密林の賢王 第十五話 戦術転換

 村に帰還したユニたち、そしてオーク王と戦士たちには慌しい時間が待っていた。

 まずは滑り坂、そしてその先の複数の見張り所へ新たな監視と警備隊を送らねばならなかった。

 今は滑り坂に二十人ほどの兵を残してきただけで、見張り所は無人となっている。


 今回の戦いでゴブリンたちは千人近い戦死者を出している。これまでの例からすれば、彼らが再び襲ってくるのは十日は先のことになるだろう。

 ただ、それは絶対ではない。王は悩んだ末、百人というまとまった戦力を派遣することにした。


 戦士自体は人選が済めばすぐに送り出すことが可能だったが、これだけの人数が駐留するとなれば、水や食べ物の用意が簡単ではなかった。

 クルミなどの木の実は貯蔵しているからいいが、オークには肉が必要だった。

 さらにそのためには、人手が足りない中で多くの狩猟班を出して獲物を狩る必要に迫られる。――ひとつの問題を解決するために、いくつもの課題が出てくるのだ。


 こうした人選、指示、必要事項の確認と解決など、細かい手配が山のようにあったが、この国ではダウワース以外にこなせる者がいない――結局のところ、それが一番の問題だった。



 一方、ユニは怪我人の手当てで手いっぱいだった。

 オークの村にも薬師は存在したが、百人を超す患者に一人で対応できるはずがなく、心得のあるユニが手伝うことになった。

 彼女の手持ちの傷薬はあっという間に底をつき、オークの薬師である老女(四十歳前後だが、オークとしては高齢)が作った薬を使わざるを得なかったが、その備蓄も使い切ってしまいそうだった。


 ジャヤを通訳にユニと薬師が話し合った結果では、オークの傷薬はごく基本的な薬草を二種類合わせたもので、ユニのものに比べると効果にかなりの差があった。

 そこでユニの処方で新たに薬を調合することにした。

 必要な薬草で手に入らないものは、代用になりそうな原料で試してみることにして、さっそく採取のための女性部隊が編成された。


 アスカとゴードンは宿所に戻り、対ゴブリン戦の対策を熱心に話し合っていた。

 オオカミたちは水をたらふく飲ませてもらい、口に残っていた渋みから逃れてほっとしていた。


      *       *


 どうにかユニたちとダウワース王が話し合いを持てたのは戦いの二日後、それも夜になってからだった。

 王は明らかに憔悴していた。彼が背負わされた仕事量から考えれは仕方がないだろうが、よく働く姿は人間の王より数倍立派な姿に思え、ユニたちはますます彼の赤マント姿に尊敬の念を抱くようになった。


 最初に口を開いたのはアスカだった。


「ダウワース王、滑り坂の戦いではさまざまな問題点が明らかとなった。

 中でも一番まずいのは、ゴブリンどもが〝数で押し切れる〟ことに自信を持ったことだろう。

 奴らの考え方はある程度想像がつく。

 『ヒュドラが倒したオークはたった六人だ。だが、俺たちは三十人ものオークを殺した!』

 『千五百の人数で三十のオークを倒せたなら、五千の軍勢で襲えば百人のオークが殺せるはずだ』

 ――とまぁ、頭のいかれた思考だが、いかにもゴブリンが考えそうなことだ。

 だとすれば、次の襲撃が今回の数倍の規模になることは間違いないと思う。

 オークの人口を考えれば、一度に出せる戦力は三百人が限界と見たが……どうだろう?」


 ダウワースは認めるしかなかった。

「ああ、お前の言うとおりだ。

 村を空にすれば、もう二百は出せるだろうが……そうなると補充ができずに継戦能力を失うことになる。

 ――それはそれとして、どうしてそこにジャヤがいるんだ?」


 王が顎で示したのは、アスカの後ろに隠れるようにしてちょこんと座っている末娘の姿だった。

「嬢ちゃんには俺が頼んで同席してもらった。理由はいずれ分かるだろうから、叱らないでくれ」

 そう言ってかばったのはゴードンだった。彼はこれまで傍観者のような態度をとっていただけに王は少し驚いたが、娘の同席は黙認されたらしい。


「さて、話を戻そうじゃないか」

 ジャヤが頼もしそうにアスカの背中にそっと頬を寄せるのを気にもせず、鎧姿の女騎士は淡々と話し続ける。


「ゴブリンの立場になれば、柵を破るためにもやはりヒュドラが必要だ。次も使ってくるだろう。それは私が止める。

 ――問題はゴブリンの圧倒的な数だ」


 アスカはいったん目を瞑った。軍人である彼女は、状況を冷静に指摘しなければならない。だが、それは気の重い仕事だった。


「さっきも言ったように、ゴブリンたちは〝数で圧倒できる〟ことを確信して、次はさらなる大軍で襲来すると予想される。

 一体ゴブリンどもの人口がどれだけ膨れ上がっているかは分からないが、今回の出兵数からすると軽く万を超しているだろう。

 はっきり言うが、これまでのような白兵戦で迎え撃ってはオークに勝ち目がない。敵を退けるためには別の戦い方が必要だ」


 ダウワースは「ふん」と鼻を鳴らしてアスカを上目遣いに睨む。

「白兵戦が駄目だというなら……遠距離攻撃に活路を見出すと言いたいのか?」

 アスカはうなずいた。

「さすがは賢王だ、察しがいい。

 では逆に問いたい。オークは弓を持っていながら、なぜ使わないのだ?

 弓があれば一方的にゴブリンを攻撃できる。それで全滅とはいかないだろうが、少なくとも敵が頼みとする数は相当に減らせると思うのだが……」


 王は答える代わりに振り返り、後ろに控えていたオークに何事か命令した。

 そのオークは壁に掛けられていた弓矢を取って王に渡し、ダウワースはそれをそのままアスカの前に差し出した。

「俺たちの弓矢だ。どう思う?」


 アスカは弓を手に取ってしげしげと眺める。粗い造りだがかなり大きな木の弓だ。素材は南部でよく見るタモだろう。弦は麻かからむしの繊維らしく、その辺は人間が使う弓とそう大きく変わらない。


 彼女は矢をつがえぬまま、ぐいといっぱいに引き絞り何度か空射ちをした。その度に「ビンッ!」という弦の堅い響きがする。

「かなり強く張られているな……素朴だがいい弓だ。大きさといい、ケルトニアでよく使われるロングボウを思わせる」


 オーク王はアスカが弓を試す様子を呆れたように見ていた。

「お前は本当にオークに生まれ変わるべきだと思うよ……。それを楽々と引ける者は、この国でも俺を含めて数人しかいぞ。

 ……矢の方はどうだ?」


 彼女は次に弓に矢をつがえて大きく引き絞ってみる。そして矢を外し、手に取って反りがなく真っ直ぐかを確認した。

 やじりが鉄ではなく石器であることを除けば、これも人間の矢と大差がない。鏃の素材は黒曜石らしく、黒くてガラスのような強い光沢がある。そう大きくはないが、細かく加工されていて縁が鋭く、殺傷力でも鉄製に引けを取らないように思える。


「問題ない。なぜこれほどのものを使わないのか、ますます分からなくなるな」

 彼女はそう言って、弓矢を元に戻した。


「使っているさ、狩りにはな。

 だが、戦いには使わない――というより、使えんのだ」

 王の答えにアスカは首を傾げた。

「なぜだ?」


 ダウワース王は溜め息をついた。

「今、国にある弓は三十張りくらいだが、弓を作ること自体はさほど難しくない。一週間もあれば、百張りくらいは揃えられるだろう。

 それで弓隊を作ったとする。

 百人の弓兵が戦いに臨むとして、矢はどれだけ必要だ?」


 アスカは軍人だけに、そうした問いにはすらすらと答えることができる。

「一人が携行するのが三十本として、補充を考えれば五千本は欲しいところだな」


 王は苦笑した。

「簡単に言ってくれるわ。

 その鏃をよく見てみろ。そいつを五千個作るのに、一体どれだけの時間がかかると思っている?」


「あ……」

「分かったようだな。

 狩りならば必要な分だけ射ればいい。射た矢の大半は回収できるしな。

 だが戦いともなれば、お前が言ったように大量に矢が必要で、しかも大半が使い捨てとなる。

 鏃の素材となる石は何でもいいわけじゃない。採れる場所も限られているから、その確保だけで一苦労だ。

 運よく原料を用意できたたとしよう。五千の鏃をつくるのには、村中を動員して長期間作業に専念させる必要がある。

 ――生産は可能かもしれんが、それでは俺たちの生活が成り立たんのだよ」


 重苦しい空気が漂う中、それまで腕を組んで黙っていたゴードンが口を開いた。

「なるほどな。弓を使わなかったのは、何か理由があってのことだと思っていたが、そういうことか……ああ、それに関しては納得いった。

 だが、アスカが言ったようにゴブリンと戦う上で、遠距離攻撃は絶対に必要だ。

 それで俺からの提案なんだが……これを見てくれ」


 ゴードンは持参してきた細長い包みを王の前に差し出した。ダウワースが不審な顔で包みを開くと、中から奇妙な道具が現れた。

 それは一メートルほどの棒の端に編んだ革紐がぶら下がったものだった。


「あ……その手があったか!」

 アスカはそれが何か、すぐに分かったようだった。

 ダウワースは興味深げにその道具を手に取り、じっくりと観察した。


 オークの木槍と同じくらいの太さの棒である。その先端には十五センチほどの切れ目スリットが入っていて、その下に小さな穴が穿うがたれていた。

 革紐はその穴に通され、端に結び目が作られて穴から抜けないようになっている。

 革紐の真ん中あたりには、手のひら二つ分くらい大きさの楕円形の革が結ばれている。

 仕組みとしては非常に単純素朴な道具だが、用途がさっぱり思い浮かばない。


 王は首を捻った。

「何だこれは? 初めて見るぞ。

 俺が学んだ人間の知識にも、こんなものは出てこなかったが……」


 ゴードンは小さく笑った。

「そりゃ無理もない。人間の間でもこいつはとっくに廃れている。さすがにアスカは知っていたようだがな。

 実を言うと、こいつはそこの嬢ちゃんに頼んで作ってもらったものだ。俺の持ち物を見本にしたとはいえ、なかなかどうして上手くできている」


 彼はそう言って、革鎧の懐に手を入れ、一メートル半ほどの紐を取り出して見せた。

 素材は太い編み紐で、端が結び目ではなく輪っかになっている以外は棒につけられた革紐と同じ構造である。


 ゴードンはその奇妙な道具の用途と使い方を王に説明した。

「それは本当なのか? もし、お前の言うとおりなら、これほどオークに向いた武器はないということになるが……」

 ダウワースは驚きと同時に、疑念も感じているようだった。


「まぁ、こんな単純な道具だから簡単には信じられないだろうし、恐らく村の連中も同じだろう。

 そこで、明日オークたちを広場に集めて、こいつを実演させてもらいたい。

 百聞は一見に如かずというい奴だ。構わないな?」

「ああ、皆には俺から集まるように知らせておく。

 ……ところで、これをジャヤに作ってもらったと言ったが、どういうことなんだ?」


 ゴードンはアスカの後ろに座っているジャヤの方を見て、再び王に向き直った。

「実を言うと昨日、ジャヤ嬢ちゃんに聞いてみたんだ。俺の持ってる道具と同じものが革で作れるかってな。

 『女衆を十人も集めれば、こんなものなら一日で百本作って見せます!』と言われたよ。何とも頼もしい限りだ。

 それで彼女に人数を手配してもらい、さっそく製造に取り組ませている。

 事前に説明して王の承諾をもらいたかったが、あんたは忙殺されていてとても声をかけられる雰囲気ではなかったし、俺は時間が惜しかった」


「ああ、それは別に構わん。女たちはジャヤに甘いし、革なら腐るほどあるからな。

 だが、そっちの棒は作らなくていいのか?」

「いや、棒は加工に手間がかかるし、聞けば木工は男衆の仕事なんだろう?

 さすがに量産となると王から指示を出してもらわないとまずいと思ってな。

 こいつは革紐部分だけで使えるし、オークだったらそれで十分な威力が出せる。だから最初は棒をつけるつもりはなかったんだ。

 だが、俺は嬢ちゃんに説明する時に『この武器には棒をつける種類もあって、その方が簡単で威力も高い』って、つい口を滑らせた……」


 ゴードンはその時のことを思い出したらしく、愉快そうに笑った。

「すると彼女が王さまと同じことを訊いてきたんだ。

 『その棒は作らなくていいのですか?』ってな。

 俺は阿呆みたいな顔をして、うっかり『いや、だってそんな加工、オークには無理だろう?』って言っちまった」


 彼は笑いながら「ぱん」と膝を叩いた。

「いやー、怒られた怒られた。

 『馬鹿にしないでください!』って叫ぶなり、嬢ちゃんはかんかんになって俺を工房まで引きずっていったんだ。さすがオークの姫君だ、凄い力だったぞ」

 ゴードンが声を出して笑うので、ジャヤは恥ずかしそうに顔を赤らめ、アスカの大きな背中に隠れてしまった。


「彼女は俺を工房長の爺さんのところへ連行して、こういう棒を今すぐ作ってくれと言ったんだ。

 爺さんはジャヤ嬢ちゃんの剣幕に驚いていたが、このを可愛がっていたようだな。あっさり仕事の手を止め、俺にいくつか質問してから槍用の棒を持ってきた。

 俺はオークのことを舐めていたんだ。この棒には端の方に穴と切れ目が入っているだろう? のこぎりのみもなし、あるのは石器だけなのに、そんな細かな加工は無理に決まってると決めつけていたんだ」


 ダウワースはもう事の事情が分かったらしく、愛おしそうに娘を見ながら笑みを浮かべている。

 ゴードンの回想が続く。

「工房長とやらは、俺の目の前でその棒を作ってくれたよ。もちろん使った道具は全部石器だった。

 爺さんが石のくさびで棒の先端に切れ目を入れたのには驚いたね。よくもまあ割らずに出来るもんだ。

 俺の顔を見た爺さんは『人間さんよ、そう驚くな。わしらがどうやって丸太から板を造っていると思ってたんだ?』と笑っていたな。

 俺は自分がオークを見下していたことを認めて、嬢ちゃんと爺さんに頭を下げて謝ったよ。

 その時のジャヤちゃんの勝ち誇った顔といったら……思い出しただけでにやにやしちまうな」


 ダウワースにもその光景が目に浮かんだらしい。笑いながらゴードンの頼みを請け合った。

「話は分かった。俺から工房長に棒の製造を指示しておこう。槍用の棒が使えるなら、工房の連中にそう負担をかけないだろう。

 お前の言うとおり、女衆と違って俺からの命令じゃないと面倒なことになるんだよ」


 ゴードンは王の配慮に礼を言った。

「それは助かる。

 俺はこいつを装備した部隊を作り、できるだけの訓練をするつもりだ。

 それから、オークたちの残る問題は部隊編成と指揮官の養成だな。

 そっちはアスカに任せるつもりだ」


 アスカはうなずいた。

「私は基本的な槍の訓練を通して、指揮官の選抜をしようと思う。

 すまないが私の方にもジャヤを貸してほしいのだが……よろしいか?」


「ああ、構わんが……ジャヤの身体を二つに裂くわけにもいかんだろう。俺の長女も片言だが中原語が話せる。シバと言うんだが、彼女にも手伝わせよう。

 それで、ユニはどうするのだ?」

 話の行方を黙って見守っていたユニはにこりと笑う。


「私は薬師のハルマ婆ちゃんに処方を教える約束をしています。

 次の戦いも恐らく厳しいものになるでしょうから、傷薬や解熱剤が大量に必要です。

 オオカミたちにはゴブリンの本拠を探らせましょう。多少なりとも敵の状況が掴めるはずです。

 あとはまぁ……裏でこそこそと動くつもりです。どうかその辺のことには目を瞑ってください。オークの不利になるようなことはしませんから」


 ダウワースは苦笑した。

「本当か?

 アスカとゴードンは真っ直ぐで分かりやすいが、どうもお前だけは得体が知れないな……。

 だが、あのオオカミたちが役に立つことは確かだ。ヒュドラのこともまだ謎が多い。せいぜいうまく探ってくれ」


      *       *


 翌日、朝食の時間が終わると、王の呼びかけで村の広場には大勢のオークが集まっていた。

 その中には滑り坂の戦いに参加した兵士も多く、身体のあちこちにユニたちが奮闘した治療の痕が見える。

 ゴブリンに噛まれた傷に薬草を練り合わせた薬を塗り、その上から消炎効果のある葉っぱを貼り、さらに布を巻いて縛っているのだ。


 オークの国で使われる布は編布あんぎんと呼ばれるもので、織物ではなく編み物の一種である。

 弓弦と同様、麻やからむしの繊維が原料で、通気性がよく伸縮性もあるなかなかに優れたものなのだが、製造にはかなりの手間がかかり、布は貴重品とされていた。

 そのため、オークの国では包帯のような医療用を別にして、編布あんぎんはもっぱら装飾用として使われ、普段使いには革製品が多用されている。


 さて、広場の中央にはゴードンとアスカ、それに通訳のジャヤが、大勢のオークたちに囲まれて立っていた。

 彼らの五十メートルほど先、そして百メートル以上離れた村はずれには、それぞれ太い丸太が地面に撃ち込まれ、分厚い木の板が固定されていた。


 見物人が十分集まったと見たゴードンは、さっと手を挙げた。

 たちまちざわめいていたオークたちがしんと静まり返る。


「オークの民よ、集まってくれたことに感謝する。

 俺は先日の戦いを見て、ゴブリンどもを倒すには離れたところから攻撃する武器が必要だと思った。

 そこで、今日はかつて人間が使っていた武器と、その威力を見てもらいたい」

 ゴードンが大声で語った言葉を、ジャヤがよく通る澄んだ声で通訳する。


「その武器とはこれだ!」

 そういって、彼が頭上高く差し上げた手には、拳ほどの大きさの石が握られていた。

 『石? 石なのか……?』

 群衆からは疑念に満ちたどよめきが起こる。


「そうだ、石だ。どこにでも転がっていて、いくらでも拾える奴だ。

 オークの腕は長く、力は申し分ない。石を投げるのに向いていると俺は見た。

 だが、いかにオークでも、あの先にある的に石を当てて叩き割ることは難しいだろう。

 ――そこでこれを使う」


 ゴードンがもう片方の手を差し上げると、その手には昨日見た革紐が握られていた。

 オークたちはますます混乱したが、「あの人間は何をするのだろう」という好奇心が勝って、彼らはじっと次の行動を待っている。

 ゴードンは石を革紐の中央にある楕円形の革に載せ、包むようにしてぶら下げた。


 そして、やおら革紐をくるくると回し始める。十回も回しただろうか、彼は振りかぶりもせずに回す勢いのまま手を離し、石を射出した。

 革紐を手離すと石は遠心力で前方に飛んでいくという仕組みだ。革紐のもう一方の端は輪になっていて、手首に通しているため飛ぶのは石だけで、革紐は手もとに残る。


 ゴードンは気負わずに、ひょいと投げたように見えたが、飛び出した石は恐ろしい速度で真っ直ぐに飛んでいき、五十メートル先の的に見事命中した。

 それだけではない、的に激突した石は、三センチほどもある分厚い板を「ばきっ!」という派手な音をさせて叩き割っていたのだ。


      *       *


 ――それは投石紐スリングと呼ばれる、単純だが威力の高い武器である。

 人間は原始の時代からこれを使っていて、ロングボウやいしゆみといった強力な弓が発達する以前は、戦争の主力を担った兵器であった。

 その飛距離は熟練者になると四百メートルにも達し、ロングボウに劣らないものだ。


 オークは人間より腕が長く、石投げに向いた体型をしている。彼らの誰しもが、小さい頃には石を投げて遊び、鳥を落とそうと競った経験がある。

 だから、拳大の石を五十メートルも投げること、ましてや的に当てることの難しさを十分に理解していた。

 しかも分厚い板を割るほどの威力とは……彼らは目の前で起きたことが信じられずに呆然としていた。


 醒めやらぬどよめきの中、ゴードンは次に棒つきの道具を高く掲げてオークたちに見せた。

 一メートルほどの棒に、今投げたのと同じような投石紐がぶら下がっている。

 彼は足元からさっきよりもかなり大きな石を拾い上げ、それを革の石受けで包んだ。

 革紐は木に開けられた穴を通され、端に結び目がつくってある。ゴードンはもう片方の結び目のない端を棒の先の切れ目スリットにねじ込んだ。

 そのままなら重い石をぶら下げても大丈夫だが、瞬間的に強い力がかかると抜ける工夫である。


 今度は石を振り回すことなく、彼は二、三歩軽い助走をつけ、両手で握った棒を釣り竿で遠投するように肩越しに振り抜いた。

 切れ目に挟まれただけの革紐の端は、遠心力のついた石の重みに耐えられずにすっぽりと抜け、「ぶんっ」という物騒な音を立てて大きな石が飛び出していく。

 石はゆるい放物線を描いて飛んでいき、百メートル以上先の的に見事に命中し、板を叩き割った。


 これは〝スタッフ・スリング〟と呼ばれるもので、棒をつけることによって遠心力が増し両手が使えるので、飛距離も伸びる上、より重い石を飛ばすことができる。扱いが簡単で投石紐よりも覚えやすいという利点もあった。


「おー! よく一発で当たったな」

 ゴードンはふざけたように自分で感心している。

「うまいもんだ。どこで覚えたのだ?」

 アスカの感嘆は心からのものだ。ゴードンはにやりと笑う。


「なに、隊商の護衛をしていると、矢が尽きるなんてことは日常茶飯事だ。そんな時にこいつがあれば、岩石砂漠の一面に転がっている石がたちまち武器に変わる。

 嵩張らないから持ち歩きに不自由しない。この稼業で生き延びている連中なら大抵は持っているぜ。

 最初のスリングだって、あの遠い方の的まで楽々飛ばせるんだ。ただ、命中は難しいかな?

 だが五十メートル先の的なら、目を瞑ったって外さない自信があるぞ」


 そして彼はジャヤの方を振り向いた。

「こっからが大事なところだ。ジャヤちゃん、しっかり通訳してくれよ!」

 スリングの信じがたい飛距離と威力に声を失っている群衆に向かい、ゴードンは大声で叫んだ。


「こいつはオークでも簡単に作ることができる。実はもうお前たちの女衆が百本ほども作り上げている」

 彼は短く言葉を切り、ジャヤの通訳を待つ。彼女はこれまで以上に大きな声を張り上げてオーク語で訴えかける。


「威力は見てのとおりだ。これを使いこなしてくれ! もちろん俺が教えるが、難しいもんじゃない」


「百人のオークが一斉にこいつで石を飛ばしてみろ、相手はうじゃうじゃと固まっているゴブリンの群れだ。狙いなんかどうでもいい、向こうの方で勝手に当たってくれるぞ!」


「人間の俺でもこの威力だ。オークの力なら、ゴブリンの頭なんぞ卵の殻より簡単に叩き潰せるはずだ! 違うか?」


「石はそこら中に転がっているのを拾えばいい。弓矢のように残りの本数を気にしなくていいぞ!」


「こっちは無傷で、敵を殺し放題だぞ! オークの戦士たちよ、どうだ、やってみないか!」


 ジャヤの通訳が終わらないうちに、「おおおおおおーっ!」という叫び声が一斉に起こった。

 オークたちは、もう途中からゴードンが何を言おうとしているのかを理解していたのだ。


 ユニの横でその様子を眺めていたダウワース王はぼそりとつぶやいた。

「あいつ、乗せるの上手いな……」

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