密林の賢王 第六話 妖花の国境線

 ゴードンが生き延びたのは半ば奇跡に近かったが、全くの無事というわけでもなかった。

 ユニは医者ではないが薬師でもあり、ある程度医術の心得はある。

 ゴードンの身体を調べ、ダメージを受けた腹の広い範囲に湿布薬をたっぷりと塗り広げ、さらしと包帯でぐるぐる巻きにした。


 その湿布薬は、かつて辺境のイネ村で、マリサという薬師(実は召喚士)から譲り受けた処方の一つで、炎症を抑え、鎮痛と麻酔効果がある。

 非常によく効く(その分刺激が強すぎて肌の弱い者には向かない)ので辺境の民からの引き合いが多く、オーク狩りのお呼びがかからない時はユニの貴重な収入源となっていた。

 彼女は手持ちの湿布薬の半分を使い果たし、ゴードンには今日一日の安静を言い渡した。


「多分、夜には熱が出ると思うわ。夕食を摂ったら解熱剤をあげるわね。

 あんたはアスカに負けないくらい頑丈そうだから、明日になれば歩けるようになれると思うわ」

 ゴードンは意地でも平気を装いたかったが、彼の腹は熱を持ってちょっとでも身体を動かすと激痛が走った。

「だが、明日には密林に入る予定だったろう。いいのか?」


 ユニが笑ってゴ-ドンの背中をばんと叩くと、彼は思わず「うっ」と呻いた。

「ろくに動けないくせに、何を言ってるんだか。

 どうせ適当に決めた予定だもの。一日二日ずれたって、どうってことないわ」

 ユニは広げていた薬や包帯をしまいながら、ゴードンに話しかけた。

 アスカもそうだが、ゴードンも試合の前と後では別人のように話しやすくなっていたのだ。


「あなた、南部の生まれなの?」

「そうだが……それがどうかしたのか?」

「うん、あなたのお腹を診ながら思ったんだけど、南部人って浅黒い肌の人が多いでしょ?

 でも、あなたの肌はちょっとそれとは違う感じがするの。

 なんて言うか、もっと黒みが深いっていうのか……」


「ああ、そのことか。

 俺の母親は南部人だが、親爺は王国の人間じゃない。黒人なんだ」

 ユニは少し慌てた。

「ごめん、なんか余計なことを訊いちゃったかしら」

「構わないさ。

 だが、両親のことや俺の生い立ちについては訊かないでくれ。

 それなりにいろいろあったんだ」

「分かったわ。ごめんね。

 あなた、少し眠った方がいいわ」


 横に座って話を聞いていたアスカは、立ち上がって寝床を用意しにいった。

 木製の折り畳み脚の上に帆布を張るような簡易ベッドを組み立て、その上に毛布を乗せるだけなので、あっと言う間に準備が整う。

 そして戻ってくると、彼女は当たり前のようにゴードンを抱え上げた。

 ごく自然に〝お姫さま抱っこ〟のようにひょいと持ち上げたのだが、相手は体重が百キロ近い大男である。


「おいっ、やめてくれアスカ! 恥ずかしいだろうが」

 アスカは真面目な顔で首を捻った。

「だが歩けんのだろう? 

 私がゴードンを運ぶしかあるまい。ユニでは無理だぞ?」

「うっ……それはそうだが、もっとこう運び方があるだろ? つまり男の威厳が……」


 アスカは彼の抗議を無視して、さっさとベッドまで運ぶと寝かしつけた。

「大人しく寝ていてくれ。

 このベッドでは添い寝してやることもできん。

 子守唄でも歌ってやりたいところだが、あいにく私は音痴でな。

 ……そうだ! 頭かお腹を撫でてやろうか?」

「いらんわ!」


 そう言って毛布を顔まで引き上げたゴードンは堪らずに吹き出した。

 アスカもつられて笑う。

「お前みたいな変な女は初めて見たよ」

「そうか? 私はゴードンが強くて……いや、頑丈でよかったと思っている。

 普通なら死んでるんだがな」

「いや、あの一撃がなかったら、あんたの肋骨は確実に砕けていた。

 そうなっていたら今ごろ俺は後悔の真っ最中だったろうよ」


 ユニは呆れて言わずにはいられなかった。

「二人とも本当に相手を殺す気でやっての?

 それこそ信じられないわ」


      *       *


 思いがけずに午後の予定がなくなったので、オオカミたちは砂漠に狩りに出かけた。

 旅を出て二日の間、彼らは赤城市で仕入れた肉を食べていたが、冬とはいえそう保存は効かないので量が限られていた。

 基本的に彼らは自給自足なので、こうした自由時間はありがたいものだった。


 一時間ほどでオオカミたちは若い羚羊を仕留め、意気揚々と帰還した。

 ユニはナガサ(山刀)を使って獲物から大きな肉の塊りを切り取った。

 群れが狩りをしている間に森(街道の西側は、密林に近く樹木が多い)から採ってきた大きな常緑樹の葉の上に肉を置く。

 背嚢から塩と小分けにした香辛料を出し、肉に振りかけて丹念に摺り込んだ。

 そして葉っぱで肉を包むと、昼食の時から消さずにいた焚き火の灰の中に埋めた。


 アスカがその様子を見て「晩飯の支度か? ずいぶん早いな」と訊いてきた。

「違うわ。保存食づくりよ」

 ユニの答えにアスカは首を捻った。あまり納得していないようだったが、彼女はそれ以上はあれこれ訊いてこない。

 「アスカと一緒にいると楽でいい」――ユニがそう思うのは、こういうところだった。


 その夜は羚羊の肉でシチューをつくり、ゴードンにはオートミールを食べさせた。

 彼はやはり熱を出してぐったりしていたので、ユニが調合した解熱剤を飲ませてそのまま休ませた。

 ユニとアスカは、最近フェイ(アスカの養女)がしでかした騒動の話をしながら火酒をちびちびやっていたが、早めに眠りについた。


      *       *


「カン、カン、カンッ!」

 木を叩く乾いた音が薄明の冷たい空気に響き渡る。ユニはその音で目を覚ました。

 彼女は野外生活に慣れているせいか寝起きがいい。

 それでも目を覚ましてしばらくの間は、ぼおっとして思考がうまく働かない。

 毛布と防水布にくるまり、ライガとヨミの身体の間に挟まるようにしていた身体を起こすと、すでに目覚めているライガが首を起こした。


「おはよう、ライガ。

 ……あれ、なんの音?」

 ライガは鼻を鳴らし、憮然とした口調で文句を言った。

「アスカとゴードンだよ。まったく、やかましいったらありゃしないぞ!

 お前が寝てなければ尻を齧りにいってたところだ」


 ユニは寝ぐせのついた栗色の髪に手を突っ込み、ぼりぼりと頭を掻いた。

 昼間は後ろで一本の緩い三つ編みにしているが、寝ている間は解いているので肩のあたりまで髪がかかっている。

 彼女はのろのろと立ち上がり、盛大な欠伸あくびをしながら音の方に歩いていく。

 そこは昨日、アスカとゴートンが試合をしていた場所だった。今、彼らは同じように木剣で打ち合いをしていた。

 さすがに昨日のように殺気立ったものではなかったが、二人の動きは十分に激しく、体中から白い湯気が上がっている。


「ゴードン――ってか、あんたたち! 何やってんのよ!」

 その声を合図にしたように、二人はぱっと距離をとって下がり、互いに木剣を引いて一礼した。

「ああ、ユニ。おはよう。朝飯前に軽く稽古をしていたんだ。

 ゴードンと話し合ったんだが、これから毎日やることにした」

 アスカが汗をタオルで拭いながら平然と話す。


 一方のゴードンは肩で息をしていて、話すのも苦しそうだ。

「くそっ、さすがにまだ万全とはいかないか……。

 だがユニ、もうかなり動けるぞ。熱も引いたし傷みも和らいだ。

 お前のくれた薬は効くな! この仕事が終わったら少し分けてくれ」


 ユニは溜め息をついた。

「あんたら見てると〝安静〟という言葉が空しく思えてくるわ。

 アスカ、あんたこの間、赤城で第三軍の軍医とばったり会った時のこと、覚えてる?」

「ああ。吸血鬼事件で世話になったから礼を言いたかったんだが……なんだか避けられていたな」

「ええ、ええ。軍医さんが嘆いていたわ。アスカを見ていると医学常識に自信が持てなくなるから、会いたくないってね。さっ、朝食にするわよ」


      *       *


 一行は夕方に予定の地点に着いた。そこで一泊して翌朝に密林へ向かうこととなり、その日は早めに就寝する。

 ユニは翌朝もアスカとゴードンの稽古の音で起こされたが、ゴードンの体調はほぼ平常時に戻ったようだった。


 朝食を済ますと、彼らは密林に入る準備に取り掛かった。

 ライガたちが曳いてきた荷車から必要最小限の荷物を下ろし、オオカミ用に改造したサドルバッグ(振り分けバッグ)に詰め込む。残った荷物と荷車は、街道から外れた岩陰に隠した。

 戻ってきた時に残っていればよし、誰かに盗まれていれば諦めるだけだ。

 密林ではオオカミたちの背に乗るので、不慣れなアスカとゴードンのためにやはり改造した鞍を取り付ける。


 ゴードンはハヤトに、アスカは一番大きなライガに乗ることになった。アスカは体重では二十キロほどゴードンより軽いが、彼女はプレートアーマーを身につけている上、盾も運ばなくてはならないからだ。


 ユニは当然鞍など使わず、ヨミの背に乗ることにした。体格順ならトキに乗るところだが、ヨミの方がいざという時の判断力に優れているからだ。

 トキは大いに不満顔であったが、妻のヨーコに言いくるめられ、一番重い荷物を運ぶことになった。


 こうした準備を整えていると、運よく王国に向かう小規模な隊商が通りかかった。

 ゴードンが彼らと交渉し、応分の代金を払ってアスカとゴードンが乗ってきた馬を赤城市に届けてもらうことにした。

 すっかり準備が整うともう昼に近かった。彼らは簡単な昼食を手早く済ませ、街道を離れて東の密林地帯へと向かった。


      *       *


 南部密林は、あらゆる面で王国のタブ大森林と対極をなしていた。

 比較的温暖な王国の東側に、冷涼な気候を好む針葉樹の巨木が居座っているのは、かつて大陸を襲った氷河期の名残りであると言われていた。

 一方の南部密林は、東洋海を北上する暖流の影響で周囲よりも気温と湿度が高い。

 そのため緯度から考えるとだいぶ南に繁茂するはずの広葉樹林が広がっている。

 今は冬なので、葉を落としている木もあるが、基本的に亜熱帯性の常緑広葉樹が優勢なので、〝密林〟という名にふさわしい景観が広がっている。


 密林と言うだけあって、森の中は歩くだけでも苦労をする。オオカミたちも自分たちだけなら問題なく移動できるが、人間や荷物を満載している今はそうもいかない。

 しかしゴードンはこの森にも獣道があり、そのいくつかは〝街道〟のようによく使われ、歩きやすい道になっていることを知っていた。

 彼の指示でオオカミたちは難なく大きな獣道を見つけ、比較的楽に進むことができた。


 ユニはこの前の年、ナサル首長国連邦とルカ大公国の争いに巻き込まれ、赤城市に援軍を要請するため密林を駆け抜けた経験がある。

 彼女はヨミの背に揺られながら、隣を行くゴードンに話しかけた。

「あたしが密林を通った時には、呪術師に操られたオークは出たけど、その王国? ――のオークは出てこなかったわよ」


 まだオオカミの背に慣れないゴードンは、スキンヘッドに汗をかいて苦労していた。

「あー、そりゃあ……あんたが連れているオオカミの群れを警戒したからだろうな。

 それと密林の端の方を移動したんだろう? あいつらの領域はもっと奥だ。

 心配しなくても、国境線を超えそうになったら必ず奴らが出てきて止められるさ」


「国境だって! オークにそんな概念があるのか?」

 ゴードンをユニと挟むようにしているアスカは、以前にもオオカミの経験があるので、安定した乗り方だった。

 ゴードンは話に加わってきたアスカの顔を見る余裕がない。何しろ馬の感覚で鐙でオオカミの腹を蹴ると、気分を害したハヤトが盛大に唸るのだ。

「えっ? ……あ、ああ。一応やつらだって王国を名乗っているからな。

 オークなりに〝ここから先は自分たちの領域〟って決めている範囲があるんだ。

 ちゃんと見張りがいるらしくてな、うっかりそこを超えようとすると威嚇を受ける。

 まぁ、めったに密林の奥まで入る物好きはいないが、薬師の中には密林でしか手に入らない素材を求めてそうした目に遭うことがあるんだ」


 ユニが少し考えながら訊く。

「その国境線って、何か目印でもあるの? まさか柵で囲っているわけじゃないでしょ?」

「ああ、さすがにな。だが目印はあるんだ。花だよ。

 大体密林に入って十キロ程度……そういや、もうそのくらい進んだかな?

 ユニ、オオカミたちに花の匂いに気をつけるよう伝えてくれ。

 妙に甘ったるくて、腐った果物のような匂いだ」


「花? それが目印なの?

 でも、今は冬よ。それって一年中咲いているの?」

「そうだ。ついでに言うと、その匂いがしてきたら、できるだけ吸い込まないように気をつけろ。

 死ぬことはないが、人間は中毒を起こして幻覚を見たり意識を失ったりする。

 オークは平気らしいから、明らかに対人間用に奴らが植えているんだな」


 突然、オオカミたちの歩みが止まった。

 ユニとアスカは平気だったが、ゴードンは前につんのめってハヤトの後頭部に頭突きをかましてしまう。

 ハヤトが振り返ってもの凄い形相で睨んだので、彼は本気で震えあがった。


 ユニは何かあったのか、ライガに訊ねる。

「そういう話はもっと早く教えてくれ。追い風だからお前たち人間は気づかないだろうが、その花ならもう目の前だぞ」

 ユニを通してゴードンの話を聞いていたライガは、憮然とした表情だ。

 わけが分からずにいるアスカとゴードンに、ユニはオオカミの言葉を伝えた。

 立ち止まった状態で、空気の匂いをよくよく嗅いでみると、確かになんとなく甘ったるい匂いがする。


 ユニは二人にオオカミから降りるよう命じて、自らもヨミの背から滑り降りた。

 群れのオオカミたちには周囲に散って姿を隠し、ユニたちの行動を見守るように指示する。

「いいこと、今回はいつものオーク狩りじゃないの。

 奴らとはできるだけ友好的な関係を結ばなくてはならないわ。

 だから、あたしが呼ぶまでは見つからないようにね。

 交渉がうまく行かなくて、もし戦闘にでもなったら、その時は状況を見て加勢してちょうだい。分かった?」


 オオカミたちはうなずいて、あっという間に姿を消した。

 彼らの鋭敏な鼻なら、獣臭いオークを避けて国境線を難なく突破するだろう。

 ユニは背嚢からさらしを取り出すと、水筒の水で濡らして固く絞り、二人に渡した。


 三人は布で顔を覆いながら、徒歩で慎重に進んだ。敵意を見せたくないので武器は手にしない。

 十分もしないうちに視界が開け、紅色に黄色い斑点のある毒々しい花が咲き誇る草地に出た。あちこちに木の切り株があるので、わざわざ伐り開いて花を植えたのだろう。

 もう風向きなど関係なしに、吐き気がするような甘ったるい腐臭が襲ってきた。

 彼らはできるだけ息を詰め、速足で花のベルトを駆け抜けた。

 風が追い風なので、花の地帯を抜けても強烈な匂いがなおも追いかけてくる。

 ユニたちは苦しい息を我慢して密林の奥へと分け入っていく。


 その彼らの前に、突然茂みを掻き分け、黒く大きな影が出現した。

 二頭のオークだった。

 彼らは定番の棍棒ではなく、木の槍を手にしていた。

 太く長い棒の先を削って鋭く尖らせた原始的な槍ではあったが、オークの膂力で振り回せば木剣以上の威力があり、突き出せば容易に人間など串刺しになるだろう。

 オークたちは辺境に現れる〝はぐれオーク〟よりだいぶ小柄で、身長は百八十センチ程度。さすがにユニよりは遥かに大きいが、アスカやゴードンよりも背が低い。

 ただ、横幅はたっぷりとあり、恐らく百キロほどのゴードンよりも三、四十キロは重そうに見えた。


 体格を除けば、辺境のオークとはなんら変わるところがない。獣臭をふりまく身体は腰巻一丁の半裸で、当然裸足だった。大きな口からは下あごの犬歯が牙のように突き出しており、耳はブタのように長く垂れ下がっている。


 ユニたちは立ち止まり、両手を挙げて敵意のないことを示しながら、相手の出方を見た。

 もちろん、攻撃してきたらアスカは剣を抜き、ゴードンは背中のハルバートを手にし、ユニは腰のナガサを即座に抜けるよう、十分に意識を集中してのことだ。

 だが、オークたちも闇雲に突っ込んでこない。

 槍を前に突き出しながら、特にプレートアーマーを着込んでいるアスカを胡散臭そうに警戒している。


 そして、片方のオークがついに口を開いた。

「コノサキ、オークノクニ。

 ニンゲン、カエレ!」

 しゃがれた声で、アクセントもおかしかったが、それはまぎれもない中原語――ゴンドワナ大陸で広く使用されている人間の言葉だった。

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