていた。

 眠っていても、彼女の両膝はしっかりとオオカミの胴を挟み込み、上下動に合わせてリズミカルに振動を下半身で吸収している。

 その騎乗ぶりは安定していて、落ちるなどという心配をまったく感じさせない。

 すれ違った開拓民に、彼女が居眠りをしていると教えたらびっくりされただろう。


 ヨーコは浅い眠りの中で夢を見ていた。

 夢で見る光景には見覚えがあった。それは自分がまだ二十歳にもならない時の記憶を再現したものらしかった。

 夢の中で彼女は、その一部始終を空から見下ろしているかのように俯瞰していた。自分の頭のつむじやら突き出た胸の膨らみを、上から見下ろしているのは何だか妙な気分だった。


 それはある王都の豪商からの依頼で、誘拐犯に身代金を渡してさらわれた十五歳の末娘を無事に連れ帰るという仕事だった。

 若かったヨーコは、みすみす犯人の言いなりにならず、彼らのアジトを急襲して娘を奪い返してはどうかと父親である商人に提案したが、彼はそれを即座に却下した。

 金ならばいくらでも稼げるが、娘の命はかけがえがない。万が一にも危険は犯せないと言うのだ。


 ヨーコは黙るしかなかったが、内心は不満だった。それまで何度も誘拐犯を追い詰め、卑劣な男たちを皆殺しにして被害者を救出してきたことがあるからだ。

 彼女とロキは一度も失敗したことがなかったのだ。


 夢の中のヨーコは、豪商の屋敷にいたはずだったが、いつの間にか犯人に指定された郊外の朽ちかけた農具小屋の中に立っていた。

 灰色のマントに身を包み、目深に頭巾をおろした彼女は、無言でガラの悪い男たちに取り囲まれていた。彼らは全員覆面をして顔を隠している。

 誘拐犯の頭目らしい男が背もたれを前にした椅子にだらしなく座り、胡散臭そうにヨーコを睨みつけ、交渉の火ぶたを切った。


「なんだ、おめえは?」

「……交渉の代理人だ。私はお前たちに金を渡し、攫われた少女を引き取ることを依頼された。

 お前たちが約束を果たすならば、何も危害は加えない。依頼主は官憲には訴えないと確約している。もちろん、取引後に追手をかけることもしない」


「女を寄こすとは、ずいぶん舐められたもんじゃねえか? 姉ちゃん、顔を見せな」

 さっきからヨーコの顔を下から覗き込もうとしていた男が身を起こし、彼女の頭巾に手をかけた。

 途端に男の動きが止まる。

 ヨーコのマントの合わせ目から抜身の剣が飛び出し、男の喉元に突きつけられたからだ。


 ヨーコの低い声が狭い農具小屋の中でよく響いた。

「お互い顔は見せない方が得策ではないのか?

 こういう場に派遣されるのだ。相手が女だと思って馬鹿にしていると痛い目を見るぞ」


 そうは言ったものの、実を言うと彼女は弓術や体術に比べると剣技は不得手な方だった。魔導院で一通りの武術は学んだが、人には得手不得手があるのだ。

 その代わり、この隠れ家はロキの追跡によってとっくに明らかにされており、彼女は下見を済ませてロキを待機させている。

 何かあれば、腐りかけた壁板など簡単にぶち破ってオオカミが乱入し、誘拐犯をあっという間に噛み殺す手筈になっているのだ。


ちげえねえ」

 頭目は鼻を鳴らして笑った。

「いいだろう、お前が一人で来たことは確認済みだ。そいつは褒めてやる。

 じゃあ、まず金を見せろ」

 ヨーコは首を横に振った。

「娘の無事を確認する方が先だ」


 頭目は再び鼻を鳴らし、手下の男に「おい」と声をかける。

 その男は薄暗い小屋の奥へと行き、隅に積み上げられた干し草の中に手を突っ込んで、何かを引きずり出した。

 それが誘拐された娘だということはすぐに分かった。


 父親から聞いていた特徴――金髪の長い髪、身長は百五十センチに届かず小柄で痩せ気味であること、左の胸に幼い頃に負った火傷の痕があること――全てが一致していたのだ。

 左胸の火傷痕は、瘠せた身体の割にはよく張った白い胸に、赤いハート型となって刻まれていた。

 それが確認できるということは……要するに少女は下着を含めて服を着ていなかったのだ。


 そればかりではない、彼女の端正な顔には殴られた痕があり、右目が青黒く腫れあがって片目が潰れている状態だった。

 そして白く平らな下腹部には、金褐色の薄い陰毛が血で赤黒く染まり、べったりと肌に貼りついている。太腿のつけ根から足首のあたりまで、乾いた血の筋が茶色いまだら模様を描き、この少女が男たちに何をされたのかを如実に物語っていた。


「どうだ、満足したか?」

 頭目が下卑た笑みを浮かべながら問う。

「……娘は無事に返すという約束ではなかったのか?」


 ヨーコの冷たい声に、頭目は大げさに肩をすくめた。

「何を言っている。見てのとおり、娘は無事だ――生きている! それ以上何かを求めるのは贅沢ってもんだぜ?」

「……凌辱したのだな?」

 彼女の低い声には明白な怒りが籠っていた。頭目はそれが面白かったらしい。


「だったらどうだと言うんだ?

 どうせこの娘も、もうじき男を咥えこむようになるんだ。ちょっと早いか遅いかの違いだろう。

 俺たちが予行演習で風通しをよくしてやったんだ、感謝してもらいたいもんだな」


 そして、頭目の顔から急に笑顔が失せ、口調ががらりと変わった。

「なぁ、あんたはこの娘の死体を持って帰りたいのかい?

 それとも生きたまま連れ帰るのか?

 俺は親切な男だから忠告してやるが、あんたの雇い主は死体を持ち帰ったって金は払わねえぞ。水をぶっかけられて、叩き出されるのがオチだろう。

 さあ、俺たちが大人しくしているうちに金を出しな!」


 ヨーコは少しの間黙っていたが、やがて諦めたように溜め息をついた。

「よかろう。身代金はこれだ」

 彼女はマントの中からずっしりとした麻の袋を取り出した。抜身の剣も出したままである。

 そして袋をテーブルの上にどんと置くと、剣を突き刺し切り裂いた。

 途端に膨らんだ袋が形を崩し、中から金貨がじゃらりと流れ出す。


 彼女は剣先を一枚の金貨の下に潜り込ませると、器用にぴんと弾いた。頭目は片手で飛んできた金貨を掴み取ると、しげしげと見つめ、奥歯でがりりと噛んでみる。

 そして納得したのか、テーブルの金貨に手を伸ばそうとしたが、ヨーコの剣の切っ先がそれを制した。

「娘をこちらに渡せ」


 頭目はぼんやりと立ち尽くしている娘の腕を掴むと、乱暴に引っ張って薄い尻を蹴飛ばした。

 娘は悲鳴も上げずにヨーコの方に頭から突っ込み、あやうく顔を床に叩きつけるところで抱きとめられた。

 ヨーコはマントで彼女の裸体を包み込み、その顔を覗き込んだ。


 意識はあるようだったが、開いている片目の焦点が合っていない。恐らく今、自分がどういう状態なのかも理解していないのだろう。ただ、細い裸体が細かく震えているのが抱きとめた手から伝わってくる。


「取引は成立だ。

 お互いさまだが、変な気は起こすなよ」

 ヨーコは低い声でそう言い残し、娘を片腕で抱きかかえたまま後ずさりして農具小屋を出た。

 その後姿に男たちの嘲笑が投げかけられた。

「心配するな、気の触れた娘なんかに用はねえ!」


 げらげらと笑う、野卑な声がじんじんと耳に響いてうるさかった。

 その笑い声はどんどん大きくなり、割れ鐘を叩くように頭に響き渡り、酷い頭痛がして仕方がなかった。


『――おい、いい加減起きろ! 落ちるぞ』

 はっと気がつくと、機嫌の悪いロキの声が意識に飛び込んできた。

 うっかり眠りが深くなったようで、彼女の首はがっくりと前に落ちていた。


「ああ、ごめんなさい。私ったら眠っていたのね。

 道理で嫌な夢を見たわ」

『夢?』

「……ええ。ほら、四年くらい前に王都で身代金と女の子の引き換えを請け負ったことがあったじゃない。

 あの時のことが夢に出てきたのよ」


『ああ、あれなら覚えているが……胸糞の悪い事件だったな。

 お前が珍しく切れて、依頼主が命じてもいないのに俺に犯人たちを皆殺しにさせたやつだろう?』

「やぁねえ、皆殺しだなんて人聞きの悪い。

 頭目だけは足の骨を砕いただけで生け捕りにしたじゃない。忘れたの?」


『そうだったな。……うん、だんだん思い出してきた。

 あの事件のあと、お前がえらく塞ぎ込んでいたから深く聞かなかったんだが、あの後どうなったんだ?

 生け捕りにした主犯は警衛隊(警察に当たる軍の一組織)に引き渡したんだろう? 身代金目的の誘拐は死刑だから、吊るされて終わったのか?』


 ヨーコは溜め息をついた。

「それならよかったんだけどね。

 連れ帰った末娘を見た両親は半狂乱になったわ。その後が最悪でね、犯人は怒り狂った両親になぶり殺しにされたのよ。

 私は館の地下室でその手伝いをさせられたわ。拷問なんてしたことがないからやり方を教えろって……私だってそんな経験ないから、聞きかじりの話を教えたの。

 縛り上げた犯人の手足の爪を一枚ずつ剥がして、歯を一本ずつ抜いていくとかね」


 彼女は当時の記憶を、うんざりとした表情で淡々と語っていった。

「両親は犯人の性器にご執心でね、〝アレ〟も玉も、金床かなとこの上に引っ張り出して、念入りにハンマーで叩き潰していったの。そりゃあもう凄い悲鳴だったわ。気を失うと水をぶっかけて目を覚まさせるのが私の仕事よ。

 それで、最後は真っ赤に焼けた火箸を目の前に見せつけて、『これからこいつをお前の尻の穴に突っ込んでやる。そうすれば、娘の痛みが少しは分かるだろう』って言ってね。

 そのまま眼球を焼き潰してから、両親はその言葉を実行したわ。

 犯人はじたばたと踊り狂って死んでいった――父親は泣き笑いで『思い知ったか!』って何度も叫んでたわ。母親は気が狂ったように笑い続けていたわね」


 ヨーコは自分の言葉で肉と糞便の焼ける臭いを思い出し、吐き気をもよおして顔をしかめた。

「回収した身代金は報酬として無理やり押しつけられたの。でもあまりに法外な金額だったから、金貨十枚だけで勘弁してもらったわ。儲かったけど、あんな仕事は二度とご免ね。

 本当に懲りたわ。もう馬鹿な正義感を振りかざして、余計なことはするまいって心に誓ったもの」


 ロキはなんとなく納得がいった。この娘の心が、どこかこわれ始めたのはあの時からだったのか――と。

『……それで、助けた娘の方はどうなったんだ?』

 ヨーコは首をすくめた。

「知らないわ。まぁ正気に戻らなかった方が幸せなような気がするけどね……」


 その後、ヨーコとロキはそれぞれの物思いにふけって、互いに無言のまま半時ほど歩き続けた。

 沈黙を破ったのはヨーコだった。

「ねえ、ロキ。あれ、見える?」


 彼女の指さす方、街道の先に小さく集落の姿が見えていた。

『ああ、サイジ村だな。それがどうかしたか?』

「ちょっと寄っていきたいの。いいかしら?」


 ロキには彼女の心の内が痛いほど理解できた。

『……ああ、別にかまわんさ』

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