密林の賢王 第八話 賢王ダウワース
獰猛な顔をした巨体のオークが、半裸で派手なマントをひらひらさせている――それは、とてつもなく趣味の悪い冗談としか思えなかった。
ただ、おかげでこのオークが王さまだと言うことだけは一目で分かる。王でなくては、どうしてあの恥ずかしいマントに耐えられようか。
当の本人は自分の身なりを気にしていないようで(多分、馴れっこになっているのだろう)、ユニたちを連行してきたオドとイデンに不機嫌そうな顔で何か問い質している。もちろんオーク語なのでその内容は分からないが、口調から叱責めいた詰問だということが察せられた。
二人のオークは慌てて激しい身振りを交えながら弁解を始めた。多分、ユニたちの口車に乗ったとか責任転嫁をしているのだろう。
オーク王はひとしきりオドたちの説明を聞き、「やれやれ」といった顔で溜め息をついた。
そして、ユニたちの方を向くと、少し疲れたように口を開いた。
「お前たちはどうも俺に会いに来たようだな。物好きなことだ。
歓迎はしないが、危害も加える気はない。とりあえず話を聞こう。
……どうした? 俺の言葉が理解できないのか?」
それは若干のサラーム訛りはあるが、かなりきれいな中原語だった。顔に似合わずバリトンのいい声だ。
唖然としていた三人は、王の最後の質問が皮肉だということに気づいて我に返った。
「オーク王、あなたの言葉は明瞭に聞き取れます。
人間の言葉をよくされるとは伺っておりましたが、ここまで見事だとは正直思わず、少し驚いてしまいました。失礼をお許しください」
ユニは縛られた身のままその場で片膝をつき、頭を下げて謝罪した。
見守る周囲のオークからは、なぜだか「おおー」というどよめきが起こる。
王が何事かオーク語で命じると、オドとイデンがバネに弾かれたように飛び上がり、慌ててユニたちの縄を解いた。
「立ち話もなんだ、ついてこられよ」
王がさっと身体を翻すと、真っ赤なマントがばさりと舞う。
オークたちはその様を明らかな羨望の目で見ている。彼らには自分たちの王の仕草――というより、深紅のマントがとてつもなく〝格好よく〟見えるらしい。
ユニたちは長時間縛られて強張った筋肉をさすりながら、王の後をついていった。
オークの弥次馬たちもぞろぞろと後に続いたが、槍を持った二人の警護兵が立ちはだかり、彼らに解散を命じたらしい。
群衆はやや不満げに三々五々、散って行ったが、互いに興奮したように今の出来事を語り合っているようだった。
オークたちの表情はなぜか誇らしげで、嬉しそうに笑っている者が多い。
ユニは好奇心に耐えられず、先を行くオーク王に質問した。
「あの、王さま。
村の人たちがとても喜んでいるようですが、どういうことなんでしょうか?」
王の方はあまり愉快ではなさそうに答える。
「人間が俺に会うために、わざわざここまで来たと聞いたからだろう。
それに、お前がさっき礼をとったこともある。
あいつらはオークに膝をつく人間を初めて見たんだ。誇りに思うのも仕方あるまい。
……実を言うと、俺も初めてでな。さっきは面食らったぞ」
王はそう言うと、初めて小さく笑った。
* *
オーク王は村の中央にあるひときわ大きな掘立家屋(王の館らしい)に三人を案内した。
地面を一メートルほど掘り下げ、床は土間状に突き固めている――いわゆる
やはり葦のような萱草で円錐状に壁と屋根が葺かれ、内側は煤で真っ黒に染まっていた。床の中央に切ってある囲炉裏の煙に長年燻されたためだろう。
ユニにとっては、オークが家を作っていることも、火を扱っていることも驚きでしかなかった。――これではまるで……まるで人間じゃないか!
王は床にどっかとあぐらをかいて座ると、ユニたちにも腰を下ろすように勧めた。
少し小柄な女オークが素焼きの器をそれぞれの前に置き、やはり素焼きの壺から白く濁った液体をついでいく。
「まあ飲め」
王はそう言うと、一息で自分の分を飲み干し器を差し出した。すかさず給仕の女オークが白い液体を注ぐ。
ユニはまじまじと女オークを見つめていた。生まれて初めてメスのオークを見たからだ。
彼女の外見はオスのオークとは少し異なっていた。小柄(といっても百七十センチ以上あるだろう)で牙がなく、豊かな乳房を揺らしている。その胸は腰巻と同じ動物の革で包まれ、背中で縛っていた。
ユニが固まっているのに気づいた王が声をかける。
「どうした? 毒などは入っていないぞ」
「あっ、いえ。たびたび失礼を……。私は初めてメ――いえ、女性のオークを見ましたので、つい見とれてしまいました」
王の眉がぴくりと動いた。
「ほう……ということは
ユニはいつの間にか窮地に立っていた。
「えっと、その……はい。
男のオークなら、辺境で何度も遭遇したことがあります」
「つまり、お前は王国の人間だということだな?」
一方的に問い
「オーク王、われわれはまだ名乗りもしていない。
お互いに何者かを明さぬままでは、礼儀に
気色ばんでいた王は、気を取り直したように、にやりと笑った。
「これは一本とられたな! 鎧の女よ、そなたの言うとおりだ。
俺は密林オークの王、ダウワースという者だ」
王はそう名乗って、ユニたちの番を待った。
「私はリスト王国の二級召喚士、ユニ・ドルイディアと言います。
あなたの国と友好的な関係を結びたいと思い、はるばる訪ねてまいりました」
ユニに続いてアスカが自己紹介をする。
「私はアスカ・ノートン。リスト王国第四軍の連隊長を務めている。
ここへはユニの護衛として同行した」
二人の女性が名乗ったので、ゴードンも名乗らざるを得ない。
「俺は……ゴードン・スレイグ、ただの傭兵だ。アスカと同じくユニの護衛だから、彼女が何かされない限り敵対するつもりはない」
ダウワースと名乗ったオーク王は「ふむ」と唸った。
「いろいろ聞きたいことはあるが……それで? 友好というのはお題目だろう、実際には何の目的で俺に会いに来たんだ?
お前たちの身なり、人数――それで正式な使節だと言うつもりか。せいぜい〝密使〟がいいところだぞ」
ユニはアスカと顔を見合わせた。
どういう目的かと問われれば、オークの情報をより多く手にしたいということなのだが、それは詰まるところオークの秘密を探り、王国のオークを根絶やしにするという大目的に直結する。
同じオークであるダウワース王に、それをあからさまに伝えるわけにはいかなかった。
『正式な使節ではなかろう』というオーク王の指摘もそのとおりだが、一応は参謀本部の発案で、王国南部を統括する赤龍帝の了解を得た行動だ。この辺の内部事情を説明するのは困難だった。
言い澱んでいるユニたちを見て、王は小さく溜め息をついた。
「まぁ、なんとなく察しはつくが……お前たちにも事情があることは理解する。
とりあえずは、俺がなぜ人間の言葉を話せるのか、そこを説明しなくては先へ進まないだろう。違うか?」
「え、ええ。それは願ったりだわ」
ユニはそう答えて、無意識に手にした土器の液体を口にした。
一瞬で「甘い!」という味覚、それにかすかな酸味と発泡性を感じる。決して不味くはない――いや、むしろ美味い。第一これは……。
「これは……酒ですか?」
「ああ、王国の者はあまり米は食わないのだったな。
南では米がよく穫れる。それを発酵させたドブロクという酒だ」
ユニが信じられないといった顔で訊く。
「まさか……米を栽培しているのですか?」
王は自嘲気味に笑った。
「いや、オークに農業は向かん。ついでに言えば、オークに酒はもっと向かん。
この酒は人間の国――ルカ大公国の商人から求めた。俺だけの楽しみで飲んでいるものだ。あまり強い酒ではない」
「オークに酒が向かないと言うのはどういうことですか?」
「悲しいことにオークには人間ほど強い自制心がない。
酒を覚えたオークは簡単に理性を失い、酒に溺れてしまうのだ。人間にとっての麻薬のようなものだな。
オークでも森の果実を使って酒は造れる。飲んでいいのは年に一度の祭りの時だけだ。それ以外では酒を禁じている」
二人のやりとりを聞いて、アスカも一息でドブロクを飲みほした。
「なるほど……悪くない味だな」
一方、ゴードンは目の前に置かれた器を脇に寄せた。
「すまん。俺は下戸なんだ」
アスカが驚いたふりをして、彼の器を取り上げた。なぜか顔がほころんでいる。
「人は見かけによらぬものだな。だがゴードン、せっかく王が勧められたものを断っては礼を失する。仕方がないから私が代わりにいただこう」
ダウワースは苦笑いを浮かべた。
「アスカとやら、心配しなくとも酒は十分に残っているぞ。
――さて、俺の話だったな。
ダウワースという名を聞いて、どう思った?」
ユニは少し考えてから答える。不用意なことを言って王の機嫌を損ねたくないからだ。
「オークの名前については無知ですが、私たちを連れてきてくれた二人は、オドとイデンと名乗っていました。
それに比べると、ずいぶん人間風の名前に聞こえます。……そうですね、サラーム教徒に多そうな感じです」
王はうなずいた。
「正解だ。サラーム教を知っているということは、呪術師のことも聞いたことがあるだろうな?」
「ええ、隠しても仕方ありませんから申し上げますが、昨年その呪術師に操られた密林オークに襲われたことがあります」
彼女が思い切って打ち明けると、ダウワースの表情が苦々し気に歪んだ。
「それは……確かにうちの村の者だな。昨年の春だったか、狩りに出たまま戻らなかった一隊がいてな。やはり呪術師の罠にかかっていたか……。
十人程だったが……もう生きてはいないのだろうな?」
ユニは黙ってうなずいた。
オークは目を閉じて溜め息をついた。そして上を見上げたまま話し続けた。
「呪術師は……オークの命など、ネズミ程度にしか思っていない。かわいそうな奴らだ。
実を言うとな、俺もそいつらと同じような目に遭ったんだよ」
「つまり、王は呪術師に操られたと?」
彼はかすかにうなずき、ユニの方に向き直った。
「もう二十年も前のことだ。俺はまだ十歳で――オークが人間より早熟なことは知っているか?」
「ええ。十三歳前後で成人すると聞いています」
王は小さく笑った。
「ずいぶんと詳しいのだな。
――だから俺はまだガキだった。どうやって呪術師の手に絡めとられたかは覚えていない。気がつくと、呪術師の住む洞窟で縛られていた。
どういう気まぐれか知らんが、その呪術師は俺がまだ子どもだと知ると、人間の言葉を教える気になったらしい。
ある日、奴は俺にある呪術をかけた。思い出したくもないが、頭が割れて死ぬような苦しみを味わい、一晩中のたうち回った。
次の朝、呪術師は俺の前に現れ、床でゲロまみれになって倒れていた俺を見下してこう言ったんだ。
『ほう、生きておるのか? これは珍しいな。アリ、このオークを預ける。教育してみよ』とな。
俺は当然人間の言葉なんか知らなかったが、不思議なことに、この時の呪術師の言葉が理解できたんだ」
ユニの隣りで熱心に聞き入っていたアスカが訊ねる。
「つまり、その呪術師の術で人語が理解できるようになったというわけか?」
ダウワースはうなずいた。
「ああ。ただ、相手の言うことは理解できたが、自分から人間の言葉を話すことはできなかった。
それからは呪術師の弟子だったアリという男に人間語を叩き込まれた。
最初はアリの言葉を真似て発音させられた。別に難しくはなかったし、発音すればその言葉の意味も分かるから、簡単な日常会話はすぐにできるようになった。
問題は語彙だったな」
「語彙?」
意味が分からずアスカは首をひねる。
オークは『どう言えば人間に理解できるだろう』という顔をして少し考えた。
「例えば、アリが俺に本を見せた時だ。あいつは俺に文字を教えようとしたんだな。
『ダウワース』――ああ、忘れていたが、この名前は呪術師がつけたものだ。オークとしての名もあったはずだが、術をかけられた時に記憶を消されたらしくて、いまだに思い出せんのだ。
『ダウワース、お前にこの本に書かれた文字を教えよう』
アリはそう言った。俺は何でも言われたことを立場を替えて繰り返すよう躾けられていたから、何も考えずにその言葉を復唱した。
『アリは、俺にその四角いものの黒い模様を教える』と俺は言った。
アリの言葉は呪術によって理解できるが、俺の概念にない言葉は俺に分かるように頭の中で言い換えられる――アリはそのことに気づいたんだ。
オークの文化には文字が存在しないから、本を見るのも初めてだった。当然と言えば当然の結果だな。
結局、アリは初等教育から俺に教え込むはめになった。
……それが分かった時のアリの絶望した顔はいい気味だった。今でも思い出すよ」
「ということは、王は呪術師のもとで教育を受けたんですね」
「ああ、言葉自体は一か月もたたずに話せるようになったが、本当の意味で会話できるようになるには一年以上かかった。
それでも奴らが予想したより格段に早かったらしい。呪術師は俺が「極めて優秀なオークだ」と喜んでいたよ。
俺は二年目からは召使いとしての仕事――主に力仕事だが――をこなしながら、かなり高度なところまで教育を受けた。
五年目には宗教、社会、歴史、哲学、医術まで、一通りの教養を身につけたし、宮廷の礼儀作法まで学んだな。
何のためにそんなことまで教え込んだのかは知らんが、恐らくあのまま飼われていたら、クソろくでもない陰謀に使われていただろうな……」
「――でも、あなたは今、密林に帰ってオークの王となっている……。一体何が起きたのですか?」
オーク王は鼻を鳴らした。
「簡単なことだ。俺を
呪術師だけじゃない、アリをはじめとした弟子たちも、ある夜全員死んでしまったんだ。実にあっけなくな。
生き残ったのは大勢いた奴隷たちだけだった。俺もその一人だ。
呪術師たちが死んだのは、敵対する他の呪術師に呪われたんだろうな。
奴らは殺し合うのが好きらしい。敵の居場所を突き止めると、躊躇なく呪いを発動して皆殺しにするんだ。
――まぁ、そんなわけで俺は自由になり、故郷に帰ることができた。戻ってからの話はいいだろう。人間の知識を身につけた俺が〝賢王〟として祭り上げられたのは、その二年後の話だ」
ユニは大きくうなずいた。
「それで納得がいきました。
この村のオークの言動といい、この住居、生活環境まで、あなたが教えたのですね。
失礼ですが正直に言って、なぜオークがここまで人間的な暮らしをしているのかと驚いていたのです」
ユニは誉めたつもりだったのだが、ダウワースは〝ぽかん〟とした顔をして、それから大笑いをした。
「ユニ、だったか? お前は何を勘違いしているんだ!
俺がこの国の王となって、まず心がけたことはオークの文化を守ることだったぞ。
人間の汚らわしい文明で、誇り高いオークの生活を汚染させることは許すことができなかったんだ」
今度はユニが〝ぽかん〟とする番だった。
「で、では……この国の全ては、オークが元から持っていた〝文化〟だと言うのですか!」
「当然だ。……お前はオークに詳しそうだったが、どうも疑わしくなってきたぞ。
いや、そう言えばお前たちは王国から来たんだったな。それでは無理もないか。
かの国にはオークはいないからな」
「いえ、そんなことは……。辺境――王国の東部には、あなたたちと同じオークが出没して家畜や人間を襲っています。
でも、彼らが――」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ黙れっ!」
突然オーク王は真っ赤な顔して怒鳴り、ユニの言葉を遮った。
「あいつらはオークではない!
あのような奴らと俺たちを一緒にすることがどれ程の侮辱か、お前は分かっているのか!
いいか、もう一度言ってみろ、即座にこの国から叩き出すぞ!」
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