密林の賢王 第十二話 滑り坂

 ユニが宿舎に駆け戻ると、ちょうどアスカが革鎧と服を脱ぎ棄て、プレートアーマーを装着しているところだった。

 ゴードンがそれを手伝っているが、アスカが長袖・長ズボンの肌着のような鎧下しか身につけていないので、赤くした顔を背けながら手探りで金具を止めている。

 別にアスカの肌が露出しているわけではないのだが、ぴったりとして身体の線が丸わかりなのが見ていられないらしい。


 アスカは全く気にしていないのだが、ゴードンの気持ちも分からないでもない。

 肌着姿の彼女は、控えめな胸の膨らみにつんと立った乳首ばかりでなく、全身にまとった筋肉の盛り上がり、ぼこぼこに割れた腹筋までがはっきりと見てとれるのだ。


 傍らで見守っているジャヤも、惚れぼれとした表情でその肉体美を眺めている。

「まぁまぁ! ……アスカさま、見事なお身体ですわ。

 これで……もっと太っていたら、オークの男だって放っておきませんよ」


 上半身用の鎧を装着しながらアスカは苦笑した。

「オークの求婚者というのも悪くないが、遠慮しておくよ」

 すかさずゴードンが肩の留め具を下ろして、アスカの胸が隠れたことで露骨にほっとした表情になった。


 ジャヤはまだ上気した顔でぼおっとしている。

「でも、アスカさまは人間で、しかも女性だというのに……何だか胸がどきどきしてしまいますわ!

 私、おかしいのでしょうか?」


 ユニはにやにやしながらそのやりとりを聞いていたが、手は忙しく動いている。

 ナガサ(山刀)の柄に棒を差し込み固定する作業をしていたのだ。

「別にジャヤはおかしくないわよ。

 アスカにはね、山ほど女の子のファンがいるのよ。

 このの住む蒼城市じゃね、女同士の理想のカップルの一人だって有名なんだから」


 ジャヤは驚きのあまり顔を手で覆う。頬は真っ赤だが、瞳にはきらきらした光が宿っている。

「まっ、まあっ! アスカさまはそのっ、――そういうご趣味の方だったんですね!」


「ゴトっ」

 鈍い音が響いた、固まってしまったゴードンの手から、アスカの兜が滑り落ちた音だった。

「そっ、そうなのか? そそそそそそ、それはまぁ、趣味嗜好は人それぞれだからなっ、うん。おおおおおおおお、俺は全然きききき、気にしないぞ……!」


 ユニは『おーおー、動揺してるわ』とほくそ笑みながら、ゴードンをさらに追い詰めようと企てたが、アスカの拳骨が「ゴツン」と落ちてきた。

「こらユニ! 誤解を招くようなことを口走るな。

 心配するなジャヤ。私はノーマルだ! ――って……何でゴードンが動揺してるのだ?」


 ユニは叩かれた頭をさすりながら(軽い拳骨でも、アスカの力だと結構痛い)話を逸らすことにした。アスカのような朴念仁には百年経ってもゴードンの気持ちなど分かるまい。

「そうだジャヤ! ダウワース王からあなたに聞くように言われたんだけど、〝滑り坂〟ってどの辺りか分かる?

 王はそこで敵を迎え撃つつもりらしいの」


 オーク娘の顔がさっと曇った。

「この村から北北東、八キロほどの所です。この一帯には五メートルほどの段差が走っていて傾斜のきつい坂になっていますから、守るにはいい場所ですね。

 確か坂を上がり切ったところに防柵を巡らせているはずです。

 ――でも、そんな近いところまで攻め入られていたのですか……」


 ユニは頭の中でライガに呼びかける。

「ライガ、今の話は聞こえた? 場所の見当はつくかしら」

 オオカミからは即座に答えが返ってくる。

『ああ、大体の場所は分かる。

 問題は道だな。この森は細い獣道がやたらに走っているんだ。どこを通るのが近道か、分かると助かるんだが』


 ユニは振り返ってジャヤに訊ねる。

「村からの道を説明できるかしら?

 私たちはオオカミに乗っていくつもりなの」


 オーク王の末娘は、ぱっと明るい顔になった。

「分かりました! それならいい考えがあります……」


      *       *


 ものの十分ほどでユニたちは支度を終え、宿舎から外へ出た。

 村の広場ではすでに木槍を手にしたオークたちが百人ほども集合していた。

 その輪の中には赤いマントを翻したダウワース王がいて、部下に忙しく指示を出している。


 ユニたち――特に鈍い銀色に輝くプレートアーマーを装着したアスカが近づくと、威圧感のある彼女の姿にぎょっとしたオークたちが一斉に振り返った。

 王もすぐに三人に気づき、声をかけてきた。

「おお、準備ができたか。

 俺たちは滑り坂の柵まで走る。半時余りで着けるはずだ。

 だが――お前たち人間では密林を走り続けるのは無理だろう。どうするつもりだ?」


 ユニはオークの輪の外から声を張り上げて答える。

「私たちはオオカミに乗っていきます。

 これから村に彼らを入れますから、皆さんに驚かないよう伝えてください!」


 王はうなずき、オーク語でユニの言葉を伝えてくれた。

 その説明が終わるのを待っていたようにオオカミたちの群れが村の外縁の森から飛び出し、あっという間にユニたちの近くまで駆け寄ってきた。


 改めて見てみると、でかい。一番大きなライガは三メートルを超す巨体で、二番手のハヤトもライガには若干劣るが三メートルクラスだ。一番小柄なジェシカとシェンカでさえ、体長だけならオークといい勝負になる。


 オークたちは王に注意されたばかりだというのに、その化け物じみたオオカミを眼前にして一瞬恐慌状態になった。

 戦士たちを見送りに来ていた女、子どもは悲鳴を上げて逃げていった。


 ライガとハヤトは鞍を着けたままだった(というより、オオカミは自分で鞍を外せない)。

 全身鎧で背中に盾まで背負ったアスカがライガに跨り、ゴードンがハヤトに騎乗する。両者ともいかにも重量のあるずっしりとした腰の下ろし方なのに、二頭のオオカミは表情をまったく変えなかった。

 ユニは短槍仕様にしたナガサと背嚢を背負っただけの身軽な姿でトキに飛び乗った。オオカミの騎乗に慣れた彼女は絶対に鞍は使わない。プライドを傷つけられるのか、彼らがひどく嫌がるせいである。


 オークたちが恐々と遠巻きにしている中で、ダウワースが大声で呼びかけてくる。

「ははは、でかいとは聞いていたが想像以上だな!

 滑り坂までの道は、娘に聞いたか?」

 ユニはにこりと笑った。

「王は良い娘ごをお持ちだな!」


 彼女はそう答えると「ライガ!」と呼びかけた。

 オオカミが応えるように短く吠えると、八頭の群れは一斉に走り出し、あっという間に森の中に姿を消してしまった。

 王とオークたちは感心したようにそれを見送った。あれなら自分たちより先に〝滑り坂〟に着きそうだ……。

 そう思った途端、王はあることに気づいて伝令役のオークの方を振り返った。


「おい、警戒に出ていた連中は防柵に集結しているはずだな?」

「ええ、もちろんです」

「あいつらはユニたちのことを知っているのか?」

「いえ、前の班と交代しに村を出たのが四日前ですから、知らないはずですが……」


「人間たちはオーク語が話せないのに……大丈夫なのか?」


      *       *


 森の中に入ったユニとオオカミたちは、百メートルも進まないうちにぴたりと止まった。

 ユニが跨るトキの首筋の毛が逆立ち、低い唸り声が洩れている。

 オオカミたちは姿勢を低くして警戒の態勢をとる。彼らの鋭敏な嗅覚は、行く手を遮る者の存在を察知したのだ。――それもお馴染みの臭いだ。


 ユニが「ぽんぽん」とトキの首筋を叩いてなだめる。

「みんな、警戒を解いて。敵じゃないわ」

 そして、行く手の茂みに向かって呼びかけた。

「怖がらなくていいのよ。噛みつきゃしないから……ね?」


 ユニの声に応じるように、茂みをがさごそ掻き分けて大きな人影が現れる――それは王の娘、ジャヤだった。

「……ほ、ホントに噛まない?」

 震えた声で恐々と出てきたジャヤに対し、ユニは容赦がない。

「ホントに噛みません! さっ、いい子だから乗ってちょうだい」

 そう言って、彼女自身はさっさとトキの背から降りてしまう。


 ジャヤは躊躇ためらいながらも、ユニの助けを借りてどうにかトキに跨った。

「そう、膝でオオカミの胴体を挟み込むようにすれば下半身が安定するわ。

 両手は首のあたりの毛を掴んで。頼むから毛をむしらないでね。

 最初はゆっくり進ませるから、すぐに乗り方は慣れると思うわ」


 もともとアスカとゴードンのことしか考えていないので余分の鞍はない。だが、ユニはジャヤが若いだけに勘がよさそうだと見ていた。

 むしろ憐れなのはオークに跨られているトキの方だった。

 彼の耳はぺたりと後ろに倒れ、尻尾は股の間に下がっていて、明らかに嫌そうな顔をしている。

 ジャヤはユニの倍近い体重があったが、トキにはそれほどの負担ではない。これまで敵として戦い続けてきたオークの臭いが、自分の直上から匂ってくるのが我慢ならないのだ。


 ユニはそんなトキの鼻面をぴしゃりと叩く。

「まー、あたしも最初は身体が言うこと聞かなかったから偉そうに言えないけど、慣れてちょうだい。

 これから密林オークとは一緒に戦うことになるんだからね!」

 トキは情けない顔で鼻をピスピス鳴らしながらも、オークの騎乗をどうにか受け入れた。


 ユニは少しほっとした。

『おとなしいトキでよかったわ。これがハヤトだったら大騒ぎしたでしょうね』

 そう思いながら、彼女はヨミに乗り換えた。


      *       *


 宿舎でユニが滑り坂への道を訊ねた時、ジャヤは「それなら、私が案内します!」と申し出たのだ。

 ユニは驚いたが、同時に首を傾げた。

「ですが、ダウワース王がお許しにはならないでしょう?」


 オークの娘はユニの懸念を一笑に付した。

「黙っていればよいのです。向こうに着いてしまえば、父にはどうにもできませんもの。

 私は村の外の森で待っていますから、皆さんがオオカミさんと一緒に村を出たら合流しましょう。

 道案内も大事ですが、柵には警戒に当たっていた者たちが集まっているはずです。彼らは皆さんのことを知りませんから、通訳がいないと困るのではありませんか?」


 ジャヤの言うことはもっともだったが、ユニにはまだ躊躇いがあった。

「私たちはオオカミに乗っていけるけど、あなたはどうするの?」

「走ります」

 娘はあっさりと答えた。

「私は足が速いんです。滑り坂まで走りとおすなんて朝飯前、男なんかに負けません」


 ユニは少し悩んだが、ジャヤの提案を受け入れることにした。

 戦いになれば、どんな不測の事態が起きるか分からない。王は最高指揮官ということになるのだから、自分たちだけに構っていられないだろう。

 だとすれば、ジャヤが通訳としてついてくれるのは大助かりだ。


「分かったわ。ただし、あなたにもオオカミに乗ってもらいます。

 それが条件よ」

「私がオオカミさんに乗るんですか? ……ええっ、分かりました。

 がっ、頑張るわ!」


      *       *


 ユニが予想したとおり、ジャヤはすぐにオオカミの乗り方に慣れてくれた。鞍をつけたアスカやゴードンよりも上手いくらいだった。

 そうなるとオオカミたちの進む速度が俄然上がる。


 オークの娘を乗せたトキが先頭になり、その横にユニを乗せたヨミがぴったりと並走した。

 ジャヤが進む道を示すと、それがユニを通して群れのオオカミ全員に伝わるので、彼らはほとんど止まることなく疾走を続けた。


 ユニたちが滑り坂の防柵に着いたのは、村を出て半時も経たないうちだった。

 坂の上には丸太を粗く組んだ柵が延々と続き、その前に槍を手にした三十人ほどのオークが警戒していた。

 その背後の森から突然巨大なオオカミの群れが飛び出てきたものだから、彼らは驚きながら一斉に槍を向けてきた。

 しかし、即座にジャヤがトキから飛び降り、彼らの前に立って事情を説明してくれた。


 オークたちの表情から疑いは消えなかったが、どうにか納得はしてくれたようだった。

 それよりも、彼らにとって王の娘である(しかもオークの間では〝美少女〟として名高い)ジャヤがこの場に現れたことの方が、より大きな衝撃だった。

 オークの女は数が少ない(全人口の二割程度)だけに、女が戦場に出るなど言語道断だったのだ。戸惑いながらも彼らの対応は丁重なものとなった。


 オークたちはジャヤの口から王が自ら部隊を率いてこちらに向かっていることを聞いて、大いに喜んだ。

 敵の接近を確認したのは、ここよりもずっと先の樹上の見張りで、彼らはすでに柵の内側に避難してきている。

 木の生い茂る森の中を進む敵は確認できたが、樹上からではその数までは分からない。ただ、これまでよりだいぶ多そうだということだった。


「ゴブリンの数はいつもどのくらいなのかしら?」

 ユニはジャヤに通訳してもらいながら、部隊の責任者らしいオークに訊ねた。

 彼(ゴアと名乗った)の話によると、黄色ゴブリンの数は百人から多くて二百人の間で一定せず、ヒュドラは常に一頭だけだという。


 ユニは部隊長の了解を得て柵の外に出て、下を見下ろしてみた。

 この段差は地震があった時にできた断層のように思えた。きつい斜面には木が生えておらず、びっしりと草で覆われている。

 ほとんどが淡い褐色に枯れているが、青い葉もところどころ残っていて、あたりには何とも言えない悪臭が漂っている。


「これは……ニラですか?」

 ユニの質問に、部隊長に代わってジャヤが感心したように答える。

「私たちオーク女が植えたものなんですが……よくお分かりですね」

「そりゃあ、よく食べるもの。分かるわよ」

「えっ、人間はこの草を食べるんですか! だって臭いですよ? 私たちは〝屁糞草〟と呼んでいますのに……」


 どうもオークと食べ物の話は噛み合わない。オークに〝臭い〟と言われてはニラが気の毒である。

「食べないのなら、どうしてわざわざ植えたの?」

 ジャヤが困ったように振り返ったので、部隊長が少し嬉しそうに説明してくれた。

 この斜面はその名のとおり、赤土が剥き出しとなっていて滑りやすかったそうだ。敵を防ぐには都合がよかったので、さらに登りづらくするためにニラを植えたのだという。


「ヒュドラはこの坂を登れると思いますか?」

 ユニはゴアに訊ねたが、彼は首を横に振るだけだった。

「分からない。ここまで攻め込まれたのは初めてなんだ……。

 この先五キロくらいの間には、柵を備えた二つの警戒線があったが、あっさりとヒュドラに圧し潰された。

 そこでもう仲間が五人やられた。俺たちは相手の規模も掴めぬまま、ここまで追い込まれた。どうも今回は、いつもの小競り合いとは違う感じがする」


 不安そうに語っていたオークの表情が、突然明るくなった。王が率いる増援部隊が到着したのだ。

 兵士の数は村で見た時よりも増えていて、ざっと見ただけでも二百人はいそうだった。

 ダウワース王は赤いマントを風になびかせながら、部隊長の方に歩み寄る。

 ところがそこに娘のジャヤがいることに気づき、飛び上がらんばかりに驚いた。

「ジャヤ! なんだってお前がこんなところにいるんだ?」


 娘はしおらしく謝るどころか一気にまくしたてる。

「何をおっしゃいます!

 父さまこそ、ユニさまたちを通訳なしでここに来させるつもりだったのですか!

 でも、その話は後にしましょう。まずは兵を配置につける方が先決です。ゴアの話では、もう間もなくオークたちが現れるそうです。

 それに、今回の敵はいつもと様子が違うとか。私と話している暇はありません、早急に軍議を開かねば!」


 正論を振りかざす娘に父は勝てない。「女という奴はどうしてこう……」ダウワースはぶつぶつ言いながらも従わざるを得ない。

 だが、ぐずぐずしている余裕がないのは娘に言われるまでもない。彼はさっそく主だった者たちと現場を知るゴアを交え、話し合いを始めた。まずは状況を確認、そして対応について意志の統一を図る必要があった。


 ユニの方も、アスカとゴードンとで今回の対応を協議した。なぜか当然の顔をしてジャヤが混じっている。

「今回のオーク側の兵力はかなり多いらしい。

 ジャヤ、オークの最大動員数はどのくらいなんだ?」

 アスカもそこにジャヤがいることが当然のような顔をして訊ねる。


「非常時は別ですけど、まず五百人といったところです」

 娘の答えにアスカがうなずく。

「ならば……ほぼ半数か。全力出撃に近いな」

 全兵力を一度に出撃させることはあり得ない。そこで敗れれば即、国の滅亡につながるからだ。半数を出したのは、オークにとってはかなりの決断だったろう。


「王からの要請は私とゴードンがオーク兵を訓練し、これを指揮して戦うことだったが、今日のところは何もできない。まずは敵味方の実力を見させてもらう――ということでいいな?」

 ユニもゴードンも黙ってうなずく。アスカは階級こそ大佐とはいえ、連隊長の地位にある実質的な将軍だ。

 二人とも軍事面のことは、正規の軍人である彼女に任せるべきだと考えていた。


「これまでゴブリンは多くても二百人程度だという話だ。今回のオーク軍はそれを上回っている。大丈夫だと思うが、万が一危うくなったら介入しよう。

 ゴードンは王とジャヤの直衛を頼む。ユニはオオカミたちを率いて奇襲をかけてくれ」

 二人はうなずいて、当然のように「で、アスカは?」と訊く。


「私はヒュドラを止める」

 ジャヤが小さな悲鳴を上げたが、アスカの口調は淡々として少しの気負いも悲壮感もなかった。

 ゴードンも心配そうだった。

「だが、お前の武器はその長剣だけだろう。

 ヒュドラは毒を吐くというし、距離の取れる俺のハルバートの方がよくないか?」


 アスカはかぶりを振った。

「いや、恐らくハルバートでは歯が立つまい。

 私は以前にヒュドラを遣う召喚士と会ったことがある。今回の敵がそれと同種か分からないが、少なくともその幻獣には剣も鎗も矢も通用しなかった」

「だったら、お前の長剣だって同じことだろう?」


 アスカは黙ってすらりと剣を抜いた。わずかに青白い光を放つ幅広の長剣には傷一つなく、見つめるだけで鳥肌が立ち、陰嚢が縮み上がるような迫力があった。

 彼女はちらりとユニの方を見る。『ゴードンに説明してやってくれ』とその目が語っていた。

 ユニは少し困った顔で溜め息をついた。


「他言しないでほしいんだけど、この剣はその……〝宝剣〟なのよ」

「そうなのか? 確かに高そうな剣だが……宝石とかの飾りはないぞ」

「違うわ。その宝剣じゃなくて、伝説上の剣って意味よ。

 これ、ミスリルを溶かし込んで造った剣なの。元になったミスリルの短剣はエルフの魔法が込められたものでね、それをドワーフが人間に龍を討たせるため長剣に鍛え直したものなのよ。

 だから龍の鱗を貫くことができるの。まして劣化版のヒュドラなら、たやすく切り裂けるでしょうね」


 ゴードンは絶句した。

「まさか……いや、そんな宝剣を王族でもない軍人が何で持っているんだよ!」

「そこは聞かないで。いろいろと事情があるの。

 ついでに言えば、盾も鎧もミスリル合金の魔法具よ。

 前に帝国の魔導士が放ったファイアボールの直撃を受けても平気だったわ。少しでも吸ったら気道が焼け爛れるような熱気も遮断したから、ヒュドラの毒息も防ぐでしょうね」


「そういうことだ」

 アスカは静かに言って剣を鞘に戻した。

 金属武器を間近で見たことがなかったジャヤが安堵の息をついたので、アスカは「怖がらせたか? 済まなかった」と言って彼女の頭を撫でた。


 ユニたちは作戦が決まると、軍議を済ませた王のもとに行って自分たちの方針を伝えた。

「それでいいだろう。

 ただ、手助けは不要だろうな――いつもの逆だ。今回はこっちが数で圧倒する」

 王は自信たっぷりだった。


「ゴブリンは百から二百の数で襲ってくると聞きましたが、オークの方はどのくらいで応戦しているのですか?」

 ユニの問いに、王は防柵の間から槍を突き出して配置についているゴアたちを顎で示した。

「警戒部隊だけで対応している――三十から多くて五十人だな。今回のように村から増援を出したのは初めてだ」

「それでは――」


 なおも質問を重ねようとしたユニの頭上から、警戒の叫び声が降ってきた。

 樹上に登っていた見張りのオークだった。

「敵ゴブリン部隊、ヒュドラを中心に接近!

 その数多数! 繰り返す、その数多数!」


「多数だと? 二百とか三百とか、数くらい報告できんのか……」

 オーク王はちらりと上に視線を走らせて文句を言った。

 そして前方をよく見ようと、防柵の前まで進み出た。ユニたちもその後に続く。


「なっ……何だあれは!」

 ダウワースはそう叫んだまま立ち尽くした。

 まだかなり距離はあるが、一キロほど先の森を抜け出てきたゴブリンの軍勢がはっきりと姿を現していた。


 その中心、最前線には巨大な怪物、ヒュドラの姿がある。

 そして周囲には全身を黄色く塗りたくったゴブリンが取り囲んでいる。

 その数はおよそ二百人はいただろう。これまでの襲撃でも最大規模の集団だった。


 問題はさらにその周囲だった。

 アリの巣別れのように、黒っぽい小さな人影がびっしりと狭い平地を埋め尽くしている。

 一体どれだけの人数なのか、王やオークたちはもちろん、ユニたちにも分からなかった。

 これでは見張りが「その数多数!」と叫んだことを責められない。


 もし、ここに魔導士であるマリウスがいたなら、目測の訓練を受けている彼があっさりと正解を口にしたことだろう。

「そうですねぇ……ざっと千五百人ってとこですか」と。

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