密林の賢王 第十三話 数の力

「どういうことだ!」

 ダウワースが呻き声を上げた。

「これだけの数は……初めてなのですか?」

 ユニの問いに王がうなずく。

「ああ。今までは黄色いゴブリンがほとんどだった。

 普通のゴブリンが少数混じっていることもあったが……奴ら、ヒュドラが恐ろしくはないのか?」


「そうでもないようだ。彼らの配置を見てみろ」

 いつの間にか隣りに来ていたアスカが眼下の敵勢を指し示した。

「ヒュドラは黄色いゴブリンで完全に周りを囲まれている。余程あの黄色い染料が嫌なんだろうな、他のゴブリンを襲う気はないようだ。

 ゴブリンたちはこれまでの襲撃で、染料によるコントロールの安全性を確かめていたのだろうな。

 何にせよ、このタイミングで王が増援を出したのは幸運だった」


 ダウワースは呆れたような目で自分より背の高い鎧の女を見上げた。

「お前……あの数を見てもそんなことが言えるのか?

 どうやって戦えばいいか、俺には分からんぞ」

 アスカは笑って赤マントの上からオークの背中をバシバシ叩いた。


「上に立つ者がそんな弱気では兵が戦えない。王がしっかりしないでどうする!

 こちらは急坂の上にいるのだ。頑丈な柵だってある。

 彼らが登ってきても、一度に取りつけるのは二、三百がいいところだろう。

 オークとゴブリンでは体格差が圧倒的だ。オーク兵一人で二、三人のゴブリンを相手にできるのではないか?」


 アスカの冷静な言葉で、王はどうにか落ち着きを取り戻した。

「……な、なるほど。それもそうだな。

 では、俺はどう指示を出せばいい?」

 そう訊ねた王は顔を赤らめた。


「すまん、正直に言って俺は軍事については素人だ。

 部下たちに集団戦を指示したのも聞きかじりの知識で、これが正しいやり方かも分からん。オークは伝統的に一対一の力勝負の戦いしか知らないんだ。

 頼む! この場はお前に指揮を任せるから、思いどおりにしてくれ。俺が通訳して部下に言うことを聞かせよう」


 アスカは再び〝バン!〟と王の背中を叩く。

「卑屈になられぬな! 王は堂々として部下の働きを見てやることが仕事だぞ。

 だが、通訳はありがたいな。

 柵に取りついているオークたちには、槍を突き出してゴブリンを突き落とすことに専念させるんだ。その背後にも兵を置いて、柵を乗り越えてきたゴブリンを叩き殺せと伝えてくれ。

 細かい指示を出しても、いざ戦いとなれば吹っ飛ぶだろうからな。当面はそれだけ頭に叩き込んでくれれば問題ない」


 ダウワースは即座に周囲にいた伝令オークにアスカの指示を伝える。彼らは走り出し、柵の周囲で渋滞しているオークたちに前後の二手に分かれることと、それぞれの役割を伝えていく。

 われ先に柵の前に出ようと小競り合いをしていたオークたちは、その指示に「なるほど」といった顔で、混乱しながらもどうにか配置についた。


 ユニはそのドタバタを見ていたが、ぼそりと感想を洩らした。

「部隊編成と指揮官が必要ね……」

 アスカも大きくうなずく。

「ああ、だが今はこのままやるしかないだろう。

 ダウワース王、ヒュドラはこの坂を登れるのか?」


「分からん。だが、これくらいの段差なら登りそうな気がするな。

 ヒュドラにはどう対処する? あれは近づくだけでも危険だぞ」

「柵は……役には立ちそうもないな」

「そのとおりだ。これまでもあの巨体で散々破られている」


 アスカは王の肩をぽんぽんと叩いた。その顔には笑顔が浮かんでいる。

「ヒュドラは私が止める。……どうも私にはそういう役目が回ってくる定めらしい。

 オークたちにはゴブリンに専念するよう伝えてくれ」


      *       *


 段差の上に設けられた柵は百メートル近く続いていた。この区間だけは急坂だが登ることが可能で、それ以外ではほぼ垂直の崖になっている。

 およそ五メートルの段差があるので、オークの国に侵入するにはこの滑り坂を突破するしかなかった。


 アスカとゴードンは二手に分かれて、オークたちの隊列や構えを直し、互いの役割や戦法について念を押していった。

 アスカにはジャヤが、ゴードンにはダウワースが通訳として付いていた。

 そうしている間にもゴブリンの軍勢は着々と近づきつつあり、もう百メートルほどに迫っていて、耳障りな叫び声がはっきり聞こえるようになっていた。


 ユニは手持無沙汰だった。オークの指揮はアスカたちに任せておけばよく、今のところ彼女にできることはないのだ。

『閑そうじゃないか?』

 彼女の横にのっそりとライガが寄り添った。

「この坂以外は崖になっているのよね、あんたたち降りられる?」

 ライガの鼻面に皺が寄った。


『馬鹿にするな! このくらい屁でもない……だが、登る方はちょっと厳しいかな』

 ユニは満足そうにうなずく。

「いいのよ、降りられれば上等だわ。

 あたしたちの役目は一つ、奇襲をかけて奴らの横っ腹を噛み破る!

 どこから攻めるかは戦況を見なければ分からないから、あんたたちもちょっと休んでいて。

 戦いになったら大忙しよ。あの数を見た? 獲物には事欠かないわね」

『違いない。せいぜい楽しみにしているぞ……』


 ライガはその場で腰をおろした。

 ひっきりなしに駆け回る伝令オークが、恐々とオオカミを避けて通るのが滑稽だった。

「さあ、そろそろ敵さんのお出ましよ!」


 ユニの声が聞こえたわけではあるまいが、坂の下にびっしりと密集したゴブリンたちが一斉にときの声をあげた。

 上で待ち受けるオークたちも負けじと怒号をあげる。

 オークの迫力ある低く太い叫びに対し、ゴブリンたちの声は子どものように甲高く、耳にキンキンと響いた。


 たちまちゴブリンの軍勢が坂に取りついて登り始めた。彼らの手には短い石斧や石のナイフが握られている。

 滑り坂はその名のとおり、距離は短いが傾斜が急で滑りやすい。しかもオーク女たちが斜面に植えたニラの葉のせいで、余計ずるずると足が流れてしまう。

 冬のためニラの葉の多くは枯れて腐っていた。その葉を踏むと簡単に潰れ、どろりとした粘液が出るため、ゴブリンたちは面白いように滑り落ちていった。

 上からそれを見ているオークたちは、馬鹿にしたように笑って囃したてる。


 しかし、やがてゴブリンたちは斜面を登るこつを掴んできた。

 斜面に石刃を突き立てるのと同様に、手足の尖った爪を土に突っ込むようにして、わらわらと登り始めたのだ。

 あっという間に無数のゴブリンが斜面を登り切り、防柵に殺到した。

 待ち構えていたオークたちは、すかさず柵の丸太の隙間から木槍を突き出す。

 金属や石器の刃は付いていないものの、先を削って鋭く尖らせた槍をオークの馬鹿力で思い切り突き出すのである。

 たちまちゴブリンは腹を刺され、喉を突き通され、眼球を潰され、赤黒い血と甲高い絶叫を残して斜面を転がり落ちていく。


 転落するゴブリンは続々と登ってくる仲間を巻き添えにして下まで転がっていった。

 何か所かで始まったこの光景は、あっという間に防柵全体に広がり、一方的な殺戮が延々と繰り広げられた。

 何十人という敵をほふったオークの槍先には、ゴブリンの黄色い脂肪や臓物がべっとりと付着し、尖った槍先は折れて簡単に刺さらなくなってきた。


 敵があまりに多すぎるのだ。槍は単なる棒と化し、ただゴブリンを突き落とすだけの道具になった。

 落とされたゴブリンは打撲だけで致命傷を負っていない。下まで転げ落ちることなく、途中で踏み止まって再び登ってきた。


 オークたちの奮戦を嘲笑うように、防柵に取りつくゴブリンの数は増えていき、とうとう柵を乗り越える者が出てきた。

 しかし、その前にはオークの後衛が横列を敷いて待ち構えている。


 オークたちは力に任せて槍を振るい、小さな敵を突き刺し、頭蓋を叩き割り、手足を折った。

 虐殺の場は柵の内側にまで広がり、血と臓物と脳漿が地面にぶちまけられ、赤土は血を吸って泥濘ぬかるみと化した。


      *       *


 わずか十五分ほどで数百人の仲間が惨殺されたはずなのに、不思議なことに彼らはまったくひるむことなく襲いかかってきた。

 ゴブリンは弱いがゆえに、本来臆病な生物なのだ。敵わないと見るとすぐに逃げ出すのが本性である。


 ただ、それは一人の時の話だ。

 彼らは大きな集団になればなるほど性格を一変させる。数が彼らを獰猛にし、死を恐れずに戦いへ駆り立てる。

『他の奴らは死ぬだろうが、俺だけは死なない!』

 群れをつくると、そんな何ら根拠のない思い込みが生まれるらしい。


 しばらくすると戦いの様相が変わってきた。

 柵を乗り越えるゴブリンの数が徐々に増え、後衛のオークとの戦いが熾烈になってきたのだ。

 さらに、ゴブリンたちは最前線で槍を突き出しているオークたちにも襲いかかった。


 柵に拠って敵を突き落としていたオークたちは疲労していた。数えるのも嫌になるくらい突きを繰り返し、膂力と持久力に優れた彼らにも疲労が蓄積してきたのだ。

 腕がだるく鉛のように重い。だが、オークたちは歯を食いしばってゴブリンどもに立ち向かっていた。


 そんなオークの状況を見破ったかのように、ゴブリンたちは一人のオークに狙いを定めて一斉に襲いかかった。

 ゴブリンの身長は百二十センチ前後、百八十前後のオークとでは大人と子どもほども体格が違う。

 しかし、示し合わせたように群がったゴブリンたちは、オークの手、足、胴にしがみつき、身体によじ登り、巨体を覆い尽くしてその自由を奪う。

 取り付いたゴブリンは手にしていた石の武器を捨て、オークの半裸の肉体に爪を立て、乱杭歯で齧りついた。


 ゴブリンは人間よりも非力だ。だが、彼らにも一つだけ強い部分があった。

 顎の力である。

 喰うことにとことん貪欲なゴブリンは、どんな固いもので噛み砕けるように、そして一度噛みついたら決して離さないように、気の遠くなるような年月をかけて強靭な顎の力を獲得していたのだ。


 その彼らが、オークの分厚い皮膚に容赦なく歯をたてる。

 そして、ほんのわずかだが肉を食いちぎる。たちまちピンク色の肉が露出し、一瞬遅れて鮮血が溢れ出てくる。


 ゴブリンはオークから噛みちぎった肉を、ろくに咀嚼もせずに飲み込んだ。

 わずかな生肉が喉を通ったことで、戦いの興奮で忘れていた強烈な飢餓感が爆発的に蘇る。

 ゴブリンの視界が充血して赤く染まり、彼らは我を忘れて血を啜り、肉に食らいついた。


 初めは子どもの拳ほどだった傷口が徐々に広がり、深くなっていく。

 黄色い皮下脂肪も、白い筋も、赤い筋肉も、脈打つ血管も、何もかも顔を突っ込んで食い破る。

 ゴブリンに取りつかれたオークは、苦悶の叫びをあげてのたうち回り、周囲の仲間が慌てて助けようとするが、取り付いている数が多すぎてどうにもならない。


 何とか一人のゴブリンを殴り飛ばし踏みつけて殺してみたが、ぐちゃぐちゃに踏みつぶされて首が千切れても、ゴブリンの歯はオークに食い込んだまま離れなかった。

 身体中をずたずたに食い破られ、血だるまになったオークが絶命すると、ゴブリンたちは次のオークに殺到する。


 オークたちが泣き喚きながら槍を突き立て、仲間に群がるゴブリンを二人、三人と突き殺しても、その間に五人、十人のゴブリンが襲いかかってくるのだ。

 ついさっきまではゴブリンの屠殺場だった防柵の周囲は、いつの間にかオークの処刑場へと変わり果てていたのである。


 そして、誰も気づかないうちにユニの姿はその場から消え失せていた。


      *       *


 オークとゴブリンが死闘を演じていた一方で、ヒュドラは悠々とその巨体を前に進めていた。

 前へ進むしかないように、周囲を黄色く染めたゴブリンが取り囲んでいる。

 三本の太い首の先には、龍よりもトカゲに似た頭部がついているが、黄色いゴブリンが棒でつついて追い立てるとひどく嫌がっていた。

 棒の先には、何か毛皮のようなものが巻きつけてあり、それに黄色い液体をたっぷりと染み込ませているらしい。


 ヒュドラは坂の下まで達すると、ゆっくりと登り始める。

 彼の体長は十メートルほどだが、尻尾が長いので胴体部分に限れば五メートルほどだ。それでも十分な巨体であった。


 太く短い足には水かきのついた指から長い鉤爪が生えており、それをかっちりと斜面に喰い込ませ、案外器用に登っていく。

 何度か斜面の赤土ごと滑り落ちはしたが、じわじわと時間をかけて登り続け、どうにか坂の上に姿を現した。


 ヒュドラは盛んに三本の首を振り回し、しゅーしゅーと毒の息を吐き出している。

 黄色い小鬼たちに追い回され、大嫌いな乾いた地面を長時間歩かされただけでも腹が立つのに、今また難儀をして坂を登らねばならなかった。


 彼の機嫌は最悪であった。水分が足りずに鱗が乾いてひりひりとするだけに、余計腹が立った。

 忌々しい黄色い染料さえなければ、うるさいゴブリンどもなどひと呑みにしていたはずだ。


 ――だがまぁ、ゴブリンどもに使われるのは悪いことばかりでなかった。

 オークという食いごたえのある餌にありつけたからだ。

 ヒュドラの住む沼地に迷う込む獲物は少ない。週に一、二度捕えられれば御の字である。それ以外は、腹の足しにならない沼の魚を飲み込む以外、彼の腹には何も入らない。

 オークの肉は決して旨いものではなかったが、少なくとも量だけなら満足できた。


 今日も「やれやれ」という目に遭ったが、途中の防柵でオークを丸呑みにできた。まだ腹には余裕がある。もう一、二頭喰うのも悪くない。

 ヒュドラは鱗に覆われた顎から涎を垂らしながらも、どうにか坂をよじ登ったのだ。


 その彼を待ち構えていたのは、いつものオークとは違う、金属の鎧をまとい、盾を構え、剣を抜いた敵の姿だった。横幅はないが、背丈だけはオークよりも高い。

『これは……喰えるのか?』


 ヒュドラは三つの頭を傾げた。

『あの鎧から中身を出して食べるにはどうしたらよいのだろう?』

 怪物はその難問をどう解決したものか、考え込んでいた。


 しかし、せっかちなことに鎧の人物はヒュドラが結論を出さないうちに盾を構えて向かってきた。

『仕方がない、まずは毒で殺してからゆっくりと考えよう。

 少し細いが、オークよりは臭くない。喰ったら旨いかもしれない……』


 ヒュドラは短い脚でがっちりと地面を踏みしめると、命知らずの敵を迎え撃った。

 まず、中央の首が巨大な口を開いて正面から敵に襲いかかる。

 その攻撃は、相手の盾にあっさりと阻まれた。鋭い牙は空しく空を切ったが、巨体を利した体当たりに相手が耐えられるはずがない。


 案の定、鎧の敵は弾き飛ばされ大きく後退したが、倒れはしなかった。このひょろっとした(ヒュドラの目にはそう見えた)奴のどこにそんな力があるのか――怪物は三つの頭を驚きと疑念でいっぱいにした。

 大体、さっきから周囲に毒を撒き散らしているのに、どうしてこの鎧の敵は動いているののだろう?


 ヒュドラは再び毒の牙で襲いかかる。最初の攻撃と同じように盾で止められることは承知の上だ。

 だが、敵は受け止めるのに全力を搾り出しているだろう。その隙に右の首が、がら空きのわき腹に襲いかかる。

 同時に、左の首が上から襲いかかり、兜ごと丸齧りにして毒息で窒息させようとした。


 しかし敵は慌てることなく、片手で盾を持ったまま、もう一方の手で剣を振るった。

 瞬間、焼け火箸を押し付けられたような痛みが走り、ヒュドラは思わず後ずさった。

『何だ! 何が起きたんだ?』

 理解できぬまま、痛みを感じている左の首を、残る二本の首で凝視する。


 ヒュドラが見たものは、太い首にざっくりと開いた傷口だった。

 金属光沢を放つ鱗が折り重なり、絶対の防御を誇っていた身体が、あろうことか切り裂かれている。

 深手を負った傷口からは、青黒い血液があふれ出し、その血に含まれる毒と鱗が反応して、青白い水蒸気をあげていた。


 ヒュドラは怒り狂い、傷ついた首を闇雲に振り回した。

 傷口から吹き出る血液が飛び散り、敵の鎧兜にびしゃりと青い汚れをつける。

 「ジュッ!」という音とともに蒸気があがるが、毒は表面をわずかに侵したのみで、穴を開けるほどの腐食は起きなかった。

 ただ、もうもうと上がる蒸気は猛毒であり、その空気を吸い込んだ中の人物が無事に済むはずがない。


 しかし、期待するヒュドラを嘲笑うように、鎧の人物はずかずかと迫って再び剣を振り上げた。

 「ひゅん!」と風切り音が響き、銀色の軌跡を残して長剣が舞う。

 ヒュドラが強靭な顎と鋭い牙で剣を受け止められたのは、偶然――何なら僥倖と言ってよかった。


 怪物は全力を込めて首を振り、口に咥えた剣を折ろうとした。

 しかし、それはびくともしなかった。剣を握る敵の力は恐ろしいほどで、踏ん張る両足は微動だにしない。


 結局、ヒュドラは剣を折るどころか、敵の手から奪い取ることさえ叶わなかった。

 怪物の体力なら、首を振り回せば敵を剣ごと吹っ飛ばせるだろうが、同時に咥えた刀身にとんでもない力がかかり、自慢の牙ごと舌まで切断される――怪物はそう直感したのだ。


『やばいやばいやばい! こいつは――いや、こいつもやばいが、この剣は普通じゃない! 何か邪悪なまじないがかかっているに違いない!

 なぜこんなものをオークが持っている? いや、この鎧の中身はそもそもオークなのか?

 まさかエルフ? いや、人間か! だが、こんなでかい人間がいるのか?

 ええいっ! とにかくここにいたらヤバいことだけは間違いない!』


 ヒュドラは巨体に似合わぬ素早さで剣を吐き出し、そのまま後方へ飛び下がった。

 周囲にいたはずの黄色い小鬼など知ったこっちゃない。

 十メートルの巨体がゴブリンを弾き飛ばし、大きくジャンプした先は斜面の上空であった。

 ヒュドラは急斜面を転落し、哀れなゴブリンどもを巻き添えにしながらごろごろと転がり落ちていった。

 決して勝てない敵ではないが、あの異常な剣は不気味だった。彼が撤退を選んだのは、恐らく正しい判断だったろう。


 残された黄色いゴブリンたちは一瞬顔を見合わせたが、脱兎のように逃げ出して斜面を滑り降りていく。

 ヒュドラが好き勝手に動けないよう壁役となる彼らは、逃げ出したヒュドラが仲間のゴブリンを襲わないよう止めなくてはならないのだ。

 もちろん、坂の下には万一に備えてまだ百人近い黄色ゴブリンが待機している。

 それほど焦って後を追う必要はないはずだった。


 しかし、黄色ゴブリンたちは坂を滑り降りながら、その先であり得ない光景を見た。坂の下には、黄色ゴブリンたちの無数の死体が散乱していたのである。

 何が起きているのか理解できないまま、彼らは急斜面に足を取られて次々に転倒し、加速度をつけて転がり落ちた結果、もの凄い勢いで地面に叩きつけられて気を失った。

 その多くは、二度と目を覚ますことがなかった。

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