密林の賢王 第二十一話 末路

『今マデノコト、少シ思イ出シタ。

 オーク襲ッタ、悪カッタ。オーク喰ッタ、ヒュドラ悪クナイ』


 オークたちは「何をわけの分からないことを言っている!」と怒り狂ったが、ダウワースは「静まれっ!」と一喝して黙らせる。

「ヒュドラよ、確かにお前にとってはゴブリンもオークも獲物に過ぎない。喰ったこと自体は自然なことだ。

 だが、それはお前の縄張りの範囲でのこと、俺たちの領地にまで攻め込んだのは本意ではなかった――そう言いたいのだな?」


 ヒュドラは三つの頭を縦に振って肯定を示した。

 語彙に乏しくて自分の意志をうまく言葉にできないようだが、ダウワースが語りかける内容は十分に理解しているようだった。


『オ前、頭イイ。助カル。

 少シ昔、小鬼来タ。俺、喰ッタ。

 マタ小鬼来タ。黄色イ小鬼。

 俺、マタ喰ッタ。トテモマズカッタ。ソレカラ俺、黄色イ小鬼、喰ワナカッタ。

 小鬼、池ニ黄色イノ、流シハジメタ。

 俺、考エル、駄目ニナッタ……。ソノコロノコト、ヨク思イ出セナイ』


 ユニとオオカミたちが推測した状況とほぼ一緒であるが、ヒュドラの告白には口惜しさが滲んでいた。


『最近少シ、考エル、デキルヨウニナッテキタ。

 サッキ、雨ヲ呼ンダ時、急ニ頭ノ中、雲消エタ。トテモヨク考エル、デキル。

 俺ハナゼコウナッタ? 教エテクレ』


 ダウワースはちらりとユニと顔を見合わせてうなずき、ヒュドラにユニの推測を伝えた。

「あの黄色い汁には強い鎮静効果があるそうだ。お前はそれで思考力を奪われ、ゴブリンの言いなりになっていたんだろう。

 だが、ヒュドラは毒に強い身体を持っている。鎮静効果への抵抗力ができてきて、思考力が復活してきたのだと俺たちは考えている。

 ヒュドラが雨を呼ぶのは、命の危機に瀕した時の緊急手段だと聞く。恐らくそれがきっかけになって正気を取り戻したのではないかな」


 ヒュドラはしばらく黙り込んだ。曖昧だった記憶をたどり、オーク王の説明と突き合わせていたのだろう。やがて彼は納得したように大きくうなずいた。

『トテモヨクワカッタ。

 モウヒトツ、教エテクレ。

 ヨロイノ男、何者? ナゼ俺ノ鱗ガ切レル?』


 この問いには、兜を後ろに跳ね上げ、抜身の剣を握ったままのアスカが進み出て、自ら答えた。

「私はアスカ・ノートン、人間だ。――ついでに言うと女だ。そこは間違えないでくれ。

 この剣は神代の昔、エルフが祝福を与えたミスリルの短剣を、ドワーフが人間の英雄に暴龍を討たせるために長剣に鍛え直して与えた龍殺しの宝剣だ。

 ドラゴンの鱗を貫く剣が、ヒュドラを切れぬ謂われはない」


 ヒュドラは満足げな表情で、さらに大きくうなずいた。

『トテモ、トテモヨクワカッタ。

 俺ノ鱗弱イ、違ウ。剣、スゴイ。トテモヨカッタ』


「では、今度はこちらが問おう!」

 ダウワースが声を張り上げると同時に、ぶわっと風を孕んだマントがはためく。堂々たる王の姿である。


「正気に戻ったお前は、これからどうするつもりだ?

 ゴブリンにくみしてあくまで我らオークと戦うというのなら、ただでは帰さんぞ!」


 ヒュドラは首を横に振った。

『俺、沼ニ帰ル。

 モウ、オークノ森、来ナイ』


 そう言うなり、突然ヒュドラは三本の首を空に向けて吠えた。雨を呼ぶ悲鳴じみた叫びと違い、怒りに満ちた低く迫力のある咆哮であった。

 オークたちは思わず槍を手に身構えたが、ヒュドラはそれを無視して吠えた。


『小鬼ドモ、許サナイ! 奴ラノ巣穴、ヒトツ残ラズ潰ス!

 穴ニ潜ル、ムダ。ヒュドラノ毒、小鬼逃ガサナイ!』


 ヒュドラの雄叫びは、天に向けた誓いのようだった。その決意はオークたちの頭の中をビリビリと震わせ、叩きつけられたあまりの怒りの激しさに思わず首をすくめた。

 どうにか落ち着いたヒュドラは、一本の首をオークたちの方に向け、静かに言った。


『小鬼ノ棲家、瘴気デ覆ウ。森ニ逃ゲタ奴、オ前タチ、必ズ殺セ!

 俺、約束スル。北カラ来ル小鬼、モウ絶対通サナイ』


 ヒュドラはそう言い残すと、悠然と去っていった。

 三本の首をゆっくりと揺らし、太い胴を短い足でしっかりと支え、長い尻尾を蛇のようにくねらせている、その後ろ姿をオークたちは黙って見送っていた。

 黒雲が消え去った空からは冬の太陽が頼りない光を注ぎ、ヒュドラの青緑色の鱗が歩みに合わせてなまめかしくきらめいている。

 ドラゴンの血を引く――彼がそう自慢するのがうなずける美しさだった。


      *       *


 戦いは終結したが、その後始末がひとまず落ち着くまでは一週間を要した。

 戦場では三千を超すゴブリンの死骸を片付けることが最優先だった。

 伝染病の予防のため一部は焼却されたが、薪が足りるはずがなく、やむなく大きな穴を掘って大半を埋めることになった。


 オーク側の死者は十数名に留まった。犠牲の少なさはアスカとゴードンの功績であることが明らかで、オークたちは二人を軍神であるかのように崇めるようになった。

 ダウワース王や娘のジャヤは、ユニの活躍も二人に勝るとも劣らないと評価していたが、オークたちは奮戦したオオカミこそ褒めたたえたが、ユニに対しては、その飼い主程度の認識であった。

 これにはジャヤが憤慨して、みんなに真実を訴えると息まいたが、ユニが苦笑しながら押しとどめた。


 死者が少ないとはいえ負傷者は多く、ユニはまたしても治療に駆り出され、睡眠時間を削る日々が続いた。

 ダウワースはゴブリンの本拠地に偵察隊を送るとともに、複数の討伐隊を編成して森に入り込んだゴブリンを見つけ次第殺すように命令した。


 ゴブリンは土中に枝分かれした巣穴を掘って、一族が丸ごとその中に棲む。

 密林の地中は樹木の根が複雑に絡み合って伸びているため、棲むだけの穴を掘るのが困難だった。そのため彼らの巣穴は、北丘陵の湿地帯と密林の間の狭い草地に集中していた。

 オークの偵察隊がその様子を窺ったのは戦いの翌日だったが、ヒュドラは約束した仕事を情熱を傾けて実行したようだった。


 緑の草原だった岩混じりの平地は、真っ黒に腐った草で覆われ、地面のいたるところから瘴気が噴き出し、毒を含んだ重い空気が漂っていた。

 そこにはゴブリンどころか、獣も鳥も、アリ一匹ですら姿を消し、地獄を思わせる死の世界と化していた。


 ヒュドラになぜそんなことができるのか、誰にも分からなかったし、知りたいとも思わなかった。ましてや生きながら毒を巣穴に注ぎ込まれた、数千のゴブリン――その大半は女や子どもだったろう――の最期など、誰一人考えもしなかったのだ。


 森に逃げ込んだゴブリンの総数は分からないが、恐らく数百人の規模だったろう。ただし、彼らは数人から多くても十人程度の小集団だったため、オークの討伐隊の敵ではなく次々に虐殺されていった。

 オークたちは一切の情けをかけず、淡々と、だが徹底してゴブリンを殺していった。それでも、ダウワース王がゴブリンの殲滅を宣言するまで一か月余りを要したのである。


 王国のタブ大森林から渡ってくるゴブリンたちは、勤勉なヒュドラによって約束どおりすべて殺害された。

 瘴気と底なしの泥濘で覆われた湿地帯で、ゴブリンたちが通過できる道は限られている。ヒュドラにとってそうした道は重要な狩場であったから、待ち伏せするのは実に容易たやすかった。

 彼は何も知らずにやってくるゴブリンを喰らい続けた。たまに身体を黄色く塗った者もいたが、そうした連中はアリのようにただ殺した。強靭な尻尾で張り倒し、太い足で踏みつぶす――要は喰わなければいいだけなのだ。


 アスカとゴードンは、もう指揮官もお役御免で暇になるはずだったが、連日夜明け前から宿舎前にはオークの行列ができていた。二人に稽古をつけてもらいたい者たちである。

 そのため、指揮官殿は一日中オークの相手を余儀なくされ、戦いの前よりもへとへとになっていた。


      *       *


 ユニ、アスカ、ゴードンが久しぶりに王の住居に招待され、話し合いの機会を得たのは戦いから十日も経過したころだった。

 王はジャヤが張り切って腕を振るった料理と、秘蔵のどぶろくで三人の労をねぎらった。

 料理は美味しく、酒はさらに旨かった。


「さて、と……」

 ダウワースはぐいと椀のどぶろくを飲み干して息をつき、ユニの方に向き直った。

「約束だったな。お前の聞きたかったオークのことを話そう」

 ユニは黙って頷いた。


「俺たちの祖先がこの世界に飛ばされてきたのは、今からおよそ三百年ほど前のことだ。

 お前が推測したように、俺たちは故郷――祖先たちの世界のことを大切に伝承してきた。有体に言えば、お前が今、こうして見ている暮らしが、そのまま故郷でのオークの姿に他ならない。

 もちろん、さまざまな面で俺たちの暮らしも便利になってきたが、狩りをして獲物を食い、子を産み育てる――それ自体は何の変化もない」


「さて、恐らくこれがお前の知りたいことの一つだろうが、先祖たちの世界にも人間がいた」

 王はそう言って、ちらりとユニの顔色を窺った。


「ところでな……俺はお前たちが分かりやすいように〝オーク〟という言葉を使っている。これが人間の言葉では〝鬼〟を意味することも承知の上だ。

 しかし当然のことだが、オーク語で俺たちが自分のことを呼ぶ言葉には、そんな意味はない。それは分かるな?」


 ユニは再びうなずく。

「よかろう。簡単に言えば、俺たちは自分たちのことをニュアンスとしてだが〝人間〟と呼んでいた。

 ――どうだ。あまり愉快な気分ではないだろう?」

 ダウワースの皮肉めいた物言いに、ユニは首を振った。


「いえ、それが当たり前だと思います。続きをどうぞ」

 オーク王は「うん」と言って、給仕を務めていたジャヤが注いだどぶろくを少し口に含んだ。


「俺たちが〝人間〟なら、祖先の住む世界にいた人間のことをどう呼んでいたか……分かるか?」

 ユニはかぶりを振る。

「いえ、見当もつきません」

 彼は少し笑った。

「そうだろうな……答えはな――〝人間〟だ」


「……え?」

 ユニもそうだが、黙って二人の話を聞いていたアスカとゴードンも虚を突かれたような顔をした。三人の人間の〝意外だ〟という表情に満足したように、オーク王はけらけらと笑った。


「いいか、俺たちが元いた世界では、オークも人間も人種は違うが同じ存在だと思われていたんだよ。

 もちろん、これは俺たちだけではなく、人間の方でも同じ認識だったんだ。

 だってそうだろう? オークと人間では耳の形に違いはあっても、それ以外に何一つ差異はないのだ。

 故郷の世界では、オーク語と人間語も方言のような違いしかなく、通訳なしでもどうにか会話できたと伝えられているくらいだ」


 ダウワースは再びユニの反応を窺ったが、彼女は驚きのあまり何も言えないでいる。

「まぁ、両者を区別するために別の呼び方があったのも事実だ。

 俺たちオークは〝狩りをする者〟、人間は〝羊を飼う者〟という意味の言葉でお互いを呼んでいたらしい」


「その言葉どおり、人間は遊牧をしていた部族が多かった。条件のよい土地では、定住して農業をしていた者もいたそうだ。

 そして、技術的には人間の方が進んでいたが、二つの種族の文化にそれほどの差はなかったのだ。

 だから、祖先がこの世界に飛ばされて人間と接触した時、異様に進化していた彼らの文明に祖先は大きな衝撃を受けたそうだ。

 何しろ魔法や呪術といった、本来はエルフ族が独占していた技術まで使いこなしていたのだ。その驚きは想像に余りある」


 王は小さく溜め息をついた。

「この世界に飛ばされた祖先の数は十数人、うち女は四人だけだったという。もはや言葉すら通じなくなっていた人間を見た祖先たちは、この密林を棲家と決め、子孫たちに人間との接触を厳に禁じた。

 それ以来、俺たちは極力人間との関りを絶って、少しずつ人口を増やしてきた。いくら多産で早熟なオークと言えども、始まりの女が四人では簡単に物事は進まなかった。男は増えても、女がどうしても増えないからだ。

 今、千人を超す人口を得るまでには、俺たちは何度も滅亡の危機を乗り越えてきた。その原因はさまざまだった。伝染病、内乱、今回のゴブリン襲撃もその一つだ。だが、圧倒的な脅威は常に人間だったな……」


「あなたの故郷では、人間とオークは敵対していなかったのですか?」

 ユニの質問にダウワースはかぶりを振った。

「いや、友好的とは言わないが、表立って争うこともなかったそうだ。

 オークは狩猟民で、人間は遊牧・農耕をしていたから、そもそも生活圏が違っていたんだ。

 オークたちには誇り高かったから、人間の家畜を襲うことはなかったし――人間を喰うなんてことは考えもしなかっただろう」


 王は皮肉を込めてそう付け加えた。そして口をつぐみ、しばらく黙り込んだ。次の話をしてよいものかどうか、逡巡しているような感じだった。

 しばらくすると、彼は意を決したように話を続けたが、まるで独り言のような口調だった。


「恐らく、俺たちの故郷の世界では、今でもオークと人間はそれほど変わらない暮らしをしているのだろうな。

 俺は人間のもとでその歴史を学んだ。だからこそこう考えるんだ――この世界の人間の進化は〝いびつ〟だと。まるで誰かに手を加えられたように、ある日突然、爆発的な進化を遂げているんだ。

 いい例が帝国で盛んな魔法だ――言っておくが、南方で発達した呪術も王国の召喚術も、根っこは同じものだからな。

 この世界の人間に、エルフはなぜ魔法を伝えたのだろう? エルフは他種族に干渉することを何よりも嫌うのに、よりにもよってあんな強大な力を自分から教えようなどとはしないはずだ。

 誰が、どんな意図でエルフにそんなことをさせたのだろう?」


 ダウワースはユニの顔を覗き込んで問い質したが、ユニは答えることができず、ただ首を振るだけだった。

 彼は気を取り直すように咳ばらいをして、ユニに詫びた。

「すまん、お前を困らすつもりはなかった。何の証拠もない、これは俺の勝手な思い込みだ。

 ――さて、お前たちの知りたいことのもう一つは、王国の辺境を襲うオークのことだったな?」


「ええ、そのとおりよ。

 彼らが本来のオークとは全く別の〝何か〟だということは、もう十分に理解しているつもりです。でも、私たちが常に彼らの脅威にさらされていることも事実だわ。

 王は彼らについて何か知っているのですか?」


 ダウワースは難しい顔をして唸った。

「……俺が囚われていた呪術師から解放された後のことだが、実を言うと俺は北の森――お前たちの言うタブ大森林に行ったことがある。

 北の森に出現するというオークに会うためだ。

 俺は呪術師のもとで、彼らが〝穴〟の働きによって異世界から飛ばされてきた連中だという知識を得ていた。だから、彼らは俺たちの先祖の姿そのものではないかと、どこかで期待していたのだ」


 王は溜め息とともに肩を落とした。その結果は分かり切っている。

「奴らは……オークではない。

 確かに、姿形はオークそのものだ。だが、そこには理性も、知性も、オークとしての矜持きょうじの欠片もなかった。

 あれは本能と欲望だけに支配された――ただのけだものだ。

 失望して村に戻った俺は、一人思索にふけった。〝奴らは何者だ?〟とな。

 そして出した結論だが……ユニよ、それを聞きたいか? これも事実ではなく、単なる俺の推論だぞ?」


 ユニは真正面からダウワースの目を見据えた。なぜか、これから聞く話こそ問題の核心につながるような気がしたのだ。

 彼女は居住まいを正して答えた。


「ぜひに」

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