密林の賢王 第二話 哭き女
その日の午後、ユニとオオカミたちはもう一頭のオークを仕留めた。
今度のオークの胃の中には、未消化の羊毛や小骨が残っていた。村が依頼してきた奴に間違いなかった。
夕方、ユニたちが戻るって報告すると、
ユニが依頼を受けてこの村に来たのは昨日のことであり、彼女はたった一日で羊を襲ったオークを駆除してくれた。しかも頼んでいないもう一頭のおまけつきでだ。
ユニの契約は賄い付きだから、滞在日数が短ければそれだけ村の負担経費が軽くなる。
普通の召喚士だと、家畜舎や放牧場でオークが襲ってくるのを待ち受けることになる。
そのため、駆除するまでは四、五日かかるのが普通で、その間に出し抜かれて仔羊が
ユニの幻獣は鼻の利くオオカミで、しかも群れであるため、彼女たちは自分から森に入ってオークを追跡し、追い詰めて倒してしまう。
辺境の村々では「ユニは仕事が早いし腕もいい」という評価が確固としたものになっている。だから彼女への指名は多く、取り合いとなるため料金も自然と高めになるのである。
役屋での手続きを終えると、もう外は暗くなり始めていた。ユニは翌日の朝に村を出るつもりで、その日は村に泊まることにした。
宿舎に指定されていた小屋(使われていない農具置場)に戻ると、隅の方のベッド(木の囲いの中に干し草を積みシーツをかけたもの)でマリウスが
ちょうどよいので服を脱ぎ、固く絞った布で身体を拭いて楽な恰好に着替える。
ベッドの脇にはライガが〝お座り〟をして、もしマリウスが薄目を開けて覗こうものなら噛みついてやろうと、尻尾を振って待機している。
幸運にもマリウスは熟睡していた。ユニは「お役目ご苦労」と言ってライガをどかすと、彼のわき腹に遠慮のない蹴りを入れた。
「げしっ!」
気持ちのいい音がして、マリウスが飛び起きる。
「なんですか、もう!
人を起こす時は耳に息を吹きかけるとか、口づけをするとか、もっと優しい方法があるでしょう」
欠伸をしながら抗議をするマリウスを無視して、ユニは質素な椅子に腰をおろした。
「それは相手がお姫さまの話ね。あんたには蹴りで十分よ!
……それより、マリウスが来たってことはアリストア様の呼び出しなんでしょう?
帝国のことを報告したのは、ついこの間のことよ。どういうことかしら?」
* *
ユニとマリウスは、西の森のエルフ、アッシュとともに数か月をかけて帝国に潜入していた。
それは王国を守護する四神獣の一柱、黒蛇ウエマクの私的な依頼であったので、当然帰国したユニたちは黒城市を訪れてその報告を行った。
民間人であるユニはともかく、マリウスは一応軍の管理下にあり、参謀本部を取り仕切るアリストアの〝手駒〟であった。
それを事情説明なしに強引に借りたのだから、アリストアは二人が戻ったと知れば必ず事の顛末を聞き出そうとするだろう。
ユニとマリウスはそれにどこまで答えるべきか、ウエマクに訊ねた。
「構いませんよ。あなたたちが見たこと聞いたこと、全部正直に話しなさい」
ウエマクはあっさりと二人に言った。
「よろしいのですか?
ウエマク様は私たちの旅の目的を秘密にするために、かなり気を遣っていらしたと思うのですが……」
黒蛇は目を細めて笑った。
「それは出発するまでの話ですよ。
どうせアリストアのことです、あなたたちが帝国で何をやったかなんて、もうあらかた掴んでいるはずです。
あとは二人が見聞きしたことから、彼が何を
多分、同じ話を聞いても、私と彼とでは知る内容が全く違うでしょうね」
ユニとマリウスは、たった一晩でウエマクから解放された。
彼らはその翌日帝都に向かい、参謀本部のアリストア副総長のもとへと出頭した。
別に呼び出されているわけではないが、いずれはそうなるはずだった。
二人は別々に、長い時間をかけて尋問を受けることになったが、これまで散々同じ目に遭っているので驚かなかった。
黒城とは対照的に、参謀本部(それに情報部)から解放されるのには十日を要したのである。
* *
「ああ、それなんですが……」
何故すぐまたアリストアの呼び出しなのかという、ユニの質問にマリウスは少し困った顔をした。
「僕もよくは知らないんです。
ただ、帝国の件とは関係ないみたいですよ。
多分、オークがらみだと思いますね。
最近やたらとオーク関係の資料が執務室に運び込まれていましたから……」
それはユニの心に妙に引っかかる話だった。辺境でオークが増えていることと関係があるのだろうか?
「それで――また参謀本部まで出頭なの?
それとも、先輩が気を利かせて蒼城市まで
マリウスは首を横に振った。
「出頭先は赤城ですよ。それも一週間後だそうです」
「はぁ? なんだって南部なのよ」
「知りませんよ。いいじゃないですか、赤城市は冬でも暖かいそうですから。
僕が代わりに行きたいくらいですよ」
「え? ……あんたも一緒じゃないの?」
「ええ、今回僕は別任務で帝都詰めですよ?」
ユニは完全に虚を突かれ、口をぱくぱくさせた。
このところ、どこへ行くにもマリウスが一緒だったので、何かの任務なら当然また行動を共にすると思い込んでいたのだ。
「そっ、そう……そうよね!
あんたの
正直に言ってユニは少し淋しかったのだが、絶対にそれを認めなかっただろう。
干し草のベッドから追い出されたマリウスは、文句も言わずに床に寝ころび毛布にくるまった。
そしてユニのオーク狩りは終わったし、アリストアの命令も伝えたので、明日の早朝には村を出て帝都に戻るつもりだと、
ユニはマリウスの安らかな寝顔をぼんやりと眺めていたが、はっと我に返ると同時に腹を立てている自分に気がついた。
「もう二、三回蹴ってやればよかったかしら……」
* *
翌日ユニが目覚めた時には、マリウスはすでにいなくなっていた。
「ライガ、あんたは気づいてたの?」
ユニはベッド脇の床で盛大なノビをしているオオカミに訊いた。
『あん? 当たり前だろう。
小僧は夜明け前に出て行ったぞ』
「なんであたしを起こしてくれなかったの?」
ライガは首を捻った。
『なんでお前を起こさなくちゃならないんだ?』
「それは――見送りとか……。もう、いいわよ!」
朝六時を過ぎていたが、二月だとまだ薄暗い。
それでも農民たちが早起きなことには変わりない。
ユニが肝煎の娘一家を訪ねると、もうとっくに朝食が用意されていた。
それを食べたら出発することを前日に伝えておいたので、肝煎の娘は頼まれていないのに昼の弁当まで用意してくれていた。
礼を言って家を出ると、外で待っていたライガが立ち上がる。
朝から不機嫌だったユニがにこにこしているのを見たライガは、疑いの目を向ける。
『なんだ、もう機嫌が直ったのか?』
ユニはまだ暖かい弁当の包みを見せびらかした。
「だってほら、お弁当よ!
誰かがあたしのためにお弁当を作って持たせてくれるのよ。なんだか遠足みたいじゃない?」
『……そうか、そりゃよかったな』
ライガは心の中で溜め息をついた。
『自分が弁当に負けたと知ったら、
* *
ユニはいったんカイラ村に帰った。ここは辺境にいくつかある中核集落〝親郷〟の一つで、その賑わいは村よりも町と言った方がふさわしい。
彼女はこの村を活動の根拠地としており、村はずれには寝泊まりできる小屋も借りていた。
親郷には軍の連絡事務所があるので、彼女はオーク討伐の申告をして国からの報酬を受け取った。
それが終わると、村の掲示板に行って管理人のマリエに依頼完了の報告をしなければならないのだが、彼女は少し考えてから足を〝氷室亭〟に向けた。
夏でも氷室で冷やした冷たいビールが飲めるこの居酒屋は評判が高く、ユニも贔屓にしていた。
まだ日暮れまでは二時間以上あるが、店は昼前から開いているので心配ない。
慣れ親しんだ扉を開けると店員が威勢のよい声で迎え、常連客の彼女を
店員は心得たもので、彼女が何も言わなくても、泡がこぼれそうな大きな陶器のビアマグを運んでくる。
今日は塩豆と裂いた干し肉の小皿が一緒だ。
それらを運んできた店員と入れ替わるように、すぐに別の店員が揚げたジャガイモを運んでくる。
「いつもの炭火焼きにしますか? 今日は寒いんで鶏のクリームシチューもお勧めですよ」
ユニの顔がぱあっと明るくなる。
「シチューかぁ! いいわね、そっちをもらうわ。鶏の炭火焼きはその後でね」
店員はにこやかにうなずいて、注文を伝えに戻っていく。
ユニは揚げたて熱々のポテトに自家製バターをたっぷりつけて頬張る。
カリっとした表面とほくほくの中身が口の中に広がり、塩味の効いた溶けたバターがじゅわりと染み込んでいく。
ユニは言葉にならない呻き声をあげて、一気にビールを
「くう~~~っ!」
思わず目をきつく閉じ、喉を焼く炭酸の刺激を堪能すると目尻から涙が溢れた。
彼女が涙に潤んだ目を開けると、視界の端に見覚えのある人影が映った。
店の入口の方を見ると、ユニに向けて若い女性がぶんぶんと手を振っている。
「ユニ姉~!」
その娘はずんずんと近寄ってきて、ユニの隣りの席に遠慮なく腰を下ろした。
注文を取りに来ようとする店員を手で制して声を上げる。
「あたしもビール! 料理はいらないわ」
ユニは隣りに座った若い娘をじろりと睨んだ。
「マリエ、あんたまた
「違うわよ、最近太っちゃったからダイエットしてるの」
マリエと呼ばれた娘は頬をぷっと膨らませる。
ユニは「ふん」と鼻を鳴らした。
マリエはカイラ村の
仕事をサボることが大好きだという困った娘だが、地獄耳で噂話には誰よりも詳しいので、ある意味適任なのだろう。
彼女はテーブルに置かれたマグを素早く自分の前に引き寄せると、ぐいっと一飲みした(王国の成人年齢は十八歳で、それ以上なら飲酒も喫煙も問題ない)。そしてユニの前に置かれた皿から、まだ温かいポテトを掠め取って口の中に放り込んだ。
『おいおい、ダイエットはどうした』と心の中で突っ込みを入れつつ、ユニは横の椅子に置いた背嚢から依頼の完了届を出してマリエに渡した。
わざわざ掲示板まで行かなくても、ユニが氷室亭に入ればすぐに彼女が現れるだろうと見当をつけていたのだ。
「おっ、さすがにユニ姉さんは仕事が早いわ。
ああ、二頭仕留めたんですね? ホント、最近はオークが増えましたよね~」
マリエは油で汚れた指をエプロンの端で拭うと、完了届を二つに折って自分の手提げ鞄にしまった。
「
でも、報酬の相場が下がっているのは知らなかったわ」
マリエは塩豆にも手を出してもぐもぐ頬張りながらうなずいた。
「そうなんですよ!
もう相場が駄々下がり――今じゃ銀貨十枚ならいい方で、八枚しか出さないって依頼が半分以上ですよ。
ユニ姉さんの報酬が特別なのは、あたしの頑張りだって分かってくれます?」
彼女は腕をまくってぺちぺちと叩いて見せた。ユニの報酬が従前どおりなのは値上げに等しく、それはマリエの腕のなせる業だと自慢しているのだろう。
「まぁ、村の財政が圧迫されるから仕方がないかもね。
それより、召喚士も増えてるって本当なの?」
マリエはユニのシチューを味見するためにスプーンを頼むか、干し肉を齧って我慢するか悩みながらうなずく。
「そりゃ、需要と供給のバランスですから当然だと思いますよ。
でもユニ姉さんみたいに辺境に居つく人は少ないかなぁ。
使役する幻獣の特性が合わなけりゃ、オーク狩りはかなり危険ですからね。
オークが増えたって噂が広がったんで、腕に覚えのある召喚士が短期バイトで稼ぎに来るってケースが多いんですよ」
「へえ~、そうなんだ。
ああっ、もう! シチューが食べたいなら、あたしのスプーン使っていいから!
――それで、オークが急に増えた原因は何か分かっているの?」
マリエは嬉々としてユニのスプーンでシチュー皿から鶏肉の塊りを掬い取った。
それを口に入れる前にかぶりを振ったところを見ると、原因は不明らしい。
「それじゃ、なんでもいいわ。タブ大森林で何か変わった噂は聞いてる?」
若い娘はしばらくもぐもぐと肉を咀嚼していたが、ごくりと飲み込んで「そう言えば……」と呟いた。
「さっき、短期の出稼ぎが増えたって言いましたよね?
その中に変わった召喚士がいたんですよ。どっかの隊商の警備兵らしいですけど……ほら、帝国の大隧道が潰れて不通になってるでしょ? それで隊商護衛の仕事がめっきり減ったから稼ぎに来たって言ってたわ。
その人の連れている幻獣がバンシー(
でも、そのバンシー自身はオークを見つけられても退治はできないらしくて、その召喚士がハルバートで戦って倒すんですよ。
人間が肉弾戦でオークと戦うんですよ、信じられます? 頭おかしいですよね」
ユニはマリエの話に心当たりがあった。大ありだった。
前年、ユニがルカ大公国へ向かう隊商の護衛を依頼された時、護衛隊長をしていたアシーズという召喚士に違いない。
バンシーは死者が出そうな家に現れて泣く――ただそれだけの存在で、そんな妖精を使役しているのは王国広しといえども彼以外にあり得ない。
「その召喚士、髭を生やしたちょっと渋めの中年じゃなかった?」
マリエは驚いた顔をした。
「えっ、ユニさんの知り合いですか!
……確かに男前でしたけど、年上だし、あたしの趣味じゃないですね。
あたしとしては……ほら、マリウスさんだっけ? ユニさんとよく一緒にいるあの人の方が好みだわ!」
「あんたの好みなんか聞いてないわよ。
それで、アシーズと森の変化と何か関係があるの?」
「えっとですね……」
マリエがアシーズから聞いた不思議な話とは、以下のようなものだった。
バンシーはその性質から、死者が出そうな場所なら距離に関係なく出現することができる。
死者は必ずしも人間とは限らず、
一種の未来予知なので、召喚主であるアシーズに殺されるだろうオークの存在を感知できる。もちろんそれはバンシーがオークを見つけた結果として起きる現象であるから、そこに矛盾(タイムパラドックス)が起きるのであるが、バンシーとアシーズにとってはどうでもいい話である。
とにかく、森の中で起きる人や亜人類の死を探って異空間を漂っていたバンシーは、突如として現世の森に吐き出された。
森の上空でふわふわと浮かんでいるバンシーの眼下では、夥しい人型の生き物が大軍で移動していた。
オークと比べ――いや、人間と比べてもだいぶ小さい。
それは数百匹、ひょっとしたら千匹を超すかもしれないゴブリンの群れだった。
タブ大森林に〝穴〟を通して出現する亜人類はオークが圧倒的に多いが、それに次ぐのがゴブリンである。
ゴブリンは身体が人間の子どもほどで、一対一なら人間の敵ではない。個体では脆弱な彼らは群れをつくり、集団で行動して狩りをする。
ただ〝穴〟による転送は単独の個体に起こる現象で、群れごと現れることはない。
そのため人間界に出現したゴブリンの多くは獲物を獲れずに餓死するか、空腹のオークに見つかってその餌となった。
辺境の村々に出現して家畜に被害を与える例はほとんどなかった。
バンシーがゴブリンの大集団を見つけたのは、辺境からはかなり離れた大森林の中央南部だった。
小鬼どもは真っ直ぐ南を目指して移動しており、西の辺境に向かう様子はない。
足を
『とりあえず、これはオークではないし、辺境に害を及ぼすものではないわね』
そう判断したバンシーはゴブリンへの興味を失い、その場を離れて再び異空間に潜っていった。
* *
「……それだけ?」
「それだけです」
マリエはユニの期待には応えてくれなかった。
「森で起きた変わった話と言ったら、あたしの知る限りそれくらいですね」
「それで、アシーズは今、どうしているの?」
「とっくに辺境を去りましたよ。滞在したのは十月あたりからの一か月半ほどでしたね。
その間にオークを十二頭も仕留めましたから、十分稼いだんじゃないですか。
武器だけでそんだけオークを狩ったのは、あの召喚士さんが初めてだと思いますよ」
ユニは三杯目のビアマグを持ったまま、考えに耽っていた。
ふと自分の名を呼ぶマリエの声で現実に引き戻される。
「えっ? ……ああ、ごめん。少し考えごとをしていたわ。
ねえ、マリエ。
あたしは明日、村を発って赤城市に向かうの。そう、いつもの参謀副総長殿のお呼び出しよ。
多分、また当分帰れないと思うから、依頼の割り振りはよろしくね」
「ええー! 帰ってきたばっかじゃないですかぁ?
あたし、姉さんがいないと寂しいですよぉ!」
「あんたが寂しいのはたかる相手がいなくなるからでしょ。
いいから後のことは頼んだわよ」
ユニは残っていたビールを一息で飲み干すと、マリエが伸ばした手の先から鶏の炭火焼きの皿を奪い取った。
「兄ちゃん、お勘定!
それとこの鶏、持ち帰り用に包んでくれる?」
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