密林の賢王 第十一話 黄色い小鬼

 ダウワースはユニの応諾を受けて、しばらく瞑目していた。

 やがて彼は目を開け、深い溜め息をつくとともに頭を下げた。

「感謝する――それは本当だ。その上でお前たちに謝ろう。

 俺の知る限りのことを話すのは約束する。だが、それは敵を退けた後にしてもらいたい。

 正直に言って、お前たち人間が本当にオークのために戦ってくれるのか……少しでもいい、その担保があれば国人くにびとも納得するだろう。

 信頼を裏切るような真似で情けないが、どうか許してほしい。この国は俺一人のものではないのだ」


 オーク王の告白には真情がこもっていた。ユニの口元が思わずほころび、彼女は膝の上で震えている王の拳の上に、そっと自分の手を重ねた。

「頭を上げてください。私たちはその条件で構いません。

 もっとも、協力するとは言いましたが、今のところ私たちは何も知らないのです。

 敵が人間でもオークでもないとしたら、オークに戦いを挑もうとするのは何者ですか?」


「ゴブリンだ」

 ダウワースの一言に、その場が一瞬凍りついた。

「え……と……、それは何かの冗談ですか?」


 王はゆっくりとかぶりを振った。

「言葉どおりだ。だが、お前の言いたいことは分かる。

 相手がゴブリンだけだったら、人間の手を借りるまでもないからな」

「……と言うことは〝ゴブリンだけ〟ではないのですね?」


 王は答える代わりに質問を返した。

「俺たちが住むこの密林とお前たちの王国が隣接している地帯があることを知っているか?」

「はい、タブ大森林の一部ですね」

「そうだ――俺たちはその大森林を〝北の森〟と呼んでいるがな。

 もっとも隣接しているのはせいぜい三十キロほどの区間だ。西はハラル海の砂漠が入り込んでいるし、東は山岳地帯だ。

 隣接地帯で二つの森を隔てているのは川と低地丘陵だけなんだが、両者の間を行き来する者はいない。

 なぜだか分かるか?」


 ユニは黙って首を横に振った。

「一つには、丘陵が湿地に覆われ地盤がきわめて軟弱なためだ。

 運が悪ければあっという間に腰まで泥濘に埋まり、そのまま抜け出せずに地の底に沈んでしまう。

 もう一つは、あちこちで瘴気が噴き出していて、うっかり吸い込むと昏倒して死に至るからだ。

 一応無事に抜けられるルートがあることはある。俺たちはそれを知っているが、危険を冒して北の森に行こうとする物好きはいない。

 北の森は密林に比べて獲物も木の実も極端に少ないからだ。むしろこの危険な湿地帯は、俺たちにとっては北の森からの侵入者を防ぐ防波堤となっている」


 その話は大森林に詳しいユニも、密林に詳しいゴードンも初耳だった。王はさらに続ける。

「ところが、去年の秋のことだ。北の森からゴブリンの集団がこの低地丘陵を抜けて密林に入り込んできたのだ。

 食い物が豊富な密林に目をつけたんだろうな」


「ゴブリンはどうやってその危険な湿地帯を抜けられたのだろう?」

 アスカが素朴な疑問を口にした。

 賢王は蔑んだような笑いを浮かべて吐き捨てた。

「大方予想はつく。

 奴らは数が多い。そして自分さえよければ仲間の命など羽毛よりも軽く考える連中だ。

 馬鹿な若造に『ここを抜ければ食べ放題の豊かな土地がある』と囁いたんだろう。

 かたっぱしから道を試して、無事に抜けられるルートをしらみ潰しに探したに違いない。

 正解の道を見つけるまで、どれだけ仲間を殺したのか……吐き気のする話だな」


「ユニ、お前の住むという辺境にゴブリンは出なかったのか?」

 これに答えるには辺境のオークに触れなくてはならない。いきおいユニは慎重な物言いになった。

「辺境までたどりつけるゴブリンは、まず存在しません。

 彼らは餌不足で飢え死にするか……ほとんどは私たちが〝はぐれ〟と呼ぶ連中の食糧になってしまいます」


 王は嫌悪に顔をしかめた。

「喰うのか? あいつらはゴブリンを……!」

 彼はしばらく絶句していたが、ようやく顔を上げ、ゆっくりと首を振った。


「ゴブリンは弱い。だからこそ奴らは本能的に群れる。

 最初に密林に入り込んだゴブリンどもの数はそう多くなかった。

 奴らは豊富な木の実、丸々と太った虫の幼虫、大量のネズミに驚喜したことだろうな。

 そして腹いっぱいに喰ったあと、奴らが何を始めたかは簡単に想像がつく。

 ――まぐわうことと、北の森から仲間を呼ぶことだ」


「……なぁユニ、〝媾う〟とはどういう意味だ?」

 ユニは小声で耳元にささやくアスカの顔の前に、人差し指と中指の間から親指を出した拳を突きつけ黙らせる。


「案の定、三か月もしないうちに奴らは爆発的に数を増やした。

 食い物に乏しい北の森からは連日のようにゴブリンが渡ってきたし、数が増えるほどに出産が激増した。

 奴らはオーク以上に多産で早熟だ。家族や夫婦という概念もないから、メスは誰彼かまわず股を開く。そしてネズミのように一度に五、六人も産むのだが、その子どもたちは二年もすれば子を産めるようになる。

 数が増えるにつれ、ゴブリンどもは密林の奥へ奥へと侵入していき、やがて俺たちの国境を侵すようになった」


 ふと気になって、ユニは訊ねた。

「あなた方の国境はどうやって決めているのですか?」

「俺たちオークが暮らしていける十分な広さの狩場、採集場――それが国境だ。

 俺が王になってからオークの暮らしは安定し、人口も千人を超したからな。その分、国境も膨張している。

 人間と接触しやすい西や南の国境は動かせないから、当然その範囲は北や東に広がっていく。

 ゴブリンとぶつかるのは時間の問題だったんだ」


「ゴブリンと衝突するようになったのは冬に入ったころだった。

 温暖な南方でも冬は実りが少なくなるから、争いは日増しに増えていった。

 もちろん、俺たちはゴブリンを一蹴した。奴らがいくら数で勝っても、よほどのことがなければ負けるはずがない。

 俺の指示で戦士たちには槍を持たせ、必ず集団で行動させた。見張りを厳しくし、障害物や罠もあちこちに仕掛けた。

 ゴブリンの武器は手斧かナイフ――俺たちと同じで石器だが、槍を持ったオークの相手ではなかったよ。

 おかげでこちらに被害はほとんど出ず、逆に数百のゴブリンを討ち取る結果となった」


 いったん言葉を切った王の表情は渋いものだった。これまでの話ではオーク側の圧勝であるのに――だ。

「密林は広い。別に俺たちオークが全てを独占しているわけじゃない。

 ゴブリンどもはオークの住まない東へと広がればいいだけの話だったんだ」

「それでもゴブリンはオークの住む南西へと進出してきたのですね。どうにも理由が分かりかねますが……」


 王は苦々しい顔で頷いた。

「……ああ。理解に苦しむだろう?

 だがな、奴らのちっぽけな脳みそは、こう考えるんだ。

 『オークどもが勝手に国境線を決めてゴブリンを締め出すのは、奴らの住む南西がとびきり豊かな土地だからに違いない!』とな。

 あいつらの心は憎悪と嫉妬で満ちている。ただで手に入る東の密林だって同じくらい豊かだと言っても、絶対に納得しない。

 『そんなことを言って俺たちを騙す気だろう! ずるいオークめ、そんな口車に乗るものか!』

 あの馬鹿どもは、キーキーとわめいてますます意固地になるだけだった……」


「年が変わっても事態に変化はなかった。ゴブリンはしつこく侵入を試み、俺たちはそれを撃退し続けた。

 状況が一変したのは、つい半月ほど前のことだ。

 いつものように見張りから警報が伝えられ、警戒に当たっていた者たち出動したんだが、その前に現れたゴブリンどもは黄色かったんだ」


「――は? 黄色って……どういう意味ですか?」

 ユニならずとも訊ねただろう。ゴブリンの肌は汚い茶褐色で、獣皮の腰巻だけの半裸である(オークはなめした革を身につける)。

「何かの実から採った染料だろうな。顔も体も手足も、派手な黄色に塗っていたんだよ。

 何のまじないなのか、最初はさっぱり分からなかったよ。

 まぁ、別にゴブリンが赤くても青くても構わんのだが、問題はその後だった。

 黄色いゴブリンどもに追い立てられるようにして、体長十メートルを超える怪物が現れたんだ。

 そいつは龍のような太った胴体に短い脚と長い尻尾があって、全身がぎらぎらとした青い鱗に覆われ三本の太い蛇のような首が生えていた……」


 アスカとユニが同時に叫んだ。

「それって……ヒュドラじゃないですか!」


      *       *


 ヒュドラはドラゴンの亜種で〝遠い親戚〟のようなものらしい。一応は龍族の系譜に属するが、下等で知能は低く人間と意志を通じることはできない

 沼沢地などの水辺に棲み、肉食で獰猛な性格をしている。複数の蛇のような頭部を持つがその数は一定せず、最高で九本首まで存在するとされている。

 龍のようなブレスはないが猛毒を持っており、牙だけでなく血液ですら致死性を持つという危険な怪物である。


 ユニは幻獣に関する知識を持っているから当然だが、アスカも知っていたのは、かつてある国家召喚士が使役しているのを見たことがあるからだ。

 その召喚士が連れているヒュドラは五本首だった。幻獣界のヒュドラは特別なのか一定以上の知性を持ち、召喚主と十分意志を通じることができるということだった。

 だが、召喚されてもいない――恐らくはずっと昔に〝穴〟によって異世界から偶然転送された怪物(またはその子孫)なのだろう――野生のヒュドラが人の指示に従うはずがない。ましてやゴブリンに使役されるなど、あろうはずがない。


      *       *


「……オークが苦戦している相手とは、そのヒュドラなのですね?」

 ダウワースは渋い顔でうなずいた。

「最初の遭遇で、オークの戦士が三人喰われた。

 俺たちの槍は、ヒュドラの鱗を抜けなかったばかりか、偶然にも鱗の隙間に槍を突き立てた者は、飛び散った血を浴びて失明する始末だ」

「それじゃ、どうやって追い返したんですか?」

 ユニの問いに、ダウワースは肩をすくめた。

「勝手に帰ったんだよ」


「……」

「ヒュドラは三本の首でそれぞれオークを捉えた。

 一刻も早く落ち着いたところでゆっくり丸呑みにしたかったんだろう、周囲の黄色いゴブリンがキーキー喚いていたが、知らん顔でさっさと戻っていった。

 今にして思えば、ゴブリンの方もヒュドラを戦いに投入したのが初めてで、扱い方がよく分からなかったんだろうな。

 次に現れた時はもっと被害が広がった」


「最初と同じように三人のオークがヒュドラのあぎとに捉われ、毒で絶命した。

 怪物はまた帰ろうとしたが、今度はゴブリンが道を開けなかった。さらにはヒュドラの口を長い棒で突いて、咥えていたオークを吐き出させたんだ。

 そして再び俺たちの方にけしかけ、さらに三人のオークが犠牲になった」


「それで……その時はどうやって敵を退けたのですか?」

 ダウワースは「ふふん」と笑った。

「同じだよ。勝手に帰ったんだ。

 ただ、この時は原因を掴むことができた。天候が急に変わり、いきなりスコールが降ってきたんだ。

 ゴブリンたちは雨が降ってくると、慌てふためいて一目散に逃げていった。ヒュドラは地面に落ちていたオークの死体を咥え上げると、悠然と帰っていったよ」


 ユニはすぐにその意味を理解した。

「ヒュドラは水生の怪物、雨が降れば活動が活発になって有利になるはずです。

 それなのにゴブリンは逃げ出した……雨によって不都合な事態が起きた――ということですか」


 ダウワースはユニが事態を理解しながら、種明かしは王に譲ろうとしていることに気づいていた。彼は感心したように笑う。

「……まったく、本当に人間という奴は交渉事が好きなようだ。

 オークは正直なんだぞ。お前の真似は百年経ってもできないだろうな」


 ユニも笑っている。

「ダウワース王、そうじらさないで教えてください」


 王はユニの誘いに乗ることにした。

「俺たちが推測したからくりはこうだ。

 ゴブリンたちは低地丘陵の湿地帯に巣食うヒュドラに偶然遭遇したのだろう。

 恐らくこの世界に飛ばされる以前の奴らの世界でも、ヒュドラは奴らを捕食する敵として存在していたんだろう。

 ゴブリンどもは長い年月の中で、ヒュドラから身を守る知恵を身につけたに違いない。

 奴らが身体に塗りたくっていた黄色い染料がそれだ。あいつらにとって幸運なことに、同じ物がこの世界でも手に入ったんだろう。

 どういう理屈か知らんが、ヒュドラはその黄色い染料を毛嫌いしているようだ。

 だから黄色いゴブリンに手出しができず、追い立てられていたというわけだ」


「ゴブリンたちが雨で慌てたのは?」

「知れたことよ。雨で染料が流れてしまえば、今度はゴブリンが餌になる番だ」

 

 アスカが不思議そうな顔で訊ねる。

「そこまで分かっているなら、こちらもその染料を使えばヒュドラを退けられるだろう。

 なぜ、そうしないのだ?」


 ダウワースは深い溜め息をついた。

「そう都合よくいかないんだ。

 第一、あの黄色い染料の原料が分からない。俺たちが知る限り、この密林にそんな染料が採れる草花や木の実は存在しない。

 ひょっとすると、北の森でないと採れないのかもしれないな」


「幸いなことにゴブリンどもがヒュドラを使うのは毎日ではない。

 もちろん雨の日は論外だが、それ以外でも二、三日に一回の頻度だ。

 多分、あの黄色い染料は量産できないんだろうな。

 お陰でいったんは攻め込まれても、今のところは怪物がいない間に押し返している。

 ただ、奴らはヒュドラの扱いに習熟してきたと見えて、徐々にこちらの被害が大きくなってきている。

 早急に手を打たないと、いつかは奴らに数で押し切られてしまうだろうな」


      *       *


 まだゴブリンのこと、ヒュドラのことについて聞きたいことが山ほどあったが、ユニはいったん自分たちだけで相談した方がよいと考えた。

 敵にドラゴンの眷属がいるとなれば、きちんと作戦を立てなければどうにもならないだろう。

 軍人であるアスカ、傭兵経験の豊富なゴードンの意見が欲しいが、オークの前では話せないこともある。

 だが、その前に片付けなければいけない問題があった。


「ダウワース王、一つだけお許しいただきたいことがあるのですが?」

「なんだ、言ってみろ」

「私の幻獣――ライガという名のオオカミですが、彼を村に入れることを許可していただきたいのです。

 もちろん、オオカミがオークを傷つけるようなことは絶対にありませんから、安心するよう皆さんに伝えてください」


「よかろう。

 何しろ俺たちの防衛体制を気づかれることなく短時間で調べ上げたんだ。役に立つ奴らに違いないな」

 王は即座に承知したが、皮肉を入れることも忘れなかった。


 ユニは続いて「いったん三人で今後のことを話し合いたい」と申し出るつもりだったが、突然駆け込んできたオークに邪魔をされてしまった。

 そのオークは見るからに焦っている様子だったが、人間たちを見て顔をしかめ、王のそばに近づいて何事かささやいた。

 王が厳しい声で二、三質問すると、オークは早口でそれに答える。


 もちろんユニたちにはオーク語が分からない。

 だが、ユニはこのパターンを散々経験してきた。

 間違いない、ゴブリンとヒュドラが襲って来たのだ。秘蔵の酒を賭けたっていい。

 ユニが腰を浮かせると、アスカとゴードンも同じ結論に至ったのだろう、ユニよりも先に「ご免!」という言葉を残して外へと出て行った。


「おいおい、いきなりどうしたんだ?」

 王が驚いてユニに訊ねる。

「ゴブリンが襲ってきたのですね? 場所を教えてください!」

 王は目を白黒させて答える。

「確かにそのとおりだが……発見した地点から考えて〝滑り坂〟で迎撃することになるだろうな。坂の場所はジャヤに聞くがよい。――だが、どうして……」


 ユニは皆まで聞かなかった。

「まずはこの目で敵を確かめます。

 すぐに支度をしてきますから、失礼します!」


 彼女は早口でそう言い捨てると、先に出た二人の後を追った。

 取り残された王と伝令の男は、ぽかんとした表情で人間たちを見送るばかりであった。だが、ダウワースの方はすぐに我に返って、矢継ぎ早に命令を下す。


 そして最後にこう付け加えた。

「今回は俺も出る。

 それと皆に伝えよ。人間たちが俺たちに助勢することになった。

 ……それと、あの小さい方の女はオオカミ使いだ。オオカミを見ても驚いて攻撃しないようにとな」


 伝令役の男は王の指示を伝えるべく、外へ飛び出していった。

 ダウワース王はその後を追おうとして、ふと立ち止まり首を捻った。


「あの人間たちはオーク語を知らんのに、なんでゴブリンどもが襲って来たことが分かったんだ?」

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